コトノハ飴

はろるど

第1話 飴売り

 愛用のノートパソコンを開く。かなり昔の型だが、クリアレッドの外装と、液晶フレームに入った自分の名前がやる気を引き出してくれる。キッチンでマグカップにカモミールティーのティーバッグを入れ、ポットから熱湯を注ぐ。カップを持って部屋に戻る頃に、パソコンが起動。いつものタイミングだ。さあ、今日の分の掌編を書こう。そう意気込んでトマトがトレードマークのタイマーアプリを押す。制限時間はきっかり25分間だ。だいたい800文字程度の掌編を書くにはぴったりの時間。


 全ていつも通りだ。全ていつも通りなのに、今日に限って何も思い浮かばない。


 焦れども、時は無情に過ぎていく。意味も無く椅子の上で正座しながら、もう5分が経過した。なんということだ。いつもなら1段落は書き終わっているのに。タイマーをリセットするべきだろうか。ああ、また1分が過ぎていく。


 ぺぺん。


 試しに過去に書き溜めたメモを読み返してみるが、いまひとつピンとこない。


 ぺぺん、ぺぺ、ぺん、ぺん。


「コウ君、お姉ちゃんいま書き物してるから音楽聞くならイヤホン使って?」普段は気にならない外の物音まで耳に障る。嫌に大きな音だ。廊下で聴いているのだろうか。そんな事を思っている間にまた1分経ってしまったんじゃないだろうか。


 ぺぺぺん、ぺぺぺん、べけべけべけべけ!


「コウ君!」思わず声を荒げながら振り返る、と、


「あい、お気に障りましたらお許しを。あたしはしがない飴売りにございます」慇懃に頭を下げる、黒子装束に三味線を抱えた男が居た。


 ひゅっと思わず喉が鳴る。咄嗟にペン立てからカッターを抜き出し、椅子を盾にして対峙する。ここは15階、家からの脱出に窓は使えない。廊下に出ないことには外に行けない構造だが、この部屋の出口は最悪なことに男の後ろだ。家族は無事だろうか。先に通報するべきか……「アノゥ、あたしは只の飴売りでして、お客様に危害を加えたりは致しませんので、ハイ。気を鎮めて頂いて、その物騒なモンも収めて頂けますかネ」男は撥を握ったままもじもじと指先を合わせ、私を宥めてくる。

 しかし油断する訳にはいかない。男に「うちの者をどうしたの」と問いかける。思ったより低い声が出て、改めて自分が緊張している事を実感する。

 黒子装束が我が意を得たりとドヤ顔(をしているのだろうという雰囲気)で「ハイ、あたしが参りますと、『お客様』以外の方は時が止まります。時が止まれば、時が戻るまでの間のことを他の方は何も覚えていらっしゃらない……いえ、認識していらっしゃらない。兎も角、何の支障も御座りませぬ。ただ『お客様』の得心がいくまで品選びをして頂き、お買い求め頂くための、そう、開店作業に御座ります」最後まで言い切った黒子装束。覆面で表情はわからないが、腰に両手を当てて、得意げな立ち姿だ。「つまり」ふっと詰めていた息を吐き出して、もう一度ゆっくりと吸い込む。「『お客様』とやらに選ばれた私以外の時が止まっているが、その他の危害を加えておらず、今後加える予定もなく、元に戻すこともできると」黒子衣装がブンブンと頭を上下に振る。そんな動きをしたら覆面外れるんじゃ…と思ったが顔面に吸い付いている。どうやって固定してるんだ、あれ。


 なんだか気が抜けてしまった。ふぅ、ともう一度深呼吸。「わかりました。まずうちの者の無事の確認が先。アンタには……一緒に来てもらいます。無事がわかったらキッチンに行ってお茶でも用意しましょう。話しはそれから。」確認のため、黒子装束に顔を向ける。「あい。あたしの事はどうぞお構いなく」胸の前で撥を握りしめながらコクコクと頷く。まったく、飄々としたものだ。


