第42話/Year End


服を買った帰り道、俺は慣れないエスコート役を任されることになってしまった。

ステリアが履き慣れないヒールのせいで、石畳が歩きにくいと言うからだ。長身のステリアを支えるならということで俺が抜擢されたが……


「……ステリア。視線が痛いよ」


「ふふふ、いい気味……私と同じ目に遭わせてやる……」


一度脱ぐと着付けなおすのが面倒だということで、ステリアはドレスを着たままだ。そのせいで道行く男たちは、みなだらしのない顔でステリアを目で追っている。やがてその横に俺がいることに気付くと、今度は鬼のような形相でこちらを睨むのだ。


「わっ……」


「おっと」


つまづいたステリアの腰をぎゅっと支えると、周りからギリギリとすさまじい嫉妬の音が聞こえてくる。

ヤバいな……そのうち石でも飛んでくるんじゃないか。


「ほんとに、もう……こんな風に注目されるの、好きじゃない……」


「そうだな、確かに辛い……悪い、今晩までどうにか堪えてくれ。俺も付き合う」


「わかった……」


俺たちは再び、ゆっくり歩き出す。心なしか、ステリアが腕をつかむ力が強くなった気がした。


「……こうして黙ってるのもあれだし、何か話でもしないか?」


「いいけど……ふつう、そういうのってもっとさりげなくしない?」


「う、悪かったな……」


「まぁ、いいよ……どうせ二人っきりだし」


ステリアは恨めしそうに後ろを振り返った。

俺たちのはるか後方からは、キリーたちが絶妙に距離を保ちながらついてくる。彼女ら曰く気を使ってのことらしいが、その本心は絶対巻き込まれたくないだけだろう。


「といっても、何話す?自慢じゃないけど私、世間のことならほとんど知らない自信がある」


「ま、だろうな……」


ガレージ籠りの彼女に、世間話はハードルが高いか。知らないこと……あ、そうだ。


「なぁ、なら俺が来る前の話を聞かせてくれないか?」


「うん?」


「前のメイダロッカ組の話とか、きみがどういうふうにキリーたちと知り合ったとかさ」


「ああ、なるほど。メイダロッカのことについては本人たちに聞いた方が早いと思うけど、そうすると……」


ステリアはあごに手をやると、昔を思い出すようにうーんと唸った。


「……私とメイダロッカが出会ったのは、あのビルが最初。もともとあそこには、私達が先に入ってた」


「わたし“たち”?」


「うん。あの当時は、私は師匠と二人で下の店にいたから」


「ああ、そういえばたまに話に出てきたな、きみの師匠って人」


「うん。すぐ出て行っちゃったけど、墨の彫り方なんかはあの人から教わった。まあ正直、最後の方は私のがうまかったけど」


「へえ……そうなのか」


「うん。師匠は墨を彫るのはそんなにだった。けどあの人は、変わった人や変わったものが大好きで、そんなことばっかりやってたから。その一つが、墨の“継ぎ足し”。これに関しては、師匠の右に出る人はいないと思う」


「継ぎ足し?」


「うん。ふつう、一度完成した墨には手を加えない。刺青はその人の才覚の現れ、魂そのもの。それに水を差すのは、彫師の間でご法度とされているし、そもそも難易度が高くて誰もできなかった。だけど師匠は、それの名人だった」


