8-3 嵐の到来


「––––うぁッ!?」


 ざん、ッという音と一瞬散った炎。

 茫然と固まるセロアとアルトゥールの視線の先で、鉄扇がゼオの体を掠めるように足元の芝生に突き刺さる。カミルが薄く笑んで呟いた。


「ミスリル銀か。危なかったな、ゼオ」


 魔法力を帯びた鉱石、ミスリル銀は非常に希少で高価な素材だ。

 精霊の身体はいわば魔力の塊なので、通常の武器で損傷することはない。しかし、魔法力を帯びた武器や魔法そのものであれば別である。


「――ッ、てえめぇ隠居! テメーオレを殺す気かァッ!」


 カミルの声などかき消す勢いでゼオは吠え、芝生に刺さっている鉄扇を掴んで引き抜いた。そして何の迷いもなくそれをセロアに投げつけた。


「わ」

「セロアさんっ!」


 慌てたようなセロアの声に、ルベルの悲鳴が被さる。が、セロアはまたもそれを難なくかわし、当たり損ねた鉄扇は勢いそのままに後方のアルトゥールへ。


「うわっあぶねぇ」


 思わず折れた木刀でそれを叩き落とした彼の目に、信じられない光景が映る。木刀が一瞬のうちに燃え上がり炭になって砕け散ったのだ。

 反射的に手を離して目を瞠ったアルトゥールだったが、すぐさま怒りの形相でゼオを睨むと叫んだ。


「おいっ! そこの放火猫、貴様本気で殺す気かッ!」

「あァ? 本気で死ぬかと思ったのはオレだっ! ミスリル銀てのは精霊への殺傷力が断トツなんだぜ!?」

「阿呆かてめぇ、それはおまえの仲間の持ち武器だろうが!」

「だから隠居を狙ったじゃねーか!!」


 突如勃発した口喧嘩を、当事者のセロアを含め周囲は唖然と見守るしかない。狙われていたらしいセロアも、元凶が自分なだけに口出しできず困り顔でそのやりとりを聞いている。

 騒然とした場もお構いなしでカミルが笑った。


「解っただろう、黒曜」


 女王は、隣の守護者を睨み上げる。


「ええ。悔しいけれど、灰竜さまの意図を理解しましたわ。あの方は『精霊に愛される魂』でいらっしゃいますのね」


 その気質ゆえに精霊との親和性が高い者のことだ。魔法職を選んでいれば天才的な魔法使いルーンマスターの素養があったことだろう。だが、当人の職が学者だからかそれともゼオ自身に既に名があるからなのか、灼虎との相性はあまり良くないようだ。

 放っておくといつまでも終わらなさそうなので、ぎゃんぎゃんと喧嘩を続けている二人の間にカミルは割って入る。


「そこまでにしておきなさい」


 ゼオは何か言いたげにカミルを睨んだが、それでも口をつぐんだ。アルトゥールも不満な気分を抑えるように息をつき、守護者を見返す。


「貴方がやらせたんじゃないですか。もう満足されたんですか?」


 カミルは黙って口元に笑みを刷き、芝生に刺さった鉄扇を拾い上げた。ざ、と広げ視線をセロアに傾ける。


「これはどこで手に入れた?」

「何年か前に、馴染みの武器屋に押し付けられたんですよ。ただの古い鉄扇だって言われましてね」


 本当に、ボロボロに傷んだ古い鉄扇だ。武器屋は真価に気づかなかったのだろう。威力を目にした今でさえ、アルトゥールもそれがミスリル銀だとは信じられない。

 興味津々で開いたり閉じたりしているカミルの隣にセロアが来て言った。


「ご厚意を逆手に取るような真似をして、申し訳ありません。……私がこれ以外まともに扱える武器がない、というのは嘘ではないですが」

「許可を出したのは私だ、構わんよ。確かにミスリル製の刃なら量産武器くらい折ってしまえるからな。――巧く使いこなせれば、の話だが」


 明らかな揶揄を込めた視線を向けられ、セロアは苦笑した。


「筋金入りの不器用なんですよ」

「そのようだな。だが安心したさ。ただのお人好しかと思ったが、不利な試合に勝つ算段を講じて臨む狡猾さも、持っているようだな」


 魔法製武器対木刀、という卑怯千万な対決だったわけだが、セロアに瞳には後ろめたさも悪びれた色もない。卑怯と罵られることも覚悟の上で、それでもわずかな勝てる可能性に彼は賭けたのかもしれない。

 アルトゥールが溜息をついて、セロアに右手を差し出した。


「俺はあんたを甘く見てたみたいだ。本気なんだな」


 バイファル島へ行くという、無謀な決意。


「はい、本気ですよ」


 セロアはにこりと笑み、彼の手を握り返す。人間フェルヴァーの癖に細くて長い指の感触に、彼が本当に実戦経験が少ないのだと改めて思い知らされた。

 自分の苦手を熟知した上で、自分に使えるものを駆使し望みを引き寄せる。この男は、穏やかさの陰にそんな強かさを隠し持つ人物だ。


「さて、判定しようか」


 そんな最中にカミルが突然そう言い出したので、アルトゥールとセロアは同時に彼を凝視した。


「灰竜様、判定って」

「無論、勝敗の判定だ。だが試合途中にゼオが乱入した事で結果は有耶無耶になり、かといって再試合も馬鹿らしい。引き分けでいいか」


 適当さ加減のひどい守護者にアルトゥールはがっくりと脱力する。異議を唱える気も起きない彼とは対照的に、セロアは緑玉の双眸を向け興味深げに聞き返した。


「と言うことはカミル殿。先の言はどちらも有効にならず、現状と変化なし、という解釈で宜しいのでしょうか」


 その問いにカミルは意味深に口元を緩めた。


「勝ちではないが負けでもない、ということだ。私は黒曜を説得はしないが、リンドの旅の安全は保証してやろう。それを終えたら私は館に帰るさ」


 セロアは黙って白い魔族ジェマを見る。あるいは初めから、結果を見越してそういうつもりだったのだろうか。底知れぬ血色の両眼から何かの意図を汲み取ることはできない。

 アルトゥールが鬱々とした表情で前髪をかき上げた。


「俺は、リンドが行くのは反対です。……たとえ、絶対の守護があったとしても」


 語尾に力が込められている。カミルは双眸を彼に向け答えて言った。


「私に言っても仕方あるまい。リンドが自分で行くと決めたのならば」

「そうだとしても、貴方はどうやって守護するつもりなのですか! カミル様」


 アルトゥールが声を荒げたのは一瞬だったが、自分が話題の中心になっていると気づいたリンドが、焦ったように駆け寄ってきた。


「灰竜さま、兄さま! リンドは守護など要りません、それよりルベルに」


 それを遮って。


「リンド」


 低く硬い声は父オスヴァルトだ。表情を歪めて彼はリンドに視線を向け、言葉を続けた。


「……カミル様は桁外れの技量を持つ、精霊使いエレメンタルマスターだ。だが、絶対の保証など、……存在しないのだリンド」


 普段無口な父の言葉には不思議な重みがあって、沈黙がその場を支配する。カミルは表情を変えぬまま、黙って変化を待っているようだった。

 ――その、時。

 さく、さくと、芝生を踏んで近づいてくる足音。邸内から中庭のこの場所へと伸びる小路の両側には、丈の低い柴木が植えられている。その間をこちらへ向かって歩いてくる人影に、黒曜が驚いたように声を上げた。


「おかあさま?」




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