第66話/Coming back

第66話/Coming back


パコロの駅前は、朝もやの中に包まれていた。ビルの影が道路にコントラストを作り、朝日が差し込む場所は、銀色に輝くパウダーを振りまいたようだった。


「ようやく戻ってきたな……ずいぶん久しぶりに感じるよ」


「実際、私は相当久々だがね。久々すぎて懐かしいのかさえ分からないくらいだよ」


「そんなもんっすか。ウチにはピンとこないっすけど」


「そうかい?お兄さんとしばらくぶりに再開した時、あぁってどうしようもないくらい愛おしく感じなかった?」


「あっそれは思いました!なんか胸の奥がきゅーんとなるような……」


「こ、光栄だな。はは……」


どうして俺は妹のラブコールを受けているのだろう……


「そ、それより。こんなに早く着いたんだ、早く事務所に行こうぜ」


「ん、そうだね。思い出に浸るのは後にするとしよう」


リルは長い髪をばさりとかき上げた。朝風に藤色の糸がたなびく。

それをまぶしく思いながら、俺は歩き出した。


「行こう。一度ここまで歩いたことがあるから、道は覚えてる。俺についてきてくれ」




事務所の前の通りは、相変わらず静かだった。聞こえるのは波と潮風が楽しげに踊る音だけだ。


「……ここまで来ておいてあれなんだが、ほんとにみんな事務所にいるかな……?」


「センパイ、それ今更すぎません?」


「いや、ほんとそうだよな。すまない……」


「けど、案外悪くないと思うよ。誰もいなくったって、設備は使えるからね。ここなら土地勘もあるし、協力者も得られる。拠点を構えられるのは大きいさ」


「そ、そうか?」


「あ!ウチも!ウチもそう思うっす!」


「ならいいんだが……ん?」


事務所の前に、人影がある。こんな早朝に、そいつは何をするでもなく、ぼーっと海の方を眺めているようだった……どうにも不自然だ。


「みんな、止まってくれ。誰かいる」


俺が手で制すと、リルは手でひさしを作りながら目をしかめた。


「ん、ん~……もともとたいして良くはなかったが、獄中生活でさらに視力が落ちたな」


「……代わりますよ。ウチ、両目二・五なんで」


「おお、そいつは素晴らしい。私は最近落ちる一方でね。若い頃、本ばかり読んでいた代償かな」


「……別に、ウチも本くらい読むっすけど!たまたま目が良かっただけっすからね!」


「黒蜜、わかったわかった」


黒蜜はぷくーっとほおを膨らませて、前方をぎっと睨んだ。


「……あれ、なんだ。センパイ、心配することなさそうっすよ」


「え?」


「ほら。よく見てみてください」


どういうことだ?俺は人影に向けて、じっと目を凝らしてみた。

朝日を背にして、そいつの姿は影に隠れている。だが時おり吹く潮風が、そいつの髪を揺らしていた。光を受けてキラキラと輝くのは、見慣れた赤茶色の髪。


「あれは……」


人影のほうも、俺たちに気付いたようだ。

最初は俺たちをじっと見つめていたが、やがて歩きだし、ついには駆け出した。


「ははっ。おーい!」


俺が手を振ると、あっちもぶんぶん振り返してくる。


「ただいま、キリー!」


「おかえり!ユキ!」


キリーはぴょんと跳ぶと、俺の胸に思いっきり飛び込んできた。


「うわっ、キリー!危ないだろ」


「あははは!本物のユキだ!夢でも幻でもないんだよね!」


「ああ。俺は確かに、ここにいるよ。心配かけたな」


「ううん。ちゃんと帰ってきたから、全部許す。わたし、今とってもうれしい!」


ぴょんぴょんと跳ね回るキリーに、俺もあっちへこっちへ引っ張り回された。


「……まったく、妬けてしまうな。付き合いは私の方が長いはずなんだが?」


