俺は気がつくと、見知らぬ部屋のベットの上にいた。

プル・メープル

プロローグ 私は気がつくと、見知らぬ部屋のベットの上にいた。

「う、うぅ……」

 俺は後頭部を擦りながら、ゆっくりと体を起こした。睡眠状態が解けた瞬間、その部分に何か、形のない違和感を覚えたからだ。だが、そこには特に何があるわけでもなく、寝癖でボサボサになった髪を撫でるだけだった。

「ふわぁ〜、よく寝た……って……あれ?」

 大きなあくびをして、寝ぼけたままの目をこする。俺の視界に映ったのは、見たことも無い部屋の壁だった。

「ここは、どこ?」

 確か、俺の部屋の壁は無字無柄の白い壁だった。しかし、目の前にあるのはうっすらピンクがかっていて、それでいてハートやら英字やらが書かれた壁紙だった。

「もしかして、百合子ゆりこの部屋か?」

 百合子というのは俺の血の繋がらない妹のことで、色々な事情があって、物心ついてから出来た妹だ。

 思春期関連もあり、百合子の部屋にはほとんど入ったことがない。最後に入ったのは確か、1年ちょっと前だったと思う。

 しばらく見ない間に、こんなに女の子らしい壁紙に変えたんだな。

 そんなことを思いながらベッドから降りる。

 床には綺麗なカーペットが敷いてあって、裸足の足を優しく受け止めてくれる。

「でも、百合子の部屋で寝てるってのも、変な話だよな。じゃあ、あいつはどこで寝てるんだ?」

 自分が何らかの理由で百合子のベッドを占領していたとして、あのベッドに百合子も寝ていた、というのは考えにくい。

 ただでさえ避けられているのに、一緒に寝るなんてこと、するはずがないからな。

「なら、考えられるのは一階のソファか」

 あまり口を聞くことは無いとしても、ベッドを占領した謝罪くらいはするべきだ。そう思って、俺は部屋を出るべく、ドアノブを捻る。

 キュッという金属音を立てて開いたドアの外に見えた景色を見て、俺はまた首を傾げる。

「百合子の部屋の前に、こんな窓あったっけ?」

 部屋を出ると、すぐ目の前にスライド式の2面窓があった。そこからは雲の少ない綺麗な空と、隣の家の壁が見えていた。

 頭を捻ってみるが、どうも、こんな景色に見覚えはない。というか、そもそもこんな廊下さえも見覚えがないのだ。どう頑張って言い訳しても、この部屋は百合子の部屋ではないし、この家も俺の家じゃない。

「なら、ここは一体、どこだ?」

「あら、今日はちゃんと起きたのね、もうご飯よ」

 俺の混乱する頭の中に、その声が響いた。

 振り返ると、微笑みながら美女がこちらに歩いてきていた。

「え、誰?」

「あら、早起きして偉いと思ったら、まだ寝ぼけているのね。顔洗って、目を覚ました方がいいわよ」

 美女はそう言いながら、俺の頭を軽く撫でた。

 俺の心の中では、美女に撫でられた喜びと、全く知らない人物から馴れ馴れしくされる困惑が混ざって、違和感の渦を作っていた。

「え、えっと、本当に、あなたは誰ですか……?」

「もぅ…お母さんをからかわないのっ!ご飯だから早く降りてくるのよ」

 お母さんと名乗った美女は、めっ!というように人差し指を立てて叱る素振りを見せると、すぐに来た廊下を引き返して行った。

 聞こえる足音の強さからして、あっちの突き当たりを曲がったところには階段があるのだろう。

 外の景色を見た感じ、この家は三階建てで、今いるのがおそらく3階だ。

「あれが、お母さん……?」

 俺のよく知るお母さんは、もっと年相応の顔立ちをしている。シワはそれなりにあるし、めっ!なんて言う歳じゃない。朝ごはんの呼び出しだって、1階から大声で叫ぶくらいで、わざわざ階段を上がって……なんてほど元気でもない。

