剣客稼業~隙あらば他人語り~⑪
男――
別に腹を空かせていたわけではない。食事はちゃんと摂っている。
ただひたすらに、「あること」をしたいという衝動に、駆られていた。
それは――「人を殺す」ということ。
――思い出せば、物心が付いた時から刀を握っていた。
それは竹刀や木刀ではなく、刃すら潰していない。正真正銘、鋼でできた、真剣だった。
男が生まれたのは古流剣術を営む道場。
幼少の頃は祖父が師範であり、父が師範代を務めていた。
決して有名な流派ではなかったが、近所の児童達を中心にそれなりに門下生がいたのを覚えている。
男もそこで毎日、日中は門下生に混じって鍛錬をこなしていた。そして門下生が帰った後は父と二人で真剣での鍛錬を行った。
真剣は普段使っている竹刀や木刀と比べて段違いに重い。
でもその重さは嫌いではなかった。
なんとなく真剣の方が自分の手に馴染む気がしたからだ。
日に何度も祖父や父と手合わせをしたが全然敵わなかった。
こんなに鍛錬しているのに、全然差が縮まらないなんて。
男は祖父と父の強さに強く憧れた。
強くなるために、朝だろうが昼だろうが夜だろうが空いた時間は全て鍛錬に費やした。
辛いと感じる時もあったが、「強くなった」という喜びと「強くなりたい」という欲求がそれをすぐに消し去ってくれた。
昨日よりも今日、今日よりも明日、明日よりも明後日。
もっともっと強くなる。
鍛錬している限り、男は幸せだった。
そして男の年齢が二十歳を超えた時、師範である祖父が亡くなった。
詳しくは分からないがどうやら「寿命」とやらが原因だという。
あんなに強かったのにあっさりと「寿命」に負けてしまうとは。
祖父の仇を取ろう。今度は自分が「寿命」に勝とう。
しかしどうやって勝てばいい?
それは、分からない。
でも今より強くなれば、いつかは勝てるはずだ。
そのためにはひたすらに鍛錬しなければ。
もっともっと強くなる。
鍛錬している限り、男は幸せだった。
祖父の葬式を終えた後、父が亡き祖父を継いで師範になり、男は師範代となった。
師範代となった後もやるべきことは変わらない。ただひたすらに鍛錬を続ける。
そして数年経った。
ふと鍛錬を一旦止めて道場を見渡し、気付く。
昔に比べ道場がやけに広く感じる。でもむしろ鍛錬にはちょうどいい。
その頃から父は忙しいのか道場にいない時間が多くなった。
よく電話もしている。母との口論も絶えない。
いつしか母もいなくなってしまった。
道場にいるのは男と父だけ。
男は喜んだ。これなら父と好きなだけ鍛錬できる。
しかし男が30歳となったある日、師範である父が亡くなった。
死因は自殺らしい。詳しくは分からないが、どうやら「金」とやらが原因だという。
あんなに強かったのにあっさりと「金」に負けてしまうとは。
父の仇を取ろう。今度は自分が「金」に勝とう。
でもどうやって勝てばいい?
それは分からない。
でも今より強くなれば、いつかは勝てるはずだ。
そのためにはひたすらに鍛錬しなければ。
もっともっと強くなる。
鍛錬している限り、男は幸せだった。
道場に残ったのは男一人。
生命保険とやらで金はたくさんもらったので、道場はそのままだ。
たった一人だが、誰にも邪魔されず鍛錬できる。
――そしてしばらくの時が経ち、男はふと考えた。
自分は今、強いのだろうか。
憧れていた祖父や父はもういない。どれだけ強くなったのか分からない。
試してみたい、今の自分を。
男は道場を出ることにした。
生まれて初めて、男は街の中を歩く。
どこを向いても人、人、人。ここまで人を目にするのは何年振りか。
でも一目見ただけで分かる。
こいつらは全員弱い。
路地裏を覗くと弱い者が弱い者に対して暴力を振るい、悪事を働いている。
その光景を見てふと、男の頭の中にかつての祖父の言葉がよぎった。
『この技術は、良いことをするために使いなさい』
今こそ祖父の遺した言葉に従おう、と男は思った。
でもこちらだけ武器を持つのは不公平だ、武士道にすたる。相手にも武器がなければ。それで初めて対等だ。
男は刀を二本用意し路地裏へと入る。
そして目についた不良に試合を申し込み刀を渡すと、何故か道場の中にいた。
最初は驚いたが、これはこれで都合がいい。存分に斬り合える。
連れてきた不良はあっさりと死んだ。あまりにも弱すぎる。
これでは自分が強いのかわからない。もっと相手を探そう。
男は刀を二本持ち、再び夜の街に繰り出す。
そうして三人目まで殺した時、男には「人を殺す」という快感が芽生えていた。
相手が斬られる姿を見ている間、自分の強さが肯定されている気がした。
殺している限り、男は幸せだった。
そして五人目の時に警察からの妨害が入った。
なんとか道場に逃げ込めた。
後で新聞を読んでみると、どうやらかなりの事件になっているらしい。
警備も厳重になっているというので、しばらくは控えよう。
その間はひたすらに鍛錬だ。
しかし、男は自身の変化に気付く。
鍛錬していても、幸せになれない。
その代わりに心の中に湧き上がるのは、抑えきれない衝動。
殺したい。誰でもいいからこの刀で殺したい。