「あれ?あなた……リル姉ちゃん?リル姉ちゃんだよね!」


「おいおい、この歳で姉ちゃんはよしておくれよ」


「げげっ、それにあの時の警察まで!なんでいるの?」


「悪かったっすね!成り行きっすよ」


「……とりあえず、中に入ろうか。長い話になるし、みんなにも聞いてほしいからな」


「ん、そうだね。わたし、みんなに言ってくる!」


言うが早いか、キリーはふっとんで行った。




そこからは、てんやわんやの大騒ぎだった。


「ユギぐん~~~うわぁぁぁん!」


スーは顔をくしゃくしゃにして抱きついてきた。正直この反応は予想できたのだが、以外だったのはアプリコットだ。


「すん……ぐず、あっそ。ちゃんと、ぐすん、帰ってこれたのね」


アプリコットはぐすぐす言いながら、俺のシャツを掴んで離そうとしない。


「あ、ああ。アプリコット、心配かけたか?」


「うん。ぐす……けどいい。ゆるす。ぐすん」


お、おお……いつも気丈な彼女が、今は幼い子どものようだ。


「ユキ。よくぞご無事で」


「ああ、ウィロー。約束通り、戻ってきたぜ」


「ええ。嬉しいです」


ウィローはにっこり笑った。今まで見たなかで、一番の笑顔だ。


「……さて、感動の再開は済んだかな?そろそろ部外者が登場しても……」


ひょこっと、リルが顔を覗かせた。


「え」


「おや、君は……ステリア、だね?」


「リ……リル?」


「うん。久しぶり。ずいぶん大きくなったね」


お、こっちでも涙の再開か。

ステリアは無言で、リルへと歩き出した。その手には巨大なモンキーレンチが……え?


「師匠……覚悟!」


「うおぉぉぉ!?」


「わー!ステリア、まてまて!押さえろ!」


俺はフーフー息をするステリアを必死に押さえ込んだ。


「よくも置き去りにしやがって……一発殴ってやる!」


「違うんだステリア、誤解なんだよ!」


「う゛う゛ぅぅぅ!」


低く唸るステリアは、まるで狼か何かのようだ。こんなに感情を剥き出しにする彼女も初めて見る。今日は初めてだらけだな。


ステリアが冷静さを取り戻したころ、俺たちはようやく落ち着いてテーブルの周りに座った。


「……ところで」


「うん?なぁに、ユキ?」


「どうして、その……う、腕を……」


「うで?」


「……なぁんでアンタがセンパイの腕を抱いてるんだって言ってるんすよ!」


黒蜜が思い切り手をつくと、ガラステーブルがガタガタと揺れた。


「だって、せっかく帰ってきたんだもん。もっと近くで感じたいでしょ?」


「な、な、な……」


俺は今、キリーに腕を絡められたまま、ソファに座っていた。腰かけるやいなや、キリーが隣にすり寄ってきたからだ。


「いいなぁ……キリーちゃんばっかりずるい!」


「へへ~。残念だけど、この椅子は二人掛けなんだよ」


「……もう、なんでもいいから、そろそろ話をしていいかな」


「はーい」


調子いいぜ……俺は半ば呆れながら、プレジョンの監獄であったことを語り出した。




「……てことなんだけど」


「う、う~ん?つまり、ユキたちはマフィアをやっつけるように頼まれたってこと?」


「頼まれたというか、命令だな」


「そうだね。私たちが逃げだそうものなら、すぐに鉛弾をプレゼントされるだろうから」


「マフィアを、ですか……ずいぶんと無茶なことを言いつけられたものですね」


「ああ……ところで、さっきから気になってるんだけど。レスはどこにいるんだ?」


「あ……」


「……うん、そうだよね。今度はわたしたちがどうしてたか、聞いてくれる?」


「あ、ああ……」


キリーは神妙な面持ちだった。なにかあったのか……?


