鳥籠に咲く花
成田 真澄
第1話「パーティー」
いつも下ろしたままの髪をまとめ上げるのは何だか変な気分になる。首筋は風通りが良くなり、髪を上げたことで隠れていた顔が周囲にさらけ出されて落ち着かない。
髪につけられた大きな飾りは少し重たくて、知らない間に取れて落ちたりしないか少し心配であった。髪型は母が選んだドレスに合わせて結い上げられているため崩すわけにはいかなかった。
母はどういう訳か肩の露出するドレスを選んだ。色だってわたしには似つかわしくないワインレッドを基調としている。
ドレスの至るところに飾りつけられた布製の花はとても綺麗だけれど、そのせいで華やかさを増し、わたしはとても窮屈に感じた。
鏡の中の不機嫌な自分を睨みつけ、わたしは覚悟を決める。試しに少し口角を上げて笑顔を作ってみる。そのままの表情でわたしは母の待つ階下へと向かった。
車の後部席に並んで座るわたしと母。わたしは居心地の悪さから目を逸らすように窓の外を流れていく風景を眺めていた。
長い時間、静かな車内で身を小さくしていると揺れていた車がふと止まった。外には大きな西洋式の建物が見え、目的地に着いたようだった。
わたしと母は車を降り、パーティー会場であるその建物へと入った。
いつ来てもパーティー会場というものは慣れない。
大きなシャンデリアはきらきらと光を反射させ、ダンスホールにはオーケストラの曲が優雅に流れている。そして香水と煙草、お酒の匂いが入り混じり、様々なドレスを身に纏った女性が金魚の様にひらひらと行きかっていた。
優雅さと豪華さが変に入り混じるその様がパーティーなのだと思わせてくる。
「
母はこちらに目線を向けることなくそれだけを告げ、わたしの返事など待たずにホールへと溶けていった。
置いて行かれたわたしはホールの空気に馴染めず、隅で静かにしていようと思い歩き出した。
踵の高い靴もこういう場面でしか履かないため、全く慣れていないなくて歩きづらい。踵に微かな痛みを感じながらどうにか辿り着いた壁際で、わたしは何もせずホールを眺めた。
わたしは相当場違いだと思う。周りを見渡せばお喋りを楽しんだり、踊っていたり食事をしていたり。けれどわたしはそのどれでもなく、壁に張り付いて一人ホールを眺めるだけだ。
「踊らないんですか?」
突然わたしに向けて放たれたであろう低い声に反射的に振り返ると、わたしよりも背の高い男性が傍に立っていた。微かに幼さの残るような顔立ちから、歳が近いように思う。しっかりと着こなしている燕尾服は真新しいように見えるけれど新調したのだろうか。
「それとも、踊れないんですか?」
わたしが答えずにまじまじと見ていると、もう一つ問いを投げてきた。それはとても真っ直ぐなものでわたしはまた口を閉じた。そして彼から目を逸らす。シャンデリアの光を浴びて艶めく床に視線を落とし、肯定とも取られかねない沈黙を作り出した。
前方から小さく息を吐く音が聞こえた。その次に彼の声が聞こえてくる。
「そのドレス、あなたには似合いませんね」
「え?」
唐突に放たれた否定的な言葉にわたしは思わず声を上げ、彼を見た。
「ドレスは素敵です。布で作られた花だって細かくていい作りをしているし、色の組み合わせだってとてもいいと思います。けど、あなたには似合いません」
彼は悪びれる様子もなく、淡々と抑揚のない口調で話す。それを聞いてわたしは思わず苦笑した。
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「自分は久世晃と言います」
わたしは彼に向き直り、真っ直ぐに目を合わせた。
「久世さん、このドレスは母がわたしのために誂えてくれたものです。その言い方は少し失礼だとは思いませんか?」
「あの、自分はドレスを褒めたつもりですが……」
困っているようにも悪いと思っているようにも見えない、何を考えているのかわからない表情で彼は言葉の最後を濁した。わたしは小さくため息を漏らす。
「もう結構です。申し訳ありませんでした。今のことは気になさらないでください」
わたしは彼の目を見て素っ気なく告げると顔を背けた。けれど視界の端に入ってくる彼はそこから動くことも、ましてやわたしから目を逸らすこともなかった。
彼の足元に視線をやったわたしは彼のその態度を不思議に思い、視線を持ち上げた。
わたしと目が合った瞬間、彼は小さく息を呑み口を開く。
「えっと、悪かった……です、すみません」
彼はわたしを見て告げた。バツが悪そうに首に手を当てて視線を泳がせている。
「名前、聞いてもいいですか?」
不意に目を合わせてきた彼が問う。その言葉でさっきわたしは彼に名前を聞いたきり、自分だけ名乗らずにいたことを思い出す。
「池田結乃、です」
わたしが名乗ると彼は小さく目を細めた。
「あの、さっきのはそうじゃなくて」
さっきのとは、わたしが言い返したドレスのことだろうか。他に話した内容もないのでそのことだとは思うのだけれど。
「そうじゃなくて?」
わたしは言葉の続きを急かすように尋ねた。すると彼は心を決めたように口を開く。
「その、あなたはもっと落ち着いた色が似合うと思って。その方が綺麗だろうなって思ったんです。あなたは元が綺麗だと思うので、ドレス一枚でだいぶ変わってしまいます」
気恥ずかしそうに頬をほんのり赤らめた姿を見て、彼には少々言い過ぎてしまったかもしれないと思った。だが彼の言葉にわたしもくすぐったいような思いになる。
綺麗だとかそう言った言葉を言われ慣れていなかったからなのか、どう返せばいいのかわからずにいた。
「あなたは池田と名乗っていましたが、もしかして池田美智子さんの娘さんですか?」
不意に尋ねられ反射的に「ええ、そうです」と答えると少し考える素振りをしてから彼はわたしとの距離を詰めてきた。
「美智子さんにはとてもお世話になったので、ぜひあなたとも仲を深めたいと思うのですが……」
表情こそ硬いものの声に棘はなく、むしろ包み込むようなやわらかさがあった。さっきの人とはまるで別人のようだ。
「……実はわたし、踊れないんです。そう言う育ちではないので」
やんわりと断るつもりだった。人と関わるのは苦手だから。こう言えば深掘りもせず「そうですか、残念です」とでも言って諦めてくれるものと思っていた。けれど彼は案外頑固なのかもしれない。
「育ち、ですか。自分はいくら教えてもらって練習をしても全く踊れないんです。そこは似たもの同志、お話でもしませんか?」
彼の「似たもの同志」という言葉にわたしは思わず笑いそうになった。
自分の失敗談を恥ずかしげもなく初対面の女に話してくる彼。わたしは母の立場もあるだろうとこれ以上強く断ることもできず、少し諦め気味に「わかりました」と力のこもっていない声で答えた。
「もしよかったら場所を変えましょう」
彼の提案にわたしは頷いていた。それはきっとこのパーティー会場にいることが苦痛だったから。だからここから逃げられるかもしれないという少しの期待から、わたしは迷わず頷いていたのだろう。
不意に差し出された手に戸惑う。彼の手と顔を交互に見て、わたしはこれでいいのだろうかと不安に思いながら彼の手に自分の手を重ねた。
重ねたわたしの手を優しく握り、導くようにゆっくりと引いて歩き出す。わたしは彼の隣を流されるように歩いた。
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