第112話 泥まみれ いつか掴むよ 栄冠を 前編

スピネル監督の話です。

すいません、長くなるのでまた分割です。





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思えば子供の頃から凝り性だった。


父や弟と狩りへ行けば、小さな獲物では満足できずに粘り、周りを辟易とさせ。


母や姉と詩を読めば、出来栄えに納得できず季節が変わるまで同じ詩を直し続けた。


今の仕事だってそうだ。


最初の理由は、大きな声を出して歌うのが好きだった事だ。


だから、役者として演劇倶楽部へと入った。


だというのにやる本やる本全てが気に入らず、物足りず、気がつけば自分で書き始めていた。


皆は私の事を『国立劇場の守護神』だの『巌のスピネル』だのと好き勝手に呼ぶが……


私から言わせれば、他の者たちの意識が低いのだ。


やるからには、完璧を求め。


やるからには、大喝采で終わりたい。


当然の事だ。


これまでそうしてずっと、当然の事を当然のようにやってきた。


だからだろうか、こんな田舎までやってきて……急に、そうできない者たちの事が目についた。


負けない材料があり、勝ちを拾える算段があり、勝ち続けられる体力がある。


そんな野球チームが、負け続けている。


それは私にとって、とうてい看過できない大問題であったのだ。



「えー、今日からうちの監督になる、クタゴン・・・・さんです。」



この日、スレイラ家の所有する都市の外れの運動場に集まったシェンカー大蠍団スコーピオンズの選手たちは、突然眼の前に現れた私の事を見て訝しげな顔をしていた。



「サワディ様いわく、うちのチームを勝たせる手伝いをしてくれる人なんだそうなので、言う事聞くように」



真っ赤なトサカのような髪が天を指す右打ちの強打者スラッガー、ロースが私を偽名・・で紹介をしてくれるが、どうも団の人間たちには私の事が怪しく見えるようだった。



「誰だろあの人?」


「監督? 監督って何?」


「団長とは何か違うのかな?」



私がオホンと咳払いをすると、ひそひそ話はぴたりと収まった。



「ただいま紹介に預かったクタゴンである。私は諸君らが平民リーグで勝ち上がれると、心から信じている者である。そのために、諸君らの主人より許可を得て監督職に就任させてもらった」



