第33話/Thunder


波止場には荒波が打ち付け、激しい水しぶきが上がっていた。このわずかな間に、天気は一気に悪化していた 。


「ニゾー……約束通り来てやったぞ!」


俺が叫ぶと、波止場に佇む影がゆっくりこちらへ振り向いた。


「……やっぱ生きてやがったか。ま、あいつらじゃ相手になんねえだろうな」


「なに?」


「はなっからオメェらを仕留められるとは思っちゃねえよ。ま、少しでも弱らせれば御の字っつう、削りがあいつらの仕事だ」


「……同じ組員に、ずいぶん冷徹なんだな」


「んなもん関係ねぇよ。最後に俺が勝ちゃ、一家全員が幸せなのさ」


ニゾーは尖った歯をむき出しにして笑った。ウィローがゆっくりと鉄パイプを構える。


「……あいにくですが、私たちも負けるわけにはいきません。一対一サシの勝負でなくて申し訳ないですが、卑怯だとは思わないでください」



「はっ、んなこと言わねえよ。ヤクザのケンカに、ルールもクソもあるわけねぇ」


ニゾーもまた拳を構える。その瞬間、辺りが真っ白に染め上がり、次に轟音が辺りに轟いた。落雷だ。まるでニゾーが雷を呼んでいるみたいだ。


「さぁ、始めるとするか。ここで最後に立っていたヤツが、正解であり、真実だ」


ニゾーの体から、白いオーラが溢れだす。その背に浮かぶのは、しなやかな姿の獣。あれが……


「雷獣……」


「ユキ!呑まれちゃだめですよ!」


「っ、おう!」


吹き荒れる風が、一瞬だけ静かになった。海も雨も、この時だけは息をひそめているようだ。これが、嵐の前の静けさか。


「いくぞおぉぉぉ!」


「うおぉぉぉ!」


「はあぁぁぁ!」


俺とウィローは、同時にニゾーに殴りかかった。だが信じられないことに、ニゾーはそれぞれの手で、俺たちの攻撃を受け止めた。ばかな、片手で唐獅子を防いだのか!?

ニゾーは素早く俺たちを払うと、鋭い蹴りを繰り出した。慌てて後ろに飛び退く。


「あいつの刺青、どうなってるんだ?俺と同じ、怪力系の力かな」


俺は、同じく飛びすさったウィローに問いかける。


「いえ、さっきヤツは、私たちの攻撃を正面から受けたのではなく、最小限の力で“いなし”たんです」


「なんだって?」


「肉体強化もあるでしょうが、おそらく感覚テクニック系……格闘センスにずばぬけた能力かと」


テクニック……脳味噌筋肉の俺とは真逆だ。


「相談はすんだか?なら次はこっちの番だな」


ニゾーはポケットに手を突っ込んだまま、散歩でもするようにこちらへ歩いてくる。


「くっそ、余裕かましやがって……」


「ユキ、冷静にいきましょう。ヤツも耐久性は並のはず。一発でも当てればこちらの勝ちです」


確かにそうだ。俺の武器は全身だから、どこか一部でもかすりでもすればいいこちらのほうが、圧倒的に有利じゃないか。


「ようし……」


俺たちもジリジリと間合いを詰める。あと数歩でお互いの攻撃範囲だ……

その瞬間、ドンッと踏み込んで、ニゾーが突撃してきた!だがウィローはそれを見切っていた。鉄パイプをカウンター気味に振りかぶる。

コォン!

ニゾーは腕でパイプを弾いた。しかしこれもウィローの想定内だ。ウィローは弾かれた勢いのまま、くるりと回転して二撃目を打ち込んだ。ニゾーはまたも腕でガードしたが、さすがに足が止まった。


「うおぉ!」


俺はがむしゃらに掴みかかる。ニゾーがそれを受けようと身構えるが、それが命取りだ。

ドガン!

俺とニゾーは互いの掌を付き合わせて、ギリギリと睨みあった。かかったな、単純な力勝負に持ち込めばこっちのもんだ。俺は両腕に紅いオーラをゴゥと纏った。

だが……ニゾーは倒れない。それどころか、俺を押し返しているようにも感じる。くるりと腕を捻られると、俺はあっけないほど簡単に投げ飛ばされた。宙に浮かぶ俺に、ニゾーは追撃の蹴りを喰らわせた。


「うわあぁ!」


俺はぶっ飛び、アスファルトをゴロゴロ転がった。


「ユキ!」


ウィローが駆け寄ってくる。俺はむくりと起き上がった。


「大丈夫だ、まだいける。だが……ヤツの力、どうなってるんだ」


「……私は、思い違いをしていたのかもしれません。ヤツは感覚系ですが、同時に筋力も備えている……!」


どちらの力も……ヤツに死角はないのか?


