第86話 嵐の夜に【後編】
クラーラがトアの部屋へ潜入成功を果たす数時間前。
要塞村があるセリウス王国ファグナス領は近年稀に見る暴風雨に襲われていた。
鉱山の町エノドアも、この日は早めに仕事を切り上げてそれぞれが暮らす家屋の補強作業を開始。自警団の面々も手伝いをするため朝から町中に繰り出していた。
「大丈夫かしら……」
どんよりとした雲を見上げながら呟いたのはネリスだった。
「自警団のみなさんのおかげで作業は捗っていますし、きっと大丈夫ですよ」
そう明るく前向きな態度で返したのはエルフ印のケーキ屋を営む双子エルフの姉メリッサであった。彼女は数人の従業員エルフたちと共に、店の様子をチェックするため今日は店舗内で過ごす予定だ。
「それもまあ気になる点ではあるけど……私が気がかりとしているのはエステルなの」
「エステルさんですか? それはまたどうして?」
「あの子、大の雷嫌いなのよ。今もゴロゴロって音がしているけど……昔はこの音ですらダメだったから。こんな日の夜は大体私の部屋で過ごしていたわ。全属性の魔法が使えるのに雷系だけ使ったことがないのもそれが原因なの」
「そうなんですか? いつもしっかりしているエステルさんからはちょっと想像できない姿ですね」
「……割とポンコツなのよねぇ……特にトアが絡むと」
「え?」
「うぅん。なんでもないわ。さすがにもう大丈夫でしょう。それよりも早いところお店を補強して、他の場所の応援に行きましょう」
「はい!」
風が強くなってきたことでお喋りを中断し、作業へ集中するネリスとメリッサであった。
◇◇◇
「雨足がさらに強まってきましたね」
「わふぅ……風の勢いも凄いのですよ……」
「ここまで勢力の強い嵐は初めてです」
ジャネットとマフレナ、そして冥鳥族のアシュリーは一室に集まって夜を過ごしていた。アシュリーたち冥鳥族一家は本来神樹の上に家があるのだが、さすがに暴風の中で生まれたばかりの子ども抱えているのは危険だというトアの提案によって、急遽要塞村の中で過ごすことになったのである。
なぜ、三人が揃っているのかというと――そもそも今いるこの部屋の主が原因であった。
「さて……そろそろ本格的にベッドで丸まっているエステルさんを引っ張り出す算段を考えましょうか」
三人が集まった理由はエステルだった。
暴風と雷雨が重なった今夜は彼女にとってこれ以上ないくらい最悪な日。こんな時はとてもじゃないがひとりでは寝られないのだ。
養成所時代はネリスがいてくれたのでなんとかなったが、この要塞村ではその役割をジャネットやマフレナといった新しい仲間たちがカバーしてくれた。そのおかげで、布団にくるまってこそいるが安心感はあった。
「うぅ……ごめんなさい、みんな」
「気にしなくてもいいですよ。こういう日は大勢で過ごした方がいいでしょうし」
「わふっ! そうですよ!」
「だから気にしないで、エステル」
ジャネットもマフレナもアシュリーも、普段頑張っているエステルの姿を知っている。だからこそ、こうして弱った時はフォローに回れるのだ。
――ただ、気がかりといえばこの場にいないエルフ少女について。
「そういえば、結局クラーラさんは見つからなかったんですか?」
「わふぅ……部屋にはいなかったです」
「周辺も探してみたけど、どこにもいなかったの」
このメンツが揃えば、やはりクラーラがいなくては始まらない。そう思って、ジャネットはマフレナとアシュリーにクラーラの部屋へ行って声をかけてきてほしいと依頼した。ところがなぜかクラーラは部屋にいなかったのである。
「見回りのメンバー表には名前がなかったようですが……」
「誰かの部屋に行ったとか?」
アシュリーが何気なく放ったひと言。
だが、ジャネットにはそれが大きなヒントに聞こえた。
「ま、まさか……」
脳裏に過ったのはトアの部屋を訪れるクラーラの図。
――が、すぐに頭を振り払ってその図を消し去った。
