遺族の末裔

@hsn_scapegoat

Prologue



 終末時計という言葉がある。

 日本語ではウィークエンドという意味で同じ発音の単語があるので、耳で聞いただけでは『じゃあお昼までにピクニックに出かけようか、バスケットにサンドイッチを詰めてね』などとどこか楽しげな印象を与えかねない。


 元々の英語ではドゥームズデイクロック。最後の審判の日への時計、人類滅亡へのカウントダウンという本当はおそろしく中二くさい内容の言葉である。


 核の危機を警告するため冷戦時代にとある科学雑誌が言いはじめた思いつきで、世界が終わるまであとたったの2分しかない、なんて強迫的に示したものだ。

 伝説的なアメリカンコミック、ウォッチメンで象徴的に描かれていた事から知っている人もいるだろう。


 言ってしまえばそもそもおのれら科学者が開発した兵器のはずなのに、それによって世界が滅びるなんて言って危険を煽るのはそれこそマッチポンプというか一般庶民としては大概にしていただきたい案件ではあるが政治が悪い、独裁者が悪いと責任転嫁してしまえば自分に火の粉は飛んでこないなんて考えているのか。

 さらに言えば核の恐怖なんてものは既に手垢にまみれて古臭く陳腐化し、今日日きょうびスパイ映画でも端役。そんな終末論者の逆境をなんとか克服しようと、地球温暖化なんぞを滅亡の理由に追加して何とか恐怖を演出して煽ってみたものの効果はあまり……いやこれ以上の言及はアンサイクロペディアにでも任せよう。

 人は言って聞くようには出来ていない。核廃絶なんて寝言だし、車は便利だし。

 文明は不可逆でありいまさら剣と魔法の時代なんかに後戻りもできない。


 それでも、いやだからこそアポカリプスとは人々にとってある種の憧憬にも近い趣がある。週末ならぬ終末・・に一体何処へ出掛けるか。それは実際ロマンに他ならない。


 世界が崩壊する。

 心底下らない、糞みたいな現実が何もかも全部無くなってしまう。

 学校も塾も会社も税金も全部過去のものだ。

 力こそ正義の、略奪も強盗も何をするのも自由な、束縛やしがらみから解き放たれた人間の本性。

 そしてその中で垣間見える人間性。

 善人にしろ悪人にしろ等しく訪れるのはただ死のみ。


 退屈に/現実に、死にそうに/殺されそうになっている暇な/アノミーな人たちにとっては特に。


 そして来たる20XX年、その時計の針はとうとう深夜零時を指した。


 しかし理由は、科学者らの予想とは少し違った。(まあそれも仕方ないかも知れない、彼らはキューバ危機すら大分後になってやっと知ったくらいなのだ)

 某超大国のプレジデント・トランプ氏の政策。温暖化対策のパリ協定を脱退し、あまつさえ核廃絶に対しても消極的な態度の所業でもなく。極東から一つ手前の某国の核開発の仕業でもなく。……ありがちと言いたければ言えばいい。


 ……何ということだろう、ゾンビが現れた所為だった。



※※



 現実は映画のように甘くない。

 大量に発生したゾンビによってコントロールを失った原発はすぐにメルトダウン、周囲に大量の放射性物質を撒き散らし、噛まれるのと違ってただちには影響がなかったものの数年で心臓発作や脳梗塞になり死亡そしてゾンビ化。

 日本はまたたくまに死の国と化した。


 人々は次々と死んでいった。


 南米奥地に真っ先に・・・・避難したある家族を除いて。


「あなたが研究所を辞めて引っ越すって聞いたときは、気でも狂ったのかと思ったわ」


 庭では鶏が走り回り、柵の向こうでは牛や羊がのどかに草を食んでいる。

 揺り椅子に座る母は、父にもう何度目か分からない思い出話をする。


 現地人のお手伝いさんメイドが淹れたての紅茶を持ってくる。

 その後ろから駆け寄ってくる少年。


「庭の薔薇が今年も咲いたよ」


 彼は得意げな顔で手折られた一輪を差し出す。


「あら素敵ね、ちょっと待って。花瓶を持ってくるからテーブルに飾りましょう」

「もっと咲いたらお隣りさんにおすそ分けしてもいい?」

「いいわよ、ジークリンデちゃんもきっと喜ぶわ」

「そんなんじゃないよ」


 少年は母にちょっと怒ったような顔をする。


「そうね、ごめんなさい。貴方には日本に婚約者がいたんですものね」

「あの子は別に関係ないさ。それに……」

「ううん、きっと生きてるわ。そんな気がする」


 少年は黙り込む。


「あれからもう何年たつだろう……」


 と父が言い、しんみりと黙り込む家族。

 そこへもう一人の若いメイドがバスケットを片手に入ってくる。少年と同い年くらいだろうと思われる。

 彼女は溢れるような笑顔で笑いかける。


「羊の乳でチーズを作りましたよ」


 白い布巾を捲ると芳醇な香りが漂ってくる。


「どうぞ召し上がってくださいな」

「美味そうだな、一欠片貰おうか」

「待って今切り分けますね」


 とテーブルに置いてナイフで切り取るメイドは少し色黒だが笑顔がとても可愛らしい。

 戸棚から細長い一輪挿しを見つけ出した母がすぐに戻って来て少年から薔薇を受け取る。


「僕もちょうだい」


 少年がいちばん大きな欠片を先に摘んで逃げ出す、若いメイドは嬉しそうに微笑んでいる。


「こらこら、はしたないぞ」


 父が軽く叱って、自分も一つ口にする。

 それはとてもとても濃厚でクリーミーな味わいだった。


「うん、ワインによく合いそうだな」

「あなた、また飲みすぎないで下さいね」

「分かってるよ」


 飼い犬のウェルシュ・シープドッグ、ナポレオンがソファーで寝ころんでいる。少年は摘んだチーズをその鼻の前に持って行きひらひらさせる。そして口を開け喰らいつこうとする寸前にさっと躱して自分の口に放り込む。

 ナポレオンは不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「日本にいたら、こんな生活考えられませんでした、あなたもお仕事が忙しくて」

「ああ、そうだね」

「この子だって内気なたちだから、学校でいじめられていたかも知れないし」

「そんな事ないよ、何言ってるのさ」


 少年は口を尖らせる。


「私は今、幸せですよ」


 窓の外から春風が薔薇の香りを運んでくる。

 遠くで動物の鳴き声が聞こえる。

 傾きかけた日差しは暖かく微睡みを誘う。

 そして母は揺り椅子で編み物の続きを始める。


 “世界が終わったというのに”

 その言葉はまるで禁句のように、誰からも発せられる事はなく……。



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