捏造探偵 0

月冴(つきさゆ)

【Prologue】裏稼業

[2020年10月31日(土) 横浜みなとみらい地区のとある路地裏]




 本日は快晴。この日は年に一度、ハロウィンという異国の鎮魂祭ちんこんさいを我が国らしくアレンジしたイベントが、日本全土で開催されている。


 ここ横浜みなとみらい地区も例に漏れず、街には仮装した人々があふれ、普段とは違った装いをていしている。隣街では大規模な仮装パレードやコンテストなどが行われており、多少人混みが苦手な者達がこの街へと流れてきているのかもしれない。


 灰色の無機質な高層ビルが立ち並ぶエリアに、鮮やかな色取り取りのペンキを散りばめたような、黒を中心に展開された魔物やヒーローなどのコスチュームで身を包んだ者達が、そこかしこで写真を撮ったり談笑したりして楽しんでいる。路上コンサートなどの音楽の合間に聴こえる子供達のはしゃぐ声や、若者や家族連れの笑い声、活気に溢れた街が一層華やいでいる。


 そんな祭りの最中さなかにあって、ただ純粋に祭りを楽しんでいる者達の中に、2つの異質な存在がまぎれ込んでいようなどと、誰が気づくだろうか。


 雲ひとつないどこまでも淡くあおい空が、ゆっくりと西側から茜色あかねいろに染まり始め、パステルカラーの優しいグラデーションから深い闇へと傾き始めた頃。


 高層ビルがいくつも立ち並ぶ公園通りから少し外れた通りは、西日が当たり柔らかいオレンジ色の光が落ちる場所と、日が当たらない場所とでは、はっきりと温度差が感じられるようになる。暗闇に染まり始めた場所からは自ずと人が離れ始め、特別霊感のある者でなくとも、いつの間にかこの場所を避けるようになる。しかし、この場所へと迷い込んだ者を待ち構える存在もいるのだ。


 それは、異形いぎょうのものと呼ばれる者達である。


————1————


 そして今、ちょうど17時になろうかという時間。ここみなとみらい地区の中でも、更に海側に進んでいった、大きな会議場やホテルが立つその影に隠れるようにしてひっそりとたたずむ小さな公園に、迷い込んだものを今か今かと待ち望む異形のものと、偶然居合わせただけの通行人とが出会う。


 男は通りを曲がった瞬間に、全身を強張こわばらせると、思わずため息を漏らす。何者かの気配が色濃く漂ってきたからに違いない。男は目深に被った黒い背の高い帽子を更に目深に被ると、すぐにこの場から離れようと、何事もなかったかのように回れ右をする。しかしきびすを返した瞬間、背後から何者かに呼び止められ、今度こそ大袈裟おおげさにため息を吐くと、


「え…と。ちょっと道を間違っちゃったみたいで、このまま素通りしていいですかね?」


と、耳に挿していたイヤフォンをおもむろに外しながら告げる。


 すると、何者かは赤く色づき始めた並木の影から、ひょっこりと顔を出す。それから、一見人間のように笑顔を浮かべながら、男に向かって手招きを始める。そして、ゆっくりと何者かは男の方へと近づき、時折鼻を犬のようにクンクンといでは、今にもよだれを垂らさんばかりに口をだらしなく開けている。


「まぁまぁ、お兄さん。道に迷ったならば、私が道をお教えしましょう。そうじゃなくても、目的地までしっかりとご案内し、送り届けて差し上げますよ…ふひひ」


などど、気味の悪い笑顔を口の端に浮かべながら、何者かは手を大仰おおぎょうにひらひらと振ると、敬礼の真似事をしている。不気味な何者かが1歩近づく度に、男は1歩ずつ後ずさるため、何者かは浮かべた笑顔を変えることなく、


