愚かな利己主義者

 俺は三山の『個人的な話』を覆い隠しながら、ただ、思索の海を漂っていた。


 ……アンドロイドは、存在しない。


 三山が言ったその言葉。それを純粋に受け止め、それが真実であるとしたならば、俺に寄り添ってくれている少女。アヤノは、アンドロイドではないということになる。


 だが、どうして。もし彼女がアンドロイドでないとしたら、彼女はなぜそんな嘘を吐く。どうして三山はあの日、俺に嘘を吐いた。


 いや、三山は別世界軸の俺に言われて、あの日あのように行動したと言った。では、彼女がアンドロイドだというのも俺が指示したことなのだろう。では、なぜ?


 結局のところは、なにもわからなかった。


「……圭人様、こんな機会はあまりないので、わたしの話を聞いてくださいませんか?」


 彼女のその言葉が聞こえたとき、窓の外はもう闇に包まれていた。


 その声に俺の思考は一度止まり、意識が今のこの状況に戻ってくる。

 真上しか見えない俺は彼女の姿を視界にとらえることはできなかった。だが、彼女は多分うつむきがちに、真剣な面持ちで言葉をつないでいるに違いない。


「わたしは、人の為に作られたアンドロイドで、この心に本物の感情なんてありません。いえ、わたしにはそもそも、こころなんて存在しません」


 突然に始まった独白に、俺は驚きを覚えた。少し違うか。その驚きは、彼女が自分のことをアンドロイドと言ったことに対してもあるはずだ。

 三山の言葉によって、俺は彼女が実は人間であるのではないか、とこの数秒前に疑い始めていた。だが、それに矛盾することを彼女自身が彼女の口から言ったのだ。それは驚く。


「自分が、人に仕えるために作られていることに不満はありませんし、圭人様のそばで働かせてもらっているわたしはとても幸せ者だと思っています。ですが近ごろ、妙な不安がわたしを包むんです。わたしはプログラムに従い、笑ったり、場合によっては泣くこともできるはずです。ですがふとした瞬間に、プログラムの奥底から何か、得体のしれないものが顔をのぞかせるとでも言いましょうか。わたしが知らないわたしが、湧き出てくるのです」


 二重人格、という言葉が真っ先に思い浮かんだ。人は何かしらの強いストレスから逃げようとするあまり、自分の新しい人格を作り出し、そこに逃げ道を用意する。いつだか読んだ本にそのような記述を見た気がした。


「……ごめんなさい。圭人様は怪我人なのに。なぜか、話しておかなくちゃいけないと思ったんです。ただ、それだけです」


 その声が聞こえた後に、椅子を引く音が続いた。


「少し買い出しに行ってきます。ゆっくり休んでくださいね」


 そして扉が開き、閉まる音が聞こえたとき、俺は我知らず胸を撫で下ろすような心境になっていた。


 一つわからないことが解決するたびに、また一つわからないことが出てくる。どうしようもないその連鎖に正直愕然とするが、とりあえず情報を得ることはできた。


 それにしても、一切体を動かすことができないというのはなかなかにきつい。いや、少し頑張れば腕は動きそうなのだが、かなりの激痛が伴いそうな予感がするのでやめておくことにする。まぁ目の周りはある程度動き視界は確保できるのが唯一の救いだった。


 どの程度まで動くものかと目を限界まで動かしていると、視界の端にあるものを見つけた。それによると、やはり、俺のこのシャフトシフトはやはり、時間逆行ではないようだ。視界の端にギリギリ映るデジタル時計の日付表示。それは、俺がこの世界軸に飛ぶ直前、あの屋上で矢代と話をした日付を示していた。つまり、たとえ過去の選択を変えることはできるものの、俺の意識が過去に戻るのはその一瞬だけで、すぐさま俺は飛ぶ以前と同じ時間軸へもどるわけだ。


 矢代は、鉄骨落下事件の三日後、俺が死んだ、と言っていた。しかし、医師の言うことによると俺の怪我は命に別条があるほど酷いものではないらしい。では、なぜ?


 その問いに対し、病室に響いたのは俺のスマホの着信音だった。それはベッドの横のローテーブルから聞こえた。

 どうやらメイドが気を利かせてそこに置いてくれてたようだった。俺の連絡先を知っている相手なんて、俺を引き取った叔父と、……あれ、それだけか。


 ふいに訪れた『友達いない宣告』になぜか愕然とする俺がいた。あぁ、そうだ。世間一般で言う、友だち、らしき人間に俺は今日、お前に関わらなければよかった、なんて言われたのだ。いやもっと言えば、俺に話しかけたのはほかに目的があったからで、俺という人間に興味があったわけではない、とも。


 ふひっ、と、乾いた笑いが鼻から抜けた。


 しかし、スマホの着信音は一度ならず何度も鳴った。そしてついにはメールをあきらめたのか、電話の着メロが響く。

 何か、痛みに手をこまねくのさえもどかしく、俺は布団から腕を出す。裂けるような痛みさえなんだかどうでもよくて、俺の指先はすぐにスマホのディスプレイをタップできた。同じ要領で、首もそちらへ向ける。