「へぇ……なかなか型破りな人だったんだな。その継ぎ足しをすると、刺青の力はどうなるんだ?すごく強くなるとか?」


「いや、大抵はろくなことにならない」


「え。おっと、そうなのか」


「うん。師匠は足すことはできたけど、その後のことまでは面倒見なかったから。実際、そのせいでトラブルも多かった……って言ってた。だから秘密にしてた」


「……今更だが、聞いていい話だったのか?」


「いい。唐獅子なら」


「そうか?」


「うん。で、そのトラブルのせいかな。気付いたら、師匠はいなくなってた。かわいい弟子を一人置き去りにして、ひどい人」


「じゃあ、それ以来師匠さんとは会えてないのか?」


「うん。次会ったら、一発お見舞いしてやるつもり」


「はは……けど、また会えるといいな」


「うん。っと……」


突然、ステリアが立ち止まった。


「どうした?」


「……疲れた」


「は?」


ステリアは足首をぐにぐにやっている。だがよく見ると、少し足が赤くなってる。


「ステリア、足、痛いのか?」


「……ちょっと」


慣れないヒールで痛めてしまったんだな。そこまでひどくはなさそうだが、今夜のことも考えると無理はさせたくないな……よし。


「ステリア、ちょっと失礼」


「え……ひゃ!」


脚と腰に手を滑り込ませると、俺はステリアを抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこだった。


「ちょっ……ちょっと」


「今痛めたら、きっと後が辛いぞ。どうせ目立つんだから、楽しとけよ」


「ん、ま、そうだけど……ま、いいか」


ステリアはすぐにおとなしくなると、身体を俺に預けた。今までルゥとアプリコットを抱きかかえたが、長身のステリアが一番バランスを取りやすい。


「よしっと。それじゃ……うん?」


その時気付いたが、なんだか背後が騒がしい。

振り向くと、キリーたちが腕を振り回しながら迫ってきていた。


「コラー、ユキーッ!セクハラーッ!」


「やべっ。ステリア、走るぞ!」


「えっ、ひゃっ、わぁっ!」


ダダダ!俺は石畳をドカドカ走り出した。

銀髪の美女を抱えた男と、それを追いかける少女たち……ははは、明日になったら噂になってそうだな……




「ふ、ふぅ……」


「スー、緊張してるのか?」


「う、うん、少し……」


スーは小さく、ぶるっと体を震わせた。気持ちもわかる、二度目の俺だってさすがに威圧されるもんな。

濃紺の夜空の下、俺たちは鳳凰会本家の門の前にいた。屋敷の周りには、鳳凰会の代紋が描かれた提灯がずらりと並び、それと同じくらいの黒塗りの車が、オレンジの光を黒いボンネットに受けて艶めいている。門の前には黒服たちの列ができ、何とも物々しい光景だ。


「わたし、挨拶初めてなんだ。いつもはおじいさん……先代さんと、キリーちゃんだけだったから」


「あれ、そうだったのか」


「それはそうですよ」


俺たちの会話が聞こえたのか、横からウィローが口をはさんだ。


「普通は、組の代表と、その側近だけが参加する行事ですからね。組員全員でというのは、かなり異質なんです」


「へぇ。じゃあ周りからは、俺たちは相当珍しく見られてるのかな」


「でしょうね。全員で挨拶なんて、そうとう派手にやらかして、会長に許しを請う時くらいですから」


「まじかよ……」


「うぅ~、なんだか余計に緊張しちゃったよぉ……」


「あ、悪いなスー。いらないことを聞いた」


「はぁ……けど、ダメだよね。キリーちゃんくらい、いつも通りにならなきゃ……」


スーは遠い目で、キリーをぼんやり見つめた。キリーは立ち並ぶ提灯を見て目を輝かせている。


「きれーだねぇ。お祭りみたいだよ」


「あんた、ちょっとは落ち着きなさいよ。仮にも組長なんだから、品位を下げるようなことしないでよ」


「ちぇ。はーい」


「……あそこまでなるのは、なかなか大変そうだな」


「あはは、言ったばかりだけど、そうかも……」


そうして俺たちが門へと歩いていくと、何人かがこちらをうかがっているのを感じた。少しにぎやかにしすぎたかな。しかし、そうという割には視線に棘を感じない。どちらかというと、見惚れているというか、熱っぽい視線のような……


「……ああ、なるほど」


「ん?唐獅子、何か言った?」


ステリアが不思議そうに振り返った。彼女が通り過ぎた後には、だらしない顔をした男たちが、何人も振り返ってこちらを見ていた。彼女に話しかけられた俺を見て、視線が一気に殺気立つ。はは、わかりやすいな……


