第61話 醤油やん 醤油ですやん 醤油やん
薄く積もった白い雪の中を大地に長く長く線を引くようにして、いっそ笑えるほど長大な真紅の列車がここトルキイバの駅へと向かってくる。
つい先々月から運用試験が始まった
今日その列車がやってくるという情報が、一体どこから漏れたのかは知らないが……
物見高いトルキイバの民は朝から酒や食料を持って高台に集まり、どんちゃん騒ぎをしながらこの瞬間を待ち構えていた。
「長いなぁーっ!ありゃ一体どこまであんだ!一番後ろが見えねぇぞ!」
「何乗っけてんだろうな」
「これまであんな長い列車はなかっただろ、やっぱりシェンカーんとこの三男坊が作ったっていう新型だよ!」
「陸軍から勲章貰ったって言うけど本当かな?」
「嘘だよ嘘、あんな芝居狂いのボンボンが……」
「バカ!もしシェンカー一家に聞かれたらどうすんだよ!」
「おっと、そいつぁいけねぇ……」
あんたら声がデカいから全部聞こえてんだよ。
ムッとした顔で拳を固める鱗人族のメンチの背中をポンポン叩いてなだめながら、俺と数名の護衛は人の波をかき分けながら駅へと向かう。
俺は今日あの列車でやってくる人に用事があったのだ。
駅では軍人達が立哨していたが、俺の左胸についた勲章を見ると敬礼をして通してくれる。
さすがに護衛達は入れず駅の外で待機だが、やっぱり権威のパワーって凄いわ。
普通の平民魔法使いだった頃は、列車に乗らずに駅に入るだけでも三つも四つも手続きがあったからな。
便利だ、権威……
これからも必要に応じて、胸に勲章ぶら下げて歩くことにしよう。
そして今日こうして迎えに来た相手も、実はそんな権威のパワーで招聘した人物だったのだ。
「トルキイバ魔導学園造魔研究室のサワディ・スレイラです、ターセル魔導技師殿はいらっしゃいますか?」
「少々お待ち下さい」
サロンのようになっている駅の待合室で、案内人に要件を告げてしばし待つ。
中は貴族や貴婦人でいっぱいで、ヘビースモーカーが多いのか煙草の煙で視界が真っ白だ。
換気が間に合ってないのか、換気担当がサボっているのか、ファン型の無限造魔を売り込んだら売れないかな?
そんな事を考えていると、奥から髭を生やしてツナギを着たノッポのおじさんがひょこひょこと歩いてきた。
「あんたが噂の天才か、ずいぶん若いんだな。魔具職人のターセル・ランザだ」
「はじめまして、サワディ・スレイラです。天才ではありませんが、今日はご案内をさせて頂く事になりました」
そう、俺が遠く山岳地帯の工業都市から招聘したのは、魔具職人だった。
喫緊の課題である超大型造魔の制御に関して造魔学だけで対処するのは困難と判断して、魔具の力を借りることにしたのだ。
「へっ、勲章ぶら下げて何言ってやがる、あの列車もあんたが作ったんだろ」
「あれは基礎理論を作っただけですよ」
「それが一番大変なのは誰だって知ってらぁ、地元のサナルディじゃあんたの名前は有名だったぜ。俺らの作る魔具の地位を脅かす脅威としてな」
「それじゃあ、あなたも造魔研究に隔意を持っているってことですか?」
「それなら死んだってこんな田舎に来ねぇよ、俺はな、動くものが好きなんだよ。魔導列車も好きだし、魔導馬車も好きだ、もちろん無限動力だって好きなのさ」
ターセル氏は親しげに俺の肩を叩き、積み荷の交換を行っている真紅の大鯨号を親指で差した。
「はぁ……」
「実は俺は
「へぇ」
「だから来たんだ」
よくわからんが、褒められてるならまあいいか。
でも、一つだけ気になる。
「一ついいですか?」
「なんだ?」
「なんで大陸間横断鉄道は、鯨って名前になったんですか?」
「知らんのか?無限造魔の集合動力は、高回転時に鯨の鳴き声のような音が鳴るんだよ」
「そうなんですか」
サロンを出た彼は目を輝かせながら大鯨号の機関車に向かって小走りで近づいて行き、マニアックな話を延々としてくれた。
「いいか、この機関車は一両につき、人の腕ほどもある3号無限造魔を六千体も搭載しているんだ」
「はぁ」
「あんたの作った始祖鯨は、化け物みたいな精度で作られた造魔を自然吸魔で同調させてたけどよ。これの動力はもっと凡人向けにデチューンされてるんだ。自然吸魔を廃して上限付きの給魔機を使って同調を取ってる」
「なるほど」
「もちろんそれでは無限造魔の力を最大限に引き出せてるわけじゃない、だから機関車が十二両もある」
「へー」
マジで長い、マシンガントークが途切れない。
俺はほんとにもうプロトタイプを作った時点で、無限動力列車にはあんま興味ないんだけどな。
そうして俺も最初は若干うんざりしながら、目をキラキラせた彼の話に空返事をしていたのだが……
意外や意外、ターセル氏は想像以上に話が上手く、途中からは俺もなんだかんだとのめり込んでしまう。
特に俺の専門分野とも被る無限造魔と魔具のあわせ技制御の話なんか面白くて、往来で歩みを止めてまで話し込んでしまった。
聞けばターセル氏は地元では魔具学の講師として教鞭を執っていたらしい、トルキイバなんかに来ちゃって本当にいいんだろうか?
