神なるもの⑭『君がッ泣くまで殴るのをやめないッ!』

「なんだ……、あれは……」


 同刻。

 団平はその景色を呆然と見つめていた。


「……」


 それは自身の目と正気を疑うような光景だった。

 山を覆うような大きさの大蛇が、暴れている。その周囲には絶えず光る稲妻のようなものも。


「お父さん……」


 団平だんぺいが唖然としていると、風音かざねが不安そうな表情を浮かべながら傍らに寄ってきた。自室に隠れていろと指示していたのだが、どうやらいても立ってもいられなくなったらしい。


 ふたりが今立っているのは、自宅の敷地からやや離れた場所。団平は風音を連れて日が落ちる前に一旦自宅へと帰ってきた所だった。すると突然、外から凄まじい衝撃の轟音と揺れが響いてきたのである


「風音……」


「あの大きい蛇、絶対に『卑奴羅ヒドラ』だよ。

 むかし、藤太が倒したはずの」


 風音は体を僅かに震わせながら団平の顔を見上げる。

 そんなはずはない――咄嗟に反論しようとしたが、なぜかその言葉が喉につかえて口から出なかった。何故ならたとえ否定したくとも、団平自身が本能的に理解してしまっていた。そう、あれこそが間違いなく昔話に出てきた『卑奴羅ひどら』そのものであると。


「……この村から、逃げよう」


 決心したように、団平はぼそりと呟いた。


 これは秘密基地で再会した時から考えていたことだ。まず風音と一緒に村から抜け出し、警察署へと駆け込む。そして風音は警察に保護してもらい、自らは自首をするのだ。

 さすがに殺人事件が絡むとなればこの村にも捜査のメスが入るはずだろう。少なくとも、この村に住み続けるよりかは遥かにマシだ。


 何故10年前にこの発想ができなかったのか自分の愚かさがつくづく嫌になるが、今後悔していても仕方ない。あのバケモノにやられる前に逃げないと――そう思って自宅へと急ごうとした時、風音が団平の手を握った。


「ダメ……!」


 風音は震える声で団平を行かせまいと力の限り腕を引く。


「いいから手を放すんだ、風音。

 あの光景を見たら分かるだろ? この村はもう危険なんだ!」


「だからこそだよ! このままほっといたら、この村がなくなっちゃう! 私たちの家だって! 

 そんなの絶対ダメだよっ!」


 娘の白い頬には一筋の涙が伝っていた。


「ダメなものか、現実を見ろ! 

 あんな化け物相手にして俺たちに何ができる!」


 思わず声を荒げる団平。

 このまま強引に手を振りほどこうとした時。


「――いや、できるぞ。

 清川きよかわの血を引く娘ならな」


 風音の代わりに、団平の言葉に答える声があった。


「そ、村長……!」


 振り返ると、そこにいたのは息を切らした様子の登美枝とみえだった。傍らには世話役の女性を含めた村人数人を従えている。

 

「ふぅ、すぐに見つかってよかったわい。

 見ての通り村はいま存亡の危機にあるからの」


「あれは一体、何なのですか?」


 安堵した表情を浮かべる登美枝に、団平は恐る恐る尋ねた。


「うむ、あれこそが『オオモリヌシ』様よ。

 知っての通り、この伊勢崎の守護神じゃな」


「『オオモリヌシ』様? あれが!?」


 団平は再び山の向こうへと視線を移し、登美枝が『オオモリヌシ』様と呼ぶ大蛇を眺めた。

 しかしそこにいるのは全てを喰らい、そして毒を際限なくまき散らす化け物。どう見たって『神』と呼べるようなものではない。


「違う! あれは絶対に『卑奴羅ひどら』だよ!」


「おうおう風音や、お前は賢い娘じゃのう。ま、あれを見たら隠し通せはしないか。

 そうじゃ、確かにあれは『卑奴羅ひどら』でもある」


「!?  一体どういうことなんですか!?

