フラスコの夢04 「もしもの世界」



 ステラちゃんが驚いている。

 それは当然だろう。


 視線の先にいるのは、私の担任教師でもある人で、仇でもあった人だ。

 だけど、ステラちゃんにとっては大事な人なのだ。


 何と言っても先生は、ステラちゃんが小さな頃に大変な所を救ってくれた人で、それからも色々世話を焼いてくれたらしい人なのだから。


 だから、私の知っているステラちゃんなら、先生にこんな現場を見られたことをショックに思うはず。

 それは普通に考えられる事だった。


 だが……。


 彼女の驚きの意味は、私が想像していた物とは違った様だ。

 その感情の方向性がおかしかった。


「先生、どうして生きてるの? ニオが殺したんじゃなかったの?」

「……?」


 なぜか、ステラちゃんの口からはそんな言葉が聞こえて来た。


 私は混乱するしかない。


 そんなはずがないというのは、他ならぬこの私が一番よく分かっている事だから。


 エル様の仇として一度……いや、二度ツヴァイ先生の命を狙った事は確かだ。

 けれど、いずれもステラちゃんに止められているし、今はもう復讐を果たす事は諦めている。


 だから、私がその人を殺しているなんて事、絶対にありえないのだ。


「生きてたというの……? でも、そんな。じゃあ……私、一体、何の為にここまでの事を……」


 小さくぶつぶつと何かを呟くステラちゃんは、何だかとても危うく見えた。

 少しの衝撃で粉々に壊れてしまいそうに見える。

 けれど、私がどうすればいいのか分からないでいるうちに、ステラちゃんは何かしらの答えを見出したようだった


 彼女は頭を上げて私の知らない誰かの名前を発した。


「フェイト、そうだわ。フェイトならきっと、何か知ってるはずよ。彼に聞けば、大丈夫。ええ、大丈夫なの。大丈夫なはず……」


 それはまるで、疑念は残るけど、その可能性に縋り付きたいと思っているかのような言葉だ。

 あるいは現実を見たくないと、逃避するかのような……


 そして、ステラちゃんはそう言ったきり、私の目の前から去って、どこかへ向かっていってしまった。


「あ、ステラちゃ……」

「やめとけニオ、そいつはお前の知ってるステラードじゃねぇよ」


 制止しようとするが、今まで何も言わずにいた先生が声をかけて来て、気をとられてしまう。

 その内に、ステラの姿は見えなくなってしまった。


 一瞬、追いかけようかどうか迷ったが、口振りからして先生は何らかの事情を知っているらしい。

 ステラちゃんの事は心配だけど、私は渋々その場にとどまるにした。


「先生は何か知ってるの? ねぇ、ステラちゃん、一体どうなっちゃってるの! あんなの普通じゃないよ!」

「普通じゃなくて、当たり前だ。ここは俺達がいた世界じゃないんだからな」

「え?」

「よく、思い出してみろ。ここに来る前に何があった」

「何って……」


 問いかけられてしばらく横に置いといた問題と再び向き合う。

 最初に思い出せるのは、文字を書いていたという記憶だ。

 ニオは、部屋で手紙を書いていたのだ。

 確かにそうだ。


 それで、部屋で眠って……そしたらなぜか町中にいた。


「記憶もっと巻き戻せ。学校に変な奴が訪ねてきただろ、あんな珍妙な変質者を忘れたとは言わせねぇぞ」


 そういえば、そんな事もあった。


 先生の知り合いだとかいう唐突な訪問者……メディックとかいう研究者がやって来て……。


「えーっと、実験用のサンプルの薬をパリーンって割っちゃったんだっけ」


 その人はかなりそそっかしい人なのか、色々動いたりしている内に、持ってた物を不注意で落としてしまったのだ。


 かなり怪しげな「恋が実る薬」や「見たい夢が見れる薬」だののラベルが張られた小瓶があった。

 その便の中身が、食堂の床にぶちまけれて、水浸しになったり、煙が発生していたのだった。


「そん中にある、別の世界に移動する薬って奴が、効力を発揮したようだな」

「え? えぇー! 何そのびっくり箱! ありえないんですけど!!」

「そのありえない事がありえてるから、今ここにいんだろ。リアルな夢で説明つけられっかよ、こんなもん」

「確かに無理!!」


 念には念を入れて自分の頬を引っ張ってみたが、その感触はただリアルなだけで、夢が覚める気配は微塵もなかった。


 そういえば、床にぶちまけた薬に近づいて、もくもくした煙を見てたら、その煙を少しすってしまったのだった。そのせいかもしれない。


 私はその人の知り合いらしい先生に向かって口を尖らせる。

 それだけの情報を知っているなら、赤の他人であるはずないし、知っていたなら出入り禁止にするなり対策をとってほしかった。


「えー、これどうするのー? ちょっと迷惑なんですけどー!」

「うるせぇな、そんな全力で叫ばぶんじゃねぇ。俺だって迷惑してんだよ。あいつには昔っから、熱が出る薬混ぜられたり、幻覚見える液体ぶっかけられたり……」

「うわぁ、その人よく普通に出歩いてられるね」

「俺も心の底から不思議でたまらねぇよ」


 何でも先生が言うには、普段はちょっとアレらしいが、研究者としては一応優秀な物だから、彼の上司が色々と贔屓してるらしい。何それ職権乱用。


 ともあれ、原因が分かったのならば少しだけ安心できた。

 訳も分からず変な状況に放り込まれて焦ってしまったが、理由があるというのなら探せば解決方法をきっと見つけられるはずだ。


「ニオ、もうこんなとこさっさとサヨナラしたいんですけどー。何かアテとかないの?」

「できるもんならさっさとやってる。効果時間が切れるのを待つしかねぇよ」

「えー、ひどーい!」

「しょうがねぇだろ、お前までここにいるとは思わなかったんだから。あー、ステラード……は違うが、ツェルトとかライドらへんもいたりしねぇよな」

「あー、うん。それは大変だ。ツェルト君が見たら、すごくマズい事になりそうだもんね」


 彼は色々あってステラちゃんにぞっこんだ。


 もし先程の場面を見てしまったとしたら、彼の被害は涙をさそうものになってしまうだろう。

 私にできるのは、彼は薬の被害に遭わずにこの世界きてない事を願うしかない。


 ともあれ、時間が限られているというのなら、焦る必要はなさそうだった。

 下手に動かず、じっとしているのも一つの対処方法だろう。


 だが……。


「うーん、やっぱりさっきのステラちゃんちょっと気になるな。先生ちょっとニオの護衛になっててよ」

「あぁ?」


 これで何もかもを終わらせてしまうには、先ほどの光景は重すぎた。


 もう少しこの世界の彼女に何があったのかを知らなければならない、そう思ったのだ。


「先生も気になるでしょ? ステラちゃんは別の世界でもやっぱり性格がステラちゃんしてたけど、あのステラちゃんは何か変なステラちゃんだった。別の世界で生きてるこのニオにはきっと関係ない事なんだろうけど、やっぱり心配なんだ。だから、お願い」


 手をあわせて、拝み倒すとツヴァイは諦めた様に長い息を吐いた。


「はぁー……ったく、しょうがねぇな。時間は一時間だ。効果が切れる前にさっさと追っかけんぞ」


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