『あ、やっと出た』


 聞こえたのは、女の声。それも聞き覚えのある、……そうだ。それは、矢代遥の声だった。


『どう? 三山から話は聞けた?』


「……あぁ」


『まぁ、言われたことはわかるわ。慰めてほしい?』


 その問いへの返答より、なぜ想像つくのかが不思議でならなかった。結局、こいつはなんなんだ? 俺に助言じみたことをしたり、妙にからかったり、そして今度はなんでもわかってる、みたいな雰囲気まで醸し出している。そいつは俺のその疑問に、電話越しに応えてくれた。


『そうだ。圭人くんに話してあげようって思ってたことがあったんだ。聞きたい?』


「……もちろん」


『わかった。じゃあ教えてあげる』


 彼女はそこで、すっと息を短く吸って、淡々と、そう俺に告げた。


『私は、ほかの人と違って、すべての世界軸で記憶を共有しているの』


 ――すべての世界軸で、記憶を共有……?


 ただそれだけの言葉では、それが具体的にどういうことなのか理解はできなかった。


『考えてもみて。私がもし、三山やほかのみんなと同じような人間なら、私は圭人くんに今こうして電話なんて掛けれていないでしょ? 君がシャフトシフトした時点で、私はきみと屋上で話したことを忘れるはずなんだから』


「そう、か……」


『それに、圭人君はあの自動販売機の前で、そのことに気づいてなきゃいけなかったんだよ。鉄骨落下事件をまたいだあの時点で世界軸が変わっているんだから、私がメイドちゃんを見た記憶を持ってるはずなんてない、ってね』


「……いや、無理、だろ」


 かすれた声でそう返す俺に、矢代は呆れたような、少し嘆いているような、小さな嘆息を零した。


『無理なんかじゃない。いいえ、無理でも、あなたは気づかなくちゃいけないの。そうしないと……――手遅れになっちゃうよ』


 手遅れ? それは何に対して言っている? しかし彼女は、それについてこれ以上言及しなかった。


『とにかく、三山から話を聞けたならよかったじゃない。……用は済んだでしょ。早く事故に遭わなかった世界軸にシャフトシフトしなさいよ』


 あぁわかっている。最初からそのつもりだ。と返答し、通話を終わらせるつもりだった。だがその前に、俺は一つだけ彼女に尋ねることがある。


「……お前は、何者なんだ?」


 こいつは、結局のところどのような立場から俺と接しているのか。なぜ世界軸を超えて記憶を共有する、などという能力をもっているのか。彼女の行動の先にある目的は、いったい何なのか。この問いは、それらすべてを含めた質問だった。


『何者……かぁ。やっぱり成長してるなぁ……』


「は?」


『ううん、気にしないで』


 何か聞こえたような気がしたのだが、彼女はそうやって誤魔化した。そして、ひと呼吸おいてから再び口を開く。


『何者か、って聞かれたなら、「私は監視者です」って答えるかな。もちろん君たちのね』


「監視者……?」


 それはどういう意味だ。君たち、というのは、誰を示す――。


 そう尋ねようとした俺の言葉は、突然現れたそれに遮られた。

 なんの前触れもなく視界を塗りつぶした人影。それはおもむろに俺のスマホを手に取ると、ピッという操作音とともに電話を終了した。


「女の子と話してたりしないで、もっと早くシャフトシフトするべきだったんじゃないのか?」


 そいつは、俺に上からそう問いかけた。だれだ、いや、どうして俺の病室に人がいる。そう頭の中ではわからないことが駆け巡っているのに、一つも口には出せない。


 黒のパーカー。そいつが着ていたのは、いつだか見た気がする、そんな衣装だった。


「エゴイスト、って言葉を知ってるか? 多分知ってるよな、俺も知ってたし」


 当然のようにベッドに腰掛けると、そいつはスマホをいじりながら話を続ける。


「……利己主義者。他人が被る不幸や害なんて一切気にせず、ただ自分自身の欲望を満たし、利益を得るために行動する、そんな人間。俺はな、そんな人間が大っ嫌いなんだ。わかるだろ?」


「……誰だよ、おま、え」


「質問に質問で返すとか、まったく野暮にもほどがあるだろ。……はぁ、本題に入る。この女の子に見覚えは?」


 そいつはそう言うと、けだるそうに俺の目の前へ一枚の写真を差し出した。そこに写っているのは、満面の笑みでカメラにピースをする小さな女の子。


「お前の……妹、か?」


「いいや、赤の他人だ。だが、お前にとっちゃそうでもないだろ?」


 そう言われて、俺は目を凝らしその写真を見つめる。……そうだ、あの時の。

 思い出したのは、あの鉄骨落下事件の日のことだった。そう、この世界軸における事件の直前。振り返った俺が見たのは、メイドが小さな女の子に微笑みかける光景だった。この写真の子は、あの時――


