血命戦争⑧『横浜喰種』
氷点下の地下室の中、
(……まさか、この青年も?)
そこにあるのは、赤い瞳と白い牙。
肌こそ後ろの『
まさか、『
「……立てそうですか?」
しかしその疑念も、青年の
そうだ。今は目の前の青年が誰かなんてどうでもいい。
まずは何とかしてここを切り抜けなければ。
「すまない。見ての通り、足が凍り付いてしまって動けそうもない」
「奴の能力は密室でしか発動しません。
つまりドアが壊れた今の状況でなら、少しすれば氷は溶ける筈です。
だからそれまでの間は……俺が引き受けます」
幹也は立ち上がり、『
『異能』も解除され、その闘気と呼応するように室温は上昇を始めた。
「新藤幹也か……まさか自分からノコノコと現れるとはな。
ま、追手としてはその方が助かるが」
「もう、こんなこと止めましょうよ」
「はあ?」
「だって貴方も元々は人間でしょ!?
なのに平気で人を襲って食べるなんて、おかしいですよ!」
幹也は叫び、男に訴える。
しかし男は馬耳東風とばかりにそれを嘲り、
「何を言うかと思えば。
俺たち『
元々どうだったかなんて関係ない。
そんなふざけた理屈、人間に『動物の肉を食うな』と言うようなものだぞ?」
「なんで、そうすんなり切り替えられるんだ……!」
「そんなの決まっているだろ? それは俺たち『
だからこそ、人間を主食としている。
お前のような出来損ないと違ってな!」
言い終えた瞬間、男は幹也目掛けて突進した。
圧倒的な質量が、目で追いきれないほどのスピードで発射される。
後ろには義堂と
巻き込むわけにはいくまいと、幹也はそれを真正面から受け止めた。
「ぐぅっ……!」
両者が激突した瞬間、めしぃ、と肉体と空間が軋む音が響いた。
幹也はなんとか突進を止めたが、勢いを殺しきることができずに吹っ飛ぶ。
勢いよく浮いた体は、そのまま壁に衝突した。
「ぐはっ――!」
「大丈夫か! ……よし、足は取れた! 今そっちに行く!」
ようやく氷の拘束から逃れた義堂は、幹也の下に駆け寄ろうとする。
「俺のことは心配いりません! 大丈夫です! 奴の狙いは俺ですから!」
しかし幹也はそれを制した。
「しかし、このままでは……」
「ここは俺がなんとかしますんで! ほら、見ての通り体だけは頑丈ですから!」
幹也はそう言って『
まるで逆再生でもしたかのように塞がっていく傷。
確かに彼ならばある程度は耐えられるだろう。しかし力の差を見る限り、そう長くは持ちそうにもない。
ならば――
「……分かった! この子を安全な場所に避難させたら、すぐに助けを呼んでここに戻る!
だから少しの間だけ何とか耐えきってくれ!」
僅かでも助かる可能性を引き寄せるしかない。
義堂は加奈を抱え、そのまま地下室を後にした。
「……思ったより、すんなり見逃してくれるんですね」
階段を駆け上る音を背中越しに聞きながら、幹也は口を開いた。
「人間如き、いつでも食えるからな。今は裏切り者の確保が最優先だ。
我らが主もそれを強く望んでいる。
ま、自分から帰ってくれるのが一番楽なんだが」
男は拳を鳴らす。
「それは……絶対に嫌です」
「強情だな……なら、少々強引にいかせてもらうか!」
その言葉と共に、男は一気に間合いを詰めた。
繰り出すのは、その
およそ通常のパンチとは思えぬような轟音が、幹也へと迫る。
「うおおっ!」
幹也はなんとか横に飛び込み、回避。
追撃を防ぐため、さらに前転して敵との間合いを開けた。
(よし! これなら……)
幹也の目的はあくまで時間稼ぎ。
この調子で二人が逃げる時間を確保し、後は隙をみて逃げ出せばいい。別に目の前の男と真正面から戦ってやる必要はない。
しかし相手となる男は、ここで予想外の行動をとった。
「フッ……」
幹也への追撃を行わず、そのまま出口に向かって走ったのである。
「なっ――!」
幹也は思わず驚愕の声を上げた。
狙いが自身だと思い込んでいたため、二人を追いかけることなど計算に入れていなかったのだ。
しまったと思い、幹也はその背を慌てて追いかける。
だが、それこそが悪手だった。
「――そう来ると思ったよ。
出来損ないのお前ならな」
その言葉と共に、「ぐちゃり」と肉の押し広げられる音が響く。
瞬間、幹也の腹部に鋭い熱さが走った。
「……え?」
「こんな小手先の誘導に引っ掛かるなんて、お前本当に馬鹿だな」
腹部を中から押し広げられるような、経験したこともないような気持ち悪さが神経を巡る。
幹也は恐る恐る、自分の腹を見た。
「嘘……」
そこには、丸太のような腕がめり込んでいた。
「ぐはっ……!」
胃から逆流した血液が、口から噴き出す。
幹也は必死に腹に刺さった腕を引き抜こうとするが、力が入らない。
「ま、出来損ないとはいえお前も一応は『
また逃げ出さないようにするためにも……少々痛めつけさせてもらうとするか」
男はそのまま腕を振り回し、幹也を床へと叩きつけた。
「ガ……ッ!」
その勢いで腕は腹から抜けたが、代償はあまりにも大きい。
打ち付けられた衝撃で体中の骨が砕け、肉が潰れる。
『
幹也は痛む体で床を這いずりながら、なんとか間合いを空けようとする。
「ハハ……こいつぁ健気な芋虫だ。
それじゃあもう一丁!」
しかし、それで逃げられるはずもない。
男はすぐに幹也に追いつき、足を掴んで持ち上げる。
「オラ、オラ、オラァ!」
そして今度は目一杯その体をぶん回した。
頭、背、腕……体のあらゆる個所が、休む間もなく打ち付けられる。
始めはなんとか体を丸めてガードしていたが、すぐにそれすら維持できなくなった。
完全に無防備になった体に、無慈悲な追撃が加えられる。
一方的な行為は、五分以上にも及んだ。
「フゥ……ま、こんなもんか」
男は満足そうに額の汗を拭い、幹也を放り投げた。
『喰種』である以上、幹也の体は絶えず修復が行われてはいる。
しかし骨が突き出て肉が露わになったその姿は、もはや人の原型を留めてはいなかった。
「さて、早速こいつを我らが主の下に持っていくか……しかし、どうやって運ぼうかね」
血が目に入り、前が見えない。
体の感覚もほとんどない。
最早、痛みすら感じない。
唯一、崩れた耳を通して男が何やら言っているのだけが聞こえる。
しかし霞む意識では、その内容すら認識することができなかった。
……そもそも、なんで自分はここに来たんだろうか?
何故、自分はこんな所で死にかけているのだろう?
「……」
分からない。
思い出せない。
何も思い描けない。
でも、ただ一つ。
大切な幼馴染の姿だけは、今もはっきりと浮かぶ。
会いたい。
もう一度会いたい。
だから、死にたくない。
「……和香」
「ん、何か言ったか……? まあいい、とりあえず適当な袋にでも詰めて……」
――シニタクナイ!!
「和香アアアッ!!」
「なっ、お前――!」
数瞬後、廃ビルに人外の咆哮と悲鳴が響き渡った。
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