第16章 その人さえ



 語り終えたニオは涙を流しながら声を張り上げた。


「エル様は助かったはずなんだ。その人が、その人さえいてくれれば! だってその人は勇者だから」

「ゆう……しゃ?」


 それはおとぎ話の存在のはずだ。

 空想上の存在みたいなもので、実際にはいるかどうかわからない人物。


 比喩や例え話に使われる事はあるものの、こうして本当に実物するなんてことは誰も思っていないはず。


「おいおい、まさかニオちゃん。その勇者って、そういう事なのか」


 ニオの発言に気が付いたらしいライドが信じられないと言ったように、声を上げる。

 遅れて私も気が付いた。


 勇者に復讐すると言ったニオが殺したいと刃を向ける相手は……。


「先生が勇者?」


 そうとしか考えられなかった。


「ああ、そうだよ。誠に遺憾ながらってやつだが、俺が先代勇者ユースの代わりに引き継いだんだ」


 まさか実際に存在していたなどとは。

 しかもそれが、ステラの知っている人間だとは。


「どうして、どうしてあの時エル様の傍を離れたの!? あの時離れなかったら、エル様は助かっていたかもしれないのに!」

「言い訳はしねぇよ。俺のミス。怠慢だ」

「許せない!」


 私は刃を振るおうとするニオを止める。


「退いてステラちゃん。そいつは殺さなくちゃ駄目なの、私はエル様に約束したんだから!」

「そんな事、その人は望んでるの!? やめてちょうだい、ニオ! その人はきっと優しい人なんでしょう? ニオが幸せになる事を願ってるんじゃないの!?」

「そうかもしれない、そうかもしれないけど……」


 とにかく先生を傷つけさせることだけは止めさせなくては、そう思って説得の言葉をかけ続けるがニオは頑なだった。


「ニオは選んだの。ニオの幸せより、エル様の幸せよりも復讐をするって」

「どうして!?」


 どうしてそこまで、辛い思いをしてまで嫌な事をしようとするのだろうか。

 彼女はいったいどんな思いで、そんな事をしようとするのだろうか。


「恋は人を狂わせるの。大好きだから、その人がいなくなっちゃったら、おかしくなっちゃうの。ステラちゃんには分からないよ」


 だって恋をした事が無いから。

 そう言われてしまって、私にはもう何も反論できなくなってしまった。

 

 ふいに、それまで黙っていた先生が言葉をかけた。

 誰に。

 ニオに、だ。


「俺が憎いんだろ、殺したいんだろ、なら殺せばいい。その代わり、他の人間には手を出すな。それで満足するなら、俺はお前に殺されてやっても良い。……もう俺の命はずっと昔に終わったも同然だからな」

「駄目! 何言ってるんですか先生!?」

「俺が死んでも、ちょっとは悲しむ奴がいるかもしれぇねが……。そう大して、困りゃしねぇだろ」


 困る。

 人一人の命はそんなに軽くない。

 私は、先生が死んだら困るというのに、どうしてそんな事を言いだすのか。


「そう、それならお望み通りに殺してあげるよ、ほら、だからステラちゃん」

「いや! 退かない!」


 ニオにその場から退く様に言われても私は動けなかった。


「考え直して、こんなの間違ってる。私の好きなニオは、こんな風に誰かを殺したりできる人じゃない」

「ステラちゃん……ごめんね、ニオはそんな事、ないんだよ」


 そんな悲しそうに謝らないで、謝るくらいならやめてほしかった。


 私はニオに手を汚してほしくないし、先生にも死んでほしくない。

 どうにかして、二人を助けられないのだろうか。


「……」


 その時、ライドが前に出てニオに言葉をかける。


「惚れた女の子が殺人鬼になるのは、嫌なもんだわな。俺も剣士ちゃんの味方をするわ」

「ライド君まで、邪魔しないでよ」

「するさ。今も迷ってるニオちゃんの事を考えれば、特に」

「ニオは迷ってないんかいない」


 固い声を返すニオに、ライドはわざとなのか軽い声を出して言葉を返す。


「迷ってないんだったら、剣士ちゃんのとこに来て話なんかしないでしょ。迷いなく復讐に踏み切れない理由が、切り捨てられないものがあるんじゃないの?」

「そんな事……」


 述べるニオの視線は揺らぐ。


 ニオは迷っている。

 そうだ。

 本当に先生の事を殺したかったら、その事を悟らせるような事を私に話したりしないはず。


「ニオ、お願い。そんな事はやめて」


 そこで、唐突に声をかけてきたライド。


「ニオちゃんも剣士ちゃんも、先生も残念だけど、悠長にここにいられるわけじゃなさそうだぜ。あーあ、嫌になるなこんな時だってのに、俺ってそういう事に気づいちゃうのね」