「へぇー、じゃあ魔素の供給を絞るってのは普通の技術なんですね」
「当たり前だろ、じゃないと火付けの魔導具使った時に爆発しちゃうだろ」
「逆に魔素を過給したりとかは?」
「えっ、魔素を多く流すって事か?それは考えた事なかったなぁ」
なんだかんだ言っても、自分の専門の近接分野の人との話は面白い。
完全に会話にハマり込んでしまった俺達は、馬車や人力車にも乗らずに学校に向けてひたすら歩き続けていた。
「むっ、サワディ、ありゃなんだ?」
「ああ、あれは喫茶店ですよ」
ターセル氏が指差したのは、俺の経営してるアストロバックスという喫茶店のオープン席だった。
素っ頓狂な格好した若者たちが青春しながらお茶を飲んでるから物珍しかったのかな。
「喫茶店か、ちょうどいいや、喉が渇いてたんだ」
「あそこは平民用の店ですよ?」
「なにぃ?平民と貴族で店が分かれてるのか?変な街だな。サナルディじゃそんなのないぞ」
「サナルディは開明的と聞いていましたが、本当だったようですね。ま、ま、トルキイバでもあの店なら平気なんです、入りましょう」
護衛に言って席を用意させた俺達は、店の奥の席に陣取った。
俺は店に入る前に上着を脱ぎ、ターセル氏は最初からツナギだからな、混乱は起こりにくいだろう。
「この店は平気って、知り合いの店なのか?」
「ここ、僕の店なんですよ」
「なにっ!?平民相手に商売してるのか?」
「ええ、まぁ。周りからはあまりいい顔はされませんが……」
「いい顔っていうか、そんなもん儲かるのか?」
「まずまずですかね」
彼は自分で聞いておきながらあまり興味がなさそうにふぅんと頷き、メニューを広げた。
「何でも頼んでください」
「といっても土地が変わると何が何やら……おっ!これ、もしかしてお湯飯じゃないか?」
ターセル氏が指差したのは、ミートソーススパゲッティだった。
「お湯飯ってなんですか?」
「トルキイバの名物じゃないのか?固まった茶色いやつにお湯をかけると食事になるんだが……こう、ふやけた感じで、味付きの糸みたいなのが出てくるんだ」
「ああ、揚げ麺の事ですか」
お湯かけて食うからお湯飯なのか。
なんか商品名をつけて流通させればよかったな。
「こっちじゃそんな風に言うのか?新しい物好きの教授が買ってきてな、食べにくいけど意外と美味かったぞ」
「揚げ麺はこの料理を油で揚げて保存食にしたものなんですよ」
「なんだ、そうなのか!じゃあ俺はこれ、あとエールと……」
「このドーナツなんかはお菓子として人気ありますよ」
「じゃ、それ」
「僕も同じので」
机の隣に控えていたウェイトレスの子が、注文を復唱してから厨房へと戻っていった。
かわいそうに、緊張してたな。
「メンチ、皆にもなにか食べさせておいて」
俺がそう言うと、周りに陣取った護衛の集団もいそいそとメニューを開き始める。
ま、ここはうちの拠点だからな。
いざとなったら店の全員が俺とターセル氏を守る盾になる、多少ゆっくりするぐらいはいいだろう。
「で、だな!さっきの魔素過給器についてなんだが、魔素を濃縮するのか負圧をかけるのか……」
結局彼はその後しばらく根を張ったように動かなくなり、話しながらスパゲッティを食べ、エールを飲み、ドーナツを食べ、コーヒーを飲んでまたドーナツを食べ……
一応たびたび人をやって連絡を入れていたとはいえ、学園にたどり着いた頃にはもうすっかり夜。
俺とターセル氏は並んで座らされ、マリノ教授からありがたーい説教をたっぷりと頂いたのだった。
ちなみに俺は家でもむくれたローラさんに帰りが遅いことをなじられ、散々な一日になった。
