第159話 宿屋店主フロイドと悩める親父たち

 ※次回投稿は水曜日になります!


 

 フロイド・ハーミッダ。


 かつて、大陸最大国家であるフェルネンド王国において大臣職に就き、百人を越える部下を従えていた豪傑である。

 そんな彼の現在の職業は宿屋の店主。

 暴走を見せ始めたフェルネンド王国に見切りをつけ、セリウス王国のエノドアへと移住してきたのである。もちろん、他国の要人クラスが正式な手続きを持って移住をするとなったらセリウス側も接触を試みるようになり、実際、たまに宿屋を抜け出してセリウスの要人と何やら交渉事をしているようだった。


 ともかく、政治職から離れて一般人となった今はのんびりと宿屋を営みながら余生を過ごしているというのが現実だ。




 そんなフロイドの宿屋に、今日も多くの客が訪れる。

 その大半は旅の行商。

 エノドアだけでなく、世界中を回る商人たちの憩いの場として大変好評だった。中でも、フロイドの妻――つまり、ネリスの母であるティアが振舞う料理にあった。


「はい、どうぞ」

「おお! 今日もおいしそうだ!」

「ふふ、ありがとう♪」


 宿屋は宿泊客だけでなく、鉱山で仕事を終えた鉱夫たちも、ティアの作る優しい母の味を求めてやってくる。鉱夫の中にはまだ十代の若者もおり、彼らにとってティアはまさに第二の母と呼べる存在だった。


「さて、そろそろ受付を閉めるか」


 とりあえず、今日の受付業務は終了し、休もうとしたフロイドだが、食堂のカウンター席に浮かない顔で座るひとりの中年男性を発見する。


「あれは……ルークか?」


 男の名はルーク。

 フロイドの宿屋の常連客で、エノドアだけでなくセリウス王都やパーベルにも足を運ぶ行商だ。最近では要塞村にも足を伸ばそうとよくエルフのケーキ屋さんにも出入りしている。

 普段は明るいルークが、今日はまるで火が消えたようにおとなしい。そんな様子をおかしいと感じたフロイドはたまらず声をかけた。


「何かあったか、ルーク」

「フロイドの旦那……」


 ルークはフロイドが元大臣であることを知らない。というか、この宿に泊まっている者でフロイドの過去を知る者はほとんどいなかった。なので、宿泊客たちにとって、フロイドはなんでも相談できるまさに父のような存在といえた。


「困ったことがあったなら相談に乗るぞ」

「は、はい」


 頼れるフロイドにそう言われ、ルークは素直に悩みを吐露することに――と、そこへ娘のネリスがやってくる。


「じゃあ、夜の見回り組に合流してくるね、お父さん」

「ああ、気をつけてな」


 自警団に所属するネリスは今夜が夜回りの当番なので、他のメンバーと合流するため出かけるようだ。ちなみに、以前はフロイドのことを「お父様」と呼んでいたが、宿屋の店主になってからは「お父さん」呼びに変わっている。

 ネリスを見送ってから、改めてルークの悩み相談を引き受けようとしたが、肝心のルークは信じられないといった表情でフロイドを見ていた。


「ど、どうした?」

「だ、旦那は心配じゃないんですか?」

「心配? ああ、ネリスのことか。あの子なら大丈夫。そんじょそこらの悪漢程度では相手にならんよ」

「そうじゃなくて……見回りはひとりじゃないんでしょう?」

「ああ。確か夜の見回りは同僚四人と一緒だ」

「それは全員男で?」

「まあな」

「…………」


 そこで、ルークは沈黙。一連の流れで、フロイドはルークの抱える悩みを読み取った。


「ルーク……君には確か娘がいたな」

「! え、ええ……」

「その子に何かあったんだな」

「そうなんですよ。実は……娘に彼氏ができまして」

「ほう」

 

 それは、父親にとって衝撃的な事実であると同時に、娘が大人になったと感じられる瞬間でもある。

 しかし、ルークの様子からしてあまり喜ばしい状況ではないようだ。


「相手に問題でもあるのか?」

「そ、その……なんというか……夢多き若者というか……」

「ああ……」


 なんとなく、その表現で相手がどんな人間であるか察せされた。さらに、それだけではないようで、


「おまけに娘は妊娠しているみたいなんです」

「に、妊娠!?」


 これにはさすがのフロイドも驚く。


「それは……父として心配だな」


 夢を追うことは悪いことではない。しかし、子どもができたとあっては先々のことを考えて定職に就いてほしいというのが本音だろう。だが、娘は相手の男性に夢中で、歯止めの利かない状態に陥っている――それがルークの悩みだった。


 重苦しい空気が流れる中、



「話は聞かせてもらった!!!!!!」



 宿屋の中に響き渡る声。

 フロイドとルークのふたりはその主を探して声のした方向に視線を動かす。そこにいたのは意外な人物だった。


「き、君は――要塞村のジンか!」

「ふふふ、その通り!」


 いつの間にかカウンター席に座っていたジンは立ち上がるとふたりのもとへ歩み寄る。


「同じく娘を持つ父として、あなたの苦悩は痛いほど分かる」

「じ、ジン殿……」

「懐かしいな……私も昔はやきもきしたものだ。うちのマフレナは純粋無垢で天使そのものなのだが、その性格を利用するろくでもない男にそそのかされたとしたら――そいつを八つ裂きにしているだろう」


 鋭い牙がギラッと光る。

 その静かな迫力に、フロイドとルークは息を呑んだ。


「だが、今はもうその心配はない。何せ、マフレナが選んだのは我ら銀狼族を種族滅亡の危機から救ってくれたトア村長なのだから」

「トア、か……」


 フロイドは昔を思い出す。

 あれはまだネリスたちが養成所に入って間もなくの頃、二週間ほどの長期休暇に入った際、ネリスの友だちである四人を別荘へ誘った。

 トア、エステル、エドガー、クレイブ――ネリスが養成所で友だちになった四人は、いずれも礼儀正しく好印象を持てる子どもたちだった。中でも、魔獣によって故郷を失いながらも真っ直ぐに生きているトアとエステルの姿は、フロイドの印象に強く残っていた。


「ちなみに、私の娘のマフレナ。エルフ族の長であるアルディ殿の娘のクラーラ。八極のひとりであり、鋼の山のドワーフたちを統率するガドゲル殿の娘のジャネット。この三人の間で、誰のところに初孫が生まれても恨みっこなしだという協定が結ばれている。エステルのご両親が亡くなられていることが残念だが……」

「やはりトアの嫁になるのはその四人のうちの誰か、か」

「いや、私としては四人全員と結婚してもらいたいが」

「……まあ、今の彼ならそうなってもおかしくはないか」


 エノドアに移住してきてから、トアの成長は著しい――という生易しい言葉で括れるものではなくなっていた。精霊女王を倒し、帝国の天才女性魔法学者レラ・ハミルトンさえも打ち破った。おまけに、最近では聖剣なる強力な武器も手に入れたらしい。そもそも、要塞村自体の戦闘力も今や一国の軍事力を凌ぐかもしれないという領域まで達しようとしていた。

 

「おっと、話がそれてしまったが――ルークとやら!」

「は、はい!」


 ジンに肩を強く掴まれたルークの口から怯えたような返事が飛びだす。


「不安なのは分かるが、父である君がしっかりしなくてはならないぞ! 娘に何かあった時、父としてしっかりと支えられるように、な」

「じ、ジン殿……」


 ジンの言葉が胸に響いたのか、ルークの目から熱い涙がこぼれた。




 ルークを見送った後、ジンはフロイドに「娘を見守る父の会」への入会を勧めた。

 各種族の長が名を連ねるその会に興味を抱いたフロイドはすぐさま入会を申し出る。


「ようこそ……こちら側の世界へ」


 ジンはフロイドを歓迎し、早速関係会を要塞村の酒場で行うことにした。

 ――後日、その会の存在を知ったネリスから脱会を命じられるが、それは形式的なものだけにして、裏ではこっそりとアルディやガドゲルと娘についての情報交換をしている。

 父親たちの受難はまだまだ続きそうだ。

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