5-8 大賢者は予言する

「理由、ですか」


 言われてみれば、この曲者賢者は昼にも同じようなことを言っていた。難しい顔で考え込むフリックを眺めながら、カミルは薄く笑む。


「バイファルに仕掛けられた結界は古代魔法の一種だ。緻密ちみつな魔法を解きほぐすのは困難だが、魔法語ルーンを組み合わせて編み上げた術式には、思わぬ相乗効果や相殺効果が伴う。ゆえに、解除はできなくともそれを利用しだますことはできる」


 黙ってフリックはカミルを見る。不敵に笑う、宝石みたいな両眼。


「もしかして、賢者サマあんた、裏技な入り方知ってるんじゃ」

「さあ、どうだろうな」


 カミルはうそぶいて、棚から本を一冊引き抜いた。ぱらりとページを捲れば、かびたほこりの匂いが鼻をつく。


「黒曜は同情で国是こくぜを曲げるような慈悲深い女ではないし、セロア=フォンルージュは手札を出し惜しんでいる。私もライヴァン王家やルヴェリエリウの事情など知らぬし、詮索せんさくするつもりもない。一見すると八方塞がりにも見えるな」


 ページをめくる手が止まった。開いたままの本を差し出され、フリックは促されるままにそれを受け取る。

 目を落とし、息を詰めた。そこには監獄島に関する記述がつづられている。


「貸してやろう。おまえが読んでも良いだろうし、セロア=フォンルージュに渡しても構わない。ライヴァン建国王が持ち帰った情報ほどの詳述はないから、彼には不要かもしれぬがな」

「……ありがとうございます。でもいいんですか?」


 王宮の書庫の古文書だ。門外不出の情報ではないのだろうか、という疑問をカミルはあっさりくつがえす。


「私に借りたと言えば問題ない」


 言われて、フリックの胸に疑問がもたげた。


「でも、なんで」


 カミルは口の端をつり上げて、楽しげに笑う。


「私は、あの娘がいかにしてのぞみを叶えるかを見てみたいのだよ。絶望を胸に抱きながら、それでも突き進む無謀さゆえに、な」

「絶望、って、どういうことですか」


 胸を突かれたような気分で、フリックは思わず聞き返した。


「ルベルちゃんは、会えないって分かっててて向かおうとしてるってことですか」

「それを読めばある程度は理解できると思うが」


 長い爪の先で紙面を示し、カミルは答える。


「元より行き来が困難極まる場所なのだ、監獄島は。今の世界において、リスクを負わず行き来が可能な王家は、ライヴァンと他、数カ国だけだ」


 直通の『ゲート』がまだ効力を持つ国、という意味でカミルは話している。たとえ魔法陣で渡ったとしても、島自体が危険領域であるのは変わらない。


「でも、ライヴァンは魔法が壊れたって」


 港でルベルが言っていたことを思い出し、呟いたら、カミルはふっと息を抜いた。


「発行の魔法を解除あるいは崩壊させる術式など、存在しない。あれは島自体の結界と連動しており、特別な装置があるわけではないのだ。決められた魔法語ルーン配列と王印のみで、旅渡券は作成できる」

「え」


 理解が追いつかず茫然ぼうぜんと見返すフリックに、カミルは血色の双眸を向けて、呟くように言った。


「ライヴァンの旅渡券は壊れたのではない、封じられている。話を総合するに、ルヴェリエリウの父が効力を保った券を所持しているのは間違いないだろう。つまり」


 ――白い魔族ジェマの声が、遠くから響く気がした。


「ルヴェリエリウの父は帰って来れぬのではない。手段を有しながら帰る意志がなく、尚且なおかつライヴァンのゲートを封じて迎えを拒否しているのだ。そして、娘は恐らく、父親の意志を知っている」





 それから、どうやって部屋まで戻ってきたか、よく覚えてない。

 少なからず、いや、かなりショックだった。あれほどひたむきに、父親に逢いたがっているルベル。それなのに少女の父は、帰る手段を持ちながら帰る意志がないということ。

 迎えを拒否している、――それは。


「……親は、子どもを甘えさせてやるモンじゃねーかよっ」


 記憶の底に残る父親の声に、無理やり押し出した自分の声を重ねる。

 口癖のように、親父はいつでも自分に言い聞かせていた。さほど豊かではない生活の中、男手ひとつで自分を育て夢を応援してくれた不器用な親父。大好きで大切な父だった。なのに、何も返せないまま先立たれてしまって。

