神なるもの⑦『また英人殿が死んでおられるぞ!』

「……シネ」


 英人の姿を捉えた大男はその太い脚を踏み込み、一気にその距離を詰めにかかった。


 みしり、という土の軋む音。

 次の瞬間、その巨躯は英人の眼前まで迫っていた。


(早……!)


 明らかに人の領域を外れた速さ。

 英人はやや驚くが、すぐさま冷静に対処をする。


「よっと」


「!」


 一瞬のうちに体勢を低く落とし、さらに横に跳んで迫りくる斧を避ける。

 空振る斧。しかしその凄まじい威力によって信じられないような轟音が響く。

 その振動は辺りの落ち葉と土を巻き上げ、木の幹を震わせた。


「ひっ……!」


 あまりの光景に腰を抜かしたのか、団平は鉈を持ったままその場にへたり込んだ。


「……ハズシタカ」


 しかしそんなことは気にも留めず、大男はゆっくりと獲物の方へと向き直った。


「とんでもない膂力。

 まるで人間じゃないみたいだな」


「……コロス」


 斧を振り上げ、再び迫る大男。

 その速度はさらに上がり、今度は一瞬消えたかと錯覚するほどのスピード。


「よし、捕まえた」


 しかし英人はそれを難なく受け止めた。


「ナ、二……!?」


 驚愕する大男をよそに英人はさらに距離を詰め、脇の下からその右腕を押さえた。

 対する左手は手首を掴んでがっちりホールド。

 端から見れば、二人の体格には天と地ほどの差がある。

 無論天は大男で、地は英人だ。本来ならばこんな拘束など容易く引きちぎれるはず。


「ウゴケ、ナイ……!?」


 しかし大男はその状態からピクリとも動けないでいた。


「ググ、グ……!」


「さて、もう一丁」


 大男が悪戦苦闘している隙に、英人は左手に魔力を送った。

 大量の魔力を使って強化したのは――握力。そのまま英人は思いっきり脇の下の肉を握りこんだ。


「――グアアアアアアアアアアアアッ!」


 脇の下は、腕の中でも比較的柔い部分である。それを握り潰された大男は山に木霊する程の悲鳴を上げた。

 それはもはや体を指一本動かすどころか、呼吸すらままならないほどの苦痛。さしもの大男も耐え切れず、その場に膝をついた。


「ガ……ア……っ」


「さて、そのツラを拝ませてもらおうか」


 ちょうど都合のいい位置まで降りてくる顔。英人は右手を離し、顔を覆う布を思い切り引っぺがした。


「……ほう」


「な、なんだその顔は……!」


 その中身を見た英人は興味深そうに息を吐き、団平は恐怖を感じて後ずさる。


「ミ、ミル、ナ……」


 おおよそ人とは思えぬ形相だった。

 鼻が削がれ、皮膚は爛れ、不自然なほどに太い血管が所々に浮いている。毒か病か――それはまるで、異物に侵されたような姿だった。


「人間離れした膂力からして、普通ではないと思ってたが……お前、体に何を入れた?