 ――あぁ、俺の代わりに死んだ女の子か。


「――ぅっ――」


 食道を逆流し溢れてきた吐瀉物が、体勢のせいでのどにわだかまり、自然と出た咳でそれらは飛び散る。ツンとした匂いと焼けるような感覚が鼻に上り、さらなる不快感が脳を漬した。


 つまり。


「汚ぇな……。やっと気づいたのか?」


 つまり俺がこの世界軸からシャフトシフトすること、それはあの幼女を殺すことと、同義である。そう、こいつは俺に言っているのだ。

 脳裏に浮かぶ、赤い血溜まりと開かれた小さな手のひら。――あれは、俺が作り出した状況だった。


 わかっていた。実は、あの日からわかっていた。わかっていながら、俺はその世界でのうのうと生活をしていた。罪悪感がなかったわけじゃない。だけど、それは仕方ないことだと、ただずっと言い聞かせていた。


「――仕方ない? そんなわけないだろ」


 写真の代わりに、目の前には男の眼があった。酷く濁った、それでいてどんな人間よりも生きていると感じさせる、そんな瞳。


「この子を、お前は殺したんだ。そして今また、殺そうとしている。違うか?」


 ――違う。俺が直接手を下しているわけでもないし――


「そうと分かっていながら、お前は――シャフトシフトできるのか?」


 銀色の切っ先が、俺の胸に触れていた。男がわずかに力を入れた瞬間、ちくりとそこに痛みが走る。


 確かに、と思う。こんな、価値のない人間が生きながらえるより、あの小さな女の子に生きてもらえるほうが、きっと価値がある。世界にとって、必ず良いことだと思う。いや、そうに違いない。


 なら、俺はどうするのか。ただ自分が生きたいから、とシャフトシフトし、のうのうと生きていけるのか?

 ――そんなこと、できるわけない。


「――どうかなさいましたか、圭人様?」


 凛とした鈴音のような、心地の良い声音が響く。だがそれにはどこか、艶とした蠱惑的な雰囲気が含まれていた。


「メイ、ド――」


 痛みをこらえながら、俺は首をそちらに向ける。そこに立っていたのは、やはり、メイドだった。


「アヤノ、とお呼びください、圭人様」


 彼女は笑う。三日月形に細められたその目。それが再び見開かれたとき、俺は異変を確実なものとして理解した。


 その長い眉毛の先、爛々と輝くその瞳の色は、血のそれよりずっと深い、赤だった。


「ちっ、来やがった」


 そいつがそう呟いたのとほぼ同時。締め切られた病室に、風が吹いた。


「――っ!」


 黒のパーカーが息を呑みながら飛び去る。その視線の先にあったのは、何の迷いもなくこちらへ飛び込み、――決して武器として使われるべきではない刃物――包丁を差し出す少女の姿だった。


 ほんの一瞬息をつく間もなくメイドは男へさらに詰め寄る。男が繰り出した苦し紛れの攻撃を軽くいなすと、メイドは反撃とばかりに手に持つ包丁を突き出した。流れるように繰り出されたその刺突を、男はすんでのところで受け止める。


「ったく、女がしていい目じゃねぇよ、その目は」


「うるさい。死んでください」


 メイドは手首をつかまれたまま肘を男の顔に入れると、揺らいだ体勢へ膝蹴りを食らわせる。腹の真ん中、みぞおちにストレートで入った攻撃に、男はその握力を弱めた。


「終わりです」


 言うが早いか、壁に背を預ける男へナイフをメイドは突き立てた。肉の繊維が引き裂かれ、血液がそこから噴き出す。それでも足りず、メイドはもう一度、その刃物を男へ突き刺した。


「……終わり、か」


 ずるずると床に崩れ落ちた男は、ふっと諦観じみた笑みを浮かべ、そして、落としたナイフを手に取る。そして、それを振りかぶって。

 瞬時に動くメイド。だが、遅い。


 投じられたナイフはほぼ直線を描いて、こちらにまっすぐ飛んでくる。その鋭利な刃先の奥には、悔恨に唇を噛む少女と不敵に笑う男の顔があった。


 俺の頭蓋を、ナイフが貫く。痛みよりも、ただ、迷いだけがそこに残っていた。



   *  *  *



 目を開いた。目が、開けられてしまった。そこに、意識が存在してしまった。

 俺はただ、そこにそれがないように、と。自分がそれ以上過ちを犯さないようにと、ただそう願っていたのに。


 いや、それもただ、罪から逃げようと言い訳を並べているだけか。結果は、ここにある。俺が、死ぬのを恐れて、直前までの迷いも忘れてシャフトシフトした結果が。


「……大丈夫ですか?」


 右手に、柔らかな肌の感触があった。それは悲しいくらいに温かくて、心が溶けてしまいそうなくらい、苦しくて息が止まりそうなほど、心地が良かった。


 こちらを覗き込む彼女の瞳は、透き通った青色だった。

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次の世界で、自称機械人形は笑わない。 陽本 奏多 @kanata2767

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