 だが、実際お母さんを名乗った先程の人物は、美女と言うに申し分ないシワのない顔立ち、叱る時の可愛らしいムーブと声、艶めいた綺麗な髪、元気な体と魅惑のボディライン、と日本の男子高校生、いや、世界中の男性全員を誘惑し、興奮状態へと誘うことが出来ると言っても過言ではないお母さんだ。

 実際に俺の股間も……いや、俺は興奮していないようだ。いつもの、股間部分にくる、ズボンやパンツに締め付けられるような圧のようなものを感じない。あんなエチエチな美女を目の当たりにして、興奮しないというのは、俺の性欲はどこかへ飛んで言ってしまって、今頃ハワイ辺りでバカンスをしているんではないだろうか。


 まあ、冗談はこれくらいにしておくとして、それにしても、こんな家、本当に記憶にない。

 お母さんと名乗った人物にだって見覚えは……いや、そういうことか!

 おそらく、お母さんと名乗ったのは、俺の友達のお母さんだ。わざわざ誰々のお母さんというのも煩わしく感じたのだろう。つまり、ここは俺の友達の家だ。部屋の感じからしておそらく女子の……。女子の家にやってきたことを忘れるなんて、俺はきっと死後の世界で天罰を受けることになるんだろうな。いや、忘れたこと自体天罰か……。

 それにしても、女子の部屋に入って、その部屋のベッドで寝るなんて、俺は昨晩、一体どんな大きな態度をしていたのだろう。お泊まりの時は基本、ベッドは部屋主と決まっているだろうに。昨晩の俺を殴ってやりたい。いや、痛いのは嫌だからデコピンくらいで許しておいてやろう。

「廊下でぼーっとして、ミズキ、どうしたの?」

「え?」

 背後から声をかけられ、少し驚きながら振り向く。

 そこにはパジャマ姿の美女(2人目)がいた。

 ちなみに今更だが、俺の名前は斉藤さいとう 水樹みずき。高校二年生で、高一からはよく、制服のジャケットの前を開きながら、『斉藤さん』と言われたりする。

「ぼーっとしちゃって、熱でもあるの?」

 美女は心配そうな顔で俺の目の前まで来ると、俺のおでこにその手を当てる。

「んー、熱は無いみたいだけど……、気分が悪かったらちゃんと言うのよ?」

「う、うん、わかった…」

 この美女、美女と言っても俺より少し年上くらいだろうか。大人びた顔立ちに、綺麗な瞳。お母さんと名乗った人物とよく似ているが、どちらかと言うと元気があって、それでいて優しさのあるお姉ちゃんという感じだ。もしかすると、俺の友達のお姉ちゃんなのかもしれない。こんなお姉ちゃんがいるなんて、毎日興奮しないはずがない……と言いたいところだが、俺はなぜか興奮しない。

 俺は一度、病院に行った方がいいのかもしれない。このままでは、俺の子孫は確実に残らないだろう。

「ほら、朝ごはん食べに行こ?」

 そう言って、美女に手を引かれるがままに廊下を歩き、階段を降りる。1階まで降りると、テーブルと4つの椅子があり、その内のひとつに座るように促される。

「ほら、朝ごはん、ちゃんと食べてね〜」

 美女お母さんが運んできたのは、目玉焼きと半分に切られたトースト。目玉焼きをトーストに挟んで、美味しそうに食べる美女お姉ちゃん。その様子を眺めていると、美女お姉ちゃんがまた、心配してきた。