「……いや、罪な女だと思ってさ」


「……唐獅子、酔ってる?」


「シラフだよ。さ、行こう」


ぼけーっと見とれる守衛の目を覚まして、俺たちは本家の中へと入った。外と比べて思ったより人影はなく、建物の中もがらんとしていた。


「みんな、もうすでに“朱雀の間”に集まっているんですよ」


「朱雀の間?」


「ほら、わたしとユキがこの前三代目に会ったとこだよ」


「へー、そんな名前だったのか」


「え、あなたたち、あの部屋で三代目に会ったんですか?」


「ん、ああ。どうかしたのか?」


「どうかした、というか……」


「あそこは特別な行事じゃなきゃ入れない、特別な部屋なんだよ。わたしも始めは驚いちゃった、あはは」


「ええ!そうだったのか……」


会長に会うんだから、それは特別な行事だったってことか……?よくわからないが、あの気分屋な三代目なら、やりそうなことだとは思った。


「さて、では私たちも向かいましょうか」


「おっけー。道案内は任せて、こっちだよ!」


「……キリー、そっちはこの前と反対じゃないか?」


「……あり?」


結局、俺が記憶をたどりながら皆を案内することになった。


「あ、あそこじゃないか。ほら、扉が開いてる」


ほんとだ。大勢が出入りするからか、朱雀の間は戸が開け放たれていた。


「中に入ったら、私たちは端っこに行きますからね」


「端に?」


「組への貢献度によって、座る位置が決まってるんです。中央に寄るほど高く、メイダロッカはいつも左端が定位置なんですよ」


「もうちょっと時間があれば、一つくらい昇格したかもしれないのにね。おしい!」


キリーがパチンと指を鳴らした。今のシノギが始まったのは最近のことだからな、しょうがないだろう。

朱雀の間の敷居を跨ぐと、黒服たちがずらりと揃っていた。皆あぐらをかいて座り、新しく入ってきた新顔をギロリと睨み付ける。その中には、俺たちの見知った顔もあった。ニゾーだ。チョウノメ組も来ているんだ。


「っ……!」


スーが息を飲むのが聞こえた。俺はそっとスーの肩に手を置くと、黒服たちを見ないように、黙々と歩いた。

俺たちが座った後にも、ちらほらと人は増え続けた。年の瀬はあっという間に過ぎていき、あと十分ほどで年を越そうかというころ、白いスーツを着たレスが前に出てきた。


「お待たせしております。三代目は間もなくお越しになられますので、今しばらくお待……」


「あー!キリーちゃーん!」


うお、なんだ?ドタドタと駆け寄ってくる男が一人。今回は袴を着ているが、あれは間違いなく……


「あ、三代目会長!」


「聞いたよぉ、シノノメ組をやっつけたんだってねぇ。さっすが!ワシ、キリーちゃんたちならやれると思ってた!」


またデタラメを……シノノメじゃなくてチョウノメだし。だいたい、本人たちもここにいるんだぞ。


「えへへ……その節は、お世話になりました」


「いやぁ、いいのいいの。大したことしてないって」


(ていうか、何にもしてないけどな)


「それより、みんなで来てくれたんだねぇ。うーん、みんな可愛こちゃんばかり……だ……」


会長の目がある一点で止まった。その視線の先にいるステリアは、思いっきり嫌な顔をした。


「……そこのあなた、名前は?」


「……」


(……ちょっと!名前くらい名乗りなさいよ!)


後ろでアプリコットがひそひそと耳打ちし、ステリアはぎこちなく口を開いた。


「す、ステリア。と、いいます……」


「ステリアさん……素敵な名前だ」


会長は熱っぽい視線のまま膝間づき、ステリアの手をぎゅっと握った。


「ステリアさん、今夜どうか、ワシと食事にでも行ってやってくれませんか」


「い、いやだ……」


(こ、コラ!嘘でもいいから、ここはハイって言っときなさい!)


