28日目 One Of Ambient

 圧縮されていた。

 僕の時間も、生き方も、ひとそれぞれで違うことは理解していたが、それでも、圧縮率が違うという事が分かった。

 大切にしてきたのだと思う。

 僕は、僕の人生の濃密さを知っていたし、そのことによって大きい変化が訪れていたことも知っていた。おそらくは、それは僕だけではなく、僕を取り巻く大人たちでさえ理解できていたことなのだと思う。

 足跡を残すような生き方を求められていた訳でもないのに、少なくとも僕の指先は僕を残そうとしていた。

 こうやって、僕が僕を知っていた、という当たり前の事実を誰かに共有してもらおうとしたのだ。知識や罪悪感あたりが妥当だと思う。

 僕を一生、知ったままになって欲しい。

 間もなく死ぬからだとか、そういうことではなく。

 僕は、僕よりも濃密に人生をなめとっている生き物を知らない。夏場にやたら死ぬことで有名な蝉にも負けないし、むしろ、蝉くらいなら一発で倒せるくらいの生き方をしている。

 知っているのか。

 僕は母親だって。

 僕はお母さんだって。

 僕はママだって。

 殺したのだ。

 もう生き返らないようにした上に、殺した証拠すら大事に抱えていたのだ。

 もう、友達の紙コップの中におさまって、多分捨てられてしまった訳だけれど。


 なんだ。

 なんなんだ。

 これが、僕か。

 こんなのに本気になってどうするというのだろう。

 

 こんな日記に。

 本気になってどうなるのかと思う時がある。


 


 僕はこれからすべての本当を書く。

 

 

 

 幼稚園に入る前くらいに、お母さんに、尻の穴に押し込まれた花火とそれに火を付けられた。

 熱さの後に、火薬が弾けて、皮膚が千切れ、そこから肉がはみ出た。

 血がにじんでいることに気が付いたのは、ズボンの裾とパンツが赤くなっていたことを見たからだったし、それ以外のことでは気が付かなかった。

 痛くなかった。

 お母さんは余り興味もなさそうに、家の中に入って、僕はただ機嫌を損ねないように笑って花火の後片付けをする。

 近くに住んでいた芸術家のカワチ サクラさんは優しくて、幼稚園の年中だった僕はカワチさんに告白をした。もちろん、ふられた。怒って、カワチさんの足を蹴り飛ばすと河内さんは僕以上に怒って、怒鳴りつけてきた。軽くだけどビンタもされた。

 そして。

 直ぐに抱きしめてくれた。

 でも、結局お母さんは全然良しとしてくれなかった。

 カワチさんが、車に轢かれて死んだ話を聞いた。トラックの前に飛び出した、ということで、つまりは、自殺ということになったらしい。

 事実、自殺だったのだけれど。

 あれは、どう考えても僕のお母さんが無理矢理、追い込んだのだと思う。自殺を押し付けたのだ。自分の息子を守るという名目で、訳の分からない芸術家が、息子にちょっかいを出した、ということにしたのだ。

 そうやって。

 お母さんは、初めて、僕から大事な人を奪って見せた。

 お母さんは、とてもとても清々しい気持ちだったと思う。

 お母さんの世界には、僕だけしか住まないような環境が作り上げられていたし、仮に、作り上げられていなかったとしても、それが作り上げられているという確信が欲しかったのだろう。

 僕はその手伝いをするしかなかった。

 母親が児童相談所に連れていかれた時も。

「あたしは母親という役目だけじゃなくて、父親という役目も果たさなきゃいけないのっ、何番とかじゃないのっ、何番とかじゃなくてっ、一番大変な母親っていう仕事をやってるの。絶対、あたしが一番なのっ、おかしくないのっ、おかしくないのっ。絶対、これが正しいのっ、お母さんはっ、誰よりもお母さんをやってるのっ。でしょっ、でしょっ。」

 知らない。

 僕はそんなことは知らない。

 そう思って無視をしたのに、無理矢理、愛してるとか、大好きとか、最高の息子よ、とか叫びながら乱暴にキスをしてきた。

 歯を立てていた。

 頬の肉を僅かだが噛みちぎられた。

 母親は思ったよりも早く戻って来て、気が付くと。

 離婚した父親が家に居た。

 母親は、良い家族には父親が必要だから呼んだのだと言った。呼び寄せてここに父親が来たことを、女としての魅力があるということと、今現在の状況を変える力のある人に頭を下げてお願いできることを自慢げに語った。