「本当に大丈夫?食欲もないくらいしんどいの?」

「い、いや、そういう訳じゃ……」

「お母さん!ミズキの様子がおかしいの、喋り方とかもいつもと違うし……。今日は学校、休ませた方がいいんじゃない?」

「え、いや、体調は悪くないんだけど、記憶が変かなって……」

「ほんとね…。言ってることもなんだかおかしいみたいだし、ミズキ、今日は学校休みなさい」

「え、えぇ……」

 いや、休めること自体はうれしいけれど、なんだか、勘違いされている気がする。

「じゃあ、ミズキは部屋でちゃんと寝て、ゆっくり休むのよ?」

 美女お姉ちゃんは使っていた食器を片付けると、急いで上の階に上がって行った。

「ミズキ、1人で部屋まで行ける?フラフラするならお母さん、手伝うけど……」

「い、いや、一人で行けるから、大丈夫、だよ」

「そ、そう……」

 心配の眼差しを向ける美女お母さんを背に、俺も階段を上る。


 部屋に着くと、静かにドアを閉め、少し前まで寝ていたベッドに座る。

 状況から考えるに、この世界は、俺の知っている世界ではないようだ。知らない母親、おそらくもう1人は姉だろう。二人とも全く知らないはずなのに、向こうは俺の事を 知っていた。おまけに家族だという。これは、完全に異世界に飛んでしまっているらしい。元の世界に未練がある訳でもないし、別にいいんだけれど……。

 そんなことを思いながら俯いていた顔を上げると、目の前に姿見が置いてあることに気づいた。だが、俺はそれよりもっと重大なものを見つけてしまった。

「え、ちょっと……まてよ……それは無いだろ……」

 この部屋も、家も、家族も、外の景色も、全てが俺の知っているものではなかった。その大きな変化に気を取られて、俺は、もっと身近な変化に気づいていなかった。

「俺の性別まで変わってるなんて……」

 そう。姿見に映る俺の顔は、完全に女だった。起きてから部屋と後頭部に違和感を覚えたせいで、自分の胸元に注意がいっていなかったらしい。俺の胸元には、あるはずのないたわわなものがついていた。代わりに、股間にはあるはずの立派なものが無くなっていて、興奮によるズボンの圧を感じなかったことに納得がいった。

 圧を感じる部分自体が無くなっているのだから、感じるはずがない、と。

「いや、何故意外にも俺はこの状況を飲み込んでいるんだ……」

 自分でも、この状況にパニックになっていないことにかなり驚いている。逆に、驚いていないことに驚いてパニックになりそうだ。

「ただ……」

 俺は姿見に近づいてみる。

「かわいい……」

 そこに映る姿は、文句無しの美少女、だった。

 大きくて綺麗な瞳と長いまつ毛、小さくてシュッとした顔立ちに、綺麗で艶のある赤い髪の毛。細身で色白、でも不健康という訳ではなく、胸も大きい。身長はおそらく150前後くらいで、俺の好みにどストライクな見た目をしている。

「これが…俺?」

 右手を振り振り、左手を振り振り、お尻をぷりぷりしてみても、鏡の中の美少女は俺と同じ動きしかしない。つまり、正真正銘、本当に俺だ。

「待ってくれよ、そりゃ、七夕に『かわいい女の子に巡り会えますように』って願ったけどさ、俺がなりたいとは言ってねぇよ……」

 俺は姿見の前でガックリと肩を落とす。

「でも……」

 でも、その落ち込みはすぐにどこかに行って、俺の心はまたぴょんぴょんし始める。

「この状況、この女の子は俺なんだから、完全にこの女は俺の女ってのが成立するんだよな……」

 とまあ、そんな訳の分からないことを呟いていると、また後頭部に違和感を覚えた。

「うっ……す、少し寝るか……」

 これは多分、ライトノベルで読んだ転生と言うやつで、それにかなりエネルギーを使ったのだろう。だから、体が少し疲れているんだと思う。だから、今はゆっくりと休むことにした。

 ベッドに寝転んで目を閉じる。

(目覚めたら全部夢でした、なんて、やめてくれよな……)

 そう思いながら、その意識は夢の中に落ちていった。

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