第113話 泥まみれ いつか掴むよ 栄冠を 中編
私が監督に就任してから初勝利を上げた日の後。
主力選手が出場すれば調子良く勝ち、そうでなければ普通に負ける。
勝った日に食事を奢るようになってから選手の出場率そのものは上がったが、
しかし、だからと言って何も進んでいないというわけではなかった。
運動場を蒸し風呂にせんとばかりに照る太陽の下、今日も大蠍団の精鋭たちは槍の教練をする冒険者たちの隣で自主練習を行っていた。
「シィダ、外野のサミィの姿が見えないが……」
「サミィは月イチの治療日だよ」
「なるほど、そうか……」
私は選手たち一人一人の事を理解していく過程で、選手たちの立場である『シェンカーの奴隷』というものについても、いくらか学ぶ事ができていた。
彼らは三年間MSGの指定する職につき、その期間に問題を起こさなければ退役奴隷という立場となり、婚姻や職業の自由を許される。
この
選手の人数が足りず試合に穴を開けるという事はないものの、やはりシェンカーの奴隷の数からすれば野球人口は少なすぎる。
数の多さは大抵の問題を解決してくれるもの。
退役していない者も試合に出す事はできないかと彼に打診してみた事もあるが、示しがつかないときっぱり断られてしまっていた。
「うんうん、治療日も念頭に入れて
「監督、そりゃあいいけどさぁ……もうサワディ様と揉めないでよ?」
「揉めてなどいないとも」
苦い顔のシィダが言っているのは、恐らく私が団の者の治療日を一日に纏めてくれとサワディ・スレイラに相談した件だろう。
再生魔法が得意らしいサワディ・スレイラから、奴隷たちが治療を受けられるのが月に一度の治療日だ。
この日に試合が入って選手が出られない事は避けたいと彼に相談したのだが、これも治療日を変えると選手の本業に差し障りがあると断られてしまった。
選手の立場になって考えてみれば、たしかに組織の中での特別扱いは避けたいという向きもあるだろう。
私もそこは理解したのだが……それを天下の往来で談判していたのがまずかったのだろう、選手たちの間で監督が主人と揉めたという噂が生まれてしまい、それからは事あるごとにこうして諌められるようになってしまっていた。
「よしよし、今月の出場選手の情報が纏まったぞ」
「そりゃあいいけどさぁ、それって何か意味あんの?」
「あるとも。見てみなさい、予定の立てやすい選手を据える事によって……月の半分ほどの試合は同じ選手で
「じゃあこの選手たちを基本にして、主力の冒険者組が出て来た時は交代?」
私はシィダの眼の前に立てた指を左右に振って、不敵に笑って答えた。
「交代はしない。予定の立てられるこの選手たちを主力とするのだ」
「でも冒険者組が出れる時は出さんと勝てないんじゃないの?」
「勝てるようにするさ」
「え? どうやって?」
「基本的には練習、あとは同じく主力とできる人員の勧誘だ」
そんな私の答えに、なんとも言えないがっかりしたような顔で舌を出したシィダは、背中をぽりぽりと掻きながら練習へと戻っていったのだった。
私は凝り性な男であるが、有言実行の男でもあった。
練習と勧誘でなんとかすると言ったからには、なんとかなるようにするのが監督の仕事だ。
そうして王都の友人関係に手紙を送りつつほうぼうの伝手を辿り、私の要望に応えられそうな人間を探した所……
なぜか辿り着いたのは、またもサワディ・スレイラという男だった。
「つまり、ピッチングマシーンを作れって事ですよね?」
「マシーン……? いや私が作りたいのは、野球の球を投じる機械なのだが……」
「ええっと……つまり、球速を調整でき、変化球も投げられるような造魔を作ればよろしいので?」
「おお、その通りだとも! それがあれば打撃練習はもちろん、守備練習だって効率的にできるようになるに違いない!」
「まぁ、作ってはみますけど……」
「ありがたい! できれば早急に願いたい、団の勝利がかかっているのでな」
サワディ・スレイラの飲み込みが早かったのは僥倖だ。
しかし、そんな話を
「監督! なんかまたサワディ様に無茶言ったって!?」
「無茶など言っていないとも」
「いくら監督が演劇の偉い人だからってさぁ、うちのご主人様は
「いやシィダよ、それはな……」
「もうちょっとさぁ、事の後先を考えてさぁ……」
シィダの心配は無用なものとはいえ、赤心からの心配だ。
私は偉い剣幕の彼女の小言を、ただ首を項垂れて受け流すしかなかったのだった。
忙しくも充実した、そんな日々を送っていたある日の事だ。
その日の練習が終わった後、私とシィダは中町の少し奥まった場所にある店の戸を潜っていた。
「それで、ここはどういう店なのだ?」
「ここはトルキイバで知る人ぞ知る名店なんだけど、サワディ様にも
「なるほど……」
何気なく目をやった店の壁には『ご存知! サワディ定食! ご奉仕価格 八ディル』と書かれていた。
メニューの名前になるとは、なるほど大した縁ではないか。
「おやっさん、卵焼き定食二つ! あとレモン酒!」
「あいよっ!」
「定食は今日はモツのトマト煮だよ」
「シィダよ、サワディ定食を食べなくてもいいのか?」
「ここは卵焼きがうまいのよ」
シィダはそう言いながら、ふちにレモンの刺さった酒のコップをぐいっと煽った。
彼女には、こうして練習の後に時々街の美味い飯屋に連れてきて貰っている。
試合に勝った選手たちに馳走するにも店を知っていなければならないし、いい店を知れば余録として自分の生活も豊かになるものだ。
