血命戦争⑧『横浜喰種』

 氷点下の地下室の中、義堂ぎどうは改めて青年の顔を見た。


(……まさか、この青年も?)


 そこにあるのは、赤い瞳と白い牙。

 肌こそ後ろの『上級喰種ハイ・グール』のように白くはないが、新藤しんどう幹也みきやなる青年の姿も十分に『人外』と呼べるものだった。


 まさか、『喰種グール』同士で仲間割れということなのだろうか。


「……立てそうですか?」


 しかしその疑念も、青年のささやきによって吹き飛ぶ。


 そうだ。今は目の前の青年が誰かなんてどうでもいい。

 まずは何とかしてここを切り抜けなければ。


「すまない。見ての通り、足が凍り付いてしまって動けそうもない」


「奴の能力は密室でしか発動しません。

 つまりドアが壊れた今の状況でなら、少しすれば氷は溶ける筈です。

 だからそれまでの間は……俺が引き受けます」


 幹也は立ち上がり、『上級喰種ハイ・グール』の男の前に立ちはだかる。

『異能』も解除され、その闘気と呼応するように室温は上昇を始めた。


「新藤幹也か……まさか自分からノコノコと現れるとはな。

 ま、追手としてはその方が助かるが」


「もう、こんなこと止めましょうよ」


「はあ?」


「だって貴方も元々は人間でしょ!? 

 なのに平気で人を襲って食べるなんて、おかしいですよ!」


 幹也は叫び、男に訴える。

 しかし男は馬耳東風とばかりにそれを嘲り、


「何を言うかと思えば。

 俺たち『喰種グール』が人間を食うなんて、当たり前だろうが。

 元々どうだったかなんて関係ない。

 そんなふざけた理屈、人間に『動物の肉を食うな』と言うようなものだぞ?」


「なんで、そうすんなり切り替えられるんだ……!」


「そんなの決まっているだろ? それは俺たち『喰種グール』が人よりも数段優れた存在だからだ。

 だからこそ、人間を主食としている。

 お前のような出来損ないと違ってな!」


 言い終えた瞬間、男は幹也目掛けて突進した。

 圧倒的な質量が、目で追いきれないほどのスピードで発射される。


 後ろには義堂と加奈かなの二人がいる。

 巻き込むわけにはいくまいと、幹也はそれを真正面から受け止めた。


「ぐぅっ……!」


 両者が激突した瞬間、めしぃ、と肉体と空間が軋む音が響いた。


 幹也はなんとか突進を止めたが、勢いを殺しきることができずに吹っ飛ぶ。

 勢いよく浮いた体は、そのまま壁に衝突した。


「ぐはっ――!」


「大丈夫か! ……よし、足は取れた! 今そっちに行く!」


 ようやく氷の拘束から逃れた義堂は、幹也の下に駆け寄ろうとする。


「俺のことは心配いりません! 大丈夫です! 奴の狙いは俺ですから!」


 しかし幹也はそれを制した。


「しかし、このままでは……」


「ここは俺がなんとかしますんで! ほら、見ての通り体だけは頑丈ですから!」


 幹也はそう言って『喰種グール』の特性により急速に修復されていく傷を見せた。


 まるで逆再生でもしたかのように塞がっていく傷。

 確かに彼ならばある程度は耐えられるだろう。しかし力の差を見る限り、そう長くは持ちそうにもない。


 ならば――


「……分かった! この子を安全な場所に避難させたら、すぐに助けを呼んでここに戻る!

 だから少しの間だけ何とか耐えきってくれ!」


 僅かでも助かる可能性を引き寄せるしかない。

 義堂は加奈を抱え、そのまま地下室を後にした。





「……思ったより、すんなり見逃してくれるんですね」


 階段を駆け上る音を背中越しに聞きながら、幹也は口を開いた。


「人間如き、いつでも食えるからな。今は裏切り者の確保が最優先だ。

 我らが主もそれを強く望んでいる。

 ま、自分から帰ってくれるのが一番楽なんだが」


 男は拳を鳴らす。


「それは……絶対に嫌です」


「強情だな……なら、少々強引にいかせてもらうか!」


 その言葉と共に、男は一気に間合いを詰めた。

 繰り出すのは、その膂力りょりょくに任せた単調な右ストレート。


 およそ通常のパンチとは思えぬような轟音が、幹也へと迫る。


「うおおっ!」


 幹也はなんとか横に飛び込み、回避。

 追撃を防ぐため、さらに前転して敵との間合いを開けた。


(よし! これなら……)


