第46話
救急車は五分ほどのところにある市民医療センターに入った。清架は知り得るすべてを書類に書いて手続きをすませると、あとは待合で待つよりなかった。
清架は、待ってる間に良壱の実家に知られなければならないと思ったが、スマホの電話帳に登録されてないのに気づいた。どうして気を回して入れておかなかったのだろう……いまさら後悔してもはじまらなかった。
事務所に戻れば連絡先が見つかるはずだと思い、救急の受付に顔を出してその旨を伝えようとしたとき、偶然良壱を診てくれた医師がその場にいた。
「精密検査をしてみないとはっきりしたことはいえませんが、極度の栄養失調です。身体は衰弱しているものの、いまのところ生死を分けるという心配はありません。本人はいま点滴を受けていまして、血圧も正常に戻りかけています」
医師の説明は事務的なものだったが、それが逆に清架を安心させた。
清架は病院の前で客待ちしているタクシーに乗ると、事務所のある日泰寺参道までと行き先を告げる。料金を払ってタクシーを降りると、今まで忘れていた咽喉の渇きを思い出し、自動販売機で冷たいお茶を買うとその場でごくごくと咽喉を鳴らして飲んだ。
ほとんど人通りのない参道を急ぎ足で歩く清架の姿は、その部分だけ切り取って貼り付けたように浮き上がっている。
玄関ドアを開けてなかに入ると、人の出入りがあったせいか、最初にここに来たときのあの嫌な臭いは消滅していた。そういえば……清架はバタやんのことをすっかり忘れていた。近づいて天井から下がっているケージを覗き込んだとき、清架は息を呑んだ。
ケージの底にバタやんが横たわっているのが見えた。「バタやん、バタやん」そう呼びながらケージを揺すりつづける。だが、長く伸びたバタやんの白い躰はぴくりともしなかった。目蓋を閉じ、長い爪の足は何かを掴むようにして死んでいた。
清架は丸イスを引き寄せると、その上に乗って吊り下げた紐からケージを外してデスクに置いた。ケージからぐったりしたバタやんを取り出すと、近くにあったダンボールの箱に移した。餌箱も水入れもどちらも空になっていた。ひもじい思いをしながら息を引き取ったんだと思った清架は、誰にはばかることなく大粒の涙を零した。
重い足取りで二階への階段を昇りながら、もう一週間帰郷するのを延ばせばよかったといまさらながら後悔をする。そうしていれば良壱はこんなにはならなかったはずだ、どうして病気のサインをみすみす見逃してしまったのだろう。悔やんでも悔やんでも悔やみきれなかった。
良壱の寝ていた布団を外気に当て、その間に乱雑になっている部屋を掃除することにした。六帖の間をきれいにしたあと、今度は四帖半の部屋をと思い畳みに落ちているゴミや袋を片づけ、これからどうしたらいいのかを考えた。
何にせよまず良壱の両親に連絡するのが最優先だと思い、良壱のスマホを探した。
スマホは部屋の隅に転がっていた。案の定電池が切れて画面が真っ黒になっていた。
ようやく電源コードを探し出し、電話帳にあった金沢の実家の電話番号をタップする。
緊張と不安のなかでの呼び出し音は半ば消えて欲しいと思うことさえあった。ところが十回以上鳴らしても一向に出る気配がない。清架はそこで一度電話を切った。しばらく時間を空けるために途中になっていた部屋の掃除にかかる。コードレスの掃除機を畳の目に沿って動かそうとするのだが、慣れないせいかヘッドが横滑りしてしまう。慌てて修正をするのだが、しばらくするとやはりヘッドは好き勝手な方向を向くのだった。
ようやく掃除を済ませ、掃除機を部屋の隅に戻すと、清架は正座をしてもう一度良壱の実家に電話を入れてみる。だが、前より長く呼び出したものの、やはり受話器は上げられることがなかった。
仕方なく思った清架は、今度は自分のスマホに変えて良壱が治療を受けている市民医療センターに電話を入れる。先ほどかけた電話と違ってここは待たせることなく出てくれた。ほっとした気持で救急病棟に繋いで欲しいと伝えると、交換手は快い返事を返してくれた。
救急病棟の受付は、作業の性質上病院代表の交換手とまではいかなかったが、それでも丁寧に応対してくれた。早速清架は、午後いちばんで救急搬送された三戸良壱の様態を訊ねる。すると、帰って来た返事が意外なものだった。
「患者さんの容態は現在落ち着いておられます」
「そうですか、ありがとうございます。こちらの用がすみましたので、これからそちらに向かいたいと思います。よろしくお願いいたします」
清架は電話を切ると、窓框にかけたままになっている敷布団を取り込み、ひととおり部屋を見回してから病院に向かった。
タクシーを拾うのに表通りに出ると、東の空からゆっくりとコバルト色の闇が染めはじめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます