epilogue.


 蒼天の向こうまで突き抜けるような快晴に、いつもより一層ふんわりした毛玉が上機嫌で肩の辺りを漂っている。

 バッグに荷物を詰め、外套を手に取ったところで、部屋の扉が叩かれた。


「セロア君、俺だ。入ってもいいかい?」


 聞き慣れた低い声はルウィーニのものだった。毛玉がぺしょんとセロアの肩に留まる。


「はい、もちろん構いませんよ」


 出発の直前という状況にいささか怪訝な気分を覚えつつ、セロアは応じる。扉が開き、入ってきたルウィーニの手には、何か仰々しい筒型の封筒があった。


「相変わらず早いなぁ。帰還してまだ幾らも経たないのに、もう次の旅に行っちゃうのかい」

「ええ、そういう性分ですしね」


 御座なりな答えを返しつつもセロアは、心底残念そうなルウィーニの言より、彼が手にしている封筒の方が気になっていた。金糸と朱糸で国章を縫い取られたそれは、いわゆる外交上の公式書類という類に間違いない。


「監獄島についても色々聴きたいことがあったのに、残念だよ。でもまぁ、確かにきみの性分じゃ屋根の下にじっとしてはいられないだろうね」


 セロアの視線に気づかぬはずはなかろうに、ルウィーニは笑顔で話を続けている。こういう機嫌のいい笑い方をする時の彼は、よからぬことを企んでいることが多い、のだが。


「ところで、今度の目的地はどこだい?」


 来た、と思って意識を身構えつつ、セロアは笑顔をルウィーニに向けた。


「マルレニア王統国を経由して、空方の半島へ向かおうかと思っています」


 マルレニア王統国は、ライヴァンから地図上で真下に位置する国だ。そこに隣接する半島はいまだ人の手が入らない原野が広がっているというので、前々から興味があったのだ。

 心中に諸々を押し隠しにこやかに微笑むセロアに、ルウィーニは負けないくらいいい笑顔で言った。


「そりゃ、ちょうどいい。マルレニアに入る前にちょいとティスティルに寄って、コレを届けてくれないかい?」


 やはりの指令だ。人手不足の現状、ルウィーニなら言いかねないとは思っていたが。


「それはちょっと、難しいですね。ティスティルの首都はシルヴァンから船で向かうのが最良ですが、そうするとマルレニアから逆方向になってしまいますので。申し訳ありません」


 時間と距離のロスもさることながら、外交官でもない自分が王宮勅辞を預かっていくわけにはいかない。仮にも国交に関わる重大なモノなど、一般市民の自分にはいくら何でも重過ぎだ。

 ルウィーニはふぅむと意味深に頷き、少しだけ人の悪い笑みを浮かべた。


「確かに方向逆になっちゃうか。まぁどうせ行くなら、ゆっくりしてくるといいさ。向こうもきみを待ってるらしいし」

「――はぃ?」


 さらりと何か、恐ろしいことを告げられた。一瞬思考が停止し、ふいと心当たりを思い出してセロアは思わず呻く。


「まさか、船の」

「そうそう」


 ルウィーニがにこにこと笑って頷く。そういえば、旅渡券発行と協力の代価がそんなだったような記憶が。加えて王宮には、渡航に使った船の請求書も送付されているはずで。


「……思い出したくなかったんですが」


 本気の嘆息を込めて呟いたら、ルウィーニは上機嫌でははは、と笑った。


「まぁ、女王の相手はロッシェに任せておけばいいさ。あの子たちには時間が必要だ。きみには面倒を押し付けるカタチになってしまうけどね、毒食わば皿までの覚悟で、どうかよろしく頼むよ」


 セロアは黙って彼の台詞を反芻し、顔を上げてルウィーニをまともに見返す。


「あの子たち?」


 ルウィーニの紅玉ルビーの双眸がセロアを見、そして愛しげに細められた。


「ロッシェはまだライヴァンに居辛いと言うのでね、しばらくの間彼とルベルを、きみの旅に同行させて欲しいんだよ。ロッシェには行きたい場所、会いたい人があるらしいから、そんなにいつまでもってわけではないんだが……何せ戻ってきたばかりで危なっかしくてね」


 セロアは黙って、島での最後の夜に交わした言葉を思い巡らせた。それと、学院で話したときのことも。やはり彼はまだ国王や騎士長とは、会う覚悟が出来ていないのだろうか。

 毒食わば皿までか、とはまさに。

 もっとも、博学多識な彼との会話は興味深いことが多いし、ルベルには相変わらずペースを乱されるだろうけれど、それも嫌なわけではない。


「まぁ、仕方ありませんね」


 半ば観念した気持ちで、それと共に幾らか愉しみな気分も覚えつつ、セロアはくすりと笑いを漏らした。ルウィーニはそれを聞いて、にぃと口元を引き上げ封筒を差し出す。


「それじゃ、よろしく頼んだよ。セロア君」





 深く蒼い道に白い雲を連れ去る風。鮮やかに晴れ上がった空は、旅の始まりに相応しい。

 人で賑わうシルヴァンの港で、オレンジのツインテールの少女がこちらを見止めて大きく手を振った。


「セロアさんー! こっちですっ」


 傍らに立つ長身の男が、娘の声につられてこちらを見る。腰の下まで伸びていた藍白の髪が、今はざっくり切られて短くなっていた。


「やぁ、先生。遅かったじゃないか。待ちくたびれてたよ」


 紺碧の双眸を細め、皮肉げに笑って彼が言う。セロアはその前に立ち、緩く笑って少女の頭に手を置いた。潮の香混じりの海風が、衣服や髪を舞い上げて通り過ぎてゆく。


「切ったんですね、髪」

「ああ。全部、一から始めようと思ってさ」


 その裏に彼がどんな決意や覚悟を込めたのか、セロアは聞きはしなかった。彼もきっと、それを口にすることはないだろう。


「パパ、セロアさん、船が出ちゃいますっ」


 てのひらの下で上目遣いにセロアを見上げ、ルベルが訴える。出航間近の汽笛の音が港を通り抜けていった。海鳥が勢い良く滑空して過ぎ、乗員たちが慌しく動き始めているのが見える。


「本当だ」


 ぼけっと呟いたロッシェの緊迫感のなさに、思わずセロアは吹き出した。乗り遅れの危機というほど差し迫っているわけではないが、そろそろ焦るべき頃合だというのに。


「さぁ、行きましょう」


 セロアに促され、ロッシェは頷いてルベルの手を取る。その様子がなんだかひどく微笑ましくて、緩んだ表情が元に戻らなかった。

 幸せな気分が空気を通って伝播でんぱするのは、きっと間違いないだろう。

 そんなことを思った。



 終わりは、ぐるり転じて、始まりに。

 まだ輪郭もつかめぬ、彼らの物語は――、今ようやく始まったばかりだ。






 Let's Go to next QUEST!

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