もずのはやにえに選ばれた物語は今も動けずにいる

ギア

もずのはやにえに選ばれた物語は今も動けずにいる

「おい、ジャック」

「なんすか? あ、いや、俺の名前はジャックじゃないんすけどね」

 放課後の文芸部の部室(ちなみに普段は生物室として使われている)で読書中に部長から呼びかけられ、つい反応してしまったあと、一応無駄な抵抗とは知りつつも訂正を試みる。

「つーか、いい加減に諦めて欲しいんすけどね。そのあだ名、いまだに部長以外に誰も使ってないっすよ」

 読んでいた文庫本のあいだにしおりがわりの指を挟み込みつつ、机の上に座ってスマホをいじっている相手に向き直る。

 ちなみにジャックと呼ばれている俺は、本名を木村きむら大輔だいすけという。4月に文芸部の部室(つまりここ)に訪ねて来たとき、自己紹介をしたら間髪入れずに「そうか、じゃあ、あだ名はジャックだな」と返された。理由を聞くと「木村は漢字で11画、トランプで11はジャックだから」とのことだった。とりあえずこれだけでもこの部長の変態度はおおよそ伝わったと思う。

 ついでに紹介しておくと部長の名前は笹浪ささなみアキラ。その名前に加えて、高い背丈に凹凸の少ない体型、凛々しいと表現したくなる整った顔立ちも相まって女性らしさは皆無だが、一応女子だ。

 その部長は生物室の机の上に腰かけたまま、ほぼ唯一の女子らしさを示すプリーツスカートの下で無造作に足を組み替え、スマホを脇に置くと芝居がかった調子で両手のひらを宙に向けた。そして大きくため息をつく。

「はあ……私以外に誰もお前をジャックと呼ばない。それは認めよう。だがな、ジャック、名前とは呼ばれる人数によってその価値が決まるのか? 違うだろう? 誰もジャックと呼ばない中で、しかし私は、私だけが、執拗しつようにしかし確かにお前をジャックと呼ぶことで……」

「あの、すいません、俺が悪かったんで用件をお願いしたいっす」

 つうかあんたジャックって言いたいだけだろ、というツッコミをこらえて話を先に進めてもらう。ほっとくと延々と中身のないままに話し続けるからな、この人。

「用件?」

 いや、なぜ不思議そうな顔をする。

「そもそも部長が話しかけてきたんすけど」

「なんて?」

「さっき『おい、ジャック』って呼んだじゃないっすか」

 俺が呆れた顔でそう軽く言うと、しかし部長は衝撃を受けた様子で目を見開いた。そして震える右手で顔を押さえると、その指の隙間から俺を睨む。え? 何? 俺、なんかまずいこと言ったか。

 動揺する俺に向かって部長は変わらずに指の隙間から俺を凝視しつつ左手を大きく振り上げて叫んだ。

「つまり……お前は自分がジャックと認めたわけだな!? ジャックと呼ばれたのは自分だと!」

「ちげーよ」

 思わずタメ口が出る。

「うん、知ってる」

 緊迫した空気を払うように手をひらひらと振りながら部長がケラケラと笑った。

「まあ、そんなことはどうでもよくてだな」

 俺のセリフだ。

「もずのはやにえって知ってるか?」

「いきなりっすね。またなんかカクヨムであったんすか?」

 ここは文芸部であり、部長も俺もコツコツと創作した文章をしたためてはネットで不特定多数に公開している。俺はいまだに古臭く個人のホームページにアップしているが、部長はカクヨムというサイトを使っている。

 作品をアップするプラットフォームにはカクヨム以外にも色々ある中で、なぜカクヨムを選んだのかを聞いてみたことがある。その理由次第では使ってみてもいいかもしれない、と思ったからだ。そして返ってきた回答は「カクヨムって名前がなんとなく好き」だったのでなんら参考にならなかった。

「さすがジャック、その手に持った剣のごとく鋭い洞察力だ」

「持ってません」

 ちょいちょいトランプに寄せないでくれ。

「まあ要するにまたなんかイベントでそういうテーマがあったわけっすね」

 部長に聞いた話によるとカクヨムではお題に沿った内容で小説を書くというイベントが毎日のように開催されているらしい。ある程度の縛りがあれば対象となる読者層も絞り込みやすく、受ける文章も書きやすい。それに縛りがあった方が逆に創作意欲がわくというのは良く分かる話だ。

「当たらずとはいえ遠からずだ。まあこれを見ろ」

 部長はそう言うと脇に置いておいたスマホを器用に指先だけで跳ね上げ、回転しながら落ちて来るそれを目も向けずにキャッチして画面をこちらに向けた。

 こういうとこ、ホント無駄に性能高いよな、この人。

「えーと……」

 突き出されたスマホの画面をスクロールしながら全文を参照する。どうでもいいけど他人のスマホ画面ってなんか触るのに抵抗感ある。部長のスマホは、よくこういうことやらされるので慣れて来たけど。

