第20話/Provocation
カラン。汗をかいたグラスから、氷のぶつかる音がする。別になんてことないが、今の俺には、それにすら居心地の悪さを感じてしまう。まるでさっさと飲んで出ていけ、と言われてるような……
「ハァイ。こんばんは、お兄さん」
「へ?」
急に話しかけられ、ネガティブに沈んでいだ意識が、急速に浮上した。話しかけてきたのは、バニースーツの女だ。あれ、この顔はどこかで……
「ああ、きみは。確かこのあいだ、世話になった」
「うふふ、覚えててくれたのね。嬉しいわ」
バニーは艶やかに微笑んだ。
俺は今、プラムドンナの片隅の席に、一人で座っていた。彼女はこの前、アプリコットへの伝言を頼んだバニーガールだ。けど、何の用だろう。今日の俺は、客として来たわけではなく……
「お酒、嫌いだった?」
「ん?いや、そういうわけじゃないよ。ただ、今は仕事中だから」
そう。今の俺は、用心棒のシノギ中なのだ。店員が気を使って出してくれた一杯にも、そういう理由で手を着けてなかった。
「ぷっ、あはは!マジメねぇ~、それくらいならどうってことないでしょうに」
……俺は返事の代わりに、ため息で返した。確かにその通りだったからな。
あのケンカ以来、チャックラック組は目立った動きをしなくなっていた。おかげで、風俗街での揉め事は激減してしまった。さらに、もともと自衛意識の高い獣人の店では、ちょっとしたトラブル程度なら自力で解決してしまう。結果として、俺たちの存在意義はずいぶん薄いものになってしまったのだ。
「ゴメンね、気に障った?」
バニーはおどけたようにチロッと舌を出した。
「いや、かまわないよ。それに……“あんなこと”言われちゃあ、な」
「まぁ、そうよね。けどしょうがないわよ、アタシだってそう簡単には慣れないもの」
「はぁ……覚悟はしてたつもりだったんだが……」
俺はあのケンカの後、アプリコットが店の獣人たちに語ったことを思い出していた。
「……というわけよ。今日限りで、あたしはボスの座を降りる。これからはこの、メイダロッカ組に従って欲しいの。みんな納得いかないと思うけど、あたしの最後のわがままよ。お願いみんな、どうか……」
そう言って、アプリコットは深々と頭を下げた。
ごくり。獣人たちは勝手な決定に怒るだろうか、反発するだろうか……
その時、一人の獣人が前へ進み出た。あれは、俺たちを案内した、蛇のようなボーイだ。
「頭を上げてください、ボス。あなたが私達を必死に守ってくれていたこと、知らない者はいません」
ボーイの言葉に、アプリコットは驚いて顔をあげた。
「あんたたち、知ってたの……?」
「はい。申し訳ございません。あなたが傷ついているのを知りながら、私達は何もできなかった。謝らなければいけないのは、我々のほうです」
そう言うと、ボーイは腰を直角に曲げて謝った。
そのボーイの後ろから、兎耳のバニーガールが前に進み出る。以前出会った、ウェイトレスのバニーだ。
「ごめんなさい、ボス……あたしたち、何度も話し合ったの。けどボスが黙ってるんだから、気づかないままにしてあげようって……けど結局、あたしたち、自分がかわいかっただけだわ。本当にごめんなさい」
バニーもこうべを垂れると、他の獣人も一斉に頭を下げた。
やっぱりか。俺は獣人たちもまた、アプリコットのことを憂いていると読んでいた。いくら化粧やドレスで隠しても、全身の傷跡が隠せるはずがない。みなもうすうす感ずいていたんだろう。だから今回の騒動でアプリコットの犠牲が明るみに出れば、きっと獣人たちから進んで協力してくれると睨んだのだ。