 いや、もしくは入れられたか?」


「ミル、ナ……」


 英人の質問にそう吐き捨てると、大男は口からこれまた人間離れした長い舌を伸ばした。


「おっと、舌噛んで死なれても困る」


 英人はふわりと放り投げるようにして大男を手から離す。

 支えを失ったその体は尻もちをつくようにして後ろに倒れ込んだ。


「グ……ハァッ! ハァ……ッ!」


「うーん、情報を聞き出すにしてもここまで徹底されていると難しい、か。

 そもそも大して情報を持っているわけでもなさそうだし……」


「ウウ……、フゥッ!」


「となると、方法か」


 英人がそう結論付けると、大男に向かってゆっくりと歩を進めた。

 対する大男は痛めた右腕をダラりと垂らし、表情には依然として苦悶の色が残る。しかし戦意を完全に喪失したわけではなく、無傷の左手には斧が握りこまれていた。


「シ、ネェッ……!」


 やられる前に、やる。

 恐怖を興奮で塗りつぶし、大男は再び真正面から突進する。

 右腕が動かなくなったことでそのスピードは落ちているが、まだまだ人外の範囲内。

 もののコンマ数秒で斧の間合いにまで接近した。


「オオオオッ!」


 力強く振り上げられる左腕。

 手負いだからか、そこには先程には感じられなかった気迫が籠る。

 当然、それを防ごうとする英人。


「あ、足が滑ったー」


 しかし、それは叶わなかった。

 不幸にも踏ん張る軸足がずれたことで、英人は致命的な隙を晒す。


 大男にとって、千載一遇の好機。


「オオオッ!」


 その叫び声と共に、力の限り斧を振り下ろす。

 刹那の後、肉と骨とが潰し切られる音が鈍く響いた。


「ぐ……!」


 斧は即座に英人の肩肉と鎖骨を破壊し、肉を裂きながらついには心臓に到達。

 行き場を失った大量の血は、英人の口からあふれ出た。


「ウ……ガァッ!」


 刃が心臓に達したことを確認すると、大男は斧を体から強引に引っこ抜く。

 斧という堰を失った血液は、その傷口から噴水のように吹きだした。

 ものの数秒で限界点を超えるほどの出血、英人の体は力なくその場に倒れ込んだ。


「……ヨウヤク、シンダカ」


「ひっ……! ち、血が……!」


 初めて見るその凄惨な光景に、団平はさらに後ずさる。


「……オイ、キヨカワダンペイ」


「は、はいっ」


「コイツヲ、ウメロ」


 大男は英人の死体を指さした。


「あ……」


「ドウシタ? キイテルゾ、ムスメノタメニハ、ナンダッテスルト。

 コレハ、オマエガ、ヤレ」


「や、やります!」


 その視線の圧力に脅迫され、団平は急いで立ち上がった。

 すぐさま英人の死体を掴みズルズルと掘った穴の方へと引きずっていく。死によって力の抜けた体は、予想の何倍も重かった。


「はぁ……はぁ……っ!」


 上がる息。

 しかし今の彼にとってはその重さよりも、触れた手から伝わる生温かさの方が辛かった。

 一刻も早く、この地獄から逃れたい――その思いから、団平は英人の死体を放り投げるように墓穴に入れた。


「ヨシ。ツギハ、ツチヲイレロ」


「は、はい」


 団平は予め用意しておいたスコップで黙々と穴に土を入れていく。とてもではないが、中の様子は見れない。

 まるで現実をから目を背けるように、団平はひたすらその作業に没頭した。


 ………………


 …………


 ……


 30分後。


 穴は完全に塞がり、血の染みた土も同時に処分が完了した。後は何食わぬ顔で帰るだけだ。


「はあ……っ! はあぁっ……!」


「ヨシ、イイダロウ」


「これで……これで風音は……!」


 団平は四つん這いになりながら、懇願するように大男に尋ねた。


「アア、シンパイスルナ。

 トミエバアサマニハ、ホウコクシテオク」


「ほ、本当ですか……!?」


「アア。ソレジャアナ」


 大男はニヤリと笑い、森の中へと消えていった。

 残されたのは、団平ただ一人。


「はあ……、はあ……」


 まるで嵐をやり過ごしたかのような感覚。穴の開いた風船のように全身から力が抜けていき、代わりに重い倦怠感が体を支配し始める。


「風音……」


 一言、娘の名を呟く。もちろん答える者はいない。

 団平はゆっくりと立ち上がり、力ない足取りで帰路についた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 その頃。


「ほう、さすがは姉妹。

 ピッタリじゃな」


「あ、ありがとうございます」


 美鈴は『巫女参り』本番にて着用する巫女装束の試着を行っていた。


「とりあえず鈴音と同じ大きさのものを用意してみたが、大正解だったみたいじゃの」


「これが巫女装束なんですね」


 美鈴は体をよじり、その全体を確認した。

 世間一般の巫女装束と言えば上が小袖、下が緋色の袴が定番。しかしこの装束は、上下ともに白の着物だ。言うなれば、和風の結婚式である神前式にて着用する白無垢に近いデザインをしている。


「そりゃそうじゃ。いわば『オオモリヌシ』様への嫁入り衣装じゃからな」


「嫁入り……?」


 美鈴は首をかしげると、登美枝は頷きながら口を開いた。


「うむ。藤太の『卑奴羅ひどら』斬りの話は、知っとるかの?」


「はい。昨日村のおじいちゃんたちから聞きました」


「その中で藤太が女装して『卑奴羅ひどら』に近づいた部分があったじゃろ? 

 それが転じて『巫女参り』でも嫁入りのような姿をすることになったのじゃ」


「なるほど……」


「ま、単に形式的な話じゃから特に気にせんでもええ。

 そんじゃ次は『巫女参り』の具体的な流れを説明するかの」


 よいしょ、と登美枝は座布団から立ち上がる。


「とはいえこんなだだっ広い床の間でやるのもなんだし、場所を少し変えてから話そう。

 ほれ、美鈴を奥の部屋で着替えさせてやれ」


 登美枝の指示を受け、世話役の女性は広間の戸を開いた。


「はい。では美鈴さん、こちらに」


「は、はい」


 美鈴は世話役に連れられ、広間を後にした。





「……ふう。出てきていいぞ、岩夫いわお


 足音が聞こえなくなったのを確認すると、登美枝はひとりでに口を開いた。


「……タダイマ、モドリマシタ」


 するとどこからともなく、黒装束を身に纏った大男が姿を現した。


「して首尾は?」


「ブガイシャハ、シマツイタシマシタ。

 シタイモ、ツチノナカデス」


「うむ、それはなにより。

 しかしその腕はどうした? どうやら痛めとるようじゃが……」


「オモッタヨリ、テイコウガアリ……シカシスグニ、ナオリマス」


 岩夫を呼ばれた大男は、痛めた右腕をさすった。


「お前がやられるとは、相当暴れたようじゃの……そんで団平の方は?」


「カエル、トチュウカト。

 シタイハ、ヤツニウメサセマシタ」


「ということは、奴も共犯者になったということじゃな。

 うむ宜しい……もう下がってよいぞ」


「ハッ」


 岩夫は音もなくその場から消えた。

 瞬間、登美枝の顔が歪み、


「……ふふ、ひょっひょっひょっ!

 やはり親よの。子のためならなんでもやりよる」


 広間に響く奇怪な笑い声。

 それは単に老化で声が擦れただけか、はたまた狂気によるものか。


「ともかくこれで此度、いや次の『巫女参り』も一安心じゃな。

 ひょっひょっひょっひょっ!」


 誰一人いない空間の中で、登美枝はひたすらに笑い続けた。



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