次の世界で、自称機械人形は笑わない。
陽本 奏多
予兆とでも言うべき何か
「……なんだよ、これ……」
俺はほとんど口を動かさずにそう呟いた。それはひどく掠れた声で、少し震えていたかもしれない。
だがそう呟かざるを得なかった。だってそうだろう? きっとだれだってこう呟くはずだ。
こんな、『突然届いた段ボールのなかに女の子が入っている』なんて状況に直面したなら。
意味が分からない? そりゃそうか。それじゃあ数時間前から順を追って説明しよう。
この何でもない一日が、これから起こる非日常の発端となるなんて、俺は全く予想すらしなかったんだ。
* * *
「だから僕も、この世界が唯一の世界だと考えるのは愚かだと思うんだよ。……ねぇ圭人、聞いてるかい?」
「……大して聞いてない」
ひっどいなぁ、と頬を膨らませながらも、そいつは当然のように話を続けるつもりらしかった。「そうそう、じゃあこんな話は知ってるかい?」という文言は今や彼の決まり文句だ。
夏の過ぎ去った高校の教室。小テストの追試に向け勉強する俺に、彼は途切れることなく様々な話を聞かせていた。
ふいに、廊下を挟んだ窓の外へ目が行った。秋の高い空というのはなかなかに見る価値がある。どういう原理かは知らないが、他の季節に比べ秋の空というのは見ていて心地がいい。天高く馬肥ゆる秋とかいう言葉を聞いたことがあるが、きっとあれはこういう秋の空を言っているのだろう。
秋の放課後。煩わしい斜陽も届かない廊下側の机はなかなかに快適だ。あの苦しみしかなかった夏をほんの少し前まで感じていたこの身としては窓から吹き込む涼やかな風は何物にも代えがたいほど尊い。
「ほら、もう話聞いてない」
「追試の勉強してる俺に話しかけるお前が悪いだろ」
「余所見していたじゃないか」
またもやこちらを呆れたように見てくる少年は、椅子で船をこぎながら俺へ不満を漏らした。
光の当たりかたによっては茶髪にも見える短髪とすらりと伸びる四肢。少々つり目なものの全体的に人懐っこそうな印象を与える顔立ち。
何が面白いのか知らないが、この三山啓介という男は今日の放課後も俺の近くでひたすらしゃべり続けていた。
「それで? 世界がどうとか、って話か?」
「やっと話を聞く気になったか」
別に俺はこいつの話を聞きたくないわけではない。むしろ、たまに聞く三山の話は内容はもちろん、惹き付けるような語り口も手伝って興味深いものではある。しかしながら、なぜ彼が俺にそのような話をするのかは謎だった。
クラスの中における俺の立ち位置というのは……いや、語り方を間違えた。むしろ、クラスにおいて俺の立ち位置なんて存在しない。いわゆるぼっちというやつですね。これ以上でもこれ以下でもない。まったく、残念なことに。
「じゃあ折角だしもう一度話そうかな。圭人、君は世界といわれて、どこまでの空間の広がりを想像する?」
しかし、ほとんどの人間と交友関係を持たない俺だったが、彼一人だけは例外だった。
この三山啓介という男はなぜか、放課後になるときまって俺の前の席に座り、様々なことを俺に話すのだ。
始まりはほんの三週間前。なんとなくすぐに家へ帰りたくなかった俺は、帰りのホームルームが終わっても教室に残っていた。そして俺以外の全員が帰ってしまった後、突然こいつは教室にやってきた。そこで突然よくわからない話を聞かされたのが、この放課後の習慣の始まりだ。
それまでは一切と言っていいほど接点がなかったこの三山という男だが、実際に接してみると面白いところがないこともなかった。
彼が話す内容というのはSFから文学、社会問題まで様々だが、それらは共通して「彼が面白いと感じたもの」なのだそうだ。それをなぜ俺に話すのかはわからないが、とにかくこいつは毎日のように俺へ他愛もない話を延々と語っていた。
また最近はどうやって調べたのか突然家に来て、飯をせびってくることもある。非常に迷惑な話だが、持ってくる手土産がなかなかに気が利いているので俺も黙って夕飯をごちそうしていた。
「世界、ねぇ」
三山の、世界の空間の広がりはどこまでか、という質問について考えてみる。
スポーツ選手などが「世界を目指す」と言ったならば、その時の世界とは地球上に存在するすべての人間を指す。またファンタジーなどの二つ以上の世界が登場する創作物における「世界」というものならば、この地球を含む全宇宙を指すのではないだろうか。
