第56話 吉報は 冬に乗っかり やって来た
前世でも今世でも、冬は好きだ。
温かい食べ物が好きだ、温かい飲み物も好きだ。
暖かい部屋が好きだ、でも寒い中行くコンビニも好きだ。
澄んだ空、乾いた空気、人恋しくてそわそわするあの感じ、イベントが多いのも好きな理由だ。
そしてそんな冬を、もっと好きになれそうなニュースが我が家に飛び込んできた。
ローラさんの懐妊だ。
「ローラさん、換気中ぐらいもっと着ないとだめですよ」
「もう十分さ。多少風が吹き込んだって部屋は暖かいんだ、逆に汗をかいてしまうよ」
「そうですか?」
「私は元々体温が高いんだ、身体も丈夫だし平気だよ」
「うーん……あ、なにか食べたいものとかはないですか?」
「おいおいまだお腹も大きくなってないんだぞ。世話を焼いてくれるのは嬉しいが、なんでも自分でできるよ。あまり気を使わないでくれ」
暖炉の前で安楽椅子に座る彼女はそう言うが、妊娠初期は色々と怖い事を俺は知っている。
前世のドラマで見たんだ。
妊娠三ヶ月目の彼女にもその説明をして、せめて冬の間は仕事を休んでもらう事を約束してもらった。
滑って転んだら洒落にならんからな。
「旦那さま、男の方がそうせかせかされるものではございませんよ」
「だけどな、ミオン」
「出産はまだまだ先なのです、殿方はどっしり構えてご自分のお仕事をなさいませ」
ギン、と眼光鋭くそう言われると、途端に気持ちが落ち着いてくる。
さすがはローラさんが産まれた時も手伝ったというミオン婆さん、貫禄が違うな。
頭にトルフが乗ってなきゃ、もっと格好良かったんだが。
トルフはとぐろを巻くようにして婆さんの頭にしがみつき、羽を伸ばしたり畳んだりしている。
なかなか悠々自適な奴だが、来客にもこの調子で絡んだら大変だ……
人が来たら、どっかの部屋に閉じ込めておくことにしよう。
「父上の方はどうだい?」
「まだ渋ってますね、まあ気長に説得することにしましょう」
「そうか……」
貴族の子の名付けというのは、しきたりがないようで、きちんとある。
いわゆる明文化されてないマナーというやつだ。
第一子は爵位が上の方の両親が決めることが多い。
うちだと俺が元平民なんでローラさんの両親になるわけだけど、彼女は勘当されているので結果的にうちの親になるわけだ。
そしてその親父が名付けを渋っている。
自分は平民だから恐れ多いなんて事を言っているが、要するにまだローラさんにビビっているのだ。
まあ、まだまだ出産は先だ。
時間はあるんだ、ゆっくりじっくり説得することにしよう。
俺はまだ大きさの変わらないローラさんのお腹をつるりと撫で、冷たい風の吹き込む窓をトンと閉ざす。
乾いた風からは、たしかに冬の匂いがしていた。
家庭内が順調だからといって、なかなか仕事の方まで順調とはいかないものだ。
俺もここ最近で色々とあった。
まずは実家の粉挽きバイコーン造魔の自我について軽く報告書を上げて、造魔の配備先に意見を求めた件。
これは各所から劇的な反応が返ってきた。
『うちの隊の造魔飛竜は最近名前を呼ばれると反応するんですけど、ちゃんと覚えてくれてたんですね!』
『造魔ユニコーンが男に触られるのを嫌がるんですけど、これってやっぱりおかしいんですか?』
『造魔ゴールデンウルフが毎晩俺のベッドに潜り込んできて上司が嫉妬しています』
『造魔のゴリラが飲み屋の女の子達にモテモテでみんなが困ってます、なんとかしてください』
その他諸々、色んな情報が上がってきた。
結構みんな造魔に自我が芽生えても「そんなもんだ」と思って気にもしてなかったらしい。
なんだろう、俺からすると人工物に自我って凄いことだと思うんだけど、意外と気にならないものなのかな?
AIのシンギュラリティだとか、俺の前世では色々と騒がれてたからことさら重大事項に見えてるだけなのか?