「やはり……彼は強敵ですね。ユキ、私も『七分咲』までギアを上げます。その間、手は出さないでもらえますか」


え?俺は以前、チャックラック組と闘った際の、疲れ切ったウィローの姿を思い出した。あの時は五分咲と言っていたが、そのさらに上をいくつもりなのか?


「ウィロー、平気なのか?それに手を出すなって……」


「そうですね、結論だけ言えば、だいじょばないです。七分咲きになると、私も制御がきかなくって。あなたのことも巻き込んでしまうかもしれないので、下がっていてほしいんです」


「その後はどうなんだ?」


「その後は、まぁ知っての通り……おそらく、自分で立つこともできないでしょう。どちらが勝つにせよ、勝敗が決する頃には、私はぶっ倒れてるはずです。そうなるとユキ、あなたに頼るほかありません」


「……わかった。そこからが、俺の仕事だな。任せてくれ」


「ありがとうございます。では……いきます!」


ウィローが目を閉じると、青いオーラはふっと掻き消えた。代わりに背中の刺青がキラキラと輝きだす。浮かび上がった孔雀の文様は、大きく翼を広げた姿へと書き換わっていった。


「ふっ!」


ウィローがカッと目を見開くと、ぶわっと青い燐光が辺りに舞い踊った。その光の量は、今まで見たどんな時よりも多い。


「ほぉ。今度はお前が相手か?」


ニゾーは余裕綽々といった様子だ。


「ええ。お相手願います」


カチャリ。ウィローは剣を構えるように、鉄パイプを両手で握った。


「っせいやあ!」


ウィローが仕掛けた!バットを振るような、目にも止まらぬフルスイングだ。

ドシィ!

ニゾーは片腕でそれを受けた。すかざず、もう片方の手をウィローの両目に突き立てる。

間一髪、ウィローはバク転してそれをかわした。ハンドスプリングで起き上がると、再びパイプで殴りかかる。

ニゾーはまたも腕でガードの姿勢をとった。だがウィローは、これを見切っていた。下から上へ、ガードをかち上げるようにパイプを振り抜くと、二撃目でニゾーの横っ面を思い切りひっぱたいた。

バシーン!


「ぐっ……」


ニゾーはさすがに少し吹っ飛んだが、その勢いのまま左脚を軸にして、回し蹴りを繰り出した。ウィローがさっき見せた技と、そっくり同じ動きだ。


なんていう応酬だ……人間技じゃないぞ。ウィローの放つ青い閃光と、ニゾーの纏う白いオーラとが複雑に入り乱れ、目がチカチカする。


ドシィ!

ニゾーがぶっ飛び、ひっくり返った。ウィローがガードされることを承知で、腕ごと吹っ飛ばしたんだ。じりじりとではあるが、ウィローは確実にニゾーを押していた。


「へっ……なかなかやるじゃねえか」


ぺっ、と血を吐き出してニゾーが笑った。


「余裕をかましてられるのも、今のうちです」


ウィローも息は上がっているが、パイプを握る手を緩めることはない。


「余裕なんかねえさ。これでも俺は本気なんだ。ああ……久びさに、ゾクゾクするほど本気でケンカしてる……!」


ニゾーは目を剥いて笑う。狂喜の表情だ。


「これほど腕が立つやつは久しぶりだ。お前は実に優等生だよ」


「……お褒めに預かり、光栄ですね」


「だから、残念だ……もうそれも終わりだなんてな」


「なんですって?」


終わり?どういう……

その時、視界の端に動く影があった。あれは……!


「ウィロー!気を付けろ!」


「え……」


ドスッ。

黒い影が、ウィローと重なった。そいつが離れると、ウィローはガクリと膝から崩れ落ちた。


「ウィロー!てめえ、離れろ!」


俺は黒いフードを被った男を、思いきり殴り飛ばした。 男はぶっ飛んで堤防を乗り越え、夜の海に消える。


「ウィロー!大丈夫か!」


「くぅ……」


ウィローのシャツが、鮮血に染まっていく。彼女のわき腹には、ナイフが突き立てられていた。


「二人がかりだからって、卑怯だと思うなよ?ルールなんざ、はなっから無いんだからな」


ニゾーが冷たく言い放つ。


「くそっ!待ってろウィロー、今すぐ事務所に……」


俺はニゾーを無視して、ウィローを抱き起そうとした。今は彼女の無事が最優先だ。


「このまま。無事に返すと思ってんのか?」


ニゾーの一言に、俺は動きを止めた。


「もしこの場で俺に背を向けてみろ。てめぇら二人とも、まとめて殺してやる。ハッタリだと思うか?」


ニゾーの目は、本気だった。くっ……仮にヤツの言葉がハッタリだったとしても、またどこかに伏兵がいないとも限らない。


「ユキ……私なら大丈夫です……」


「ウィロー、バカ言うな!刺されたんだぞ!」


「幸い、得物は抜かれていません……傷も浅いです」


そういう彼女の顔からは、みるみる血の気が失せていく。どう考えても軽い怪我ではない。


「ユキ、闘ってください……キリーたちを、危険にさらすわけには……」


そこまで言うと、ウィローは激しくせき込んだ。ここで俺たちが退けば、ニゾーを阻む者はいなくなる。そうすればみんなの待つ事務所は……


「おめぇさんよ。こうしてる間にも、ソイツはどんどん弱ってくぞ。早く決めてやるのが、ソイツのためなんじゃねぇのか?」


「ユキ……」


「……くそったれ!」


ドコン!

