第72話 繋ぐ名は 呪いと祈り 折り込んで

書籍第一巻、12月27日発売予定です。


あとコミカライズの話が進んでいます、よろしくおねがいします。






…………………………






庭の草木の影がすっかり濃くなり、トルキイバに夏がやってきた。


この日マジカル・シェンカー・グループ本部前のシェンカー通りには、非常に多くの人が詰めかけていた。


お目当ては北の果てまで行って帰ってきたトルキイバ・タラババラ交易隊。


宝物を手に入れて帰ってきた、冒険者達の凱旋である。


威勢のいい音楽が鳴り響く中を、集った人達の歓声に迎えられながらボロボロでドロドロの冒険者達が五台の荷馬車を中心に据えて歩いてくる。


つい先日、パリッとした礼装のまま列車で王都から帰ってきた音楽隊とは全く様子が違い、こちらは皆一様に痩せ、汚れ、悪臭を放っている。


怪我をしているものも、血を吐かんばかりに咳き込んでいるものも、荷馬車の上に括り付けられるようにして移動してきたものもいたが、全員瞳からはギラついた生命の光を放っていた。



「トルキイバ・タラババラ交易隊、只今任務を終え全員無事に帰還いたしました!」



すっかり長くなった黒髪を雑に藁紐で結い上げた代表のジレンが、俺の前に跪いて目録を掲げた。


俺は交易隊全員にホーミング回復魔法をぶち込みながら、それをしっかりと受け取って深く頷く。



「大儀である。全員今日はゆっくりと休んで……明日の大宴会に備えてくれ!」



周りからはわっと歓声が上がり、それを盛り上げるように華やかな音楽が流れるが、交易隊の面々は荷馬車が倉庫に入り切るまで歯を見せることはなかった。


一体彼女達がどんな経験をしてきたのか、ジレンの報告が楽しみだ。




その三日後、俺はマジカル・シェンカー・グループ本部でジレンから報告を受けていた。


昨日行われた大宴会ではとてつもない量の食材と酒が飛んでいったらしいが、うちの倉庫には食料と酒だけは文字通り売るほどあるんだ、別にケチケチするつもりはない。


髪を切ってこざっぱりとしたジレンは道中で書いたのであろう手記を見ながら南北を縦断した大冒険の話を聞かせてくれたが、肝心の日本人の情報はほとんど手に入らなかったようだった。


がっくりだが、識字率が低くて庶民は文化と歴史を口伝で伝えているような世界なんだ、しょうがないといえばしょうがない。



「じゃあ、リナリナ義姉さんの故郷にはカンディンナヴァからの口伝等を受け継ぐ人はいなかったってことか」


「はい、どうやらあちらの宗家のリューゾージ氏の血筋は百年ほど前に一度途絶えているようで、文化と起源だけが今に伝わっているようです」



ずず、と柿の葉茶・・・・をすすりながら、俺はジレンの報告書に目を落とした。


情報はともかく、今回交易隊が持ち帰った成果は膨大だった。


何樽もの醤油、前世と比べれば原始的な味噌、椿、柿の苗木、大豆、薬として重宝されていたというやや細長い玄米、そしてその種籾・・だ。


これには正直、心が震えた。


もう米の味なんて思い出せないはずなのに、玄米の香りを嗅ぐだけで胸がたまらないほど痛くなった。


きっと龍造寺氏も、こちらの世界で米を見つけたときは狂ったように喜んだのだろう。



「屋根に乗せる魔除けの像などもあったのですが、作るのに時間がかかると言われて諦めました。それと工芸品のような剣もありましたが、あまりに脆く、粗雑な作りのためそれも一揃だけ……」