「……ユキと別れた後、わたしたちは騒ぎが落ち着くのを待とうと思ったの。しばらく隠れてれば、やり過ごせるんじゃないかなって。でも待てど暮らせど、追手は引き上げるどころか、だんだん数が増えていった」


「ああ、その頃はまだ俺も逃げ回っていたからな。たぶんそのせいだ」


「うん。その日はそこで過ごして、隙を見て隠れ家に戻ろうってことになってね」


「あ、それじゃあ……!」


「ユキも見た?隠れ家がふっとばされちゃったの。さすがにあそこまでされたら、もうプレジョンにはいられなかったよ。その足で汽車に乗って、パコロまで戻ってきたんだ」


「そうだったのか……客車で待ち伏せはされなかったか?」


「へーき!貨物列車に忍び込んだからね!」


キリーはにっこりピースをした。はは……普通の汽車よりも乗ってるんじゃないか?


「あれ、けどそれじゃあ、レスは一緒じゃなかったのか?」


「うん……レスさんとは一緒にいたんだよ。パコロに戻ろうって決めたのもレスさんだったし。けど……」


「けど?」


「いなくなっちゃったんだ、いつの間にか」


ええ。そんな馬鹿な。


「汽車に乗るまでは確かにいたんだよ?けど、パコロに付くころには、レスさんはどこにもいなかったんだ……」


「ど、どういうことなんだ?」


「……正直、私たちにもよく分かっていないんですよ」


ウィローがふぅ、を息をついた。


「レスは、確かに私たちと同じ列車に乗り込んでいました。それに貨物列車ですから、駅に止まるということも無かったんです。それなのに夜が明けると、彼女は忽然と姿を消していたんです」