殺さなければ、もう男は幸せになれない。
五人目から十日経った。男は我慢の限界だった。
見つからないように服装を変え、街に出る。なるべく人が多く、それでいて警備の薄い街に。
路地裏を覗くと獲物はすぐ見つかった。
男は刀を取り出す。それを見た不良たちは、一目散に逃げだす。
逃がさん。
そう思い、追いかけようとした瞬間――
「――おい、待てよ。
俺は待ったぞ」
後ろから来た『何か』に、刀を取り上げられた。
「なッ……!」
そして後ろを振り向く暇もなく男の体は、空間を超えて飛んだ。
………………
…………
……
堀田が転移した場所は当然、いつもの道場だった。
薄暗い室内、窓から差し込む月明かりだけがその板の間を照らしている。
堀田は後ろを振り向く。
そこに立っていたのはおそらくは20代後半ぐらいの、少しばかり体格が良い以外はなんの特徴もない青年だった。
月明かりに照らされるその顔は、やや疲労の色が濃いように見える。
しかし、一目で分かった。
この青年は武術の心得がある。
まだ構えすらとっていないが、青年の佇まいと雰囲気は武道家のそれだった。
「土足で入ってしまったけど、いいのかな?」
青年は口を開く。その姿勢はゆったりとしており、刀を肩に担いでいる。
「こちらが勝手に招き入れたんだ、問題ない」
「そりゃどうも」
青年はそう言いつつ、キョロキョロと辺りを見回している。
「出口を探しても無駄だ。私かお前、どちらかが死ななければここから出ることはできない」
「……なるほど。んでここはどこの流派の道場なの?」
「我が流派は、天明流と言う。
そして私は師範の堀田壮吾という者だ」
堀田は青年の質問に答えつつ、刀を構えた。
自身の顔と同じ高さに握り、やや右前に上段にして刀を持つ。
その構えは示現流の「蜻蛉」とよく似た構えだった。
一気に踏み込み、右からの袈裟斬りで勝負をつける肚だ。
「天明流、ね」
対して青年の方も刀を構え始める。
「……正眼か」
「ああ。色々試したけれど、結局はこれが一番しっくりくる」
青年がとったのは「正眼の構え」。
刀を中段に構え、その剣先を相手の喉元に向ける。
剣道においては基本中の基本とも言える、攻防一体の構えだ。
背筋がピンと伸び、剣先は堀田の喉元を捉えたままピクリとも動かない。
まるで青年の体も含めて一本の刀であると錯覚するほど、その構えは堂に入っていた。
両者が構えをとった所で、しばし沈黙が流れる。
武道家同士の戦い、不用意に動こうものなら、その先には死が待ち構えている。
堀田にとって武道家と本気で「死合う」のは今回が初めて。
興奮している、と自分でも感じている。
はやる気持ちが抑えられずに先に動きだしたのは、堀田の方だった。
鍛え上げた脚力を駆使し、僅か一歩で距離を詰める。
堀田の体が青年に迫ると同時に、刀が勢いよく下ろされる。
その全ての動作が見事に連動していた。
数えきれないほどの鍛錬でようやく身に着けた、必殺とも言える技術の結晶。
殺った。と堀田は確信した。
――しかし。
ガキィイィ!
鋭くも鈍い金属音が道場内に響く。
青年は堀田の渾身の一撃を、鎬で見事に防いでいた。
「――ッ!」
己の渾身の一太刀が防がれたのに驚き堀田はすぐに間合いを取る。
「……どうした? もっとじゃんじゃん打ってこい」
青年は再び正眼の構えに戻る。その表情には僅かな疲労はあっても、「恐れ」や「動揺」といった感情は微塵もない。まさに「冷静」そのものだ。
――そうだ、この瞬間を待っていた! 己の技術を全てぶつけられるような存在の登場を!
好敵手の登場を確信し、堀田の心中は歓喜に震えた。
興奮そのままに再び構え直し青年に斬りかかる。
斬る。
斬る。
斬る。
斬る。斬る。斬る。斬る――――。
――もう何度、青年に斬りかかったことだろう。
数えるのも馬鹿らしい位剣を振って、その全てが防がれてしまった。
既に息は絶え絶え、刀も剣先が欠けて鎬も削れてしまっている。
それに対し青年の方は刀こそ多少刃こぼれしているものの、息一つ切らさず、汗の一滴も流していない。
変わらず正眼の構えを続け、こちらを睨む。
もう出せる技は全て出し尽くした。
鍛錬して得た技術の全てが、目の前の青年には通じない。
あんなに鍛錬したのに、何故。
鍛錬した時間で言えばおそらくこちらの方が圧倒的に多いはずだ。
なのにどうして、ここまで力の差があるのか。
――青年と自分とで、何が違う?
堀田の頬を汗が伝う。
それは上昇した体温を下げるためだけのものではなく、自身の精神的な焦りを示すものだった。
汗が顎を伝って落ちると同時に、堀田の表情は焦燥に歪む。
その様子を見て青年は僅かに構えを緩めて口を開いた。
「少し場が温まったところで――」
その瞬間僅かに――月の光が強くなったように感じた。
「ここにはいない『他人』について、話そうか」
月明かりに照らされる青年の表情は怒っているようにも、悲しんでいるようにも、笑っているようにも見えた。
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