「そうか、いやありがとう。これだけでも充分な成果だよ。メンチ、あれを」


「はい」



服を買い、髪を切り、帰還した時よりだいぶこざっぱりとしたジレンに、俺の隣りに控えていたメンチが差し出す金入れから金貨十枚ほどを手渡した。



「ありがとうございます、皆で分けさせていただきます」


「いや、それはジレンが取っておいて。これからは人に身なりも見られる立場なんだから」



俺は追加で机に五十枚ほど金貨を積んで、これを下の者に均等に分けろと彼女へ押し出した。


日本円で五百万ぐらいか、一応交易隊には別で正規の報酬が出ているし、全員で割ればほどほどのボーナスって事になるだろう。



「ありがとうございます」


「仕事には対価が必要だ、部下への報酬で迷ったらチキンに相談するように」



ぶっちゃけ俺が嬉しいからご祝儀みたいなもんなんだけど、今日から管理職になるジレンにはあんまりケチになってほしくないしな。


従業員に払う分の金ぐらいはあるんだよ、うちの組織は。




出張に行っていた音楽隊とピクルス組が帰ってきてシェンカー組としては一安心というところだが、俺自身には色々と解決しなきゃいけないことが残っていた。


妻のローラさんが臨月だというのに、もう決まってなきゃいけない名付け親が未だ不在なのだ。


貴族にとっての名付け親とは両親以外の後ろ盾のことを指す。


ローラさんの実家を頼れない我が家にとって、頼れるのはうちの親父だけなのだった。


もちろん何度も頼み込んでいたが、これまではなんのかんのと理由をつけてのらりくらりと躱されていた。


だが、もう出産までには何週間も猶予がない。


俺はこの夜、ついに実家の煮え切らない親父を直撃したのだった。



「親父!子供に名前つけてくれ!」



仕事部屋に一人でいた親父は執務机に座って書き物をしていたようで、ちらりと俺の事を見てため息と共に眼鏡を外した。


子供の頃はだだっ広く感じたこの部屋も、今となっては大商会の長のものとしては狭く感じるぐらいだ。


一番奥にある窓を背にするように置かれた執務机の前には、書類棚とちょっとした酒やグラスのある棚に挟まれた商談スペースがあり、飾り気のない照明型造魔がそれを照らしていた。