私が偽名を使っているのは、サワディ・スレイラの提案によるものだ。


奴隷を含めた平民たちは貴族に対して並々ならぬ畏怖心を持っているもの。


そのため監督業という観点から見ても、選手たちの心の平穏という観点から見ても、私は裕福な平民という事にしておいた方がいいだろうという事になったのだ。



「あのぅ……」



一番前にいる、左打ちの左翼手の羊人族が小さくそう言いながら手を上げた。


私がそちらを見ながら頷くと、彼女はおずおずともう一度口を開いた。



「クタゴン様は、サワディ様とどういったご関係なのでしょうか?」


「私も平民ゆえはいらぬ。私はしがない劇作家でな……諸君らの主人とは演劇関係で縁があり、劇の題材としての取材のために監督を任せてもらう事になった」



事前に打ち合わせた内容通りにそう答えると、選手たちは途端に安心した様子で顔を見合わせはじめた。


なるほど、たしかにこの様子では貴族と名乗れば無用な軋轢を生んだやもしれぬな。



「そんで監督って何なんすか?」



私が貴族でないとわかった途端に砕けた様子で、手も上げずに質問をしてきたのは右投げ右打ちの投手の娘だ。



「監督というのは、人を集め、稽古をつけ、向かう先を決め、広報し、人事を尽くして責任を取る役割だ」



サワディ・スレイラに、野球監督という役割を教えられて驚いた。


奇しくもそれは、私が王都の国立劇場で請け負っていた役目と全く同じだったからだ。



「……つまり、諸君らに栄光を与える者の事である」


「え、栄光……?」


「リーグ優勝って事?」


「そうだ、我々はこれからあまねく勝利を我が手にし……リーグ優勝を狙う!」


「リーグ優勝ったって、ねぇ……」


「去年は結局最下位だったし……」



力強くそう言い切った私に対して、選手たちは猜疑の視線を向ける。


当然だ、私はまだ何の実績もない門外漢。


ここから先の信用は、行動で勝ち取っていくしかないだろう。


この日から、私と大蠍団スコーピオンズの悪戦苦闘の日々が始まったのだった。






試合日の焼けるような日差しが照りつける野球場で、選手たちと私はベンチの周りに集まって会議を開いていた。



「打順決め? それって意味あんのかなぁ?」



大蠍団スコーピオンズ正捕手の猪人族シィダが、顎を掻きながらそう言った。


彼女は縫製工場で働いているそうで仕事に都合がつきやすいらしく……出場者がコロコロ変わるこの団では珍しく、ここ半年ほどは皆勤で捕手面マスクを被っている選手だ。


他の者よりも団の事情に詳しく、人当たりもいいため団長のロースから監督補佐に任命されていた



「もちろんあるとも、普段はどうやって打順決めを?」


「そりゃあ来た順だぁ。早く打ちたい奴は早く来る、それが前からの決まりだよ」


「それではもったいない、打順で試合はガラッと変わる」


「ほんとかなぁ?」


「まぁ、見ているがいい」



胡乱げな視線でこちらを見つめるシィダにそう答え、完璧な打順表を持った私は胸を張って審判団の元へと向かったのだった。


結果を出せば人はついてくる。


そうしてついてきた者に適切な仕事をさせられれば、物事は上手く回り始めるものだ。


これまでも何度も実現してきた仕事の方法論を、私はこの野球という分野でも実現させようとしている。


そんな背中を押すように、まるで私の心のように熱い風が、強く強く吹いていた。








そうして私の監督としての最初の一週間が過ぎ。


大蠍団スコーピオンズは負けに負けていた。



「農家連合金穂団ゴールデンスパイク相手に五対一、冒険者ギルド剣星団ソードスターズ相手に四対一、この一週間で勝ち星はなし……か」


「こんなもんだってぇ。監督のせいじゃないよ」



野球新聞を読みながら練習場のベンチで肩を落とす私に、シィダはそう慰めの言葉をかけた。


ありがたい……が。


人から優しくされると、自分の不甲斐なさがなおさら身に染みるというものだ。


監督就任以来の大敗は、ロースやメンチ、ボンゴといった主力選手が仕事で不在だったというのが大きいのだが、本来ならばその敗因を取り除く事こそが監督の仕事というものだ。


私は沈む心を振り切るように上を向き、野球新聞を折り畳んで傍らの野球メットの下に敷いた。



「それにしても、今日から夜間練習をやると周知しておいても……集まったのはこれだけか」



夕焼けに染まるトルキイバの練習場では、シィダを含めると六人の人影が私服のままだらだらと球回しキャッチボールをしていた。



「みんな昼間は仕事でヘトヘトなんだから、六人も集まっただけでも上等だってば」



私が二十代の頃、独立四百年記念の祭りに向けて若い役者たちを集めて劇団を作った時は、昼間どれだけ疲れていようが呼んでいない者まで集まったものだが……


いや、いかんな。


昔を懐かしみ今を嘆く、まるっきり老人の悪癖だ。


シィダの言うように、六人も集まってくれただけで僥倖というものだ。



「……その仕事の事で考えがあるのだ。皆! 一回集まってくれ!」


「しゅーごー!」



練習場にシィダの声が響くと、五人がダラダラと歩いて集まってくる。


仕方のない事だ。


結果の出ない努力とは虚しいもの、気が入らないのも無理はない。


今からする話で、少しは元気を取り戻してくれればいいが……



「実は今日は皆にいい話がある」


「なんだろ?」


「新聞になんかいい事書いてあったのかな?」


「皆毎日よくやってくれているが、昼に仕事をし、夜に練習というのはいささか大変かと思う。そこで提案なのだが……練習日の昼の仕事は無しにし、私に雇われる気はないか?」