「そっか……結局、何もかもバレてたのね」
「弁解のしようもございません。貴女の気高い決意に、私たちは見て見ぬふりをすることでしかできなかった……」
「ううん。あたしが独りよがりに突っ走っちゃったのよ。あんたたちに非はないわ」
「ボス……」
ボーイは細い目をさらに細め、バニーは目を潤ませている。
「けどね、みんな。今回のでチャックラック組とケンカになっちゃった以上、あたしはもう奴らと顔が利かないわ。いちおう、プラムドンナは無関係ってことになってるけど……もしまたチャックラックが乗り込んで来たら、もう奴らを抑えることはできないわ。だから……」
「……だから、メイダロッカ組と手を組んでほしい。そういうことですよね」
ボーイがアプリコットの言葉を継いだ。
「ええ、そうよ。こいつらも所詮はヤクザだし、みんないけ好かないのはわかってる……けど、少なくともチャックラック組よりか
俺たちの散々な言われように、ウィローは目をむいて食い掛かりかけたが、スーが必死になって口をふさいだ。
「あたしもメイダロッカに籍を移す。だからってわけじゃないけど……みんな、どうかしら」
「はい。わかりました」
二つ返事したボーイの言葉に、アプリコットは目を丸くした。
「私達は、たとえ地位や立場が変わろうとも、貴女について行きます。いいえ、ついて行かせてください」
「そうだ!」
「ボス!一緒に行かせてください!」
ボーイの言葉に、他の獣人たちも口々に賛成の意を示した。
「あんたたち……いいの?」
「もちろん。貴女は私たち獣人の“
もう堪えきれないというように、獣人たちはわっとアプリコットを取り囲んだ。みな彼女の手を取って熱烈な握手をしたり、感極まって抱きしめたりしている。
「ボス!一生ついて行きます!」
「わたし、ボスのためならなんだってします!」
「きゃー!ちょっと、もう!髪が乱れるじゃない!」
もみくちゃにされるアプリコットは、ギャーギャーわめきながらも、どこか嬉しそうだった。
「……さて、少しよろしいでしょうか?」
「ん?あれ、あんたは……」
俺に話しかけてきたのは、騒ぎを抜けてきた蛇のボーイだ。
「お目に掛かるのは二度目でございますね。わたくし、プラムドンナにてボーイを勤めさせて頂いています。キノ、と申します」
「あ、あぁ……」
キノ、と名乗ったボーイはきっちりと礼をした。な、なんの用だろう?
「差し出がましいようですが、失礼を承知の上で、申し上げさせていただきます。というのも、わたくしたちが忠誠を誓うのは、あくまでアプリコット様その人である、ということを留意しておいてほしいのです」
なんだって。それはつまり……?
「俺たちとは、赤の他人、ってことか?」
「少し違います。あなた方は、“アプリコット様”のお知り合いである、ということです。あなた方がアプリコット様と親密な関係である限り、私たちにとっても、あなた方はよきパートナーです」
……なるほど。つまり俺たちがアプリコットを仲間として大切にしなければ、獣人も黙っていない、というわけだ。
「ああ、わかった。俺たちにとっても、彼女は大事だよ」
「有難う御座います。それと、これはわたくし共の総意ではございます。が、中には急な変化を受け入れ難い者もいるということは、なにとぞご了承いただきたく存じます」
「……ああ。それもわかってるつもりだ」
「はい。それでは、組長さんにもよろしく」
キノはそれだけ言い残すと、スタスタ去っていった。