「なんすか、これ。別に『もずのはやにえ』はテーマじゃなくないっすか?」

 というかテーマも何もない。ジャンルも内容も自由で、かかっている制限はほぼ字数だけだ。企画を開催したユーザの好みに合わせて書けということだろうか。

「まあ、そうなんだが……条件の1つでタグに『もずのはやにえ』とつけてください、とあるだろう? もちろん従うつもりだが、タグ付けしておいて中身でそれに触れてないというのは、なんだ、イベントに関係なく読みに来てくれた人に対して不義理な気がしてな」

 そう言いながら部長が気恥ずかしそうに微笑んだ。ホント、そういう妙なところで律儀だよな、この人。

「それで話のネタするために、予備知識があまりない状態の俺の意見を聞いてみようってわけっすか」

「話が早くて助かるよ。君の父上も同じくらいに聞き分けが良ければ、と思わずにいられない。そうであれば、あの惨劇は避けられたはずだというのに」

 あんた俺の親父に会ったことないだろ、とか、あの惨劇ってどの惨劇だよ、とか色々とツッコミどころ満載だったがあえてスルーする。入部当時はこれをいちいち拾おうとして、本題に辿り着く前に雑談に埋もれて1日が過ぎてた。本当に無駄な日々だった。そりゃ新入部員も俺以外の全員が逃げるわ。

「言うてあまり知りません、もずのはやにえ」

「構わん。そのままでいい。何も足さない、何も引かない。それでいい」

 なんか聞いたことあるぞ、そのフレーズ。ウィスキーだっけか。

 まあいいや。

百舌鳥もずって鳥がいて、その鳥の習性っすよね。食べるために捕まえたはずの小動物をなぜか枝に刺しておくっていう。結局、理由はよく分かってないとかんとか」

 我ながらふわふわした説明だ。

 ちなみにこういうときスマホで検索してから答えようとすると「Imaginationイマジネーションだよ! ジャック!」とメチャクチャいい発音でメチャクチャ怒られる。なんでも正しいかどうかは重要ではなくて、他人の言葉じゃない自分の言葉で語ることこそ重要らしい。

 まあ、分からんでもない。調べて分かることなら部長が自分で調べれば済む話だ。

「そこになんか理由をつけてみろ、ジャック。お前なりのはやにえを枝に突き刺してみろ!」

 なんか上手いこと言おうとして言えてない気がするぞ。いや、言おうとすらしてないか。

「えーと」

 どうすっかなあ。

「実ははやにえをする百舌鳥はただの使い魔で、術者が別にいるんすよ。枝に血を染み込ませることで呪術的な結界を作るのが目的」

「ほほう。ファンタジーか。続けろ」

「実は枝が重要なのであって獲物自体はあってもなくてもいいわけっす。だから百舌鳥が空腹であれば食べるし、そうでなければ放置される。そのランダム性が動物学者を無駄に悩ませてきたんすよね」

「おお、無駄にそれっぽいな。いいぞいいぞ」

「歴史の裏で多くの人の命を奪ってきたもずのはやにえによる呪術。それに対し、ついに超常現象を扱う政府機関、神呪省しんじゅしょうが……これはおおやけには存在しないことになっている組織なんですけど、その神呪省で働く一人の捜査官に調査の命が下るんすよ」

「なるほど、いい具合に中二病が入ってきたぞ」

「当然ですがその捜査官は最年少で入局試験に合格した天才で、理解のある直属の上司以外には基本的に疎まれてるっす」

「分かりやすいな」

「もずのはやにえを調べながら呪術師を追ううちに、主人公は実は黒幕が政府の上層部にいることを突き止めるんすよ」

「それでその黒幕は……」

「人並外れた能力を持つがゆえに孤独を強いられていた主人公の唯一の理解者だと思われていた直属上司、その人っす!」

「うおおおお!? マジか! で! それでどうなるんだ!?」

「え、いや」

 勢いで適当に垂れ流してきたが、さすがにもう色々限界だった。

「あとは任せるっす」

「誰に?」

「部長に」

 他に誰がいるんだ。

 そもそもがそういう話だったはずだが、俺のその言葉に部長は、マジかよー、と天を仰ぐ。もっともそうは言いつつもどこか楽しそうだ。

「よしゃ、じゃあ色々とあったまってるうちに家に帰って文章打つことにするか」

 そういうと部長は手早く帰り支度を始めた。俺はもうしばらく読書してから帰ることにします、と伝えると、部長は「お、了解だ。今日も助かった、ありがとうな、ジャック」とニッと白い歯を見せて笑った。

 なんのかんので創作それ自体が好きでしょうがない部長のこういうときに見せる無防備な笑顔は最高に可愛い。これに気づきさえしなければ他の新入部員たちと一緒にとっとと退部届を出していたんだが、まあ、後の祭りだ。

 ちなみに部長は上記の話を書き始めてはみたものの、主人公が命令を受けて調査に赴く時点ですでに応募のルールで指定された字数を軽く超えていることに気づいてしまい、熱が一気に冷めたらしい。

 こうして数十年に一度の天才ともてはやされつつもその才能がゆえに孤独を強いられる主人公は、苦境の中で行くことも退くこともさせてもらえず、身動きが取れないままらしい。そう、まるでもずのはやにえの獲物のように……はさすがに強引すぎるかな。

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