特にこの街は不思議と飯の種類が多く、場末としか思えぬ店で王都でも食べられないような珍しい物が出てくる事もあった。
今日もそんな掘り出し物がないものかと壁に貼られた品書きを見ていると、様々な料理名の中にうどんという名前が見えた。
「この間のうどんという奴はなかなか美味かったが、ここにもあるのだな」
「ああ、リエロの店だろ? あそこはうどん専門店、最近はちょっとした定食屋にもうどんぐらいは置くようになったんだよ」
「最近は製麺所ってのができてなぁ、そこで麺を買ってくればどこの店でも出せるようになったんだよ。まぁ、うちのうどんはこだわりの手打ちだけどな。どうだシィダ、気になるだろ? そちらの旦那も、ちと味見してみるか?」
「いや、いいよ」
「ほう、私は頂こうかな」
私がそう言うと、飯屋の店主はなんだか嬉しそうに、用意した小鉢を出してきた。
琥珀色の汁の中にビシっと角の立ったうどんが沈んでいて、上にはレモンの皮なんかが添えられていてどうにもいい香りがする。
「ほう、これはいい」
「おやっさん、こんなの毎日用意してちゃあ儲かんないんじゃないの?」
「まあ、ぼちぼちだな」
ニヤつきながらそう答える店主の尻を「儲かってないよ!」と奥方が蹴り飛ばした。
まあ、男のこだわりというものはなかなかご婦人方には理解されないものだ。
「今うどんってどこでも食べれるからねぇ」
「そうなんだよなぁ。うどんの手打ちの実演販売をやった時は人がいっぱい来てうどんが売れたんだが……常連から店に入れねぇって怒られちまった、なかなか商売ってのは難しいもんだぜ」
「まぁ
「おめぇんとこはそもそも身内の数が桁違いだろうが」
私は談笑するシィダと店主をぼんやりと眺めながら、一つの言葉を反芻していた。
そういえば、劇団においても公演の宣伝をするための小さな街頭劇などをやると……
役者の姿を一目見ようと人が溢れ、馬車が通れなくなるほど混雑してしまったりしたものだ。
「そうか、何も集めるのは客だけでなくてもいいのだな」
「客以外に来てもらっちゃあ困るよ」
「いやすまない、こちらの話だ」
苦笑しながら店主に手を振り、酒を飲むシィダの肩を指の背で叩く。
「シィダ、この後リエロの店に行こう」
「えぇ? 卵焼きの後にうどんも食べるの?」
「そうじゃないさ、野球の話だ」
「うどん屋で!?」
私は頷き、出てきた卵焼きを手早く食べて、すぐにリエロのうどん屋へと向かった。
いつだって試合は待ってくれない、思いついた事は全てすぐに試す必要があった。
納品されたサワディ・スレイラの
凄まじい切れ味の変化球から、捕手が受ければ怪我をしそうな豪速球まで、自在に投げ分けられる優れもの。
まさに注文通り、造魔研究者としての名が高いというのも頷ける出来で、練習に使えば選手たちの能力の底上げができるのは間違いがないだろう。
だが私は、その
未だ規模の割には野球人口の少ないシェンカーの奴隷たちへの、野球の普及のため……
そして、眠れる才能を拾い集めるための……楽しい楽しい
「
「ロースの姐さんでも三振だったって?」
「それどころか奥方様ですら三回挑戦してようやく打てたって話だよ」
「あんなもん簡単簡単。賞金はあたしが頂くよ」
まず、
うちの団のロースには名を借り、ローラ・スレイラには最大速度で挑戦してもらい目標を設定した。
これは何度でも挑戦できるようにした事により、様々な選手候補の才能を見極める事ができるようにしたものだ。
「凄いね、どんどんうどんになってく」
「うどんってこうやって打つんだぁ」
「自分で打ったうどんを持って帰れるって、みんなでやろうよ」
そしてシェンカーの身内でうどん屋を営んでいるリエロに頼み、うどんの実演販売という
野球というのは力自慢だけが強い競技ではない。
うどん目当てにやって来た者でも、盛り上がっている
これがシェンカーという鉱山に眠っていた才能の原石を掘り起こす、二段構えの策だ。
「君、なかなか才能がある。今度練習に参加してみないか」
「え? なんですか?」
そして見つかった原石を私が
「君は素晴らしい! もっと輝ける! 姿勢を矯正すればきっと強打者になれるぞ」
「え? 誰? 怖い……」
「待った待った待った! 監督、あっち行ってて! あのね、これは怪しい話じゃなくて……」
勧誘をしていた私はシィダにピシャンと背中を叩かれ、隅へと追いやられてしまった。
なぜだ……
首を傾げる私の肩を、兎人族の投手クワンが叩く。
「監督ぅ、駄目だっていきなり野球の話ばっかりしちゃ、ナンパだって当たり障りのない話から始めるでしょ」
「ナンパ……そのような破廉恥な事はした事もないが……」
「それじゃあ選手は口説き落とせないんじゃないの?」
「口説く……まぁ、そういう向きもあるか」
「まぁ、今日のところはあたしたちに任しときなよ。練習に誘えばいいんでしょ?」
「……ああ、頼めるか? 今打席に立っているあの猫人族、彼女は素晴らしいバネをしていて……」
私が言い終わらないうちに、クワンは不敵な笑みでトントンと胸を叩き、打席の方へと行ってしまった。
しかし、ナンパか……
真夏のトルキイバ、バットを振る女たちの嬌声がグラウンドにキャアキャアと響く中……
私は六十を超えてなお、学ぶ事は多いという事を痛感していたのだった。
――――――――――
この年末もまた「バッドランド・サガ」という新作を始めました。
今年もお世話になりました。よいお年を!
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