「なんで逃げるのかな?何もしないって。私は “人” に親切にするのが好きでね、 “ただ” 困ってるお兄さんを助けたいだけなんだよ?」


と、首を傾げては不思議そうな表情を浮かべている。


————2————


「いえいえ、大丈夫です。道を1本間違えただけなので」


「そんなこと言って、本当は困ってるんでしょ?この辺も、日が暮れると途端に物騒になるって言うからね。怪しい奴らが跋扈ばっこする街、横浜って、もっぱらの噂だよ?法律やルール、人目がなければ何をやってもいいって思う奴らばかり。いやはや、怖い怖い。 “人間 ” ってやつは、実に恐ろしい」


「…独り言なら、行きますから」


「ちょっと待った!独り言じゃなし、世間話でもして、お兄さんに少しでも私が怪しい者ではないってアピールしてるだけだよ?それにどう見たって、私よりもお兄さんの方が身長も大きいし、ましてや誘拐しようなんてこれっぽっちも思ってないから、安心して私についてきたらいいんだよ?」


「本当によくしゃべりますね。読者が斜め読みするだけなのに」


「ん?読者?面白いことを言う人間だねぇ。そうだよ、私はお喋りが大好きだし上手なんだって、よく友達から褒められるよ。道案内がてらに、面白いお話をお兄さんにも聞かせてあげるよ。なんなら、寄り道して、一緒に飲みにでも行ってもいい。とは言え、飲むのは私だけになるかもしれないけどね…ふひ…ひひひ」


 何者かはわざとらしく身振り手振りを加えると、今度こそ大きく男の方に一歩を踏み出すと、2人の間に距離は1mほどしかなくなってしまった。


 いよいよ男は観念したように立ち止まると、黒い外套がいとうとシャツの長袖をまくり、右手首に巻きつけた黒い包帯の上をさすり始める。そして、ギリギリと痛々しげに苦しげな表情をにじませると、目深に被っていた帽子を取り、ため息の代わりに大きく息を吸い込み始める。


「本当に、結構です。饒舌じょうぜつなものと、馴れ馴れしいものは苦手で。それより、これ以上は取り返しのつかないことになりますので、引き返すなら今のうちにどうぞ」


————3————


「お兄さんが何を言いたいのか、まったく分からないなぁ。素通りとか引き返すとか、私は親切で言ってやってるんだよ?人の好意を無下にするのはいけないなぁ。お母さんに習わなかった?」


「それ以上、俺に近づかない方がいいよ。お互いロクなことにならないから」


「おかしなことを言うねぇ。それは物理的な問題か、心理的な問題かちゃんと言ってもらわないとねぇ。第一、近づかないと親切にもできないでしょ?なに、ほんのちょっとだけ、触らせてくれればいいから。なにも取って食おうって訳じゃあるまいし、怖いことなんて少しもないからね?ほらほら」


「本当に…しつこい。ごちゃごちゃと、面倒臭いっての」


「んー?口調が変わったねぇ。どうやら、お兄さんを怒らせてしまったかなぁ?親切って度合いが難しいよねぇ。人間ってやつは、本当に厄介で理解不能な生き物だよねぇ。怒ってるなら怒ってるって言えばいいのに。言われれば、こっちだって対処のしようがあるってもんだよ。なのに、本心を隠して建前たてまえって言うんだっけ?あれを振りかざして、いかにもいい人ぶった言動するから、こっちはイライラするって言うんだ。大体、親切をあだで返すような行いは最もやっちゃあいけないよね?お兄さんは、そういう人間じゃないよねぇ?」


「どうあっても逃さない気か。逆にこっちから見逃してやろうと思ったのに」


「逃すなんて、人聞きの悪い。人…ねぇ…ふはは」


 何者かは残る1mの距離も縮めようと、一気に男との間合いを詰めると、男の襟元えりもとつかもうと右手を伸ばす。しかし、その刹那せつな


「………くさい。警告はしたからな」


と、男は何者かを一瞬 にらみ付けると、逆に右手を何者かの唇にふわりと触れさせる。その所作しょさは、さながら歌舞伎の女形の役者が、自らの口元に手を添えるような、踊り子が目の前の対象を誘惑するかのような美しい舞に見えた。