まぁ最悪、魔結晶やらなきゃ止まるしな。
それよりも大きな問題は、造魔を配置してから一年程度の場所でも自分の名前に理解を示した個体が出てきた事だ。
粉挽きバイコーンの自我三年仮説が崩れてしまった。
この件はまだまだ調査研究が必要だ。
やはり造魔は奥が深いな……
次に、先日論文を提出した、勝手に魔素を取り込む魔結晶型の造魔、無限魔結晶の話だ。
これには王都の食いつきが大きく、夢の新エネルギーとして早速色々な物で実験が行われたようだ。
魔導灯に入れたり、造魔に入れたり、魔具水瓶に入れたりと、チームを組んで実験してくれたらしい。
そこらへんはうちもだいたい実験して情報上げてるんだけどね……
まあ、返ってきた返答は「現段階での使い道なし、改良されたし」だったわけだ。
シンプルに出力不足なんだよな。
魔導灯は仄かに光るだけ、造魔は動かない、魔具水瓶は一日にコップ一杯程度の水が出る程度。
今の魔具のコストなら、そんな微妙なエネルギーに頼るぐらいなら調達にムラがあっても天然物の魔結晶に頼った方がよっぽどいい。
今の俺の仕事はこの無限魔結晶のサイズを変えずに出力を上げることだ。
幸い補助金は出てるんだ、こちらものんびりとやっていこうと思う。
仕事を終え、学校を出てしばらく歩くと、俺の半分ぐらいしか背丈のない犬人族が走って近づいてきた。
「ご主人様、お疲れ様っス!」
「ああ、ラフィもご苦労さま」
小さいしっぽを元気一杯に振る彼女に、提げていた革の鞄を渡す。
彼女は俺の鞄持ち件護衛だ。
ローラさんが学校を休むようになってから、まいにち日替わりで冒険者組の誰かが付いてくれることになったのだ。
トルキイバは平和だが、備えて損することはない。
それに貴族が一人で歩くと色々不便があるしな。
「本部に寄るよ」
「わかりました!」
前を歩く彼女の背中にまるで大剣のように背負われたグラディウスが、茶色いしっぽにあわせてゆらゆらと揺れている。
一人で暴れ鳥竜の身体を駆け上って、あの剣で喉をかっさばいて悠々と降りてきたって噂は本当なんだろうか。
チキンが「鞄持ちには最低でも暴れ鳥竜の討伐に参加したものを付けます」って言ってたから強いのには間違いないんだろう。
「どうしました?」
視線を感じたのか、ラフィが振り向いて聞いた。
「いや、見た目じゃあ人の強さはわからないものだと思ってな」
「何をおっしゃいますやら。見た目じゃ強さがわからないってのは、魔法使いが一番
そりゃそうか。
俺はことさらゆっくりと歩き、小さい勇者の武勇伝を聞きながら、マジカル・シェンカー・グループ本部までの道のりを楽しく過ごしたのだった。
チキンに預けた造魔犬のジフにじゃれつかれながら書類を片付けた俺は、本部前のシェンカー通りのはずれにやって来ていた。
なにやら最近うちの従業員や出入り業者向けの激安飯屋がオープンしたらしく、一度顔を見せてやってくださいよとチキンに言われたのだ。
言われてやってきた場所は看板も何も掲げていない貧相な平屋で、煙突からは白い煙がたなびいている。
利益が薄いからあんまり知らない客が入ってこないようにこんな作りにしているらしい、一見さんお断りのシステムなのかな?
扉を開けると、煮炊きの熱でうっすら曇ってすら見える店内に奴隷たちがすし詰めになって座っていた。
「あっ、ご主人様!」
「えっ!?うそっ!」
「やべっ!」
「酒隠せ酒」
ばっちり見えてるよ。
酒を気にするってことはサボりか、言わなきゃバレないものを……
「ほらほら詰めて詰めて、ささ、ご主人様!こっちどうぞ!」
店主の狼人族がもとから詰めて座っていた奴隷達をもっと詰めさせ、笑顔で俺に手招きする。
あいつ誰だっけな、プーラだっけトンミだっけ、料理番のシーリィとハントが弟子にしてた奴らの中にいたよな。
「ラフィ、今日は鞄持ちかい。ご主人様の鞄を地面に引きずってないか?」
「引きずってない!プーラには関係ないっしょ!」
プーラだったか。
あと鞄は時々地面に線を引いてたぞ、別にいいけど。
「なんか出してくれよ」
「へっ、ご希望は……?」
「よく出るやつ、適当に何品か」
「かしこまりましたっ!ラフィは?」
「鞄持ちは何も食べない、常に周りを見張ってる……っス」
キリッとした顔で鞄持ちの心得みたいなのを口にするラフィだけど、しっぽがへにゃりと垂れてるぞ。
「いいよ別に食べて、周りも仲間しかいないし」
「そーそー!」
「この店にいる間はうちらに任しときな!」
「誰はひはら追い返してやるろ!」
「お前は立って帰れるかも怪しいだろ!」
「キャハハ!」
なんか急に不安になってきた。
ラフィはご飯だけね、お酒はなしにして。
「あの、ご主人様……」
調理をするプーラを眺めながら飯を待っていると、奴隷たちが席から立って勢揃いでこちらにやって来ていた。
「どうした?」
先頭の犬人族は、後ろの仲間をチラっと見てから真剣な顔で言った。
「あのっ!奥方様のご妊娠、おめでとうございます!」
おめでとうございます!と声を揃えて祝福された。
これまでも色んな人に祝福されてきたが、涙が出そうなぐらい嬉しかった。
ありがたい、自分の子への手放しの祝福は、ただただありがたい。
俺が奴隷たちに真摯に「ありがとう」と返すと、みんなホッとした様子で席へと戻っていった。
じんわりと心が暖かくなったところに、店主から「できましたよっ!」と声がかかる。
「まずはこれっ!どうぞっ!」
威勢よく俺とラフィの前に置かれたのは、丸のままのトマトだった。
いや、ヘタがくり抜かれてて、そこに白くて丸いものが入ってるな。
「塩かけてガブッとどうぞ!」
「ふーん」
指でパラパラと塩をかけ、赤いトマトを真ん中の白いところごとガブッといった。
ん?