「…………」



この大蠍団随一の弱み、それは以前サワディ・スレイラが語った通り出場選手の固定が難しい事だ。


どれだけ強い選手がいようとも、試合に出られなければ意味はない。


私のこの提案はそれを解消するためのものだった。


しかし選手たちはなんだか困惑した様子で、不安そうにこちらを見ていた。


生活の事が心配なのだろうか? だが、その点については心配いらぬぞ。


サワディ・スレイラではないが、私とて野球チームの一つや二つを養う程度の甲斐性はある。



「もちろん! 今と給料は寸分変わらぬ、これは私が手当を出し、仕事の代わりに野球に専念してもらうという……なんだ? シィダ?」



困ったように首を横に振るシィダに裾を引かれて話を遮られ、どうも空気がおかしいという事に気がついた。


落ち着いて周りを見渡すと、選手たちはシィダと同じような困り顔で、なんだか腰が引けているようにも思えた



「監督、そんなん言ってもみんな困るだけだってぇ」



シィダが言うと、他のメンバーも頷く。


なぜだろうか?


日々の暮らしに悩まされる事なく好きな野球に打ち込める、彼女たちにとってもいい話だと思うのだが……



「なぜかね?」


「わかんないの?」


「皆目わからぬ、教えてくれ」


「あのさぁ、あたしら奴隷なんだよ? 特別扱いされて野球なんかしてたら、仕事作ってくれてるご主人さまにも、いつも都合つけてくれてる他の皆にも申し訳なくて、合わす顔がないじゃんか」


「そうだよね」


「野球は楽しいけど、仕事あっての暮らしだからなぁ」



なるほど、そうか……



「……すまなかった、皆の立場を考えずに物を言ってしまったな」


「…………」



私は真摯に頭を下げた。


思えば、奴隷という立場のものと関わるのは生まれて初めての事。


何も知らぬまま、いや、知ろうともせぬまま。


理想に任せて突っ走り、元々ない信用を更に損ねてしまった。



「…………」



選手たちの沈黙が、肩にのしかかるように重かった。


知らぬまま突っ走るのは、やる気の現れである。


だが知ろうともせず走り出すのは、礼を失する行為である。


もう齢も六十を超えたというのに十代の小僧のような失敗をするとは、私もまだまだ青い……


気落ちして更に重くなった気がする肩を、シィダの大きな手が優しく叩いた。



「まぁまぁ、一回二回の失敗は誰でもやるってぇ。次からはさ、先にあたしに相談してくれりゃあいいよ」


「……うむ、そうさせてもらおうか」



顔を上げると、シィダは私を元気づけるように笑いながら、こちらに向かって右手の親指をピンと立てていた。


……どういう意味があるのだろうか?