「う……は、は、は……」


「ほら会長!口説くならこの後にしてください。みなさん待ってるんですから」


「ちぇっ。レスちゃんは相変わらずお堅いなぁ。ごめんねステリアさん、ワシちょっと用があるから。すぐに戻ってくるからね、その後ご飯に行こうね!」


「は、はい……(喜んで、よ!)よ、よろこんで……」


ステリアがこの上なくぎこちない笑みを浮かべると、三代目は名残惜しそうに手を離した。


「……私、これが終わったらすぐ帰るから」


「……まぁ、今回に関しては協力するわ。あたしの責任も、ちょっとはあるし……」


「ちょっと?」


「……だいぶん。しょうがないじゃない、ああでも言うしかなかったでしょ!」


「しーっ!二人とも、会長に聞こえますよ!」


会長はなおも未練がましくステリアを見つめていたが、やがて視線を逸らして、俺のほうを見た。


「……あーっと、レスちゃんレスちゃん」


「はい?どうしましたか。もう五分ほどで年を越しますよ?」


「いやぁ悪いね、ちっと忘れ物しちゃった。ちょっくら取ってくるから。大丈夫、五分で戻るよ」


「は!?いや、五分じゃ間に合わないです……」


「おーい、そこの。カキっつったっけか?」


会長は、俺を指さしてちょいちょいと手招きした。俺はカキではないが、俺を呼んでいることは確かなようだ。


「わりぃな、ちっとばかし付き合ってくれや」


三代目はちっとも悪びれずに言った。ステリアがああ答えた手前、俺が言えるのはこれだけだった。


「はい、よろこんで……」


俺はすっと立ち上がると、三代目と共に部屋をよこぎった。キリーたちが心配そうにこちらをうかがっているのが見えたが、今は三代目に従うしかない。

三代目は部屋を少し出たところで立ち止まり、おもむろにタバコに火をつけた。


「……三代目?忘れ物と言うのは?」


「あん?バカだなお前、あんなん建前に決まってるだろ」


「え……では、どうして」


「いやなに、お前さんと少し話してみたかったのよ。平然と本家の後ろ楯を要求しやがる、ふてぶてしい男はいったいどんなやつなんだろうってな」


「その節は、大変ご迷惑を……」


「へへっ冗談だよ。だがお前を見てると、かつてメイダロッカの組長だった、あの男を思い出す」


あの男?先代のことか……?


「あの男もそうだった。恐れを知らず、自分の利益のために無茶なことばかり言いやがって、そのくせそれを全部とおしちまう。いけすかねぇ男だったよ」


三代目はふーっと煙を吐き出した。


「お前さんは、あいつによく似てる。まるで生まれ変わりかなにかみてぇだ」


「生まれ変わり……」


「ま、そいつも冗談だけどな」


三代目はにっと笑うと、タバコを揉み消した。


「あの男は気に入らなかったが、優秀だったことは事実だ。田舎で燻らせておくには惜しいやつだったよ。お前さんにも、期待してるんだぜ?」


「は、はぁ……」


どういうことだ?三代目はそれを言うためにわざわざ、あそこを抜け出してきたのだろうか。


「しっかし、相変わらずあの組は美人揃いだな!さっきいた銀色の彼女、ほんっとにきれいだったなぁ。おい、後で絶対紹介しろよな!」


「は、はい……」


ま、まさか、こっちが本題ってことはないよな……俺を取り入れて、ステリアと仲良くなろうっていう……


「あ、ありうる……」


このジジィ、どこまですちゃらかなんだ。俺は“この後”のことを思うと、頭が痛くなる思いだった。


だが、結果から言って。


その時が来ることは、今後、二度となかった。


続く


《投稿遅れ申し訳ございません。次回は木曜日投稿予定です》

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