第45話 12
路肩には一昨日に降った雪が、燦々と降りそそぐ冬の陽射しに恥ずかしげに素肌をさらけ出したままだ。雪国育ちの清架にとってこれくらいの雪は何でもなかった。
清架は一週間もしないうちに金沢から戻った。それにはある理由があった。
名古屋を離れる際にあれほど良壱に口酸っぱく連絡が取れるようにいっておいた、このところスマホからもパソコンからも応答がない。正直金沢の実家に戻った清架だったが、良壱の体調が気になってならなかった。その上連絡が途絶えたとなるとじっとスマホを手にしたまま遠く離れた地で待っていることはできなかった。
懐かしく思う時間の隔たりなどないままに事務所のドアに手をかけた。そのとき、玄関ドアに「都合により、暫く休みます。 店主」という張り紙が貼ってあるのが目に入った。
重い旅行バッグを手にした清架は、思わずバッグを落としそうになった。
(やっぱり……)
清架は心の中で呟くと、ドアノブに手をかけてなかに入ろうとした。手袋の手さえ凍えそうなくらい冷たかった。ところが鍵がかかっていて回すことができない。 急いでダウンコートのポケットから合鍵を取り出してなかに入った。
そこにはこれまでに嗅いだことのない臭いが充満していた。
ただごとではないことを察知した清架は、旅行バッグを事務所のデスクに投げるようにして置くと、無我夢中で二階への階段を駆け昇った。
四帖半の襖を開けたとたんここでも異臭が鼻腔をついた。電気ストーブは倒れたままだし、部屋のそこかしこに紙袋やビニール袋が無造作に散らばったままだった。 清架の使っていた六帖に目を向けると、襖を開け放ったままで良壱が布団で寝ている。点けっ放しなのか、微かにエアコンが生暖かい風を送っている。
「良壱!」
つい大きな声になって呼んでしまった。しかし良壱はぴくりともしない。
清架はもう一度良壱を呼びながら目を瞑ったままの顔を見る。とても同い年の青年の顔とは思えないほど色艶をなくし、一見すると古い和紙のような皮膚感をしている。
尋常じゃない状況に狼狽しながら清架は良壱の首に手のひらを当て、しきりに脈を探る。ところが気が急くからか、なかなか脈が伝わって来ない。場所を少しずらして待つ。するとやっと小動物のそれとおぼしき反応があった。
ほっとすると同時に次何をするか考える。清架がまず行動したのは、この部屋に居座ったままの悪臭を取り払うために二部屋の窓を開放する。たちまち新鮮な空気が雪の匂いを伴って流れ込んだ。軒先からは雪解け水が絶え間ない涙のように滴っている。
今度は良壱の名前を呼びながら軽く頬を叩く。しかし良壱は仰臥したままで、まったく反応がなかった。
清架は階下に行ってマグカップに自分のミネラルウォーターを入れると、すぐに良壱のところに戻った。そしてティッシュに湿らせたミネラルウォーターを唇に当てた。だが良壱は反応を示さなかった。干割れて白くなった唇はすべてを拒否しているように見えた。
これ以上自分の手に負えないと思った清架は、ポシェットからスマホを急いで取り出し救急車を呼んだ。
救急車の到着までの十数分が十倍にも二十倍にも感じられた。サイレンの音が聞こえはじめると、清架は救急隊員を誘導するのに表に出て待つ。やがて赤色灯を明滅させながら緩い速度で近づいて来るのが見えた。
清架は大きく手を振って居場所を知らせる。救急隊員は車から降りると、ひとりは後部に回ってストレッチャーを引き出す。もうひとりは清架に近寄って状況を訊こうとする。だが清架は何を訊かれても答えることができない。さっき良壱が危篤な状態であることを知ったばかりなのだ。それさえも説明するのがもどかしく思え、とにかく早く病人を搬出して欲しいとしかいえなかった。
二階から隊員ふたりが良壱を抱えて降りてくると、慎重にストレッチャーに移し車に向かった。外に出るといつの間にか数多くの野次馬が遠巻きにしていた。この際恥ずかしいとかみっともないとかいってる暇もなく、隊員にいわれるまま付添人として救急車に同乗して病院に向かった。
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