 自分の部屋の中でYoutuberの配信を眺めて爆笑したタイミングでフリーズしている弟や、洗濯物を干した瞬間の母、マンションの窓から見える子供達やサラリーマン、はては動物も皆フリーズしている。ミュージックビデオでこんなのあったな、などと思うことでこの異常事態にバクバクと自己主張している心臓を抑える。

 努めて平静な表情で「大丈夫……なのか判断はつき兼ねますが、ともかく外傷などはなさそうだと分かりました。不審物もありませんし、安全確認は取れたという事にします」と黒子装束に頷く。「お茶でもお出ししますよ。ハーブティーに紅茶、緑茶、焙じ茶、中国茶、コーヒー、お好みのものをどうぞ」お茶の缶が詰まっている引き出しを開けると、黒子装束がたじろいであわあわしだす。「エー、普段こんなに見つけネェもんであたしには何がなんだかサッパリなんですヨゥ。おまかせします、ハイ。あ!このポット保温式ですか?良かった良かった、時間が止まるとインフラも止まりますからネ、お茶淹れるのも一苦労って時がありまして、ハイ」と言われてはたと気がつく。

 確かにポットは保温効果が高いが、もう紅茶や中国茶、焙じ茶には低すぎる温度になっているだろう。「でしたら、ハーブティーか緑茶はどうです?ハーブティーはさっき私が飲んでたカモミールか、スパイシーなやつ、もしくはルイボスっていう麦茶から香ばしさを抜いたみたいな味のお茶がありますけど」選択肢は半分以下に減った。これで選べるだろう。黒子装束はしばらくもぞもぞしながら考え込んだのち、カモミールの箱を捧げ持つようにして「あたしはこれをお願いします」と差し出してきた。「はい」お願いされるほどの事でもないのだが、トポトポとお湯を注ぐ。ついでに、だいぶ冷めた自分のカップも持ってきてお湯を注ぎ足し、一緒に部屋まで運ぶ。


 部屋にあったクッションを勧め、一緒に床に座る。「「ふぅ」」お茶を一口啜り、どちらともなく緩りとした吐息が出る。「アー、いけませんいけません。此処には飴を売りに参りましたのに、お茶呑んでほっこりしてちゃあ、あたしの飴売りとしての面目丸つぶれってネ。」黒子装束……もとい、飴売りが急にちゃきちゃきと働き出す。その姿を見ながら思わず「あのー」と声をかけてしまう。「ハイなんでしょ」と飴屋。手には種類ごとに瓶に詰められた飴をぎっしり並べた小さめの、年季の入った棚。昔の薬問屋の商売道具にあんな感じの小箪笥やら分銅式の秤があったなあと思い出す。「こうやって『客』が取り乱すのって割とよくあるんですか?」飴売りはいきなり棚を置き、その場でヨヨヨ……と態とらしく泣き崩れて見せる。「よくあるのないのって。このご時世になってからはまあまだマシですよ、特にお客様みたいな対応はかなりマシです。話通じましたから。でも昔は筋肉バカに投げ飛ばされたり、酷いのになると匕首で切り掛かってきたり、まあ散々酷い目にあいましたネ。こっちは飴売りですヨ?堪忍して欲しいですヨ、まったく」終いにはぷんすこぷんすことご立腹である。

 そうは言っても。「出かたに問題があるんじゃないですかねぇ、私だってお化けか不審者だと思いましたもの」と一応弁解しておく。すると、「出かたってお客さん、あたしの事なんだと思ってるんです?」と詰め寄ってきた。「えー、まあ、お化け寄りの何かですかねぇ」飴売りは泣きのポーズに戻った。「あたしはちょいとばかし不思議が使える飴売りですよぅ。足もコレこの通り、ちゃぁんとありますし」くにくにと袖を摘んでいじけてしまった。「はいはい、飴売りさんね。じゃあ、開けた開けた。私にお品を見せてくださいな」こういう時は仕事に戻すに限る。現に、飴売りもピンッと起き上がってさっさと店を整えていく。


