三猿に尋ねよ

ライナス

第1話 アンタッチャブル The Untouchables

 皆様、ゴールデンウイークを忙しくお過ごしだろうか。

 

 それとも・・・・


「暇だね、なんかすることないかな? するっていってもただの暇つぶしじゃだめだよ。意義があることじゃなきゃ。できれば、今後の私の人生にとって『あれは大事な瞬間だった』と思えるくらいの意義があることがいいな」


 なんてことを言いながら、ベランダの鳩に向けて水鉄砲でも撃っていやしないだろうか(少なくとも僕はしている)。

 

 そんなあなたに朗報だ。

 最初に紹介したいのは、映画「アンタッチャブル」。この題名を聞いて


(アンタッチャブルだって? それはあの面白い二人組のこと?)


 と思ったあなたこそ見るにふさわしい。反対に、


(アンタッチャブル? そんな王道の映画を今さら紹介するなんて、お前クソだな、死んでよし)


 と思ったあなたは、去ってくれて構わない。さて、残ってくださった奇特なあなたにまずは型通りの説明を。


 邦題「アンタッチャブル」は、原題を「The Untouchables」といって、「手出しのできないやつら」すなわち「無敵のやつら」を意味する。

 時代は1930年、禁酒法下のシカゴ。といえば連想ゲームで次に出てくる単語はギャングの代名詞ともいえるアル・カポネだ。アル・カポネは、一介のイタリア移民から「暗黒街の顏」になり上がった稀代の大悪党。その手段としたのが密造酒製造・販売、売春業、賭博業であり、この裏家業を通じて組織を拡大、近代型の犯罪組織を築いたと言われている。


 物語は、こんな悲惨な事件で幕を開ける。

 シカゴの高架下の夜はバー、昼はカフェの小さな飲食店。バーのおやじに、白いスーツの見るからに堅気かたぎでない男が優し気に言い寄っている。男の所属する組織が作る密造酒を仕入れて店で提供しろというのだ。バーのおやじは「そんな粗悪品は店で出せない」と毅然と断る。

 そこへ、金髪おさげの可愛らしい少女(「大草原の小さな家」みたいなエプロンスカート)がバケツ(「天空の城ラピュタ」でパズーが下げてた弁当箱)を持ってやってくる。「ミルクをちょうだい、おじさん」「おや、えらいね、お母さんはどうしてる?」「風邪をひいてるの」という心温まるやりとりがおやじと女の子との間で交わされる。白スーツの男はそれを一瞥すると、馴れ馴れしくおやじの肩に手を置き「わかったよ、もう来ないから安心しな」と一言、店を出ていく。

 先ほどまで男がいた足元には、革製の高価そうなカバンが。女の子はそれに気づき、鞄を持ち「おじさん!(Hey, Mr! と叫ぶ声がなんとも可愛い)忘れものよ!」と声をかけながら戸口まで駆けていく。

 最後の「おじさん!」という声と同時に耳をつんざくような爆音。あたりは土煙と炎に包まれる。

 シカゴは、アル・カポネのもの。彼に逆らう者は誰であれ、それが少女のような無垢な存在でも、標的となりあるいは巻き添えとなり、死に果てる運命にあることを、この残酷なオープニングシーンは告げている。


 今度は、少女が犠牲になった、と痛ましく報じる新聞を眺める男の後ろ姿に画面は切り替わる。男は立ち上がり、ランチボックスを用意する美しい身重の妻にキスをする。妻はやさしく「今日が初日ですもの。格好よくね」と男を送り出す。この男こそ、あのアル・カポネを投獄に追い込むことになるエリオット・ネス(ケビン・コスナー)だ。

 彼は、財務省から派遣され特別捜査官としてシカゴ警察に赴く。シカゴ警察すらもカポネの手の内にある状況下で、全く畑違いの役人が形式的な打開策として、しかし実際には大して期待もされずに遣わされる。どの時代でもよくあることだ。本人はその崇高な正義感と本当の悪を知らない純粋さゆえに気づいていないが、どこから見ても貧乏くじを引かされたエージェント・ネスは、シカゴの警察諸君の前で「悪は正義の鉄槌を受けなければならない」と大演説をぶる。警察職員から報道陣まで、皆、そんな世間知らずのネスを心の中では(または顏に出して)あざ笑っているのを知らない。