 幹也の目的はあくまで時間稼ぎ。

 この調子で二人が逃げる時間を確保し、後は隙をみて逃げ出せばいい。別に目の前の男と真正面から戦ってやる必要はない。


 しかし相手となる男は、ここで予想外の行動をとった。


「フッ……」


 幹也への追撃を行わず、そのまま出口に向かって走ったのである。


「なっ――!」


 幹也は思わず驚愕の声を上げた。

 狙いが自身だと思い込んでいたため、二人を追いかけることなど計算に入れていなかったのだ。


 しまったと思い、幹也はその背を慌てて追いかける。

 だが、それこそが悪手だった。


「――そう来ると思ったよ。

 出来損ないのお前ならな」


 その言葉と共に、「ぐちゃり」と肉の押し広げられる音が響く。

 瞬間、幹也の腹部に鋭い熱さが走った。


「……え?」


「こんな小手先の誘導に引っ掛かるなんて、お前本当に馬鹿だな」


 腹部を中から押し広げられるような、経験したこともないような気持ち悪さが神経を巡る。

 幹也は恐る恐る、自分の腹を見た。


「嘘……」


 そこには、丸太のような腕がめり込んでいた。


「ぐはっ……!」


 胃から逆流した血液が、口から噴き出す。

 幹也は必死に腹に刺さった腕を引き抜こうとするが、力が入らない。


「ま、出来損ないとはいえお前も一応は『喰種グール』。

 また逃げ出さないようにするためにも……少々痛めつけさせてもらうとするか」


 男はそのまま腕を振り回し、幹也を床へと叩きつけた。


「ガ……ッ!」


 その勢いで腕は腹から抜けたが、代償はあまりにも大きい。

 打ち付けられた衝撃で体中の骨が砕け、肉が潰れる。


喰種グール』の特性により即座に傷の修復が開始されるが、だからといってすぐに全快するわけではない。

 幹也は痛む体で床を這いずりながら、なんとか間合いを空けようとする。


「ハハ……こいつぁ健気な芋虫だ。

 それじゃあもう一丁!」


 しかし、それで逃げられるはずもない。

 男はすぐに幹也に追いつき、足を掴んで持ち上げる。


「オラ、オラ、オラァ!」


 そして今度は目一杯その体をぶん回した。


 頭、背、腕……体のあらゆる個所が、休む間もなく打ち付けられる。

 始めはなんとか体を丸めてガードしていたが、すぐにそれすら維持できなくなった。


 完全に無防備になった体に、無慈悲な追撃が加えられる。

 一方的な行為は、五分以上にも及んだ。






「フゥ……ま、こんなもんか」


 男は満足そうに額の汗を拭い、幹也を放り投げた。


『喰種』である以上、幹也の体は絶えず修復が行われてはいる。

 しかし骨が突き出て肉が露わになったその姿は、もはや人の原型を留めてはいなかった。


「さて、早速こいつを我らが主の下に持っていくか……しかし、どうやって運ぼうかね」


 血が目に入り、前が見えない。

 体の感覚もほとんどない。

 最早、痛みすら感じない。


 唯一、崩れた耳を通して男が何やら言っているのだけが聞こえる。

 しかし霞む意識では、その内容すら認識することができなかった。



 ……そもそも、なんで自分はここに来たんだろうか?

 何故、自分はこんな所で死にかけているのだろう?


「……」


 分からない。

 思い出せない。

 何も思い描けない。


 でも、ただ一つ。

 大切な幼馴染の姿だけは、今もはっきりと浮かぶ。


 会いたい。


 もう一度会いたい。


 だから、死にたくない。


「……和香」


「ん、何か言ったか……? まあいい、とりあえず適当な袋にでも詰めて……」



――シニタクナイ!!



「和香アアアッ!!」


「なっ、お前――!」



 数瞬後、廃ビルに人外の咆哮と悲鳴が響き渡った。


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