三度目の勇者

形無めつ

三度目の始まり

第1話プロローグ①

村が、燃えている。

それが俺の見たままの目の前に広がる光景。否、惨状だった。


ここまで盛大に炎が上がっているので、もっと表現方法は多々あるが、それが一番率直で無駄のない、俺の頭に浮かんだ感想だった。

日は沈みかけているというのに、そこの一帯だけは日中と変わらず煌煌と輝いている。

異様な状態もここまで広がると、そういう物だと思ってしまえる。


家屋は全てが炎の赤に染まり、村人たちは五体満足も不満足も関係なしに、村に起こった大火災から逃げるように村の外に走っていくものが大多数。

中には逃げ遅れたのか、その場で倒れこんで神にでも祈るようにうずくまる者も、体に燃え移り悶え苦しみ喚く者もいた。

もちろん永遠の沈黙を守るだけの焼け焦げた屍も。


木材によって構築された建築物がほとんどを占めるような貧しい村だ。

火はあらゆるところに燃え移り被害を拡大し、もう火元がどこかも分からないほどに村全体を焼き尽くしていた。


もう既に、焼けて朽ちた家の倒壊が始まっている。かなり危険な状態だ。

近くにあった家の屋根の一部が崩れた衝撃で空に舞った火の粉を体に浴びつつ、村の中央部へと歩く。


歩き続けるとやがて、更に家が密集するようになってきた。

それに加えて路肩に転がる人だったはずの肉塊の数も増えている。


「ここか」


事実確認のために口にしたその声は、業火が発する大きな音により、俺自身にも聞こえなかった。

俺は最終的に突き当たった、周囲の家に比べて明らかに高級な石造りの巨大な建造物が、自分の目的地だということに気づいた。


その証拠に、それの周りには派手な装飾の甲冑を身に着けた大人数の騎士たちが、各々の剣を構えている。一様に緊張した面持ちで恐怖なのか武者震いなのか、カタカタと鎧を鳴らしている。臨戦態勢であることはだれの目で見ても明らかだった。


ドンッ‼


激しくぶつかる音がしたのと同時に、建物の屋根が吹き飛んだ。

一度空中に放られた岩塊たちは、一瞬宙に浮いた後、重力の法則に従い放物線を描いて地面に勢いよく落下する。


地面が抉られ土煙が上がる。それをもろに受けた騎士たちは、煙たそうに顔周りを手で覆ったり、仰いだりしている。砂塵が目や口に入らないための行いだろう。


俺はそんなことはしない。必要性も感じないし、今はそんな無駄な行動をとっている場合ではないことを分かっていたからだ。


大部分が無くなり穴の開いた屋根の、残った部分すらも突き破りながら何かが出てきた。

細長い形をした巨影は、周囲を破壊して天に向かって突き進むように段々と姿を現しながら、その大きな眼で俺たちを見下ろしてくる。


ただの村人なら押しつぶされそうな感覚でショック死するであろう眼光の圧迫感。

それを一身に受け止めつつ、頭にかぶった兜の目の穴の狭い視界から、ガラガラと崩れ行く石の建物と、現在進行形で崩す張本人を見上げていた。




ドラゴンが出た。

俺がそう報告を受けたのは、村に到着する前日の真夜中。

俺が泊まっている宿屋に駆け込んできた男は、自らを王国騎士団の所属騎士だと名乗った上で、辺境の村に巨大なドラゴンが現れ被害が出ていると語った。それを近くに駐屯していた騎士たちで対処している、と。どうやら討伐依頼のようだった。


少し前から、普段なら山奥などの人間とは触れ合わない場所に生息しているはずのドラゴンの目撃情報を、老若男女問わずに様々な人物から聞いていたので、そろそろ人里まで下りてきてもおかしくないと思っていた。餌を求めてなど、要因は色々考えつく。

