第62話 放浪者 骨身に染みる 人の影

下の兄貴と護衛と一緒に、俺は醤油の壺を持ったまま、雪ふる街を疾走した。


この壺の正体を知る義姉さんに会うために、息を切らせて遮二無二走った。


明日まで待ってなんかいられない。


十六年ぶりの故郷の味が、俺の背中を強く強く押していた。


南町に少し入ったところにある、こじんまりした家が兄貴達の新居だ。


結婚する前後ぐらいから、ちょくちょく実家の商会の手伝いをするようになったって聞いてたけど……


だだ甘の親父の事とはいえ、兄貴もそんなに沢山給料は貰ってないだろうしな。


『いらっしゃい』と書かれたプレートのかかった玄関をくぐり、兄貴の背中を押しながら義姉さんの元へと急ぐ。



「ただいま〜」


「おかえり〜、ちゃんと渡してきたの〜?」


「あー、一応」


「一応って何よ、色々とお世話になってるんだからちゃんとしろっつーの」


「わかってるよ、そんでさぁ、そのサワディがさぁ」


「んー?何?」



暖かな夫婦の会話を交わしながら、トントンと野菜を切る義姉さん。


そんな静かで心温まる新婚家庭の団欒に、水をぶっかける者がいた。


俺だ。



「お邪魔してますリナリナ義姉さん!これのことなんですけど!」


「えっ!?何……!?サワディ君!?なんで!?」



カラーンと金物の転がる音がした。


血走った目で壺を抱えた俺に、義姉さんは驚きのあまり包丁を取り落してへたり込んでしまったようだった。


申し訳ないけどそれどころじゃない、俺は兄貴と一緒に姉さんを立たせて、醤油の壺を掲げて聞いた。



「これっ!これもっと欲しいんですけどっ!どこで手に入れるんですか?」


「え、あの……せーゆのこと?故郷の行商人の人がたまに持ってきてくれて……」


「それはいつ来ますか?」


「先月来たから、次は一年後ぐらい……?」



その言葉に、膝から力が抜けていく。


危うく壺を取り落しそうになったが、護衛の猫人族が俺の手から素早くすくい上げてくれた。


危ないところだ、貴重品だからな。


なんとか気を取り戻した俺が彼女に小さく頷くと、彼女はぐっと親指を立てて返した。


なんだそれ。


どこで覚えたの?



「商隊を出します!リナリナ義姉さんの故郷のお店を紹介してください!」



取り寄せられないなら取りに行くまでだ!


人なら沢山いるんだ、信用できる面子に商隊を率いさせればいい。



「あ、いや……遠いよ?」


「かまいません!どこへでも送り込みますから!」



リナリナ義姉さんは「まあそれなら……」と言いながら、箪笥から小さな木の箱のような物を取り出した。



「これ、家の家紋なんだけど、これを見せたら親戚の蔵が融通してくれると思う。うちの一族はタラババラの西のはじに固まって住んでるから」



手渡されたそれは、手のひらサイズの石鹸箱みたいな木の箱で、縦に紐が通してあって、表面には家紋の彫り物が……


心臓の鼓動がズレた。


俺は時代劇でそれを見たことがあった。


日本の、前世の時代劇でだ。


それはこの世界にあるはずのないもの。


家紋入りの印籠だった。



「あのっ!これ……この入れ物は……?」


「あ、よく入れ物ってわかったね。これ中に塩とか薬とか入れるものなの。あたしは万が一のための銀貨を入れてたんだけど……こっち来て使っちゃったから」



義姉さんは頭をポリポリかきながら「ま、田舎の工芸品だよ」と笑う。


そういう問題じゃない。


俺にとって、この印籠はある意味醤油よりも衝撃的なものだった。



「こ、これ……これを作ってるのって、どういう人達なんですか?」


「え?うちの地元の一族ってこと?」


「そうです、どうもクラウニア以外にルーツがあるような気がするんですけど」



違うよな?


クラウニア以外とか、そういうレベルじゃないよな?


もっと遠くの、歩いて帰ることもできない場所だよな?


そうだよな、そうであってくれ。


俺だけじゃないって言ってくれ。


放浪者は俺だけじゃないって!


この世界に、俺だけが置き去りにされたわけじゃないって!


そう言ってくれ!



「や、クラウニアはクラウニアなんだけどね。棒海ぼうかいの向こう側から二百年前ぐらいに渡ってきたの」


「……じゃあ、独立戦争後の旧クラウニア側の人達ってことですか」


「そうそう、カンディンナヴァって土地に宗家があるんだって聞いたけど。あたしらは行ったこともないから、詳しいことはわからないなぁ……」



心臓がバクバクする。


唐突に故郷の物に触れた寂しさに、胸が引き裂かれそうになってしまう。


でも今は、今は義姉さんの故郷の情報が少しでも欲しい。


あの日本に繋がっているかもしれない蜘蛛の糸に、なんとかしてしがみつきたい。


涙よ、今だけは出てくるな。


暴れ出しそうな心よ、止まってくれ。


顔が引きつりそうになるのを、太腿を抓って無理矢理抑え、震える口で言葉を紡いだ。



「い……いえ。ありがとう、ございます。ちなみに……なんですけど、ご宗家の方の、お名前などは……?」


「ああ、そういえばあっちにその宗家の名前を継いでる、リューゾージっておじいちゃんが……」


龍造寺リューゾージ!……ですね」



思わず大きな声が出てしまい、義姉さんをどぎまぎさせてしまった。


駄目だ、今だけは冷静にならなきゃ駄目なんだ。



「大丈夫?」


「いえ……大丈夫、です」


「それでね、そのおじいちゃんがまとめ役だから、その家紋のやつをおじいちゃんに見せてね」


「……わかりました。ありがとうございます。それで、カンディンナヴァのご宗家に関して……何か他にご存じないですか?」



義姉さんはうーんと天井を見ながらひとしきり唸って、鼻の下をかきながら少しだけ話してくれた。



「歴史はあるんだろうけど……あんまり昔の事は知らないの。せーゆも宗家の初代様が作ったとか、昔は領地持ちだったってぐらいしか……ごめんね?」


「いえ、十分です……」



俺はメモ帳に、ミミズののたくったような日本語・・・龍造寺リューゾージ肝心灘カンディンナヴァと書き記す。


もう、疑惑は確信に変わっていた。


いたんだ。


俺だけじゃない、この世界には日本からの転生者か転移者が確実にいたんだ。


一つ、心から大きな重荷が取れたような、ずっと抱えてきた寂寥感が薄まったような、そんな気がした。


兄貴が「泊まってけよ〜、雑魚寝だけど」と言うのを固く辞して、薄く雪のつもりはじめた道を歩き出す。


最近設置されだした、無限造魔街灯のオレンジの光が淡く足元を照らしていた。


横っ風が吹いて、顔に細かな雪がぴしゃぴしゃ当たる。


今はもう、それを拭う気にもなれなかった。


拭ったって意味がないぐらい、とめどなく涙が溢れていたからだ。


俺だけじゃなかった。


俺一人じゃなかったんだ。


嬉しいような、切ないような、小さいひとり言が、風に巻かれて消えていった。





…………………………





ちょっと短いので、明日か明後日にもう一話投稿します。

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