 一方、画面は変わってシカゴの高級ホテル(撮影には、実在する「ヒルトン・シカゴ」が使われてる)。上空から回されるカメラには、男が横たわり、白い着衣の床屋(これもイタリア系)にヒゲをあてさせている。少し異様なのは、その周りを新聞記者が取り囲んでいるということだ。


「シカゴの市長は、本当はあなただ、という話がありますよ、カポネさん」


 面白い話を聞くためにカポネをおだてる記者。カポネは、まんざらでもない様子で演説をぶる。俺は真っ当なビジネスマンだ。この街のために、俺は働いている。この街に、俺は欠かせない存在だと。勿論、そのどこにも真実はない。しかし、皆、欺瞞の笑みを顔に貼り付け話に聞き入るふりをする。彼こそが実力者で権力者。この街の真の支配者なのだから。


 この映画は、全てのシーンに意味があり、あらゆる意味で完璧だ。


 まずハラハラさせるのは、このアル・カポネの登場シーン。

 エンリオ・モリコーネ(!)の荘厳かつ不吉な音楽にのせて、ロバート・デ・ニーロ扮するカポネが記者たちを相手にお得意の演説をぶるのだが、その間も床屋はカポネの髭剃りをやめない。キラキラと光る剃刀、それを一向に気にすることなく、大げさな身振り手振りで面白おかしく話をして場を沸かせることに夢中なカポネ。床屋の手がすべったらどうするんだ! 動悸が高まる観客たち。

 勿論、バナナの皮が道にあったら、それには乗っからないといけないわけで、床屋・剃刀・騒ぎ立てるギャングのボスは「前フリ」で、床屋は必ず手を滑らせなければならない運命にある。

 ああ、とうとうカポネが大きめに手を振り、それが床屋の剃刀を持った手にあたり、カポネが一瞬顔を歪ませ、頬につうっと血が一筋つたう。恐怖におののき目を見開く床屋の表情と言ったら、もう。


 ……まずここで観客は凍り付く。映画を見るまでは「は?カポネって誰よ?」または「カポネ? ああ、脱税で捕まった間抜けなおっさんね」と嘲笑っていた人間が、始まって数分でカポネをここまで恐れている。これはすごいことだ。


 この映画について語り始めると話は尽きないが、何をおいても見逃しようがないのはデ・ニーロのだ。デ・ニーロはいわゆる「カメレオン俳優」で、何をってもトム・クルーズ、何をっても木村拓哉、とは違って(それはそれで貴重な才能だと思うが)、役柄ごとに人間性の根本から変えてくる。このカポネを演じるにあたって、デ・ニーロは体重を増やし、髪を抜いたと言われている(ケビン・ベーコンは「告発」を演じるために歯を抜いた)。勿論、そのすごさは外見を変えたことだけではない。というか、デ・ニーロのカポネの前では、外見変更など、イメチェン程度のものでしかない。この映画を見た後には、あなたの中に「アル・カポネ」はたった一人。アル・カポネはドラマティックな存在なので、数多あまたの映画や海外ドラマに登場するが、そのどれも「カポネの真似っこ」に見えるほど、デ・ニーロのカポネは強烈な印象を残す。


 その圧巻シーンはいくつかあるのだが、


(それもいくつかあるのか、さすがに飽きてきた。そろそろ、このつまらん映画レコメンド読むのやめよかな。お腹空いたし)


 というあなたに、あえて断腸の思いで一つだけ選ぶならば、それはギャングたちの会合のシーンだ。ここだけ目を通してオヤツを食べに行って欲しい。


 あるホテルの宴会場と思われる高級な空間。真っ白なテーブルクロスがかけられた大きな円卓に、悪そうなギャングたちが、正装(ブラックスーツにホワイトタイ)で勢ぞろいしている。前には、クリスタルグラスに注がれた高級ワインに、ご馳走がのった白い皿。ある者はワインを口に含み、ある者はハバナ製と思われる太い葉巻をくゆらせながらさざめいている。会合にあたってスピーチをすべく、立ち上がるカポネ。皆、にこやかに拍手で迎える。嬉しそうなカポネ。彼は目立つのが好き、おだてられるのが好き、スピーチをするのが三度の飯より好き、なのだ。