しかしだ。


人口はそこそこ多いが金銭的に裕福とは言えず、住人たちの生活もギリギリ。そんな村が悲劇の標的にされるとは、まったく哀れな話である。


助けを求められたのなら仕方がない。


荷馬車を急がせて村に向かい、なんとか一日経たない内に到着することができた。

だが、騎士が俺の元に来るまでの時間を考えると、単純計算で約二倍。一日半以上は経っていることになる。


向かう途中から薄々気づいていたが、それだけの時間を、駐屯先の急繕いで駆り出された騎士たちだけでは稼ぐことはできない。


村への被害が最小限に留まっているなんて都合のいい話はないだろう。

彼らではドラゴンに太刀打ちできるはずがない。


騎士は強い。真面目に鍛錬に取り組み、鉄の意志と鋼の肉体を手に入れた上で、その実力を認められたものだけがなれる職業、それが騎士だ。それを認めないわけではない。


だが、相手は人間という脆弱な種族とは、全てにおいて格の違う生き物だ。

騎士が強いというのは、あくまで対人戦闘。もしくは人型モンスターにおいての話である。

竜という、高位の存在が現れれば、騎士も村人もみな等しくただの人間になる。


俺が呼ばれたのは、そういった誰にも相手のできない存在、魔物と呼ばれる怪物を対処するためだろう。


まあ、そんなことは今の俺にはどうでもいいことだった。




とてつもない破壊音と、空気を極限まで振動させる咆哮。

巨影は建築物の壁に体当たりするように勢いよく前進しながら、その大きな翼を横へ最大限まで広げた。


先ほどまで天井の崩落だけで済んでいた建築物は、その内側から発生した大きな力の負荷により、外壁ごと爆散するように、四方八方に吹き飛ぶ。


そうして登場したドラゴンの前に立つ俺は、どうしようかと思案する。


念密に作戦を練っていたわけでも、その場に豊富に資源や利用できる環境があるわけでもない。


言わばぶっつけ本番である。

勝てる可能性は極めて低い。というかほぼ無理だと考えていい。


だが安心して欲しい。

それはあくまで一般人のベクトルの話だ。

そして俺はただの人間ではない。


戦闘開始の機会を探っていた騎士たちは、ドラゴンを前にして明らかな恐怖を露わにした。


訓練を受けた選ばれた戦士でさえあの状態に陥ってしまうのだ。

騎士たちの中にいた、一人だけ装飾の違う鎧を纏った、隊長格であろう大柄の騎士が、持っていた剣をドラゴンへと突き付けた。


「敵が現れたぞ! 相手は凶悪で我々の世界の平和を脅かす存在だ。決して敗北は許されない……命を懸けて戦え」


大きな号令に、騎士たちに独特の戦気が漂う。

隊長騎士はその剣をゆっくりと持ち上げていき、天に向けて掲げる。


「それでは総員……突撃ィィィィィッ‼」


そしてそれを、地へ目掛けて勢いよく振り下ろした。


轟く掛け声に応えるように、騎士たちも雄叫びを上げて走り出す。


決死の突撃に、後ろで傍観していた俺は軽く感心を覚える。

互いが互いを信頼しているからこそなせる業、陣形、攻撃。

一つの獣となってドラゴンの喉元に食らいつく勢いで駆ける騎士たちはそれを完ぺきにこなしている。


だが、だからこそ俺は思う。

竜の強さはそれでは止められない、と。


一番前線を走る騎士五人は、まるで糸で誰かに操られているかと思うほどズレのない連携で、ドラゴンの前足へ突きを放った。

無駄がなく洗練された動きの戦隊は。


刹那で発せられた業火の赤にあっという間に飲み込まれた。

ジュっという肉の焼ける音で、俺はあの五人の騎士の死を悟る。

その火の発生源。ドラゴンは、何の感慨も窺い知ることができない空虚な瞳でその炎を先へと推し進めた。

無慈悲な赤い息吹は、後続の騎士すらも暴力的に巻き込んでいく。

次々に焼死体に変えられていく騎士たちを見て、隊長騎士が軽くよろめいた。彼にはとても考えられない予想外の出来事が起こったらしい。

ドラゴンが強いと分かっていたとしても、一瞬で部下が焼き尽くされるとまでは思わなかったのだろう。


「クソッ! 忌々しい化け物め。良いだろう、こうなれば私自らが相手になるまでだ! かかって来い‼」


そう言って隊長騎士は常人よりもはるかに速く地を駆け、ドラゴンに詰め寄ると、剣を思い切り斬りつけた。

風を切り裂く剣の一閃。


バキッ!