「あのクラーラさんが、自らそんな積極策に出るとは思えませんね」
「わふ?」
「ああ、なんでもないですよ。さて、それじゃあ何をしてこの荒れ狂う夜を過ごしましょうかね」
ジャネットは「まさか」と一蹴したが、ここから十数メートル先にあるトアの部屋ではまさにその「まさか」が起きていたのだった。
◇◇◇
「…………」
クラーラはかつてないほど緊張していた。
トアの部屋へ初めて入ったというわけではない。むしろほぼ毎日訪れている。なんだったら今朝も来たくらいだ。なので室内の様子などは知り尽くしている――はずなのだが、まるで今まで足を踏み入れたことのない未踏の地へ放りだされたような気分だった。
あまりにも心内が現実離れをしていたため、部屋に入る際に力を入れすぎてドアノブを破壊してしまうほどだ。
すぐにリペアで直そうとしたが、クラーラに全力で止められる。
クラーラからすればふたりきりになれる喜ばしい状況だったからだ。
しかし、これには鈍いことに定評のあるトアも「なんだかおかしい」と心配する。
「大丈夫か、クラーラ」
「! へ、平気よ! 問題ないわ!」
借りてきたネコのようにおとなしいクラーラを心配してトアは声をかけるが、問題ないという本人の強張った表情は大いに問題アリだった。
それだけではない。
今のクラーラはなぜだか地べたに正座をしているという状態だった。本人はまったく気づいていないのだが、あまりに緊張しすぎたため、普段の振る舞いを忘れてよく分からない行動に出てしまっていた。
さすがにこのまま放置しておくわけにはいかない、きっと裏で何か深い悩みごとがあるのだと推測したトアはクラーラへ語りかける。
「何か困ってることでもあるのか?」
「…………」
自分で蒔いた種とはいえ、今まさにこの状況が困っていることである。
しかしそれも真実を確かめるためだ。
貧か巨か。
本人の知り得ないところで、トアに究極の二択が迫っていた。
「……よし」
深呼吸を挟んでから、クラーラは立ち上がる。
だが、長い時間正座をしていたので、足が痺れてもつれる。
「きゃっ!?」
「危ない!」
バランスを崩して転びそうになったクラーラを抱きかかえたトアは、背後のベッドへ引き寄せるように倒れた。その結果、クラーラがトアをベッドへ押し倒したかのような形になってしまう。
「あ、と、トア……」
「なんともなさそうでよかったよ。じゃあ、起きるからそろそろどいてもらってもいいかな」
「…………」
「? クラーラ?」
トアとしても今の体勢は恥ずかしいのですぐにでも起き上がりたいところだが、なぜだかクラーラは動こうとしない。一方、クラーラはこの千載一遇のチャンスを逃すまいと腹を括って声を出す。
「あ、あのね、トア……私……私――」
「マスター、部屋のドアが壊れているようですが何かあったのですか?」
ドアが破損していたことに気づいたフォルが何事かと部屋へ侵入。そして目撃するトアとクラーラのまさかの体勢。
「「「…………」」」
しばらく三人は沈黙。
そして、最初に口を開いたのは――やはりというかフォルだった。
「意外にもクラーラ様が攻めなのですね」
次の瞬間、クラーラから強烈な飛び膝蹴りを食らったフォルの頭(兜)は過去最高の飛距離を記録した。
――その後、恥ずかしかったとはいえさすがにやりすぎたとクラーラはフォルに謝罪。しかし、その現場をエステルやジャネットに目撃されたことで追及を受け、大人しく白状する。だが、状況から抜けがけしてトアの部屋に行き、夜這いをかけようとしたのではと疑われることになってしまうが、必死の訴えによりなんとか疑惑を晴らすことができたのである。
「……結局どっちが好みか聞けなかった……」
空も疑いも晴れたが、肝心な部分がスッキリしないままになってしまったクラーラだった。
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