「お願いすれば誰だって、いう事を聞いてくれるの。そういう事なの。女って、そういうことなの。自分の努力とかじゃないの、どうやって努力している男を見極めて、結果を出せる男を見極めて、その男の近くに行くのが素早いのが凄いの。みんな、他の女はそういうのは言わないし、みんなしてるのよ。本当はしてるの。でも、それは言わずに、そういう見られ方をするのは、女として不本意とか、女性差別とかいうの。本当は違うの、本当は、女はみんなあたしみたいなの。そういう女としてとかじゃなく、人間として差別されてもいいような、自分の努力じゃなく、他人の努力に必死に依存する生き方に命を懸けるの。本当よ、嘘じゃないの。女ってそうなの。女はそうやって、これからも生きていくの。そりゃ、七割八割は層じゃないかもしれないけど、女ってそうなの。そういうのが女なの。女の幸せとかそういう事じゃなく、結局男社会なんだから、そういう場所で生きていくには、ほらっ、しょうがないっ、ほらっほらっ、しょうがないでしょっ、ほらほらほらほらっ、しょうがないったら、しょうがないっ。こういう生き方は社会が言ってきたのであって、あたしじゃないから、しょうがないっ。しょうがないっしょぉぉぉぉぉっ。絶対しょうがないよねっ、そういう社会を生きているんだから、こういうのはオーケーですっ、そういう場合の女らしさをフルに使うのはありでっ、そういう時じゃないときの、女としてじゃないなぁの時は、そうじゃありませんっ。そういう生き方が、女です。女としての生き方なのだから、これは正解。これは正解ッ。こういう生き方大正解っ。皆してるし、何となくじゃなく、こうやって生きていけば、女として幸せで、女として誤算なく、誰にも恨まれない、ほらっ、社会が決めてくれた、女としての大正解生き方に、ちゃんと足並みそろえて、幸せゲットの大正解生き方人生の模範大正解を、お母さん、女としてできてますっ。偉い女の生き方の、大正解人生。皆が思う、女ってこれが幸せだよねっ、社会の言ってくる、女の生き方って、これが正解だよね人生を、ちゃんと足並みそろえて、大正解男との付き合い方マニュアルに則って、生きていけてる、女の人生っ、完璧人生出来上がりっ。はいっ、はいっ、女、最高っ。ちゃんと生きているおんな最高。人生、が出来上がっててっ、最高っ。」

 母親はそこまでのことを何度も何度も繰り返した。

 父親は母親よりも僕のことを見つめていた。

 心配していることが分かった。

 父親は何かと僕と一緒に二人だけで外食をするような時間を作ってくれた。

 ホームレスのような見た目なのに、高いレストランばかりに連れて行ってくれたし、ウェイターはお父さんの名前に様をつけていて、しかも常連のようだった。

 お父さんは、そういう所では心配そうな目ではなくて、優しい目で僕を見てくれた。

 詩人らしく。

 ペンネームは。

 オットーヤングというそうだ。

 僕は。

 僕は。

 そこで、お父さんを捨てた。

 父親が僕を二人で暮らさないかと誘ってくれたのに、そこに付いていくことができなかった。

 母親のことが。

 心配だった。

 一度だけ、自分の意思で家出をしたことがあった。

 お尻の穴に花火を入れて爆発させた話を、酔った母親が何度も何度も僕に向かってしてきたからだ。

 気が付けば僕は泣いていて。

 父親側の親戚のおばあさんの家に居た。

 膝枕をしてもらって、涙が止まらなかった。

 心から安堵したその時。

 母親が来て、おばあさんの顔面に膝を入れて僕を蹴り飛ばすと、乗ってきた車の中に僕を押し込んだ。

 おばあさんが血を流しながら痙攣していて、窮屈そうに息をしているのだけが記憶に残っている。

「なんだっ、あんのクソババっ、ばっ、ばばっ、うっぜぇぇのっ。ああはなりたくないなっ。あんなしわくちゃのババアになりたくないなっ。」

 僕は同意を求められたが無視をした。

 家に着くなり、花火を口の中に押し込まれた。

 爆発した。

 初めてリストカットをした。

 もう、小学四年生だった。

 そのうち、家はゴミ屋敷になり、マスコミが詰めかける。助けが来たと思った僕だったが、その内の数人が、カワチ サクラお姉さんの自殺を嫌味っぽく報道したニュースキャスターだと分かった。

 報道されて、二か月と少し。

 初めて。

 母親と喧嘩をした。

 僕は大好きな動物である猫のように飛び掛かって、母親の小指の肉を噛みちぎった。

 けれど、僕は前歯を全て、ペンチと包丁の柄で折られた。

 カワチ サクラお姉さんが同性愛者で、その婚約者に引き取られたこともあったけれど、結局は無意味だった。直ぐに、元いた家に戻ることになってしまう。

 婚約者は。

「あんたがいたから、サクラは死んだんだよね。」

「はい。」

 それが交わした最後の言葉だった。

 母親の手帳を何となく読んだ。

 僕の後に妹が生まれる予定だったらしい。けれど流産したそうだ。

 だから。

 母親はこんなことを思っていたようで、手帳にこう書いてあった。


 あたし、女で、女の苦労とかめっちゃ分かるし、女の味方。

 男とか。あたし別に男じゃないし。

 産んでも気持ちとか分かんない分かんない。


 母親を殺した。





  

 僕はもう三十日後に死ぬことにした。

 でも、ずっと知っていて、見に行きたいと思っていたAmazon Blue

 高校生にならないと見に行くことができないAmazon Blue

 僕は小学生で。

 僕はもう高校生になれないけれど。

 僕はもうAmazon Blueを見れないけれど。

 これから死ぬまでの三十日間は。

 経験できない僕の高校生活の日記を、僕が書く。

 僕の過ごしたかった青春の三十日間を、日記にする。

 経験することのできない高校生活を作り上げるためだけに伸ばされた、僕の三十日間の寿命。


 そう思って書きなぐった。

 僕の人生に存在しない。

 高校生活の日記。

 Amazon Blue


 僕はもうすぐ死ぬ。

 そして。

 僕は二日後に絶対死ぬ。

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