血命戦争⑯『宣戦布告』

「ほら、もう泣くなって」


「ゔるさい……こっち見るなぁ……」


 厚い雲が覆う夜空の下。

 瑛里華えりかと「約束」をした後、二人は公園のベンチに並んで座っていた。


 なおも涙を流す彼女の背中を、英人は優しくさする。


《ちょっと男子ー。泣かせちゃダメでしょー。

 責任取んなさいよー》


 ちょっといい雰囲気をあえてぶち壊してくるのは、「そいつ」なりの気遣いなのだろうか。


「いやなんの責任だよ」


《それはほら、もう……ねぇ?》


「グスッ……アンタはもう黙ってなさい」


 瑛里華は目を拭い続けていたハンカチを膝元に下ろした。


《はいはい》


「もう大丈夫か?」


「うん……」


 そう答えた瑛里華は乱れた心を整えるように、一つ大きく息を吸う。

 そして改めて英人の方に顔を向け、


「ありがとね」


 一言だけ、そう告げた。

 雲の切れ間から微かに月光が差し、瑛里華の顔を照らす。


 それは英人が初めて見る、彼女の表情だった。

 まだ目は赤いし、湿ってもいる。

 しかしそんなことが気にならないぐらい、穏やかな微笑みだった。


「……どういたしまして」


 彼女のそんな表情を見て、英人も少し安堵する。


「……ふふっ」


 すると瑛里華は小さく噴き出した。


「ん? いきなりどうした?」


「いや、アンタとこんな感じで話す時が来るなんて思ってなかったから……。

 少しおかしくなっちゃって」


「まあ、ガチビンタから始まった因縁だしな」


「ホント、無駄にいがみ合ってたわよね私たち。

 それが今や『ありがとう』と『どういたしまして』。

 アンタと私って、なんだか不思議」


《いがみ合ってたというか、単に『私』から一方的に因縁つけてただけでは?》


「……」


《ああゴメン! だからそっと鞄にしまいこまないでくれ! 私もこのラブコメ空間を共有したい!》


「……ま、まあ俺もお前とここまで絡みがあるとは思わなかったよ。

 なんせそっちは天下のミス早応そうおう、対する俺はしがないアラサー大学生だからな。

 普通なら、接点など持ちようがない」


 本来は交わらぬはずの人種同士、それが『異能』と『魔法』という異常によって結ばれた。

 いや、それは何も瑛里華だけではない。


 義堂ぎどう美智子みちこ、そしてカトリーヌ。

 皆『異能』と『魔法』の介入によって運命が結ばれ、変化していった人たちだ。


 むしろ歪ませてしまったと表現した方が正しいのかもしれない。


 でも――


「その普通じゃなかったからこそ、私は幹也みきや君や和香のどかちゃんと出会えたし、今日だって命拾いした。

 ま、そもそも知り合わなきゃ死にかけることもなかったかもだけど……考えるだけ無駄ね。だから私、」


「ん?」


「こっちの方で良かった、と思ってる」


 瑛里華は顔を赤くして、小さく呟いた。


「……そっか」


 他ならぬ当人がそう思ってくれているのなら、救われる。



 英人は再び顔を上げ、空を見る。


(……意外と、悪くないのかもな)