 叶えきれずに途絶えてしまった夢をそれでもいまだに捨てきれないのは、あきらめてしまったら、自分なんかのために費やしてくれた父のすべてが無駄になる気がして悔しいからだ。子どもは甘えるのが親孝行だと言って、笑った父の顔が忘れられないからだ。


 カビ臭い本を開いて記述を目で追うが、字面じづらを眺めるだけで頭に内容が入ってこない。仕方なく本を閉じてベッドに潜り込んだが、目が冴えて眠れなかった。

 思い切って窓を開け、階下の庭へ脱出を試みる。屋根から庭木へ、幹の太い木を探し、よじ登ってその枝の付け根に背中を預けた。夜風に当たって頭を冷やしたかった。

 ――と、かさかさと根元で草を踏む音がした。


「ウサギおまえこんなトコで何やってンだ」

「ゼオ?」


 人型の炎精が、怪訝けげんそうに下から見上げている。きんいろの猫目は夜闇の中、獣みたいに光っていた。


「ま、落ち着かねーのには同意だけどよ。おまえアイツと仲良くするなよな」


 ぼそぼそと不満げに呟かれた。昼にも思ったが、ゼオはカミルと顔見知りらしい。


「やだなー、あんな有名人と仲良くとか有り得ねーって」


 軽く流して笑ったが、自分でもから元気に思えて収まり悪い。気分が重苦しく声を出すのが億劫おっくうだ。


「……だってさ、ルベルちゃんあんな一生懸命なんだぜ? なんかしてやりてーじゃん」


 どうしようもなくて吐き出したら、鼻の奥がつんとした。木の根元にゼオが座り込む気配がする。


「なぁフリック。子にとって親は絶対不可欠なのか?」


 ぽつんとゼオが呟いた。

 問い掛けの意図が分からず、フリックは黙って眼下に視線を落とす。


「オレァ、会わせたくねえよ」

「なんでさ」


 問い返したら、ちかりと下で火の粉が散った。ため息をいたらしい。


「オレは精霊だから、人族の持つ情は元から持ち合わせてねえ。解ってやれねーのに解ったような顔をするのは偽善めいてて好きじゃねェ。けどよ」


 夜風がざわりと通り過ぎ、こずえを揺らして木の葉を舞わせた。紛れるような灼虎の問いが、夜気に散る。


「親が子を置いて出ていくってのは、そんな簡単なことなのか?」


 逆説的な問いに込め投げかけられたゼオの主張を、フリックはなんとなく理解した。視線を上げ、星辰せいしんを見上げて小さく答える。


「不可欠とか不要とかそんなんじゃねーし」


 精霊は人の感情にさとい。中位精霊の中には、心話を解し読心すら可能な者もいるという。――だから、ゼオは解っているはずだ。

 指先で、首に掛けた白い石に触れる。母の形見だと言って真珠を見せてくれたアルエスを、連鎖的に思い出す。


「理屈づけて聞き分けイイ振りしてたってさ、会いたい気持ちを誤魔化ごまかせるものじゃねーんだよ」


 気づいている癖に。

 絶対不可侵の隔絶かくぜつ――死別を突きつけられたって。会えるものなら、会いたいと願う。伝え切れなかったことも、言って欲しかったことも、まだこんなに胸にあふれたままなのだ。


「わかんねぇ」

「嘘つけ」


 フリックはうなる。ゼオは答えない。


「ゼオおまえホントは解ってンだろ? オヤジと娘、どっちも何とかしてやりたくて、でもどーしようもなくて、だからおまえわかんねぇって誤魔化して逃げてンじゃねーのかよ」

「うっせぇ」


 沈黙の合間を、夜風のざわめく音が通り抜ける。


「オレ、一緒に監獄島いくからな」

「はァ? ひ弱なウサギがなに言ってンだてめえ」


 言葉の割に勢いのないゼオの台詞を聞き流し、強気のウサギは白く抜けた三日月を睨み据える。


「バイファル行って、ルベルちゃんのオヤジ見つけ出して、殴ってやるぜ」

「バカかおまえ、返り討ちに遭うゎ」


 構うもんかと思った。

 どんな事情があったって、ルベルのような子どもにあんな顔をさせてはいけない、と。言い聞かせるように強く思いながら、フリックは目を閉じた。




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