ま、研究協力者が仲良くやっていけそうな相手で良かったということにしよう。
うちの親父、先日結婚した下の兄貴とその嫁さん、そして上の兄貴とその第一夫人を招待して、シェンカー音楽隊によるワルキューレの騎行の最終リハーサルが行われた。
場所はもちろん我らがフリースペース、劇場建設予定地だ。
「うー、寒いな」
「だからもっと着てきなさいって言ったでしょ」
胸元の開いた服でガタガタ震えている上の兄貴のジェルスタンに、その嫁である番頭の娘が自分のマフラーを巻いてやっている。
ほんとは下の兄貴の結婚祝いということで上の兄貴は呼ばないつもりだったんだが、家の前で寝転んでダダをこねられたからしょうがなく連れてきたのだ。
甥っ子たちも真似をして転がろうとして義姉さんにしばかれていたが、まあ親父が駄目でも子供は育つしな。
そんなダメ親父な兄貴の、さらに上の親父は、ローラさんにビビってか無言を貫いている。
こっちもどうにかならんかなぁ。
「お前そんな薄着で寒くないのかよ?」
「だからこれはうちの地元の服で、内側に毛皮が入ってて温かいんだって」
「マジ?おっ、温かい……」
「アンタ、人前でそんなとこに手入れないでよ」
寒い中を下の兄貴のシシリキとその嫁さんがイチャついているところに、久々に外出して機嫌の良いローラさんが興味深そうに話しかけた。
「失礼、その上着から見るに……義姉上殿は北のご出身かな?」
「えっ……?あっ……はっ……そう……そうです!」
突然元軍人の貴族からそんな事を尋ねられた義姉さんは、めちゃくちビビりながらもしどろもどろに返事を返した。
「スレイラ領のデオヤイカかな?それともツグマナロ?タラババラ?」
「あ、その、タラババラ、です……っていうかスレイラ?もしかして弟さんのお嫁さんって!?」
「ああ、スレイラ家の長女だ、以前はね」
「ひ、ひぇ~!失礼しましたっ!」
「よせよせ」
いきなり跪いて両手を上げる正式礼をしだした義姉さんに俺と下の兄貴はびっくりだが、同郷のジモティにしかわからないこともあるのかな?
ここいらで言うと、トルキイバ領主のスノア一族が気づいたら身内にいた感じか。
それなら俺も狼狽するかも、実際は結婚式で一回会ってるんだけどね。
「な~、お前の嫁さんってそんな大物だったの?」
「らしいね、地元が遠すぎてピンと来ないけど」
「ふーん。あ、そういや嫁さんが引き出物渡したいって言ってたから後で持ってくわ」
「へぇ、引き出物、ありがとう」
ローラさんとぎこちなく話す義姉さんはなんだか泣きそうになっているが、兄貴は気づかない。
俺はローラさんを「もうすぐ始まるよ」と強引に抱き寄せ、ちょうど鳴り始めた音楽に耳を傾ける。
久々の晴天の中を下の兄貴夫婦のため特別に演奏されたワルキューレの騎行は空に高々と鳴り響き、真っ青な顔色をしていた義姉も、次第に笑顔になっていったようだった。
そして数日後、兄貴が引き出物として持ってきたツボの中身をひと舐めして、俺は腰が抜けるほどの衝撃を受けていた。
「なんかこれ嫁さんの実家の方の特産品なんだって、炒め物に入れると香ばしくて美味い」
「ちょ、いや、これ、マジで?」
「なんだよ~」
「いや、これ食べて何とも思わないの?」
「なにが?」
その時は混乱していて気づかなかったが、トルキイバ生まれの兄貴が何とも思うわけがなかった。
俺だって、直接思い入れがあるのは前世の自分だけだったのだから。
そっけないツボに入れられた、黒々としたその調味料は……
まごうことなき醤油だったのだ。
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