サボリ魔に言い訳はいらない。
その言葉で、俺のここまでの思考を彼女は読み取ったらしい。にやりと口角をわずかに上げると、彼女は口を開いた。
「なかなかに面白い訊き方をしてくるんだね。てっきり次から次に質問をぶつけてくるものだと思ってたよ。……これが成長ってことなのかな」
「成長?」
「あ、気にしないで。それで、何を知ってるか、だっけ?」
俺が頷くと、彼女はうーん、と考え込むような仕草のまま、ぽつりと置かれたベンチに座った。そしてしばし。ふとこちらに気づいたように振り向くと、笑って手を招く。
「まぁまぁ、座ってくださいな」
歩いてそちらに寄ると、彼女は自分の横をぽんぽんと叩いて座れと言ってくる。まぁ、断る理由もなく、俺はおとなしくそれに従った。
見た目固そうなそのベンチは座ってみると意外に座り心地がよく、また目の前の風景も相まって少し心が緩んだ。
「――平行世界。たぶん、三山も言ってたでしょ?」
「あぁ。まぁ俺の記憶の中では、だが」
「なるほどねー、ということは、彼のメイドさんについての記憶が消えてることはわかってるんだ」
「あと、池内も。もしかしたらほかのやつのも、か?」
俺の問いに、彼女はこちらを見ずに頷いた。つまり、メイドを見たことがあるほかの人間も皆、彼女のことはもう忘れてしまっているということらしい。
メイドを見たことがある人はすべて。つまり、あのショッピングモールでメイドを一目見た人々も、すでに彼女を見たという記憶はなくしているのか。……待てよ。
「ちょっと待て、お前は……?」
「ほらほら焦らない。まずは平行世界について、だよ」
この一瞬で浮上した一つの矛盾を、彼女は笑って流した。
「わたしのある記憶の中で、圭人くんはあの日、鉄骨に押しつぶされて病院に搬送された。そしてその後、三日経って亡くなったことになってるの。だけれど、今の君はそうなっていない。それがどういう意味をもっているのか、君はわかってる?」
「わかってるつもりだ。俺はあの時、時間を巻き戻して自分が事故に遭うという状況を回避した。だから俺は生きている」
これは何度も考えて、何度も検証したことだ。自分自身の記憶をたどっても、状況を客観的に観察しても、これ以外の可能性は存在しない。
だが、それを彼女は少し困った顔であっさりと否定した。
「惜しいね。半分あってるけど、半分違う、ってところかな。じゃあ圭人くん、君はもしこの世界以外にもたくさん世界があって、同時に時を刻んでいるとしたら、その世界をどう図に表す?」
突然の問いだった。しかしこれについては、三山の発言を検証する際に考えている。
俺は彼女の差し出した紙(俺が渡したプリントだが)に、借りたペンで何本もの平行線を描く。
「平行世界、っていうんだから、こうやっていくつもの世界が横に並んでるんじゃないか?」
「正解だよ、圭人くん。だけど、考えて。そうすると君がさっき言ったことに矛盾が出てくるんじゃない?」
さっき言ったこと……つまり、俺が時間を巻き戻して現在を変えた、ってところか。それと、世界が平行な直線として並んでいることに何の関係が……。
「すまん、わからない」
「そっか、まぁしょうがないよ。ほら、圭人くんは時を巻き戻して状況を変えた、って言ったね。でも、それをもし図に表したならこうなるよ?」
彼女は紙に一本の線を引いて、その中ほどから木の枝のようにまた一本線を伸ばした。
「もし時を巻き戻して今を変えられるなら、世界はこんな樹形図みたいに枝分かれしてるはずなんだ。でも、そうじゃない。時間っていうのは人が思っているより出来事、っていうのに強く結びついてるんだ。だから、もしその『時』という軸を前に戻したって、そこに存在する『出来事』を変えることはできない」
「……それでも、俺はその『出来事』を捻じ曲げた」
「まずその言い方は違うかな。圭人くんは、その『出来事』がない世界軸に移動したんだよ」
先ほど俺が描いた平行線の一つ。そこに一つ点を打った彼女は、そこから隣の平行線に矢印を伸ばし、また点を打った。
「一つ、圭人くんの考え方には根本的に間違ってる部分があるかな。世界っていうのは、この平行線のことじゃない。世界は、このわたしが今打った、一つ一つの点のことを指すんだ。まぁ、『わたしたち』はそう捉えてる、ってことだけど」
「つまり、俺が持ってる能力は時間逆行じゃなくて……そうだな、異世界転移か?」
「すごくカッコよく言ったね」
そう言って笑う彼女に少しだけ安心感を覚える。だが、本当に彼女は何者なんだ。記憶が消えない、記憶を、共有してる……?