「騒がしいな、まぁ座れ」



ゆっくりと執務机から立ってきた親父は棚から酒とグラスを取り出しながら言うが、俺は入ってきた勢いのまま彼へと詰め寄った。



「いや座らない、うんと言ってくれ!なんでそう渋るんだよ、何が気に入らないんだ!」


「…………まあ、座れ」



珍しく暗い顔で俯いた親父に再度促され、俺は不承不承ローテーブルを挟む対面式のソファに座った



「末っ子のお前がいよいよ親になるか、子供ができてからの人生というのは駆け足で困る」



親父は二つ並べた脚付きグラスにゆっくりとワインを注ぎながらしみじみとそう言い、机を滑らせるようにそれを差し出しながら、俺の目を見てすまんなと詫びた。



「お前の子に名をつけるのを渋る私に、腹を立てていただろう。全て理由あってのことだ、許せよ」


「なんだよ理由って」


「先に、これだけは言っておく」


「私が名をつけるのを避けたのは、お前の妻のローラ殿や、生まれてくるその子供が恐ろしいからではないぞ」


「……」


「このシェンカー商会の長ブレット、痩せても枯れても商業ギルドの次席である。妻も魔法使いであったのだ、孫に怯えぬ程度の胆力は死ぬまで保つつもりだ」


「ああ」


「いいか、これから話すのは本来墓へと持っていくつもりだった事だ。そのつもりで聞け。お前が貴族になる以上、知っておかぬ方が困るかもしれんと思って打ち明けるのだ」


「……なんだよ」



一口だけワインで口を湿らせ、親父はぽつりぽつりと語り始めた。



「わがシェンカー家の祖先、私の曽祖父はな、大英雄にして国賊だったのだ」


「国賊?」



親父は深く深く頷いて、指で机に三角形をなぞる。



「このトルキイバを含む穀倉地帯を牛耳り、麦を使って軍を脅して金貨の山を掠め取り、討伐へとやってきた大貴族の姫を奪って子を産ませた」


「めちゃくちゃじゃないか」


「そう、めちゃくちゃな人物なのだ。その力も尋常ではなく、大河の流れをも捻じ曲げるほどの超能力者だったと聞いている」


「ふぅん」


「そしてその男はこう呼ばれていた……『黒ひげ』シェンカーと」


「黒ひげねぇ」



イマイチ話が見えてこないな。


先祖が無茶やったって言っても、今の陸軍がそれを気にしているとはとうてい思えない。


だいたい学問として体系だっている魔法使いと違って、超能力者の権能なんてのは一代限りなんだ。


だからこそ俺は自分の才覚だけで魔法使いになれたし、功績を認められて貴族にまでなった。


遠い先祖のことなんて俺には関係のない話だろ。



「黒ひげの生きていた時代、この穀倉地帯は平民のものだった。貴族は何度も何度も攻めてきたが、ついに曽祖父を討ち取ることはできなかったそうだ」


「そりゃあいいけどさ、その黒ひげが俺となんの関係があるのよ」


「その後黒ひげは寿命で死に、都市は魔法使い達の手に戻ったが。あの時代に、あの時に、無垢な羊だった平民へと種が撒かれてしまったのだ」


「種?」


「禁断の種だ。平民が魔法使い達に家畜のように使い捨てられずに済む、皆が伸び伸びと生きられる国の形が存在する事を知ってしまったのだ」


「つっても、暴力装置としての魔法使いの力がなきゃ都市が成立しないなんてことは、そこらのガキでも知ってるだろ。突然変異の化け物に頼ったって今以上になることなんて絶対にない」


「そうやって割り切れるのは、お前がそういう教育を受けたからだ。世に多くいる素朴な平民には物事の二面性など理解できようはずもない。甘い蜜の後に来る虫歯の苦しみなど、その身をもって経験して見ねばわからんよ」


「平民が潜在的に解放を求めてるっていうのか?」


「そうだ、たとえその先が地獄だったとして、もしもう一度魔法使いとやりあえるような力を持てば、平民は鼻歌でも歌いながら行き着く所まで行ってしまうだろう。ある日突然奴隷になる心配もない、飢えることも凍えることもない理想郷があるのだと、そう信じたままな」



ぞっとしない話だ。


魔法使いがいなくなれば、豊かな平原を持つこの国は四方八方から攻められ討ち滅ぼされることだろう。


そうならなくても、次は平民が平民を家畜のように使い捨て始める地獄の時代が来るに決まっている。


俺だって故郷では会社に家畜のように扱われ、惨めにくたばったんだ。


不思議な魔法の力があろうがなかろうが、人間の本質は変わらない。



「理想郷というのは、たとえ内実がそうでなかったとしても人を狂わせるものなのだ。実際当時のここトルキイバには犯罪者から義勇の士まで玉石混交に人が集まり、豊かな国というよりは山賊砦のようなものだったという」


「わかんないねぇ……魔法使いに任せときゃ、この国は・・・・そうそう酷いことにはならないってのに」


「魔法使いは神の如き存在だが、どこまでも挑発的で不寛容な神でもある。それに真っ向から立ち向かえる別の神がいたならば、そちらに庇護を求める者の気持ちもわからんではない」


「でもそいつは次の世代を育てられずに魔法使いに負けた、そうだろ?」



だから俺には関係ないじゃないか、とそう続けようとした俺をじっと見て、親父は深く深くため息をついた。



「だが、数世代飛ばしでお前が生まれた」


「へっ?俺?」


「そうだ、魔法使いでありながら、救えぬ奴隷を救い、私兵を揃えて力を蓄えるシェンカー家の男子おのこ。黒ひげの伝説を口伝で伝える者達がいれば、お前を担ぎ上げようとするのは間違いない」



親父は一息でワインを飲み干し、グラスを置いて真剣な顔で俺を見た。



「いいか、黒ひげには四十八人の名のある手下がいた。黒ひげ自身が名付けを行った、生き汚い、平民ながらにそれぞれ一芸を持った剛の者たちだ。おそらくその子孫のいくらかはここトルキイバで生き残っているだろう、おそらく、それらがお前を狙っている」