「くそ、食えないやつだ……」
「あれ、ユキ?なに話してたの?」
キリーがきょとんとした顔でたずねる。
「ああ。忠告と、警告かな。あの野郎、キリーに直接言いにくいからって、俺んとこにきたんだろう」
「へ?」
アプリコットの言うことだから従うが、ヤクザと手を組む気はさらさらないぞ。キノの言いたいことは、かみ砕くとそういうことだ。
なにぶん、急な話だったからな。獣人からしたら、今まで自分たちを虐げてきたヤクザと、今度は協力関係になれというのだから。抵抗があるのも当然だろう。しかし……
「こうも露骨だと、こたえるな……」
獣人たちは表面上では従順だったが、その態度はぎこちなさが丸出しで、明らかに警戒されていた。おまけに、俺たちは最近めっきり活躍できていないときた。その居心地の悪さといったら……
「まぁまぁ、元気出してよ。いちお、アタシは応援してるのよ?ちょっと強引だったけど、アタシはお兄さんたちのほうがよっぽど好きだもの」
バニーはぱちりとウィンクした。
「きみは、俺たちとつるむのに抵抗はなかったのか?」
「うーん、というか、チャックラックが嫌いだったのよ。アタシの母親は、あいつらの管轄の店でこき使われた挙句、病気で死んじゃったから。生きるためだから働いてるけど、ボスの店じゃなきゃあいつらに従うなんて無理ね」
そう、だったのか。このバニーにそんな過去が。
「……すまない」
「ううん。けど……ねぇ、もしよかったら、一つお願い聞いてくれる?」
「ん、なんだ?」
「アタシの母には、もう一人娘がいたの。ずっと小さいころに離れ離れになって以来、一度も会ってないんだけど……」
「つまりきみの妹、か」
「うん。顔も名前も覚えてないんだけどね」
「その妹を、探してほしい?」
「ビンゴ!お兄さん、さすがよ。もしアタシを探してるって娘に会ったら、ココのことを教えてあげてほしいの」
「それくらいなら、お安い御用だが。えっと……」
そういえば、このバニーの名前を聞いてなかったことに気付いた。
「レット、よ」
「レットか、わかった。俺は……」
「ユキさん、でしょ?今度遊びに来たらぜひ呼んで頂戴。うんとサービスしちゃうから」
「え、あ、おう」
「うふふ。じゃあね、ユキお兄さん?」
レットはあの時と同じように、俺に投げキッスを一つよこして、テーブルの合間へと戻っていった。
「……名前、知ってたのかよ」
どこで知ったのかは分からないが、俺が名前を聞くまで、あえて知らないふりをしていたな。それはここで生きるためのテクニックなのか、はたまた単なるいたずら心か。
俺は去っていく彼女の後姿を見て、思わずコップをぐいと傾けたのだった。
プラムドンナからの帰り道、俺は少し寄り道をしていた。レットの話を聞いたからではないが、ルゥの様子を見に行こうと思ったのだ。あれから忙しくてなかなか機会がなかったが、俺は彼女に、その……ずいぶん酷いことをしてしまったからな。責任も感じる。
あそこは風俗街でも外れのほうだが、俺たちのシノギの範囲であることは間違いない。もしまたルゥがひどい目に遭っていたら、その時は“店の協力者”として、口を挟ませてもらおう。
ところが。
十分後、俺はあの店があった、地下への入口に立っていた。いや、立ち尽くしていた。
「なくなってる……」
店は、跡形もなくなっていた。扉の横に張られていた表札、そのはがされた跡だけが、わずかに残されているのみだ。がらんどうの店内を見て、俺はただ茫然とするしかなかった。
ルゥは?あの店主は?他の獣人たちはどこへ行ったのだろう?