 そこには再び雲に覆われた月があった。


 その雲は厚く、月の輪郭までは見えない。

 だが、光だけは確実にそこにあった。





「……そうだ、あのことを話さないと」


 しばしの沈黙の後、何かを思い出したように瑛里華が口を開いた。


「あのこと?」


「ええ。幹也君を『喰種グール』とかいう化け物に変えた奴のこと」


《まあ100%そうとも言い切れないが……有力な容疑者の一人ではあるな》


「! ……教えてくれ」


「うん。幹也君の話によれば、そいつの名前はクロキア=フォメット。

 あの茅ヶ崎ちがさきが紹介してきた人物で、自称『吸血鬼ヴァンパイア』だそうよ」


 その名前を聞いた瞬間、英人は眉をひそめた。


「クロキア=フォメット……」


「? 知っているの?」


「まあなんというか……昔ちょっとやり合った仲というか……」


 異世界うんぬんの話をここで持ち出すわけにもいかないので、若干言葉がにごる。

 しかし、英人にとってその名は忘れたくとも忘れられない「敵」の名前だった。


《ふーむ……つまりはカッコつけた言い方をすれば、因縁の相手ということかな?》


「ま、そんなところだ。過去に何度か戦って、倒したはずの相手だな」


「じゃあ今回も楽勝だったり?」


 瑛里華は期待を込めた眼差しで英人の横顔を見つめる。


「……さあ?」


 しかしその気の抜けた答えに、瑛里華は少しズッコケた。


「頼った手前言うのもなんだけど、ちょっと頼りないわね。

 嘘でも『楽勝だぜ!』って言ったりとかしないの?」


「そんな見え見えの虚勢に引っ掛かるほどマヌケでもないだろ、お前は。

 まあでもそうだな……」


 英人は瑛里華の方へと向き直り、その顔を見つめる。


「勝つよ、絶対に。

 楽勝だろうと辛勝だろうと、必ず奴に勝ってお前との約束を守る。

 ……とりあえずこんなところで勘弁してくれ」


 その口調は、優しく穏やかだった。


「は、はい……」


 瑛里華はいつぞやかのように、思わず頷いてしまった。

みるみる顔が赤くなっていくのが分かる。この薄暗い公園においてもバレバレになってしまいそうなぐらいに。


「……っ!」


 瑛里華は必死に下を向き、顔を隠した。


《という感じで『私』が絶賛ショート中なので、私が会話を変わろう》


「ん? お、おう」


《そのクロキア=フォメットとかいう奴とは結構な面識があるみたいだが、いったいどんな奴なんだい?

 そもそも『吸血鬼ヴァンパイア』というのは?》


「まあ、さすがにその辺りは当然気になるか。

 そうだな……簡単に説明すると、『吸血鬼ヴァンパイア』ってのは世間が想像する通りの怪物だ。強大な力を持ち、人の血を好んで吸うという感じのな。

 加えて人の死体を『喰種グール』にして使役することもできる」


《じゃあ、さっきの奴らもクロキアの命令で……》


「多分な。

 そしてクロキア=フォメット自身のパーソナリティについてだが――」


 英人は過去を思い起こすように、遠くを見つめた。


「……一言でいえば、『変な奴』だったよ」




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「……また、あの時の夢……か」


 とある廃ビルの一室の中、一人の男が目を覚ました。

 薄暗い夜においても目立つ青白い髪と赤い瞳をしたその男の名は、クロキア=フォメット。

 異世界出身の『魔族』の一人、『吸血鬼ヴァンパイア』である。


「五年以上前の敗北を未だに……我ながら、未練がましいことだ」


 クロキアは椅子の背もたれからゆっくりと起き上がり、部屋を見渡した。


 そこはオフィス用の机と椅子が散乱しており、まさに廃墟といった趣。

 仮の拠点とは言え、かつて自分がいた豪勢な館とは比べるべくもない。

 落ちぶれたものだな、と心の中で自嘲した。


「この世界における『魔族』とは、いわば幻想。

 いくらあちらの世界で強大な力を持っていようと、ここでは儚い存在にすぎない」


 クロキアは立ち上がり、割れた窓から景色を眺めた。

 そこには、室内とは正反対の明るい世界が広がっている。


「……悪くない世界だ。

 あちらもそうだが、こちらの人間共はそれ以上に面白い。

 八坂英人、君の生まれ故郷だというのも納得できる」


 クロキアは薄っすらと笑う。

 その中には人に対する侮蔑と嘲笑、興味と尊敬が含まれていた。


「……だが、長かった余興もいい加減頃合いだろう。

そろそろ始めるとしようか――『我が眷属たちよ、聞け』」


 クロキアは配下の『喰種グール』に念話で号令を発した。


『時は満ちた。今こそ計画を実行に移す。

 保存しておいた喰種グール五百体全てをすぐに解放しろ。

 そして、』



『――暴れろ、力の限り』



 その瞬間、念話の向こうからは歓喜を訴える数多の怒号が響く。

 元々が悪人で、この時の為に『喰種グール』として力を与えられたのだ。当然の喜びと言えた。


「フ……とりあえず、先手はこんなところか。私は彼を迎えに行くとしよう。

 さぁ八坂やさかひでと人、我が憎き愛しき『英雄』よ」


 クロキアはニヤリと微笑み、その背からは魔力で生成された黒い翼が出現する。

 それは蝙蝠の翼を模した、まさに『吸血鬼ヴァンパイア』と呼ぶにふさわしい出で立ちだった。



「――戦争をしよう。

 それも、盛大にやろう」



 大翼を広げ、クロキアは窓から飛び立つ。

 その姿は大仰おおぎょうな笑い声と共に、横浜の夜空へと溶け込んでいった。

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