そう俺が口に出すと、彼は少しにやりと口元をゆがめた。
「確かに、具体例を出せばそうだね。だけど、つい最近ある学者がある説を唱えたんだ。その中で彼は、世界を『物理的に連続した一つの情報集合体』と定義した」
「へぇ、それが?」
「僕がこの話を始めたのは、君にこの学者が提唱したある説を伝えたかったからさ」
妙に芝居がかった口調で、彼はそう言った。三山の目が淡く鋭さを帯びる。この男が近づいてきたここ数週間で、俺はこいつがこの目をするときには何かを画策していると学んでいた。
「その学者は言ったんだ。私たちがいま存在している世界は、いわば平面上の点に過ぎない、と。また、この世界、つまりその点が存在している平面上には無限とも思える点が同じようにあって、それぞれが密接につながりあっている、ってね」
半分目をつむるような形で彼は指を振ってそう語った。
「点が一つの世界、その点が集まって、平面を作る……」
「あぁそうさ。そんな話をどこかで聞いたことがないかい?」
そう問いかけられて、俺はすぐ答えにたどり着いた。きっと誰もが耳にはしたことがあるであろう単語。
「つまり、平行世界は存在すると?」
「正解。彼の説の趣旨はそれさ。さすが圭人、頭の回転は人並み以上だね
三山の言う話をまとめるとこうだ。
俺たちがこうして生活している宇宙とか言われている世界は一つの点に過ぎなくて、それと同じようなものはほかにもたくさん存在する。それらがそれぞれつながりあって、一枚の紙のような平面を生み出しているということらしい。
それはなんとなく理解した。確かに面白い話だと思った。だが。
「なぁ三山。お前はなんのために俺にその話をした?」
その問いに、彼は虚を突かれたようだった。しかしすぐににこりと無垢な笑みを浮かべて、
「ただ僕は、君にこの話を聞いてもらいたかっただけさ。もしそれに理由があるならば、それはきっと君が後から見つけるんじゃないかな」
この男は、またこうやって含みのある話し方をする。それが彼の悪癖であると俺はひそかにつぶやいた。
「圭人くん、先生が呼んでたよ……って三山、またあんたも残ってたの……?」
教室の扉が開く音がしたと思ったら、そこには一人の女子生徒がいた。
この時間まで校舎内に残り、尚且つ俺の名前を知っている生徒なんて数少ない。それも女子生徒となると尚更だ。
「あぁ、うん」
わが校(と言えるほど愛校心はないが)の生徒会副会長であり、俺と同じ組である矢代遥。それが彼女の名前だ。
長いポニーテールと優れたルックス、その肩書に加えいつでも笑顔を絶やさず誰とでも分け隔てなく接しているらしいその性格。これらのおかげでまともに人の名前を覚えない俺でさえすぐにその存在は覚えた。
別段よく話すというわけでもないが、(普段一切話すことのない俺が彼女とは一週間に一度ほどは会話するので相対的にはよく話す相手だがここではその考え方はしないでおく)彼女は何かと気にかけて俺に話しかけてくれていた。
「おっ、遥。お疲れ様」
そうやって手を挙げる三山を一瞥した矢代は露骨に不快を表情に出した。
「また圭人くんの邪魔してるんじゃないでしょうね」
「まさか! 僕は彼に有意義な情報提供をしていただけだよ」
……情報提供、ねぇ……。
もしくだらない学者の説を人へ強制的に聞かせることが情報提供といえるなら、彼の弁明は正しいだろう。その彼の言葉に矢代も疑念を持ったのか、眉をひそめて三山を詰問する。
「情報提供? どんな?」
「ちょっとした学説さ。君も聞いていくかい?」
「遠慮しとく。私にとって時間は貴重だからねー」
つまり、三山の話を聞くなんて時間の無駄、と。まったくもって適切な判断だと思う。
「ちぇ、面白くない。まぁいいさ。僕には圭人がいるしね」
謎に信頼を置かれているわが身を呪ってから、俺は矢代へ視線を移した。
「俺が呼ばれてるって?」
「あ、そうそう。もう追試始めるぞ、って」
「……あっ」
三山のくだらない話に付き合ってほとんど勉強せずに追試を受けた俺は、その後見事に教師と再び相まみえることを約束した。それが追追試という名前を持っていることは、俺の名誉のために伏せていたいと思う。
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