「くそっ!もっと早く来るべきだったか……」
しかし、あれからそこまで日は経ってない。急に店が立ち行かなくなったのか?みなそれぞれ、次の仕事場へと移っていっただけならいいのだが。
そして、あの少女は……うまくやれているだろうか。またどこかで泣いてはしないか……
ただ祈るしかできない歯がゆさに、俺は壁を思いっきり殴りつけた。だが刺青なしの力では、拳が痛むばかりだった。
日付けが変わってしばらく経った頃、俺は事務所へ戻ってきた。
「いま戻った……」
「ん……なによ。辛気くさい顔して」
ソファにはアプリコットが腰かけていた。テーブルにノートが広がっているから、何か書きものをしていたらしい。
「アプリコット、まだ起きてたのか。何してるんだ?」
「帳簿を付けてるの。ほっといたら誰もやらないんだもの、びっくりしちゃったわ」
ああ、そういえば……俺も見たことがないな。ウィローが金庫番だったから、それに任せっきりだった。
「こんなずさんな経営で、よく今までもってたわよ。あの子たち、ホントにやり方分かってるの?」
「は、ははは……」
たぶん、知らないだろうなぁ……
「……まぁいいわ。それより、あんた。何かあったの?」
「え?」
俺はキョトンとしてアプリコットを見つめた。
「なんか……元気なさそうだったじゃない。もしかしたら、なにか言われたのかなって。ほら、あんた今日、ウチの店が担当だったでしょ」
「ああいや、そういうわけではないんだ。ただ……」
ルゥのことを話せば、怒られるかもしれないな。だが今夜は、誰かに話しを聞いてもらいたい気分だった。もしかしたら、心の底で断罪を望んでいたのかもしれない。
俺は、ぽつぽつと今夜の出来事を語り出していた。
「ふぅん……それで落ち込んでたのね」
「ああ……情けない話だろ」
「そうね。けど正直、よくある話で片付けられる自分がいるのも、事実だわ」
え?戸惑う俺を尻目に、アプリコットは深々と溜息を吐いた。
「もう知ってるとは思うけど、この町で生きる獣人は大変だわ。よそに比べれば、まだマシなほうだけど」
まだマシ……それは、この町以外では、もっと過酷な環境で生きる獣人もいる、ということだろうか。
「でもだからこそ、その子も案外けろっとしてるかもしれないわ。店主が夜逃げなんてしょっちゅうだもの。きっとその子も、どうにか生き抜いてるわよ」
「だといいんだが……」
「もう、分かりもしないこと心配しても、しょうがないでしょ。その子が死んだって確証はないんだから。いい方に考えなきゃ、その子がかわいそうだわ」
「……そう、かもしれないな」
「さてね。けど一つ言えるのは、そうやって割り切っていかないと、いずれアンタが潰れるわよ」
「……」
「じゃ、あたしはもう寝るわ。あんたも早く休みなさいよ」
アプリコットはさっさとノートを片付けると、事務所の奥へと消えていった。彼女はあのアパートから、俺たちと同じ事務所の空き部屋へと居を移していた。まぁもともと住んでいたかも怪しい家だったから、引っ越しも楽なものだった。
「……そうだよな」
今はとにかく、目の前のことを頑張るしかない。シノギを成功させて、組を建て直す。いつか彼女に出会った時、今度こそ手を差し伸べられるように。
「よし!」
気合いも入って、決意新たに俺は……
「……寝るか」
……タイミングが、悪かった。
それは、翌日の朝の出来事だった。
スーは早朝からキッチンに立っていた。
「スー?ずいぶん早いな」
「あ……ユキ、くん」
スーはおずおずとではあるが、おはようと挨拶を返した。チャックラック組との喧嘩以来、スーは少しだけ俺に笑顔を見せてくれるようになった。組の一員としてちょっとは認めてくれたらしい。
「何してるんだ?」
キッチンでやる事なんて分かりきってはいる。が、ウチの組のキッチンは普通じゃないからなぁ。狭い廊下に埋もれるようなそこは、未だしまわれないマグカップがいくつもの塔を形成していた。
「あの、少しは片付けをしようと思って。メンバーも増えたし、そろそろご飯を作りたいから」
「スー、料理できるのか」
「そんなにでもないけど……食べれないものは出さないよ」
食べれないもの……?もしかして、フライパンやまな板よりかマシってレベルじゃないだろうな。
「……ユキくん、何か失礼なこと考えてる」
「へっ!?いや、あはは。そんなことは……」
俺が慌ててごまかした、その時だ。
パァン!パンパン!ガシャーン!
「きゃあー!?」
「っ!スー、ふせろ!」
俺はスーを引き寄せると、床に倒れこんだ。何かが割れる音と、軽快な破裂音。これは……
「発砲……
「ひっ……」
折り重なるように伏せた俺の下で、スーが怯えたように身をすくませる。クソッ!何かは知らないが、この子を守らなくては……!