 先程は『オオモリヌシ』様と……」


「同じ存在なんじゃよ、ただ呼び名が違うだけで。

 確かに900年前、藤太は『卑奴羅ヒドラ』を斬った。しかし完全には死ななかったのじゃ。まぁ虫の息ではあったようだがの」


「……」


 団平は思わず絶句した。

 それは村のアイデンティティといってもよい民話の存在を根底から覆す事実だったからだ。


「そしてそのことにいち早く気付いた者がおった。我らの先祖、桓本かきもと定兼さだかねじゃ。

 兼定は偶然斬られた『卑奴羅ひどら』の首を見つけ、ある提案をしたのじゃ。

 『助けてやるから、その代わりにこの地を汚染する毒を消せ』とな」


「な……! それじゃあ、」


「ああ、毒を浄化したのは他ならぬ『卑奴羅ひどら』だったというわけじゃ。

 ま、考えてみれば道理じゃな。自分の出した毒なのじゃから、自分で浄化できても不思議はなかろうて」


 そう言って登美枝は妖しい笑みを浮かべた。

 この状況でなおその余裕を保てているという事実が、より怪物じみた印象を団平に与える。


「しかし……それじゃあ何故、『卑奴羅ひどら』は『オオモリヌシ』様と呼ばれるように……?」


「さぁの。なにぶん900年も前のことじゃ、その辺りの詳細は当時の本人たちにでも聞かねば分からぬわ。

 じゃが、大いなる力には得てして信仰が集まるもの。我々桓本家はそれを最大限に利用してきた。そのいい例が岩夫のような『影』の存在じゃな。お前も見たじゃろ?」


「あの大男ですか……?」


「『卑奴羅ひどら』の毒にも色々あってな。たとえば寿命を縮める代わりに、身体能力を大幅に増強する効果のものがある。

 岩夫の姿はその毒を投与した結果じゃ。そして我々一族は代々、そのような『影』を何人も作りだしてきた。その『影』を利用して桓本家はこの伊勢崎における影響力を維持してきたわけじゃな」


「それでは、『巫女参り』は……?」


「『卑奴羅ひどら』からのもう一つの要求じゃ。つまりは餌じゃな。

 『巫女参り』という祭りはその隠れ蓑に過ぎぬ」


 登美枝は悪びれず、しれっと答える。


「じゃあ清川家の娘が多いというのも……!」


「復讐じゃろうな、自らを斬った一族に対する」


「そんな……」


 残酷なまでの事実を前にして、団平は思わずよろめいた。


『オオモリヌシ』様が『卑奴羅ひどら』?


 化け物が、村を救った?


 村の英雄が、かえって一族を苦しめてきた?



 この村における常識全てを覆すような情報の数々に、とても脳の処理が追いつかない。


「さて、ひと通り話した所で……風音をこちらに渡してもらおうかの」


 しかしそんな団平の理解を待つこともなく、登美枝はゆっくりと二人の下へと近づいていく。


「いや……!」


 その物々しい様子に、風音は団平の手を握ったままその背に隠れた。

 じんわりと伝わる娘の手の熱。その感覚が団平の意識をギリギリの所で正常に戻す。


「待って下さい! なぜ風音を連れていくんです!?」


「分かるじゃろう? 『オオモリヌシ』様を鎮めるためには、生贄が必要なのじゃ」


「しかしそれは美鈴が――ッ!」


 マズい、と思った団平は咄嗟に口を塞いだ。


「美鈴お姉ちゃんが、どうしたの……?」


 だが既に手遅れだった。


「そ、それは……」


「ひょっひょっ! お前、まさか話とらんかったのか! 

 ひょひょひょ! こいつは傑作じゃ!

 よいよい、なら儂が代わりに教えてやろう。風音よ、お前の父はな最初から生贄にするつもりで美鈴をこの村に連れて来たんじゃ。

 お前の代わりとしての!」


 ひょひょひょ、と高笑いする登美枝。


「え……!

 ほ、本当なの!? お父さん!?」


「……ああ」


 団平は絞り出すようにそう答えた。


「お父さん……」


「ひょひょひょ! まさに親バカという奴じゃの!