「ふーん」


「だから、怪しい誘惑にはゆめゆめ乗ることのないように」



親父の空いたグラスにワインを注ぎながら、俺の脳裏に先日の奴隷商人ペルセウスとのやり取りが蘇ってきていた。


『もう少し年をとったら髭を生やせ』と、たしかそんな事を言っていた気がする。


もしかしたら、あれがそうだったんだろうか。



「……そういやこないだ、ペルセウスの爺さんに髭を生やせとか言われたなぁ」


「なに?ペルセウスが……」



親父はその言葉に少なからずショックを覚えたようで、固く目を閉じて、苦々しげな顔でワインをあおった。



「そうか……ペルセウスがな。あの店の店主が代々ペルセウスの名を継いでいたのは、そういうことだったのか……」



小さな声でそう言い、親父は俯いたまま祈るように顔の前で手を合わせた。



「それを聞いては、ますますお前の子の名付け親にはなれんな。黒ひげシェンカーの名は厄介事を呼ぶだけだ」



不意に親父が、俺の右手を両手で包み込むように握りこむ。


まだ五十代前半のはずのその手は、カサカサに乾き、枯れ木のように節くれ立っていた。



「いいか、サワディや、お前も、お前の子供も、これからはシェンカーの名を捨てて生きるのだ。先祖の咎を、負債を背負い込んではならん」



俯いたままの親父が、急に小さく見えた。


どんな時もニコニコと俺たち兄弟を見守ってくれたでっかい親父が、ほうぼうに頭を下げつつも、譲れない所は決して譲らなかった強い親父が、いつの間にか小さく萎びて、干し柿のように老いていた。


だから、俺はそんな事にうんと言うわけにはいかなかった。



「やだね」



俺の言葉に、親父がゆっくりと顔を上げる。


苦労の皺の刻まれた、いい男の顔だった。



「先祖が大罪人だろうが、俺や俺の子供にとっては大した事じゃない。そんな過去の遺物にビビってるようじゃ、魑魅魍魎だらけの魔法使いの社会ではとうていやっていけないんだよ」



魔法使いの世界は、いつだって命がけだ。


戦争、政争、上の無責任、はたまた単なる巡り合わせ、どこにだって即死級の爆弾が転がっている。


大貴族の娘であるローラさんだって死にかけたんだ、狂った世界だ。


こんな世界だと知っていたら、俺は間違いなく魔法使いになんてなろうと思わなかっただろう。


だが、だからこそ、俺は先祖のバラまいた呪いなんぞにビビるつもりはなかった。



「しかし……」



なおも渋る親父に、鼻と鼻がくっつきそうな距離で懇願するように話す。


いま俺の胸にあるのは、親父への憤りでも疑問でもなく、ただ寂しさだけだ。



「俺はな、親父。単純にあんたに子供を祝福してほしいんだよ。子供に、自分は父や母や祖父に望まれて生まれてきたんだって事を知ってほしいんだ」


「いや、だが……」


「頼むよ親父、これが最後のわがままだと思ってくれてもいい。俺はシェンカー家のあんたの名付けがほしいんじゃない、俺の親父のあんたに、子供の名付け親になってほしいんだよ」



きっと親父は親父なりに、真剣に俺の事を考えていてくれたに違いない。


だがその気持ちを押してでも、俺は親父と生まれてくる子供の縁を繋げたかった。


生まれてくる子に、こういう人の血を継いでいるんだってことを知ってほしかったんだ。



「いや……」



親父は目を閉じたまま眉根を寄せ、しばらく黙っていたが、つうっと一筋だけ流れた涙を手で拭い、とうとう顔を縦に振った。



「わかった。名を付けよう」


「ほんとか!?」


「ただ、本当に黒ひげの件については気をつけるのだぞ、子供からは決して目を離さぬように」


「ああ、もちろんだ」



気と一緒に魂が抜けたような顔をして立ち上がった親父は、棚からきつい酒を取り出した。


ワインが半分残ったグラスにかまわずその酒を注ぎ、一気に飲み干し、ぽつりと言う。



「男ならば『ノア』、女ならば『ラクス』だ……これは一年をかけて考えた」


「親父」



親父は俯いたまま口の端だけを上げてにっと笑い、俺のグラスに酒を注いだ。


この日、棚の酒を全部飲み干した二人は隣同士のソファに並んで眠り、昼間にのそのそと起き出してローラさんの元へと名前を届けに向かったのだった。


そしてその三週間後には元気な双子が生まれ、ノアとラクスの名は両方が使われる事となった。





…………………………





この話は難産でしたがローラさんは超安産でした

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