 ぺん、ぺぺん。「サァ、ご覧あれ。備前の名産水蜜桃、紀州ぢや有田のみかん入り、津軽の名物りんご入り、台湾名代のバナナ入り、信州の名産胡麻と薄荷のすり合せ、大阪名物市岡新田、種までまっかな西瓜入り、江戸は谷中の生姜入り、常陸ぢや西山杏入り、もひとつおまけに、甲州姐さん、絞り上げたる葡萄入り、ホイまけとけそえとけ、おまけだおまけだ、サーァ、どーゥーぞォ!」べべん、と三味線の伴奏が終わる。「おおー」ぱちぱちぱち。何度も何度も唄ってきたのだろう、余裕さえ感じる歌と演奏に思わず拍手を送ってしまう。「現れ方がおかしい割にふつうの飴売ってるんですねー」飴売りはその感想を聞いて待ってましたとばかりに商品の説明をしだす。「当店、飴屋『ことのは』では、物語の種子を飴にしております。味は様々、色も形も様々ですが、物語の種子を使っていることだけは一緒。銘をコトノハ飴と申します。ですから、お召し上がりになるとたちまち物語の素が手に入るわけです。どんな物語になるかは書き手次第ですがネ。」先程までのもぞもぞいじいじは何処へやら、堂々たる紹介ぶりである。「物語の種子ねぇ。んで、お客に選ぶのはさしずめ、書き悩んでいる物書きってところですか?さっきの私みたいに」と聞くと、飴売りは「大正解!」と嬉しそうな声で返してきた。やっと飴売りが此処に来た理由が分かり、心臓が落ち着いてきた。表情や呼吸は平静を装えても、心臓だけは言うことを聞いてくれない。


 ごそごそと棚を漁った飴売りが「マ、本日はエエ、お初の顔見せというわけで、こちらの試供品をどうぞ」と一つの飴を差し出す。黄色い半透明の紙に包まれた飴だ。飴自体も半透明だが、こちらは白色だ。しばらく眺めてから、えいっと口に放り込む。

 レモンの味の後に、シュワシュワと炭酸が弾ける。そしてほんのりとカモミールの香り。「ん、これ……今日の話か!」ばっと顔を向けると、飴売りは至極満足げに頷いて「ハイ、これが物語の種子でございます。何を汲み取って、どう書くかは物書きの自由。アタシは飴をお売りするだけで……」そう、売り買いだ。「これ、一個いくらなんですか?」飴売りは我が意を得たりとばかりに頷き「はい、お代は物語でお支払い頂いております。飴を召し上がったら、そこから物語を書いてください。あたしはその物語から次の物語の種子を採りますので、書いていただくのが一番のお代なんですヨ。今日の試供品分も、もしお気に召したならどうぞ物語にしてやってください。あたしはまたちょいちょい伺いますから、今後ともご贔屓に」慇懃に頭を下げるやいなや、広げた店ごとふっと消えた。


 途端に、全ての音が戻った。弟の爆笑が聞こえる。カラスの声が聞こえる。テレビの音が聞こえる。「お姉ちゃーん!洗濯物干すの手伝ってー!」母の声が聞こえる。タイマーは6分進んだところだった。いつも通りリセットしかけた指が止まり、そっとストップする。


 パタン、とパソコンを一旦閉じて部屋を出ようとしたところで足元に落ちている飴の包み紙を拾う。黄色いそれを、シワをよく伸ばして机に置いた。空いたマグカップを二つ持ってキッチンへ向かい、シンクに入れる。ベランダにいる母親に手伝う旨を伝える。

 さあ、これが終わったら今日の分の短編を書こう。ワクワクしながら、レモン味の空気を吸った。

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