————4————


 男が何者かの口元に触れた瞬間、何者かは反射的に後ろに大きく飛び退く。


 一瞬にして、立場が逆転したようだ。


 何者かは自らの唇をゴシゴシとぬぐうと、苦しげに咳き込み始める。口元は真っ青に染まり、その目は血走り、ただでさえ土気色の血色の悪い顔色が、いよいよ真っ黒に黒ずんでくる。そして何者かは


「ち、近寄るな!下衆げすが!」


と叫ぶと、その場でブルブルと全身を打ち震わせ、真っ赤に血走った瞳で男を睨み付ける。


「本当にうるさい」


「なぜ…ここに!?こんな明るい時間から がいるのだ…!?」


  と呼ばれた者は、気怠けだるそうに大きく欠伸あくびをすると


「それって “ なぜ ” ここにいるかに答えて欲しいわけ?それとも “ 俺 ” 自身がこの時間にいることの返答が欲しいのかな?」


と、 と呼ばれた男は、益々面倒臭そうに腰に手を当て、何やら黒い外套のポケットの中をごそごそと探っている。


「それは、なぜも時間も答えて欲しいに…ってそんなことはどうでもいい!!!厄介な人間め…そんな屁理屈なんてねるな!“お前” は深夜の丑三うしみどきにしか現れないはずだろう!?」


「あー、話すのも面倒臭いなぁ。せっかく綺麗な夕焼けを見ようと思って、今日は学会のあるあの建物から急いで出てきたっていうのに…君のせいで日が沈んじゃったよ。それに、ここは俺の住む街なんだから、何時にここにいようが、君にわざわざ説明する必要あるかい?いやぁ、話すのが面倒とか言いながら、今度は俺の方が饒舌だね」


 男はひどく残念そうに空を見上げると、肩に掛けた巨大な風呂敷のようなボロボロにり切れたかばんを地面にどさりと置き、みすぼらしい鞄とは対照的に高級感のある長い外套を鞄の上へと脱ぎ捨てる。すると、今度はパリッとのりで真っ直ぐに筋の付いたズボンのポケットや、いかにも高級そうなジャケットの内ポケットの中や、シャツを上からまさぐり始める。終いには靴まで脱ぎ始めては靴を逆さまにして振ったりたたいたりして、何かを探しているようだ。


————5————


「あれ…おかしいなぁ。確かここに…」


「おい!お前!!!聞いてるのか!?何を探している!まさか、武器か!?それともー」


 異形のものが口を再度開きかけた瞬間、鋭い閃光せんこうが異形のものの目の前を横切り、何かが生暖かい疾風と共に走り去る。


「ああ、悪い悪い。ポケット違いだったわ。いつも左側のポケットに入れてたはずの “これ” 。今日はいつでも取り出せるように、ってのと、学会では上着も脱ぐからね。右手の袖の中に仕込んでたんだった。ちなみに、これは武器じゃないよ。俺の大事な相棒さ。って、何もない所に向かって、独りで喋ってしまった」


 疾風は異形のものを飲み込むと、キラキラと自らを光源にして、空へと舞い上がる。無数に別れた小さな光が、空一面へと散らばり、夜空に星を散りばめた。疾風はその場にあった鬱屈うっくつした空気をも取り込み、連れ去ってくれたようだ。


 その様子をしばらく眩しそうに見つめていた男は、何かを思い出したように大きく欠伸をする。


 そして重そうな外套を羽織り、脱ぎ捨てた帽子を拾い上げ、軽く叩くと再び目深に被る。それから、来る時よりも幾分重くなった鞄を持ち上げると、来た方向へと踵を返す。


 すでにみなとみらいの街には夕暮れは落ち、夜のとばりがすっかり空を支配していた。


迷い込んだ者を待ち受けるのは、ただの闇だけとなり、空風が時折吹いては、色付き始めた紅葉を舞い上げる。


先程までの多少のやかましさが懐かしく思えるほど、この場所には何も残されていなかった。


 ただひとつ、かすかにえた臭いだけを残して。


————6————

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