ところがどれだけ経っても、最初の銃声以外、新たに聞こえる音はなかった。
「ユキー、スー!大事ないですかー!」
玄関のほうから聞こえてきたのは、ウィローの大声だ。
「ウィロー、無事か!ああ、こっちも大丈夫だー!」
「そうですかー!こちらも問題ありませんので、来てくださーい」
なんだ、よかった。ウィローの声を聞くに、大した感じではなさそうだな。銃声がしたのは向こうからだったが……
「……ゆ、ユキくん。くく、くるしいよぅ」
「あ、悪いスー。大丈夫か?」
身を固くするあまり、スーを潰してしまっていた。スーは俺の下から這い出ると、ポンポンとホコリを払った。
「ふ、ふぅ。びっくりした……」
そういうスーは、意外に落ち着いて見えるが……かたくなに俺と目を合わせようとしない。
「スー?」
「なっなに!?」
スーがびくりと身を縮める。あっしまった。スーは男が苦手だったんだ。俺はわたわたとスーから離れた。
「すまない、スー。気が回らなかった」
「う、ううん!わたしこそごめんね。分かってはいるんだけど……」
そう言ってスーは、大きく深呼吸した。スーの顔に血の気がないのは、さっきの銃声で動転しただけではないだろう。俺はなんだかいたたまれなくなってしまった。
「あー、すみませんが。そろそろよろしいですか?」
振り返ると、気まずそうな様子のウィローが背後に立っていた。
「とりあえず、こっちに来てくれませんか。なにがあったか説明しますから」
「う、うん!今行くね、ウィローちゃん」
そう言うと、スーはパタパタと小走りでキッチンを出て行ってしまった。後には俺とウィローだけが残される。
「……まったく、スーはまだあの調子なのですね」
ウィローが呆れたようにため息をつく。
「スーの、男嫌いのことか?」
「嫌いと言うか、恐怖症ですね。彼女は昔、乱暴されかけたらしいんですよ。それがトラウマで今もああなんです」
え……乱、暴?それって……
絶句している俺を見て、ウィローはなんてことなさそうに首を振った。
「カタギならともかく、裏社会じゃよくある話です。そんなチンケな男のことをいつまでも引きずってると言うのは、正直理解に苦しみますよ」
「それは……」
言い過ぎじゃないのか。そうは思ったが、果たして俺がいったい何を言えるのか。スーのこともウィローのことも、俺はまだ何も知らない。そう思うと、二の句が継げなかった。
「さ、雑談はこれくらいにしましょう。皆が待ってます」
ウィローは話を切り上げ、さっさと行ってしまった……仕方ない、俺も彼女の後を追おう。
後に付いていくまま、俺たちは玄関へ向かった。そこにはみんなが集まって……あれ、違うな。キリーだけいないぞ。
「ウィロー、キリーは?」
「あぁ、キリーなら……奥で横になってます」
「え!?おい、キリーになにかあったのか!」
「あっ、違います違います。ケガひとつしてませんよ。ただ……」
ウィローは何かを考えるように言い淀んだ。まるでどこまで言っていいものか、言葉を選んでいるようだ。
「その、具合が悪いというか……体調が優れないようなので、今は休んでいるんです」
「そう、なのか……?」
昨日のキリーは至って元気だった。それが今朝になって、それも今、体調を崩した?