「あたしたちだって驚いたんだから。貨物のあいだをくまなく探したけど、それでもあいつの髪の毛一本見つけることもできなかったわ」


「……だけど、それだと彼女は、走行中の列車から車外へ飛び出したことになる。当たり前だけど、非常に危険。そんなのは命知らずのやること」


うっ。以前、キリーを抱えて線路わきを転がったことを思い出した。


「だけど、状況的にはそうとしか考えられないな」


「けど、おかしいよね?レスさんがわたしたちから逃げる理由なんてないはずだもん」


「だよなぁ……う~ん……」


俺は首をひねったが、さっぱりだった。

スーが伏し目がちに、指を合わせながら言う。


「わたしたちも心配だったから、ほんとによく探したんだよ?でもでも、暴れた跡とか、事故の痕跡みたいなものはなかったんだ……」


「なら、とりあえずは無事……なのかな?身の危険は少なさそうだが……」


「……なら、今はそのことは一旦置いておかないかい。今考えるべきは、過去よりこの先のことだよ」


リルの言うことはもっともだった。レスのことも気にかかる。でも薄情だが、俺たちに余裕がないのも事実だ。


「俺たち三人はマフィアと戦わなくちゃならない。もちろんみんなは関係ないが、それでも目をつけられているだろ。奴らとの戦いは、おそらく避けては通れないと思うんだ」


「え?関係ないって、わたしたちのこと?」


キリーがきょとんと聞き返す。


「ああ。だけど、正直俺たちだけじゃ厳しいだろう……みんなの力を、借りたいんだが……」


「何言ってるの!わたしははなっから、ユキたちと一緒に戦うつもりだったよ!そうでしょ?」


みんなも当然だ、とうなずく。


「……そう言ってくれると思ってたよ」


俺も馬鹿じゃない。こういう時、キリーたちがこう言うのも知っていた。なら、最初からみんなを信じたほうがいい。


「だけど、その戦うっていうのが大変だ。俺はマフィアについて、ほとんど知らないんだけど……」


俺は言葉を区切って、みんなをぐるりと見回す。が、みんな似たような反応だった。つまり、みんなも知らないというわけだ。


「弱ったな。敵の全貌が分からないんじゃ、戦いようがないぞ」


「そうですね……マフィアに詳しい人……無法者のエキスパートといえば……」


あ。一人いるじゃないか、犯罪を取り締まるプロが。


「え!う、ウチっすか!?」


「黒蜜、なにか知らないか?」


「いや、ベテランならともかく、ウチもこっちじゃひよっこっすから……う~ん」


黒蜜はしばらく腕を組んで、うんうん唸っていた。


「……すみません、やっぱり大したことはわからないです。これを知っていると言えるのか、とにかく今言えるのは、三つだけっす」


黒蜜は指を三本、ぴっと立てた。


「一つ目。奴らは非常に強力な武力を持っていて、けどその出所はさっぱりわからないということ」


うーん……わからない、ということがわかってるんだな。


「二つ目。奴らは階層式の組織構造をしていて、自らを家族と称していること」


ヤクザの一家と同じだな。構造はわりかし似ているらしい。


「三つ目。その組織の上位層は謎に包まれているが、そのうちの一人がとある政治家なんじゃないか、という噂があること……どうっすか?くだらない情報ばっかりでしょ?」


う~ん……ん?


「今の、最後のやつって……」


「え?政治家の噂っすか?」


「……こういうのは三つ目が本命というけれど、今回もその通りみたいだね」


リルがニヤリと笑った。


「……正気っすか?単なる噂っすよ?」


「だけど、今最も信用できる情報だ。それに、一番信じたい話だな」


「まあ、そりゃそうっすけど……」


「ダメで元々だ。聞かせてくれよ、そいつのこと」


「……ま、そっすね。噂でも、ないよりましか。けど、ほんとにしょうもないっすからね」


前ふりをしたあとで、黒蜜は前髪をいじりながら話し出した。


「確か、えーっと……ロットって町、あります?」


「ロット……ええ。確か、パコロの北北西に位置する町です。パコロでとれた魚を使った、魚油ロウソクが有名だったかと」


「うえぇ、なんすかそれ……ま、それはいいや。そのロットとかいう町の町長は、かつてプレジョンでガツガツやってたやり手の政治家だったんす」


「ふむ。そんな人物が、今は片田舎の町長をやっているのかい?」


「そうなんすよ。汚職がばれたとか、浮気が発覚しただとかのつまらない理由で左遷されたらしいっす。そんなもんだから未練たらたらで、いつか首都に舞い戻ってやろうと画策してるんですって」


「けど、それがどうしてマフィアの幹部になるんだ?」


「それがその町長、最近プレジョンへの復帰が現実的になってきたらしいんすよ。で、それが何でかっていうと、ちょうど潜り込みやすいポストの人たちが相次いで亡くなったかららしいっす。中には不審死もいたとかで」


「そいつは……きな臭いな」


「そんなもんだから、実はそいつはマフィアと繋がっていて、邪魔者を排除している……っていう噂が立ったんだと思いますよ。ただ正直、眉唾っす。確かにプレジョンの要人が亡くなったのは事実っすけど、それがすべて不可解だったか、もっと言えば殺人だったかはわからないんです。たまたまタイミングが重なっただけとも捉えられるっすね」


「なるほど……」


「だけど、火のないところになんとやらと言うだろう?根拠のないところには、噂も立たないと思わないかい?」


「まぁ……臭うのは確かだ、とは思うっすね」


「ねぇ、ならそこに行ってみない?ロットって、そんなに遠くないんでしょ?」


キリーが俺の腕を引っ張りながら言った。


「そうだな、俺も賛成だ。何か手がかりが得られるかもしれない。現状この噂しかあてにならないし、次のとっかかりくらいはほしいところだな」


「ね!ここにいたって始まらないもん。行ってみようよ!」


「決まりですね。ところで……リルと、黒蜜?あなたたちはどうするんですか?」


「うん?もちろん行くよ。もともとこれは私のヤマだし、なんだか面白そうだからね」


「ウチ?行くに決まってるっす。センパイの監視が、今のウチの仕事っすから。地の果てでもついてきますよ」


「……そうですか。いやもうほんと、頼もしい限りです」


つづく

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