第1章 彼女との出会い

1-1 雨の中でみつけたのは

 陽がすっかり暮れてしまった。


 水溜りを作る暇すら与えないような大雨が容赦なく降り注ぐ。街で買ったものが濡れてしまわないように服の中に抱え込むが、服がすっかり濡れてしまった今ではもはや意味がないようにも思えた。もう絞れそうなほど雨水を吸ってしまっている服の重みを感じつつ帰路を急ぐ。早く帰れることに越したことはない。雨で風邪を引いてしまっては医者として始末に負えない。

 こんなことなら。雨が降ると分かっていたなら傘を持ってくるべきだった。「今日はいい天気になるみたいだぜ」なんて笑って送り出した幼馴染には帰ったら思いっきり文句を言ってやろう。


 山奥に家を建てたことを、今日ほど恨んだことはない。泥濘ぬかるんだ道に足を滑らしそうになる。


「っ、あ」


 言わないことではない。踏み込んだ右足をずるりと泥濘ぬかるみに取られる。慌てて左足で踏み応えようとしたら一緒に滑る。まるで漫画のように体の前面で地面に倒れ込む。庇った腕ごと、服の中に入れた買ったものが身体の重みで潰れる音がした。フルーツたちが潰れた音だった。服の中を見たくない。雨が浸透しているせいなのか、それとも潰れたものが服の中で滲んでいるのか肌が気持ち悪い。


 せめて雨だと思いたい。

 走って帰るからいけないのだ。ため息を吐いて、服についた泥を見てまた吐いて歩き出す。もうこれだけ濡れてしまっているのだから今更急いだところで。

 風邪なんてもう引いてしまえばいい。


 さっきとは一変、買ったものが潰れてしまったせいで自暴自棄になりながら、家まであと少しというところで“その子”を見つけた。

 木の足元。その木に凭れ掛かり、無防備に足を伸ばして座っている。

 この大雨の中、動こうとせず座っていた。深く黒いフードをかぶっていてその表情は見えない。

近付いてみると、微かに息遣いが聞こえる。

 昼寝かな、なんてこんな雨の中でそれはないなと自分の考えを否定する。蹲み込んでその顔を覗き込む。


「……っ、ネト…!?」


 両頬から伸びる二本。金色のヒゲ。よく見ると被っているフードに二つ山ができている。ちょうど耳の形に。尾は服の中に仕舞われているのだろうか。


「どうしてこんなところに」


 気になったが、考えるよりも行動だ。

とにかくこんなところにいたら捕らえられてしまう。いくらここが街から外れた場所だからといって、ネトを捕らえに来ないヒトがいないわけじゃない。


「ねえ、君」


 起きなよ、と肩に触れた。

 何かで手が滑る。雨で濡れているからか。

 それもあるが、しかし水にしては暖かい。ならば泥だろうかと思ったが、泥はもっとさらりとしている。


 知っている。ネトの“血”はヒトと違って凝固しないのだと。


 意識するとそれは鼻の奥まで届いた。酷い鉄の匂い。木々や泥、雨よりもずっと強く臭った。

 触れた肩はぐっしょりと濡れていた。もしかしたら自分よりも長い間雨に当たっていたのではないか。そんな中、流れ続ける血液。


 ネトを捕らえに来ないヒトがいないわけじゃない、と先ほど思ったがそうではないとしたら。


 例えば、もう追われた後だったならば。

 この血は、ヒトからつけられたものだろう。

 きっとこの子はヒトに追われた。そして怪我を負わされ、それでも逃げたんだ。そして逃げる途中で、ここで力尽きたんだ。

 いくらネトがヒトよりもうんと丈夫だといっても、この出血は生命維持に関わるだろう。


 買ったものを服から出し、その紙袋を口にくわえた。両手を空けるためだ。そして自由になった腕で抱える。体力は成人男性より少ない方だが、抱えた身体は想像していた以上に軽く、そして冷たい。

 それに驚きつつ、しっかりと腕に抱えて走る。本当に走る時っていうのはこういう時だ。


「……ごめん、なさい…」


それは、雨音に掻き消されそうなほどに小さくか細い声だったが、それでもしっかりと耳に届いた。

謝罪の言葉。それは一体誰に、何に向けられたものだろうか。

むしろその言葉は。


「(僕達、ヒトが君に言うべき言葉だ)」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る