「今日はあることについて話をしたい。それは…」


 やおら手を振り上げるカポネ。その手にはバッドが握られている。ひやりとするギャングたち(そして観客たち)。


「それは…野球だ! 俺は、野球が大好きなんだ」


 カポネが愛嬌のある笑顔でバットを振る真似をする。目に見て分かるほど、あからさまにほっとするギャングたち(そして観客たち)。


「野球で大事なのは? チームだ(ここでギャングたちの「そうだそうだ」的な賛同の声)。自分ひとりが頑張っても、チームで頑張れなければ、ゲームには勝てない(再び深くうなずくギャングたち)。」


 パッと見、まともなスピーチをしているように見える。これは、安心していいのかな? と思い始めるギャングたち(そして観客たち)。

 しかし、どうにも気になるのが、カポネが、スピーチをする間中、円卓にかけるギャングたちの後ろをぐるぐるぐるぐる歩き続けていることだ。まるで、ハンカチ落としみたい。でもこれはハンカチ落としじゃない。カポネの足が止まったとき、一体何が起こるんだろう。いやおうなしに観客たちの不安は高まっていく。もう、カポネのスピーチなんて耳に入ってこない。


 そして、前触れなく、は起こるのだ。


 カポネは、力強くスピーチをしている途中で突然バットを振り上げ、前にいたギャングの後頭部を叩き割る。それは小太りのカポネからは想像できないほど素早い動きで、誰もが「あっ」と思う間だ。そして、皆が唖然としているうちに、カポネは、二度三度、四度五度と、執拗にバットを振り上げ、力の限り繰り返し殴打する。ギャングたちは(叩かれたギャングの隣に座っていた者も含め)、座っていた席から少し体を動かしただけで、立ち上がろうとはせず、それを眺めているしかない。誰かの白いドレスシャツに、ぴっと血が飛び散る。「シット」だったか「ゴッシュ」だったか、思わず呟くギャングの台詞は果たして台本にあったものなのだろうか。そのくらい、このシーンは一瞬で、静かで、緊迫し、恐怖に満ちているのだ。

 ふうっといった感じで、殴り始めたのと同じくらい唐突に、カポネがバットを振り下ろすのを止める。その間、カポネを正面に捉えていたカメラが、上に上がっていく。机に突っ伏したギャングの大きくて黒い背中がまず目に入り、その上の巻き毛の頭から、1テンポ遅れて、こぼしたみたいな液体独特の速さをもって血だまりが一面真っ白のテーブルクロスにジワーッと広がっていく。そこで音楽。


 って、文字に書くとかなりひどいシーンですね。これは「暴力描写あり」とレーティングしないといけなさそうです。まあ、見てみてください。このシーンだけでも、映画を見た甲斐があるってもんですから(なお、アンタッチャブルには、映画史上に残る名シーンが、このほかに5つはある。)。


 ところで、このシーンで見逃してはならないのが血の色だ。普通、血は赤い。テレビドラマの血なんて、赤どころか朱色で、わざと偽物っぽくみせている。しかし、この映画に使われている血糊の色は、紫茶色みたいな色だ(そんな色の名前があるとしたらだけど)。監督のブライアン・デ・パルマは、真に迫った血の色を出すために、血糊に卵の黄身を混ぜたと言われている。本当に怖い色なので(本物より嫌な色です)、この色も是非堪能してください。


 ここまで書くと、ただのバイオレンス映画のように思われるかもしれないが、この映画の真骨頂は、正義と友情だ。え? そんな風に読めない? そうですね、断腸の思いで一つ選んじゃったんで、正義と友情について書けませんでした。それはまた機会があれば是非。もしこの評を見て、「アンタッチャブル」を見てくださった方がいたら、感想、聞かせてください。


どうでもいいこと

※ 本評は実在の人物や団体とは全く関係がありませんが、あなたがプライム会員なら、アンタッチャブルは無料でamazonプライムで見られます。

※ 追加記載:5月7日現在、プライム(無料)作品から外されていました。100円かかります。amazonよ・・・

※ 「アンタッチャブル」はエリオット・ネスさんが、自分が大活躍する様を描いたベストセラーノンフィクション小説(暴露本ともいう?)を映画化したもの。「突入せよ!あさま山荘事件」もそうなんだけど、よくここまで自分のことを格好よく書けるなあと、呆れを通り越して感心してしまう。






 

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