大きな音が鳴る。

だが、残念なことにそれは、ドラゴンの鱗へのダメージの音ではない。

隊長騎士の剣が、竜鱗に触れたところでひび割れ、まるで元々そうなることが決まっていたかのように、嘘みたいにちょうど真ん中で折れた。

折れ飛んだ剣の上半分は、回転しながら後方へと飛び、勢いよく地面に突き刺さった。


「な、なんと……!?」


余程腕に自信があったのか、部下の死よりも大きく動揺する隊長騎士。


その体に、ドラゴンの平手が容赦なく叩きつけられた。

砕けた鎧の破片が飛び散り、鉄をも切り裂くといわれる強靭な五本の爪が、深く食い込む。

炎の赤よりも鮮やかな紅が、噴き出して舞った。


「ぐあああああああああ‼」


叫んで悶えるその大きな体に、もう一つのドラゴンの前脚が迫る。

隊長騎士の顔から戦気が抜けて、恐怖に染まった。


血華が咲く。

踏みつぶされた鎧の一部の、大きな金属片がひしゃげて吹っ飛び、地面に血の川が流れる。


隊長騎士は死んだ。

その俺の認識に異議を唱える者は、おそらくこの場にはいないだろう。

それぐらいあからさまに、もはや美しいぐらいに、彼は死んだ。


騎士たちが壊滅し消えていく様を、半ば映像作品のように観ていた俺は、はたとそこで気づく。

俺のすぐ目の前に、騎士数人が無意味な特攻をせずにその場に残っていたことを。


それもそのはずだ。

残った騎士たちの立ち姿、いまにも逃げたそうな様子。

間違いなくこの騎士たちは、まだ騎士団に入って間もない新入りだ。

戦場に場慣れしていない雰囲気がひしひしと伝わってくる。

その場で膝をつき絶望する者もいれば、剣を取り落として戦意を喪失している者もいる。

その中の一人である、特に腰の引けた気の弱そうな小柄の騎士の肩を軽くたたく。


「ひっ⁉」


肩をビクッと震わせて振り返る小柄の騎士は俺を見るなり、化け物の奇襲を受けたのではないと気づき、ほっと一息つく。


「お前たちは戦わないのか?」


出来るだけ警戒させないように、平坦な声で話しかける。

小柄の騎士は俺のことが誰かも分かっていない様子でポカンと口を開けていたが、話の内容を理解したようで、慌てて首を振る。


「僕たちがあの化け物を倒すなんて無理です! 僕たちはまだ騎士になったばかりで、実戦経験も殆ど無いし……実力のあった先輩たちがあの一瞬で倒されたんですよ。そんな怪物に立ち向かうなんて、出来ない。あああ……嘘だ。こんなことが。こんなことが……」