 その言葉にかぶさる様に、獣の唸り声がいくつも届いてきた。


 遠くで何かが破壊される様な音も聞こえてくる。


「何度も聞いた事があるから、分かるけど。あれたぶんツェルトが暴れてる音だと思うんだけどさ。どうする? そのままケンカ続けちゃう?」


 ツェルト……、そうだ。

 その場にいないと言う事は、彼はこの付近にいるという事なのに。


「ニオ! ツェルトはどうしたの!?」

「……途中で迷ったフリして置いてきた。ごめんね。こんな事になるなんて、思ってなかった」


 彼女は逡巡しながらも、剣をしまう。

 とりあえずは、判断を先延ばしにしてくれたようだった。


「探しに行きましょう。この辺り、やっかいな魔物の群れが増殖してるみたいなの、昼間に減らしたけど、まだ生き残りがいたのかもしれない」






 ステラ達のいた場所から数百メートル程離れた場所。


 ツェルトは我を忘れた様子で、襲い掛かって来る魔物達と戦闘していた。

 モグラスライム達ではない、元からこの土地にいた魔物だったようだ。

 一つ目の巨人、サイクロプス達。

 討ちもらしはなかったようだが、こちらの方が脅威度は高いので油断できない。


 というか学生が敵うような相手ではない。

 ゲームでも、この世界で生きて得た知識でも、サイクロプスはかなり力のある魔物で熟練の騎士が数人がかりで討伐するような魔物なのだ。


「ツェルト、しっかりして!」

「剣士ちゃん。まずは魔物の方をどうにかしないとまずいぜ」


 彼を正気に戻そうにも、周辺にいる魔物の数が多すぎて思ったようにツェルトの元へ向えない。


 だが、そこに剣を持った先生が前に立った。


「まったく、行く先々で厄介事に巻き込まれやがって。ほら、退いてろ」

「先生?」


 先生は剣を構えて、一振り。

 すると、幼い頃にも見た先生の技の一つが、周辺にいた魔物達の半数を一層してしまった。


 不可視の斬撃が、一瞬で襲い来る脅威達を無力化してしまったのだ。


「剣から衝撃波って。やっぱり剣士ちゃんの師匠だけあるわ」


 感心よりも納得の成分が強いライドの言葉に、思わず考えてしまう。

 小さい頃はそれができるのが普通だと思っていたのだけど、ひょっとしてこれ、とんでもないことなのだろうか。


「誰かが意図的に連れて来なきゃ、こんな奴等がここにいるはずないんだがな。ステラード、お前心当たりあるか?」

「え、それは……」


 先生の言葉に命を狙われている現状を思い出す。

 だが、それをこの場で言うのは躊躇われた。


「また、一人で抱え込んでやがるな。そういう時は相談すんだよ。ばぁか」

「馬鹿って何ですか、真剣に悩んでるのに」

「真剣に悩んで解決すんなら、世界中平和だろ」

「……」


 お見通しらしい先生の言葉にぐうの音も出ない。

 会話の最中にも先生はしっかりと動いていた、周囲の敵をさっさと一掃してしまった。


 その後の事は、おおよそ想像通りだった。


 魔物の生き残り相手に戦闘したらしいツェルトが暴走して、それを抑えるためにステラ達は奮闘。


 立て続けに起こった事件に肝試しどころではなくなってしまって、当然催し物はそこで終了だった。


 ニオは、それからはいつも通りの態度に戻っていたけれど、私達とはどこか距離を置いているような感じだった。


 彼女は先生に何かを仕掛けるという事はないものの、不穏な空気を抱えたまま、時間は静かに過ぎ去っていく。


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