無垢なる雛鳥に青春を捧ぐ
水巷
第一章 鷲の終わりと鷹の始まり
プロローグ 『彼が見た怪色』
ーーー目覚めた男の視界に最初に映り込んだのは、地獄だった。
地獄の情景を見たことがない健全な生者でも、それは、地獄と形容するしかない、それ以外の言葉は受け付けられないほどの、壮絶なる異景であった。
「ーーーー」
衝撃に遅れること数秒、男は、自分がうつ伏せに倒れていることを察知する。
寝起き同然の緩慢な動きで起き上がると、男はその両目を最大まで見開いた。
「ーーーぁ」
唐突に飛び込んできた、およそ理解の範疇を超えている眼前の地獄絵図に叫び声をあげそうになり、そこで、男は自身の異変にも気づく。
ーーー声がうまく出せない。発声がうまくできない。
驚愕に大声が出そうになっても、男の喉からはか細い息が漏れ出るだけで、文字通り、声にならない声しか聞こえない。
いや、もはや、それが自分の声なのかどうか、もっと言えば本当に聞こえているのかどうかすらも曖昧だが。
原因は不明ーーーいや、本当はわかっているはずなのだけれど、脳が眼前の光景の認識に全ての意識を割いているせいで、そこまで処理が追いついていないのだ。
だが、そんな至らない脳機能でも、これだけはわかる。
ーーーとにかく、一刻も早くここから離れなければ。
その焦燥感だけはーーー生存本能だけは、わかる。
「ーーーーっ!」
焦る気持ちそのままに急いで動こうとした直後、全身に迸る激痛に、男は盛大に顔を歪ませた。
ただ歩いているだけのはずなのに、一歩一歩踏みしめるごとに、まるで脳天から爪先まで、もれなく際限なく電撃が走ったかのように身体中が悲鳴を上げる。
何だこの痛みは。どうして身体が言うことを聞かない。
何故だ、何故だ、何故だーーーーー。
全身の不自由さに、眉間に皺を寄せる男。
だがしかし、その答が得られる前に、不幸にも時間が刻一刻と進むにつれて否応無しに覚醒していく頭が、今まで停止していた五感の一つーーーー触覚を取り戻させていく。
ーーーーー熱い。
熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。
真っ赤に染まった視界の中、それに呼応するかのように、今度は『熱い』以外の感情が、感覚が湧いてこなくなる。
熱い。
頭が熱い。髪が熱い。眼が熱い。耳が熱い。鼻が熱い。唇が熱い。そもそも肌が熱い。肩も、胸も、腕も、手も、指先も、腹も、腰も、腿も、膝も、脚も、心臓すらーーーー否、内臓全てがーーーー燃えるように熱い。
全身余すところなく、一寸の隙なく熱く、そしてーーーー苦しい。
熱い。苦しい。熱い。苦しい。あづい。ぐるじい。
ーーー何故こんなことに。どうしてこんな目に。
無分別に焼かれ、爛れる脳味噌を、文字通り必死で働かせ、そんなことを考える。
呼吸もままならない惨状の中、考えることをやめないよう、頭を動かすことを諦めないよう、生命の糸を手繰り寄せるように、男は思い起こす。
一瞬でも気を緩めれば、そのまま再び意識を手放してしまいそうな過酷な状況下で、男は想起する。
此度彼が遭遇したーーーーたった数十分前から始まった、常軌を逸した惨劇を。
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