あ、これ、くり抜いたとこに入ってるのチーズなんだ。
まあ、不味いわけがないよね。
「そんでこれ、グイッとどうぞ!」
出てきたコップをグイッとあおると、ハードリカーにスモモを漬けて作った果実酒だった。
あんまり合ってるとは言えないが、まぁ不味くはない。
ワインならもっと美味いかもしれないが、うちの台所としてはワインよりも果実酒の方が圧倒的に安いんだ。
なんせうちの醸造所なら、原料の麦さえあれば高濃度のスピリッツが無限湧きだからな。
よそに安く卸すような事はしないが、うちの奴隷たちからしたら激安の酒がいつでも飲みまくれる状況なんだ、そりゃこんなボロい店でも大盛況なわけだわ。
「次にこれっ!」
今度は普通に豚とキャベツの煮物が出てきた。
完全に酒のアテだな。
角切りにされた豚は煮崩れしかかるぐらいトロトロで、くたくたのキャベツも味がよく染みてて美味い。
スープも澄んでて臭みがない、いい腕してる。
ちょっと塩っ辛いぐらいだけど、それが酒によく合うな。
「もう一品、自信作っ!」
「おっ、スパゲッティか」
出てきたのはでっかい腸詰めがゴロゴロ入ったホワイトソースのスープスパゲティだった。
ちょっとシャバシャバだけど、俺は後でスープだけ飲むのも好きだ。
湯気を吸い込むと幸せな匂いが胸いっぱいに広がる。
酒のアテばかりなのかと思っていたから、これは嬉しいサプライズだぞ。
さっそく食べようとフォークを持った俺の目の前に、にゅっと店長のプーラの腕が伸びてきた。
右手にチーズ、左手におろし金。
スパゲッティの表面は、雪のように降るチーズにあっという間に覆われてしまう。
ごくりと喉が鳴った。
フォークで皿の中をかき混ぜ、麺を巻くこともせずに口へと運ぶ。
期待通りの、とろけるように優しい味。
腸詰めをフォークで突いて口に突っ込んだ。
パキッといい音がして肉汁が溢れ出す。
期待通り期待通り、こういうのでいいんだよ。
「店長!あたしもそれっ!」
「あたしもあたしも!」
「こっち大盛りで!」
「チーズ特盛り!」
みんなこぞってこのメニューを頼みだした。
酒飲みっていうのは、なぜか人の食べてるものを真似したくなるもんなんだよな。
「あたしのが先っスよ!」
「鞄持ちがなんたらはどうしたんだよ!」
「今日は許可が出たからいいんスよ!」
「都合いいなー」
みんな口々に騒ぎまくる中、カラカランと入り口のチャイムが鳴って、ちわーという声とともに店のドアが開く。
ただでさえ狭っ苦しい店内に、また新しい客がやってきた。
「おーおー、今日も有象無象が雁首揃えて……ってご主人様!?えっ!?あ、いや……間違いました!」
「どこと間違えたんだよ!」
「早く入れよプテン!」
入り口でまごついていた猪人族は酔っぱらい達に引きずり込まれてしまった。
うーん……楽し気にしてくれてるけど、やっぱりほんとは俺がいるとやりにくいだろうな。
今日はいきなり来て悪い事したから、飲み代ぐらい奢ってやるか。
「店長、今日の払いは俺の奢りだ、チキンに回しといて」
その言葉に、店の中がわっと湧いた。
「いよっ!太っ腹!」
「ごちそうさまです!」
「店長お酒!ローラ・ローラ!」
「ねぇよそんな高い酒」
「じゃあエール!飲み溜めするから」
「金ありゃ全部酒に変わるやつに飲み溜めも何もあるかよ」
「違いない!」
「私もエール!大ジョッキで!」
大いに盛り上がるのはいいが、明日に響くほど飲むなよ。
「ほどほどにな」
「はーい!あ、それとワインも!」
「返事だけじゃん!」
「ちわー、何盛り上がってんの?……えっ!?ご主人様!?すいません、間違えましたっ!」
「間違ってないよ!」
「そいつも引きずり込め!」
この後もどんどん人数を増やしながら、楽しい夜会は遅くまで続き、へべれけになって家に帰った俺はミオン婆さんにしこたま叱られた。
そしてその日の晩御飯として出てきたホワイトソースのマカロニグラタンとトマトサラダを前に、膨れた腹とともに大苦戦を強いられたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます