第134話 アイリーン・ラプソディ

 要塞村お月見会から一夜明けた早朝。

 黒蛇のシャウナは地下迷宮第一階層にいた。

 その目的は帝国が残した暗号を解読するため――つまりいつも通りの仕事なわけだが、今日は少し様相が異なっていた。

 解読自体は進んでいる。

 だが、それによって浮かび上がってきたのは信じられない可能性だった。もしかしたら自分の解読に間違いがあったのではないかと疑念を抱いたシャウナは、再び一から解読をし直すべきか、それとももう少し現状で追ってみるか、その悩みを解決するため、今日は地下迷宮第二階層へと潜り、いろいろと探りながら判断しようと思ったのだ。

 迷宮調査の準備を始めようと作業をしていると、


「こんなに朝早くからいらっしゃるなんて珍しいですわね。……ふわあ」


 背後からあくび交じりに幽霊看板娘であるアイリーンが言ってくる。


「少々確認したいことがあったのでね。起こしてしまって悪かったよ」

「いえいえ、お気になさらず。あ、そろそろテレンスさんを起こす時間ですわね」


 こちらもいつもの調子で壁をすり抜けて銀狼族のテレンスを起こそうとするアイリーン。ところが――

 

「いたっ!?」


 ゴン、という鈍い音と共にわずかな震動。

 驚いたシャウナが振り向くと、そこにはおでこを押さえて涙目のアイリーンが座り込んでいた。


「大丈夫か、アイリーン」

「は、はい……」


 駆け寄るシャウナだが、すぐに異変に気づく。

 アイリーンの様子から、恐らく壁におでこをぶつけたのだろうと予想できるのだが――アイリーンは幽霊だ。今から約百年前に起きたザンジール帝国と連合軍の世界大戦の際に亡くなっているはず。

 だが、シャウナは見た。

 いつもはないアイリーンの足を。


「あ、アイリーン……その足は?」

「え? ――ああっ!!」


 ここでようやくアイリーンも気づいたようだ。


「なんだか今日は体が重いと感じていましたが……わたくしに足がありますわ!」

「あ、ああ」


 アイリーンは足があることに感激し、飛び跳ねながら喜んでいる。だが、シャウナは困惑するばかりだった。死者であるはずのアイリーン。それが今はあんなに元気いっぱいにはしゃいでいる。あれでは生きている人間と遜色ない。

 真っ先に疑ったのは禁忌魔法のひとつである蘇生魔法だった。

 かつて、同じ八極として戦った《死境のテスタロッサ》がそれに手を出し、ダークエルフとなって生まれ故郷の森から追放された。

 共に戦っていた時、シャウナは興味本位から蘇生魔法について尋ねたことがあった。その際に聞いた情報では、欠かせない物としてよみがえらせたい人間の遺体が必要だったはず。


「ここにアイリーンの遺体はない……なら、一体どうして?」


 疑問を抱くシャウナの視線が何かを察知して近くの机の上へと向けられた。そこには見慣れぬ割れた小瓶が飛び込んできた。最初は何か分からなかったが、その瓶にどことなく見覚えがあった。

 

「……っ! トア村長の性格が急変した時の!」


 以前、地下迷宮第一階層から持ち帰った、怪しい粉の入った瓶。フォル曰く、新兵の戦意喪失を防ぐ目的で作られた一種の興奮剤のような効果をもたらす薬だったらしいが、実際は望んでいた効果が得られなかったという。その粉をうっかり浴びたトアは片っ端から女性陣に浮ついた発言を繰り返すエドガーも真っ青の軟派野郎となっていた。

 机に散らばっている粉の色はトアの時と違ってオレンジ色をしているが――まさかと思ったシャウナが大喜び中のアイリーンに声をかける。


「な、なあ、アイリーン。もしかしてあそこの机にある粉をかぶったりしなかったか?」

「あら、よくご存じですわね。実は昨日、お月見帰りで酔っ払ったテレンスさんが盛大にひっくり返したんです。まあ、わたくしは幽霊ですから当たることはなかったんですけど、地面に落ちて割れた瓶から巻き上がった粉のせいで酷い目に遭いましたわ」

「そ、そうだったのか……」

「もしかして、その粉が原因ですの?」

「たぶん、な」


 どうやらトアの時同様、あの粉が原因らしい。

 ただ、現物がない以上成分などを調べられないため、元に戻す方法などは不明――だが、


「わあ~……こうやって歩くのは百年ぶりですわ!」


 自分の足で地を踏みしめる。その喜びに浸っているアイリーンを目の当たりにすると、このままでもいいのではないかと思えてくる。


「早速このことをフォルさんにもご報告しなければなりませんわ!」

「え? あ、し、しかし、君はこの地下迷宮から出られないのでは?」

「今ならいけそうな気がしますわ!」


 すっかりテンションが出来上がっているアイリーンは全力疾走で地下迷宮の出口へと向かっていった。

 その結果――


「見てください、シャウナさん! わたくし外へ出ることができましたわ!」


 見事地下迷宮の外へと出ていた。


「こ、こんなことが……」

「ではちょっと行ってきますわ!」


 呆然とするシャウナをしり目に、アイリーンはさらに勢いを増して駆けていった。


「……しかし、幽霊を実体化させる粉なんて、一体何を目的に作られたんだ?」


 そもそもの開発理由がまったく浮かび上がらないことに不安を覚えつつ、とりあえず何かヒントになる物はないか、発見者であるテレンスを叩き起こすためにシャウナは地下迷宮へと戻っていった。



  ◇◇◇



 アイリーンが目指したのは当然フォルのもと。

 元気に走り回れるようになった自分の姿を見てもらうため、周りに居場所を尋ねてとうとう屋上庭園にいることをつきとめた。

 周囲は「え? アイリーン?」と地下迷宮から出てきたその姿に驚き、思わず二度見をするほどだった。

 

「フォルさん!」


 屋上庭園へとたどり着いたアイリーンが叫ぶと、トア、エステル、ジャネットと共に屋上庭園を整備中のフォルが振り向く。


「「「「!?!?」」」」


 その場にいた四人は、他の村民たちと同じく揃って驚きの表情を浮かべていた。


「え? あ、アイリーン様?」

「そうですわ! わたくし地下迷宮から出ることできましたの! 見てください! この足でちゃんと歩けるんですのよ!」


 証明するとばかりにスカートを持ち上げて足を見せるアイリーンだが、はたから見ていると大変はしたないポーズだとして女子ふたりに怒られてしまった。

 その後、例の粉が原因で実体化した可能性があるというシャウナの見解を説明――それが終わると、アイリーンは何やらモジモジと何か言いたげにフォルを見つめる。


「!」


 それに気づいたフォルはトアへ向かってあるお願いを申し出た。


「マスター、大変勝手なお願いをして申し訳ないのですが、今からお暇をいただけないでしょうか」

「え? あ、ああ、いいよ」

「ありがとうございます。では行きましょう、アイリーン様」

「! は、はいですわ!」


 アイリーンはフォルが自分の考えを察してくれたのだと分かり、思わず腕に抱き着いた。それからふたりは屋上庭園をあとにし、エノドアへと向かった。


「……フォルって意外と察しがいいのですね」

「……この辺についてはトアの完全敗北ね」

「え? 何?」

「なんでもないわ」

「なんでもないです」

「?」

 

 なんだか自分のことについて言われた気がしたトアだが、ふたりがニコニコと楽しそうにしているのでこれ以上の追及は野暮かなと思い、作業へと意識を向けるのだった。




 こうして、フォルとアイリーンのエノドアデートが始まった。

 アイリーンはこれまで話でしか聞いたことのないことを次々と実現していく。

 まずはエルフのケーキ屋さんに向かい、自慢のパンケーキに舌鼓を打つ。

 まさかのアイリーン来店に、店の手伝いに来ていたクラーラや店一番のパティシエであるメリッサなどなど、とにかく店中が驚きに包まれた。

 さらに、道中たまたま出会ったクレイブ、エドガー、ネリスに頼み、自警団のパトロールに同行をさせてもらう。

 それだけにとどまらず、今度は鉱山へ出向き、鉱夫の仕事を体験させてもらった。


「みなさんは普段こんな大変な仕事をなさっているのですわね」


 額から大粒の汗を垂れ流し、顔はすっかり泥で汚れていた。それでも、アイリーンはこの場に存在していることを実感するように仕事をこなしていく。

 最後には手伝ってくれたお礼だと、鉱山長であるシュルツが美しく輝く鉱石をプレゼントしてくれた。


「ドワーフのみなさんに頼めばアクセサリーに加工してくれますよ」

「それはいいですわね。……世界でたったひとつだけの、わたくしのアクセサリー……どんな物よりも高い価値を感じますわ」


 すっかりご機嫌のアイリーン。

 だが、もう夕暮れがすぐそこまで迫っていた。


「そろそろ戻らないとマスターたちが心配しますね」

「ええ。――あ、フォルさん」

「なんでしょうか」

「少し屈んでもらえます?」

「? こうでしょうか?」

「バッチリですわ。しばらくそのままでいてください」


 何をされるのだろうと不安になるフォルだが、次の瞬間――



 チュッ。



 何やら頬の部分に柔らかな物が接触したような感じがした。

 その正体はアイリーンの唇である。


「今日はお付き合いいただき、ありがとうございました」


 そう言って、アイリーンは満面の笑みを浮かべた。




 結局、アイリーンは翌日になると元の幽霊の姿へと戻っていた。


「詳しく成分を分析していつかきっと実体化できるようにしてあげるからな」


 シャウナがそう語りかけると、アイリーンは笑顔でこう言った。


「期待していますわ」


 そんなアイリーンが看板娘を務める地下迷宮第一階層には、今日も冒険者たちの活気で満ち溢れていた。


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