地面を思い切り殴ると、アスファルトにヒビが入った。

俺はジャケットをウィローにかぶせると、立ちはだかるニゾーに向き直った。


「やる気になったみてぇだな。え?」


「時間が無い。御託はいいからかかってこい!」


「……上等だ!」


ズドン!

肉と肉、骨と骨がぶつかり合う。俺は薙ぎ払うように、右手を振り回した。ウィローの時と違って、ヤツは真正面からガードしようとはしない。腕で軽く弾き、受け流すように身をかわす。


「ぐおっ」


バキッ。

アッパーが俺のあごに炸裂した。一瞬視界がぶっ飛んだが、強引に足を振り上げる。


「ぐっ……」


蹴りは追撃しようとしていた、ニゾーの腹に命中した。

俺たちはギリッと睨み合うと、再び拳を交えた。ニゾーは巧みに俺の攻撃を捌き、カウンターを決めてくる。俺は唐獅子の頑丈さに任せてそれを受け、強引に反撃をくり出していった。骨を切らせて肉を絶つ戦法だ。必然的にどつかれる数は増えるが、沸き立つ血が俺に痛みを忘れさせた。


「ぐあぁ!」


ニゾーの拳が、俺の右目に直撃した。視界がまっ白になったかと思うと、真っ黒に染まった。くぅ……唐獅子の防御が及ばない、急所を狙われた。まぶたを無理矢理開いたが、景色はぼやけ、歪んでいる。


「はっ……次は左を潰してやる」


「くっ……!」


ニゾーが迫ってくるが、その姿は二重にぶれて映る。くそ、距離感がむちゃくちゃだ。ニゾーの猛攻を、俺は防ぐことしかできなかった。


「くそぉ!」


がむしゃらに腕を振り回しても、すべてヤツの腕に防がれてしまう。あの腕が……腕?そうだ、ヤツはガードする時、必ず腕で攻撃を受けている。かわす必要がないんだ、自分のスキルですべていなしてしまえるから……


「ぐはっ!」


ニゾーに蹴り飛ばされ、俺は堤防の壁に叩きつけられた。呼吸が一瞬止まる。


「次で殺してやる……安心しろ、すぐに連れも送ってやるからよ」


ニゾーが一歩ずつ近づいてくる。くっ……チャンスは一度きり、今しか機会はない!


「はあぁ!」


俺はニゾーに殴りかかった。体重も乗っていない、ひ弱なパンチだ。ニゾーは呆れた表情で、俺の拳を受け止めようとした。

今だ!

俺はガードしようとしたその腕を、むんずと掴んだ。


「な、なにっ」


俺は手に力をみなぎらせた。紅いオーラが手からあふれ出る。


「おぉぉらあぁぁ!」


腕を掴んだまま、俺はニゾーを地面に叩きつけた。


「がはっ」


ニゾーの口から血飛沫が飛んだ。やったか……?

だがヤツは悶えながらも、俺の足めがけて蹴りを繰り出してきた。引く気は全くないらしい。

なら、ここで決めてやる!俺は紅く染まった両手を握り合わせて、高々と振り上げた。


「沈めえっ!」


ハンマーを振るうかのように、俺は振り上げた拳を打ち下ろした。

ズドン!


「ぐぼぁっ……」


俺はニゾーを、渾身の力でぶっ潰した。紅い衝撃波はニゾーを貫き、アスファルトに放射状のヒビが走らせる。

ニゾーは地面に倒れ伏したまま、動かなくなった。


「はぁ、はぁ……勝った……のか?」


思わず足から力が抜けそうになったが、休憩している暇はない。俺は急いでウィローのもとへと駆け寄った。


「ウィロー!終わったぞ、もうひと踏ん張りだ!」


「ユキ、やりましたね……私なら大丈夫です、ゴホッ」


「無理するな、身体も冷え切ってるじゃないか」


「平気です……ゴホ。いつの間にやら、雨も止みましたから」


あれ、そういえば……あれほど激しかった雷雨が嘘のように、今は穏やかな夜が広がっていた。雲の切れ間からは、時々月が顔をのぞかせている。


バシャリ。


だがその時、背後から濡れた地面を踏みしめる音がした。


続く


《次回は木曜日投稿予定です》

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