いぶかしげな俺を見て、アプリコットがパンパンと手を叩いた。
「ユキ!知らないなら教えてあげるけど、女の子には月に一回調子が悪くなる日があんの。そこんとこ、もっと詳しく教えてほしい?」
ぐっ。ずるいな。そう言われたら何も言えないじゃないか。
「それよりも。今はこっちのほうが重要じゃなくて?」
そう言うとアプリコットは、玄関扉を指差した。
「これがさっきの音の原因よ。ほら」
扉にはめ込まれたガラスが割れ、床に散らばっている。これが割られた音だったのか。けど、ならどうして……
「どうして、銃でガラスなんか撃ったんだろ?」
スーが不思議そうに首をかしげる。するとウィローがふるふる首を振った。
「あれは銃声ではありません。これを見てください」
そう言ってウィローが差し出した手には、花火の燃えカスのような何かが……
「これ、爆竹か?」
「ええ。そして、こっちがガラスを割った犯人です」
もう片方の手にあったのは、握りこぶしほどの石ころだった。
「な、なんだ……ずいぶん手の込んだイタズラだな?」
「そうですね。わざわざヤクザの事務所にカチコんだように見せかける、ずいぶんふざけたイタズラです」
「いくらなんでも限度ってものがあるでしょ。こんなのメーター振り切ってるわよ!」
アプリコットは苛立たしげに、耳をピクピクさせている。
「いったい何が目的なのかしら!逃げ足の早いヤツだったみたいだけど」
「姿を見たのか?」
「あたしは見てない。けどこいつが……」
アプリコットがウィローの方へ顔を向ける。だが当のウィローは、ぼんやりと扉を見つめていた。
「ウィロー?」
「え?あぁ、すみません。聞いてませんでした」
心ここにあらずといった様子のウィロー。珍しいな、彼女に限って。
「ウィロー、何か気になるのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
ウィローはやんわりとごまかしたが、それを意外な人が否定した。
「ウィローちゃん、なにか隠してるでしょ」
「スー?何を言って……」
スーは確かな確信を持った口ぶりで言った。なんだか、いつもの彼女と雰囲気が違う気がする。
「ううん。分かる。今日はカンが冴えてるんだ」
「……なるほど。“今朝”のあなたはそういう感じなんですね」
今朝の?どういう意味だろう。だがそれをたずねる前に、ウィローははぁと息をつくと、懐から一枚の紙きれを取り出した。
「仕方ないので白状しますが。コレは私が外に飛びだしたとき、扉の前に置かれていたものです。本人を捕まえることはできませんでしたが、奴が置いてったものに間違いないでしょう」
「なんだこれ……チラシ?」
それは、モノクロの粗末なチラシだった。にじんだ文字は読み取りづらかったが、それでもでかでかと書かれたタイトルだけははっきり読み取ることができた。
「獣人奴隷市、近日開催……?」
「な、なによこれ!」
アプリコットは今にも引き裂かんばかりにチラシへ掴みかかった。
「内容を見てみてください。なかなかにイカれてます」
ウィローに促されて、アプリコットは文字に目を通し始めた……が、その顔はどんどん険しくなっていく。
「……ふっざけんじゃないわよ!こんなもの!」
ビリリッ!
「ああー!?」
チラシは激昂したアプリコットによって、真っ二つにされてしまった。突然の暴挙に、俺もスーも目を点にする。
「や、破いちゃまずいんじゃ……」
「そうだぜ、アプリコット。貴重な情報源かもしれないだろ」
「うるさいうるさーい!こんなの、黙ってるほうがどうかしてるわよ!」
アプリコットは破れたチラシを、俺に投げつけた。ふわりと舞う一片をつかむ。
「……ん?」
目にとまったのは、印刷された白黒の写真だ。店内の様子を示したであろうそれには、犬のように鎖で繋がれた女性の獣人たちが写されていた。だがそのなかに一人、妙に気になる人影がある。
それは真っ白な肌の少女だった。白すぎるほど白いその少女の頭には、うさぎのような大きな耳。俺はその少女に、見覚えがあった。
「ルゥ……!」
粗い印刷のせいではっきりとは見えないが……似ている。だがこの写真を見ると、むしろ別人であってくれとさえ思ってしまった。
「どうしてルゥが?なんなんだこのチラシ……」
「読めばわかるわよ。分かりたくもないけれど」
アプリコットにうながされて、俺はチラシの文字に目を通した。
『ご主人様のお名前焼き付け加工/自分だけのペットにサインを刻もう!』
『お薬による記憶処理加工/面倒な調教、抵抗一切ナシ!』
『不要部位の解体加工/耳、尻尾など不要ならその場で……
ビシイ!