声が段々と小さくなり、やがてうつむいて呪詛のようにブツブツと唱え始めた。

自分たちには実力がないから無理に戦わないというのは、賢明な判断だ。

英雄的な戦死など、後世に美談として語られるだけの下らないものでしかない。

それを追いかける暇があるなら、どんな死の淵に立たされてもしぶとく生き延びる。これが戦場の一番重要な掟だと俺は考えている。

自分の腕に自信が持てないなら尚更そうだ。


「まあいい、後は俺に任せてくれ。お前は他の仲間を連れて、一刻も早くこの場から撤退しろ」


それだけ告げると、俺は他の生き残りの騎士たちを避けて、ドラゴンの方へと歩く。


「あの、あなたは一体……?」


後ろから声が掛かる。


「……急げ。死にたくなければな」


後ろを向いて教えてやる。

俺の素性はどうでもいい。この場から立ち去ることが第一優先だと。

俺の声音で冗談のつもりではないと理解したようで、騎士たちは何も言わずに指示通りに座っていた者は立ち上がり、剣を落としていた者は拾い上げて村の外へと駆けていく。


騎士たちが見える範囲内からいなくなったのを見届けると、俺はドラゴンへの接近を再開した。

ある一定距離まで近づくと、ドラゴンはさっきまでいなかった部外者である俺に気づいて自らの体を前に進め、間を縮めてくる。

ドラゴンの足の裏側に張り付いた、グシャグシャの隊長騎士の死体が、剥がれて落ちた。

それが落ちきる前に、ドラゴンの口の中から炎が発射された。

一直線に飛んできた炎が、俺の着ていた鎧に直撃する。


受けた感想で言えば、とても高温そうだ。鎧の表面が熱されて赤く輝いている。今なら肉でも焼けそうに見える。

温度のことを予想で言っているのは、鎧に吐きかけられている炎の熱は、俺自身には伝わっていないからだ。見た目の判断だけで、実際には分からないのだ。

鎧に身に付けた革製のベルトや、首の周りの毛皮のファーは焼けているが、温度の変化は感じられない。

俺への炎の攻撃が効いていないと理解したらしく、その照射が止まる。


視界一面を覆っていた赤が取り払われると、それに連なるようにドラゴンの前脚の攻撃が待ったなしで飛んでくる。

敵を一瞬で葬り去るためだけに作られたような高速のクローを、その場で跳躍して回避する。

真下の地面が吹っ飛んだのを確認し、空中で体制を整えながら、腰に携えていた銀の剣を抜いた。

鞘を捨てるとそのままドラゴンの前脚に降り、思い切り振り上げた剣を肉の足場に突き刺した。


低い唸り声が上がり、ドラゴンが俺を振り落とそうと腕を大きく揺らす。

落ちないように身を屈めながら衝撃に耐えると、深々と刺さった剣を持った手に力を込めたまま、ドラゴンの背中に向かって駆ける。

剣が竜鱗を割いて滑り、まるで魚を捌くように切り裂いていく。

噴き出した血が熱された鎧に吹きかかり、蒸発して煙が上がる。それには構わず、血に塗れながら前へ前へと足を進める。


ドラゴンが自分の身の危険を察知し、長い首を傾けて俺に向かって口を開く。

炎も平手もダメなら、直接噛み砕いてしまおうということだろう。


「なんと幼稚な技だ」


迫ってきた竜の咢を、身を捩って躱す。

そして空に噛みついた間抜けな口を、鎧のつま先に力を一点集中させて蹴飛ばした。

空中で閉じたドラゴンの顎から、牙数本が折れて飛ぶ。

それを踏み台にして蹴った勢いで加速すると、一足でドラゴンの背中まで到達する。

間髪入れずに回転しながら剣を振り下ろし、ドラゴンの右翼を根元から斬り飛ばす。


これは堪えたらしく、足場にしていたドラゴンの背中が大きくうねる。

俺は剣にベットリ付着した血を払ってドラゴンの瞳を睨むと、吐き捨てるように言った。


「そう暴れるな。本番はこれからだ」





俺は地面に降り立つと、兜に付いた血を拭った。粘度のある液体で流石に視界が悪くなった。

その目の前に、ドラゴンが崩れ落ちる。

生気が全く感じられない、ほとんど死骸になった姿だ。

起こった風圧で粉塵炎が舞う。


数分間の戦闘の末、ドラゴンの四肢と尻尾、残った左翼も切り落とした。

鎧に多少の損傷があっても、俺自体は無傷。問題はない。

薄暗い空模様からして、明日中には雨が降る。火もいずれ消えるだろう。

これで被害が大きくなる恐れはない。


首と胴体だけになり、もはや抵抗力を完全に失ったドラゴンの顔の横に立つ。ドラゴンは俺を呪い殺そうとでもしているような眼で見上げてきた。


「悔しいか? そうだろうな。たかが人間ごときにと、そう思っているのだろう?」


見下ろし返しながら、挑発をする。人間の言葉を理解できるのかは不明だが。

とりあえず仕事は果たそう。俺が頼まれたのはこの怪物の討伐だったはずだ。

ドラゴンの首に手を当てる。

血が通って脈打つ感触がある。ここが生命線になっている動脈か。

しかし命の神秘を感じている暇はない。刻一刻と、村の崩壊が進んでいる。


ドラゴンは最後の抵抗とばかりに、俺のことを睨み続けている。

殺気が前面に出ていて存在がうるさいので、眼球を刺し貫いて黙らせた。

それからドラゴンの首に剣を押し当て、切る位置の目印を付けた。


「ドラゴンは賢い生き物だと聞いていたが、どうやら虚言だったようだな」


独り言を呟き、ドラゴンが抵抗をやめて動かなくなったのを確認してから、この哀れな魔物に最期の学を与えてやることにした。


「お前は俺が誰かも知らないのだろう? 気にするな、それで構わない。会ってきた奴らは人間も魔物も含めて大半が俺のことを知らなかった。だからここで、この場所で死にゆくお前に、教えておいてやる」


剣を持ち上げて上段に構え、刃の部分をさっき付けた目印に合わせる。


「俺は勇者。いずれ魔王を倒す存在だ」

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