なんとなく、悪い意味ではないような気はするが……



「では早速の相談で恐縮なのだが……」


「ああいいよ」


「私に監督として、選手側から何かしてほしいことなどはあるか? これは金がかかる事でも構わん、こう見えても暮らしに余裕はあるのだ」


「うーん……ほんとに何でもいいの?」



シィダは横目でチラリとこちらを見た。


私が「もちろんだとも」と答えると、彼女はススッと近寄り、小声で言った。



「試合に勝ったら、晩飯奢り……とか」


「なんだ、そんな事か。もちろん構わんよ」


「予算はどんぐらい? ちょっとだけお高い店とかも……」


「もちろんだとも。試合に勝ってくれたのならば、私は喜んで君たちのために王都の一流店グランメゾンとて貸し切りにしよう」


「おお! 頼もしいねぇ!」



彼女は朗々と響く声で「みんな! 監督からいーい話があるよ!」と皆に告げた。



「試合に勝ったら、その日の晩飯は監督の奢りだ!」


「マジ!?」



先ほどまでとは目の輝きが違う犬人族の野手が、口を大きく開けて言った。



「もちろんだとも」


「お酒は?」



舌を出さんばかりに喜色満面な羊人族の左翼手が、跳ねるような声色で聞いた。



「浴びるがごとく」


「それって何頼んでもいいの!?」



こちらまで鼻息の聞こえてきそうな様子の抑え投手が、興奮気味にそう訊ねた。



「財布の心配はするな。ただし……試合に勝ったらの話だが」



そう告げると、団の者たちは「うおーっ!」と叫んで気炎を上げた。



「もちろん勝つ勝つ!」


「話わかるじゃん監督!」


「あたし高い順に注文しちゃお!」



先ほどまでとは打って変わってやる気に満ちた皆を見て、思わず笑みがこぼれた。


練習時間が増えたわけではない、主軸になる選手が増強されたわけでもない。


だが、まずはこれでいいのだろう。


士気の旺盛なるに勝る物はないというのも、私が演劇の中から学んできた事の一つだ。


私は感謝の意を込めて、隣に立つシィダに向けて頷いた。


真っ赤に日焼けした顔のシィダはにやりと笑い、また親指をピンと立てたのだった。






「バッターアウッ! ゲームセット!」


「っしゃああああああ!!」


「しこたま飲むぞーっ!」



しかして、次の試合で大蠍団スコーピオンズは大勝ちを果たしていた。


一試合目は東町商店街禿頭団スキンヘッドボーイズに三対零で勝利、二試合目は西町商店街緑帽軍団グリーンキャップスに五対一で勝利。


大敗を喫した先週とは裏腹に、今週の大蠍団スコーピオンズは絶好調だった。


強打者であるロースとメンチの打撃は冴え渡り、投手の兎人族クワンのフォークボールはまるで魔法を使ったかのようにストンと落ちた。


堂々たる勝利、皆が望み、私の望んだ勝利である。


もちろん、今日の勝利は強い選手に頼った勝利かもしれない。


まだ解決していない課題は山のようにある、私も仕事をしたとは言えない状況かもしれない。


しかし、内実はどうあれ、まずは勝つ事から全てが始まるのである。


だから、まずは今日の勝利を祝おう、盛大にな。



「監督ぅ、それで今日はどこ連れてってくれるんですか?」


「すぐそこの店だ」



球場からしばらく歩いてトルキイバの目抜き通りに出てきた我々は、行き交う馬車の邪魔にならぬよう道の端に寄って移動していた。



「目抜き通りにある居酒屋っつったらボーの酒場かな?」


「いやいや、もっと豪華にクルドア酒店なんかも……」


「クワン、そんなとこ行ったことあんの?」


「いやいや、前にロースさんが連れてってくれて」


「あん時は本当に財布が空になるまで飲んだっけなぁ」



皆が口々に喋っている間に、ようやく店に辿り着いた。


純白を貴重にした店構えに、少々野暮ったい天馬の彫り物の入った看板のここは、この都市に来てから色々食べ歩くうちに出会った店だ。


普段ならば馬車や人力車で来る場所だから少々時間がかかったが、なかなか美味い田舎料理を出す店である故に、きっと皆も満足するだろう。



「ここだ。入るぞ」



扉の前に立つウェイターに向けて歩き出そうとして、誰かに肩を掴まれた。


首を回して後ろを見ると、シィダが困ったような顔で首を振っていた。



「監督、奮発してくれようとしてるのはわかるけどさ……ここ、貴族用の店。めちゃくちゃ高いだろうし、たとえお金あってもあたしらは入れないって」


「む……そう……なのか……?」



平民用、貴族用などと店が分かれているなど、これまで考えた事もなかった。


やはり田舎というものの事情は、王都暮らしの身からすれば複雑怪奇だな。


しかし、どうしようか……平民用の店など、皆目見当もつかない。


窮した私の手を、シィダの大きな手が引いた。



「飲み屋ならロースさんがいいとこ知ってるからさ、そこ行こっ」


「むぅ、では……そうしようか」



どうやら私には、監督としても、平民・・としても、まだまだ学ぶべき事が沢山ありそうだ。


私はシィダに手を引かれるがままに、赤髪の強打者の後ろについて歩き始めた。


仕事帰りなのだろうか、様々な人種の者達が詰め込まれるように乗った乗り合い馬車が我々を抜かしていく。


その馬車の向かうトルキイバの一番中心の巨大な十字路の向こうからは、真っ赤に燃えるような夕陽から火傷しそうに熱い風が吹きつけてきていた。






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ルビコン3で合いましょう。

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