これ以上は、とても読めない。握り潰した紙片は、文字通り粉々に弾けとんだ。無意識のうちに、刺青の力を使っていたらしい。
ひらひらと舞う紙片を見て、ウィローがため息をついた。
「はぁ。こうなると思ったから、隠しておいたんですよ」
「あっ。ご、ごめんね、ウィローちゃん!わたしが余計なことしたばっかりに……」
「いいえ。いずれは伝えることですから。実はチラシのほうもまだあるんです。ほら」
ウィローはさらにひと束、チラシを取り出した。
「一枚ならともかく、これだけ多ければ確信犯でしょう。さらに言えば、ここに記載された開催場所、ぶら下がり横丁のすぐそばです。誰の仕業かは、一目瞭然ですね」
「チャックラック組か……!」
アプリコットは拳をわなわなと震わせている。
「しんっじられない……!じゃあ何?ただの嫌がらせのために、わざわざこんな小道具まで作ったの!?」
いいや。これは単なるでっちあげのビラではない。俺は、少なくともデタラメではない部分を知っている。
「……少なくとも、完全な作り物じゃない。写真に写っていた子に、見覚えがあるんだ」
アプリコットが息を呑む。
「まさか……じゃあ、ここに書かれてること……ホントにやるかもしれないってこと?」
アプリコットの顔から血の気が引いてしまった。
「くそっ!これは、俺たちへの挑戦状だ……!」
挑戦状?とみなが首をかしげる。
ちくしょう、頭が爆発しそうだ。俺は大きく息を吸うと、勤めて冷静になろうと自分に言い聞かせた。じゃないと口を開く度に、罵倒が溢れ出しそうだ。
「……今、俺たちのシノギは、動き始めたばっかりだ。あまり風俗街の賛同は得れてないが、その点、ウチにはアプリコットがいてくれる。このまま順調にいけば、風俗街の覇権を取ることだって十分に狙えるんだ」
それだけ彼女の存在は大きい。それはきっと、あの街の構図も関係しているはずだ。
「今まで見てきたが、風俗街の“ボス”への忠誠心はすこぶる固い。それはきっとプラムドンナ以外にも、獣人が働く店が沢山あるからなんじゃないか?」
俺が視線を向けると、アプリコットはこくんとうなずいた。
「そうよ。表向きには獣人ってことを隠してたり、単に下っ端としてコキ使われてたり、いろいろだけど。あたしがみんなに信じてもらえたのも、同じ獣人ってとこが大っきいと思ってるわ」
「ってことはだ。あの街を手に入れられるかは、獣人の協力を得られるかにかかってると言ってもいいんだよ。けどそんな矢先に、こんなチラシがばらまかれたらどうなる?」
事態が呑み込めたのか、スーが大きく目を見開いた。
「……そっか。今は
「そうだ。前金でみかじめ料までもらってるのに、その街でこんなふざけたパーティが開かれてると知れれば……俺ならそんな奴のこと、とても信じる気にはなれない」
そんなことになれば、今後のシノギはより一層厳しくなっていくだろう。最悪、破産だ。
「ね、ねえ。それなら大丈夫かな?もしかしたら、もう街には配られちゃってるんじゃ……」
スーが不安そうに視線をさまよわせる。だが俺は首を横に振った。
「いや、それはないはずだ。じゃなきゃ、わざわざ事前にチラシを届けるはずない。こんな“あいさつ”までしてな」
俺の意見にウィローはうなずくと、チラシを一枚手に取った。
「ということは、このチラシには何か他の意味もありそうですね。危険を冒してまで置きに来たわけですから……む」
ウィローがチラシの一文を指さした。
「ここ、見てください。営業時間のとこなんですが、夜の一時間しか開いてないことになってます」
「なるほどな。その時間に来い、って言ってるわけだ」
「ですね。行かなければコレがばら撒かれて、私達のシノギはおしまい。ですが、のこのこ行ったとしても……間違いなく、罠があるしょう」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ!」
アプリコットが上ずった声を出した。
「別にそいつらの言いなりになる必要ないじゃない!今からでもそいつらをとっちめてやればいいでしょ!」
「いや、どうだろうな。奴らには俺たちの事務所の場所も割れてる。もしかしたら、張られてるかもしれないぞ。今、この時も」