 娘のために実の姪の命まで差し出すとは! じゃがそれも今となっては無駄になったの、兄と同じじゃな。

 さ、早う風音をこちらに渡せい」


 登美枝は手の平で催促する。

 それと同調するように、村人が二人の周りを囲んだ。

 見てみると、その全員が鎌や鍬などといった農具を持っている。どうやら選択肢はないらしい。

 

「兄と、同じ……?」


 しかし団平にはどうしても気になることが、一つだけあった。


「ん? ああそうじゃ。

 奴は妻の京子がいなくなってからというもの、やけにこちらに意見してくるようになっての。密かに屋敷に来てはやれ『巫女参りは廃止しよう』の一点張りじゃ。

 全く何を血迷ったか……ま、鈴音の命が惜しくなったんじゃろうな。

 そんでこちらが拒否し続けると、しまいには警察やら何やらに訴える言ってきおった。

 ……じゃから毒を盛ってやったのよ、遅効性のな」


「そんな……」


 ずっと、病死だと思っていた。


 枯れ木のように痩せ細った腕。

 ひどくこけた頬。

 毎晩のように聞こえる、呻き声。


 そんな兄を助けようと、必死に医者を探した。

 しかし全員が黙って首を振るばかり。そのまま何の手を打つことも出来ずに最後の兄弟を失ったのである。


「ま、秀介しゅうすけの話など今はええじゃろ。

 それよりも風音じゃ。早う渡さんか」


 その憔悴した様子を気に留めることもなく、登美枝はさらに詰め寄る。


「村の為じゃ、おとなしく渡してくれ」


「頼む、ワシらとてこんな真似はしとうない……!」


 周りの村人も登美枝の言葉に同調するが、団平の耳には届かない。

 意識にあるのは、かつての家族のことのみ。



 姉も。

 兄も。

 妻も。


 ずっと、ずっと奪われてきた。

 さらには今、娘さえ――



 伏せていた視線を、前へと移す。


「ひょひょひょ!」


 眼前には、下卑た笑いを浮かべる老婆。


 団平の中で、何かがプツリと切れる音がした。


「……う」


「ん?」


「うあああああああああああああっ!!」


 叫び声と共に、団平は一直線に飛び掛かった。

 その標的は伊勢崎村村長、桓本かきもと登美枝とみえ

 当然、老人の足腰では当然避けることなどできるはずもなく、登美枝の体はそのまま押し倒された。


「つつぅ……! 何をするか、だ――!」


――ゴギャッ


「返せ!!」


 言葉よりも早く、拳が老婆の顔にめり込んだ。


「やめ……! ゴハッ!」


「返せっつってんだよ!!」


――ゴガッ!


「俺たちの家から、全部奪いやがって!

 姉さんを!」


「グウッ!」


「兄さんを!」


「ガハッ!」


「妻を……志乃しのを! 返せぇえぇえええええっ!!」


「ゲハァアッ!」


 慣れない手付きで、不格好に拳を振り下ろしていく。

 時折狙いを外して地面を殴ってしまうが、そんなことはお構いなし。ただただひたすらに、激情を老婆にぶつけ続ける。

 そのあまりの剣幕に、取り巻きの村人たちは呆然と立ち尽くしてしまっていた。


「あああああああああああああああああああっ!!

 返せ返せ返せ返せえええええええええっ!!!!」


「お、い……ぐっ、ま……政子まさこ……。

 こ奴を……グフッ! 止めん、がっ……ぐっ!」


 殴られながら、登美枝は世話役の女性に助けを求める。


「……」


「お、い……政子?」


 しかし政子と呼ばれた女性は一歩たりとも動こうとはしない。


「登美枝様……志乃しのは、私の幼馴染だったんです」


 代わりに、ゆっくりと一言だけ呟いた。


「な――」


 唖然としら表情を見せる登美枝。

 返事をする間もなく、その頬には再び拳が突き刺さった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る