「そうだね、君の言う異世界転移には、名前が付いてるんだよ。――『シャフトシフト』それがその能力の名前」
神妙な面持ちでそう言った彼女の目には、一切の揺れがなかった。だからこそ……。
「……そっちのほうが厨二っぽくてカッコいいな……ぷっ」
「あー! バカにしてる! 絶対バカにしてるよこの人! わたしだって言うの恥ずかしかったんだから!」
「恥ずかしかったのかよ……」
言うまいと自分を制しはしたのだが、上手くいかず言葉に出てしまっていた。しかし、その厨二っぽいワードをカースト最上位の矢代が真剣に語っていた、というのが面白すぎた。
しかし、内容はかなり重大だ。つまり、俺が鉄骨落下事件の時に自分が巻き込まれないようにできたのは、自分が事件に巻き込まれない、という世界軸へ俺が移動したかららしい。
「あーもう、話を戻すよ! それじゃあここまで話した上で、訊く。君は何を知りたい?」
「どうせお前は何者だ、なんて訊いても答えてはくれないんだろ?」
「うん、まだそれは答えられないね」
何を知りたい。何を知らなければいけない。ここで、一番自分に利のある情報は? いや、ここで彼女が教えてくれる可能性の最も高い、彼女が求めている問いは? 自分に問いかけて、下手な時間稼ぎをしながら、思考を巡らせていく。
世界はあの平行線のように連なって存在している。そして、そこでその世界軸が交わったり関わったりすることはまずない。
では、どうして三山はメイドの存在を忘れた? きっとこれには世界軸が関わっているに違いない。三山はいつメイドのことを忘れた? 少なくとも、あの鉄骨落下事件の前までは覚えていたし、その後には……。
あぁ、わかった。俺はそこでやっと理解した。俺の目的は、アンドロイドであるメイドを家に置くことを俺へ進めた三山へ事情を尋ねること。その目的を達成する方法は、一つしかない。
「……俺はあの日、シャフトシフトを使って事件に巻き込まれるのを防いだ。つまり、その以前の世界軸と今俺が生きている世界軸は、違う。そうだな?」
「うん、そうだね」
「そうか。なら、とりあえずお前に訊きたいことは終わりだ。あとはあいつに尋ねることにする」
俺はそう言ってベンチから立ち上がると、隣の彼女も同じように立ち上がって、少し息を吐く。そして、こちらに向き直ると彼女は一つ、こう尋ねた。
「ねぇ圭人くん、一つ聞かせて。君はどうして、あの子とあの日出かけてたの?」
彼女の言うあの子が、あのメイドを指していることを気づくのに一瞬かかったものの、答えは思いのほかすらすら出てきた。
「あいつが服を買いに行く、って聞かなくて。ただ、そんだけだ」
「……やっぱりか」
その声は妙に低く冷たく、また彼女らしくなかった。そのうつむきがちな表情には、どこか焦りすら見て取れる。
しかし、彼女はすぐにそれを誤魔化すように笑った。
「ふーん……女の子からデートに誘われるなんていいご身分だね」
「お前、なかなか皮肉鋭いんだな。普段の様子から全く想像できねぇわ」
なんと返していいのかわからず、俺はなんとも切れ味の悪い皮肉を彼女に返した。それに対し矢代は、ふっと何やら楽し気に笑って、
「女の子はだいたい裏表が激しいし、その表を保つのになかなか苦労してるんだよ?」
「……ソースは?」
「もちろんわたしだよ。まぁ、それだけじゃないけどね」
少し含みを持たせて彼女は苦笑した。その真意をその後追及しても、彼女は「女の子はミステリアスなのです」なんて言ってごまかした。
「ま、あとの質問は私じゃないひとに訊いて。そっちのほうが、きっと正確だろうし」
「お前じゃない人?」
唐突に話を打ち切った彼女は、どうしようもなく昏い目をしていた。いつのことだったか。俺は全く同じ目を、どこかで見た。
遠くから吹いてきた風が矢代の髪を小さく揺らす。ふわりと舞ったその髪からは、どこか花の香が漂っているように感じられた。だが、ただ甘い花など、怪しいこと限りない。
「そ、私以外。例えば――」
意識の端にすら引っかからないほどわずかに、口元がゆがみ、そこに薄く影が落ちた。
「――カミサマ、とか」
「……訊けるかよ」
冗談ぶって笑顔を作ったその言葉に、一体どんな真意が隠されているのだろうか。ほんの少し前まで俺にとって、彼女は平均より少し容姿の整った平凡な少女だった。だが、今は違う。シャフトシフトなんていう現実離れした出来事に、彼女はきっと関わっている。
どんなふうに、どんな立場から、何をもって、何を目的に。そのどれも判らないが、少なくとも、今後俺が彼女を、平凡な少女と捉えることはないだろう。
「じゃあ圭人くん、わたしはもう教室戻るよ。君もちゃんと言い訳考えてから下りなよ?」
そう言い残し、矢代遥は屋上から姿を消した。その後ろ姿はどこかいつもの彼女と違って、覇気のようなものが欠けていた。しかし、背筋を伸ばし、確かな足取りで歩く彼女の姿は、やはり美しかった。
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