アプリコットははっとして窓の外を見る。そこにはいつもと変わらない、町並みと海があるだけだ。その静けさが、今はかえって不気味だった。
「……ちっくしょう。結局あいつらの手のひらの上ってわけね」
「そうだな。そのうえで開かれた口の中に飛び込まなきゃいけない」
「だけど、あたしは行くわよ。あんなこと書かれて、黙っていられるわけないじゃない!」
アプリコットは激しく叫んだ。きっと本物の猫だったら、今ごろ全身の毛を逆立てているだろう。
「俺も同意見だ。ただし、行くのは俺とウィローにしよう」
「なっ……なんでよ!」
「それは私も賛成です。私とユキなら、少なくともケンカに不安はないですから。あなたたちでは、単純な力勝負に不安があります」
「ああ。それもあるし、何よりみんなで飛んで火にいることもないだろ。何かあった時のために……」
「まって」
みんな、声がした方に一斉に振り返った。奥へ続く薄暗い廊下、その入り口に立っていたのは、疲れた顔をしたキリーだった。
「キリー!もう大丈夫なのか……」
「そんなことどうでもいいよ。それより、チャックラック組に行くつもりなんだね」
「あ、ああ。聞いてたのか。そのつもりだよ」
それを聞くとキリーは、乱れた前髪をばさっと掻き上げた。
「……ヤクザたるもの、組のためなら命でも賭け捨てるべし、ってね……それってさ、すっごいくだらないと思わない?」
「え?」
「死んだらそれっきりの命を、安賭けするなんてばかみたいって言ってるの」
キリーの目が、問いかけるように俺を見た。
「危険なんだよ?罠があるんだよ?それをわかってるの?扉を開けたら、目の前に銃口があるかも知れないんだよ」
「キリー……心配、してくれてるのか?」
俺が聞くと、キリーはふいっと目をそらした。
「そんなんじゃないよ。けどわたしは、組長なんだ。組が潰れるかもしれない博打はできない」
「だが、このまま指をくわえているわけにも……」
「確かにシノギに影響はある。けど、獣人たちから必ずしも信頼される必要はないよ」
キリーの言葉に、アプリコットは耳をとがらせた。
「ちょっと。今の、どういう意味?」
「別に、獣人がわたしたちを嫌ってようとかまわない。それを上回る力で頭を押さえつければ、わたしたちに従うしかなくなるでしょ」
「なっ……!そんなの、恐怖政治と同じじゃない!」
「それの何が悪いの?わたしたちはヤクザなんだよ」
「こんの……!それ以上言ってみなさい!」
とびかかろうとするアプリコットを、俺は慌てて羽交い絞めにした。
「はなしなさい!ぶん殴ってやる!」
「おい、落ち着けよ。あイタ!噛むなよ、くそ!」
めちゃくちゃに暴れるアプリコットを押さえながら、俺はキリーに向き直る。
「キリー。確かにきみの言うことももっともだ。だけど、最善の手ではないだろ?」
「……」
「ハッピーエンドを目指せるんなら、そっちのほうがいいと思うんだ。そりゃ、多少危険かもしれないが……けど、勝算だってあるんだぜ」
「……勝算?」
「ああ。今回、連中は回りくどい方法で、罠を張ってきた。逆に言えば、正面から来ることを避けたんだ」
なるほど、とウィローがうなずく。
「力に自信があるなら、真正面から私たちに喧嘩を売ればいい。それをしなかったってことは……」
「恐れてるんだ、俺たちを。だから周到に策をめぐらせて、待ち構えるしかなかったんだ」
俺は、キリーの目を見て言った。
「筋は通ってるだろ?」
「……うん」
「それに、前に言ったじゃないか。記憶を取り戻すまで、俺は死ぬつもりはない」
「……うん」
「ならさ、帰りを待っててくれよ。きっと戻ってくる」
「…………うん」
キリーはそう言うと、ぷいっと背中を見せてしまった。だが、そのあとぼそっとつぶやかれた言葉は、俺の耳にはっきり届いた。
「……いってらっしゃい」
「……ああ。いってくる!」
賭けはまだまだ続行中だ。結末を迎えるのは、もう少し先でいい。
続く
《次回は日曜日に投稿予定です》
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追記・6/16 本文を一部修正しました。
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