生きる理由
少年は現在十三歳。
生まれつき心臓に欠陥を持っていて、手術と入退院を繰り返していたが、ここしばらくは家に帰っていない。
家族は両親と妹。
共働きのため、見舞いに来る時間も少なく、ほとんどの時間を一人で過ごしている――
仕事の資料を眺めて、私はふうっと溜め息をついた。
両親が共働き。
その部分だけ、生前の私と境遇が似ている。
両親が忙しくて、自分の状況を言えなかった。
辛いことを抱え込んで抱え込んで、抱え込みきれなくなって、自ら命を絶った。
寿命はまだ何十年も残っていたのに、投げ捨ててしまった。
彼の場合はそもそも寿命が残っていないのだが――あの生への執着のなさ加減は、自殺する人とあまり変わらない気がする。
家族と過ごす時間がもう少しとれていたら、「それ見たら、おとなしく死ぬから」なんて悲しい台詞、口にしなかったのだろうか。
(――って、関係ないんだけどね)
対象者がなにを考えていようと、死神の仕事は変わらない。
執着がない方がいいじゃないか。魂を刈り取るときに泣かれるのは非常に後味が悪い。あっさりと刈り取らせてくれるなら、その方がいい。
そう考えを切り替え、翌日、私は再び少年の元へ向かった。
◇―◇―◆―◇―◇
「あ、死神さん」
今日こそ死ぬというのに、彼の顔は昨日と同じどころか昨日より楽しげで、死の意味がわかっているのだろうかと思ってしまった。
「待ってくれて、ありがとうね」
そう告げる少年の顔は、やはりにこにこと笑っている。その笑顔が心配ではあるが――私は私の仕事をしなくては。
「……いえ。エンディングは見られましたか?」
「うん」
「そうですか」
では――、と鎌を振り上げた私をまたしても少年が止めた。
「悪いんだけど……もう一週間、待ってくれないかなぁ?」
「……何故ですか?」
再び鎌をそのまま下ろすと、少年は持っていたタブレットを指差した。
「新しいイベントが始まっちゃってね。ちょっとやったら続きが気になっちゃって」
一週間で終わるから、お願い。
手を合わせて拝む少年の顔は、あまり必死そうにも見えない。たぶん、断ったらあっさりと諦めるのだろう。「仕方ないね」とか言って。
「……一週間ですね?」
「うん。いいの?」
「悔いを残して悪霊になられても困りますので」
本当はそんな心配などしていないが、そう答えた。
実際、そういった理由で寿命を数日延ばす権限は個々の死神に与えられている。
さすがに一週間は長いので上司に報告をしないといけないが、止められることはないだろう。
なにしろ十三歳だ。
死神だって鬼ではない。不憫に思う気持ちくらい持ち合わせている。
「やった! ありがとう! 死神さん、いい人だね!」
またしても満面の笑みで礼を言われてしまった。
「……一週間後には死ぬんですよ。なんで笑っていられるんですか?」
思わず口を突いて出た言葉に、少年が不思議そうに首を傾げた。
「だって、生きてたって意味ないじゃん」
冷めた言葉が胸に刺さる。この子がそう思っているだろうことは予想していたが、やはりその言葉は悲しいと思う。
「やりたいことがあるわけでもないし、友達もいない。
お父さんもお母さんも、こんなお荷物、いなくなった方が嬉しいんじゃないかな」
「そんなことない!」
自虐的に紡がれる言葉に、思わず声を荒げた。
馬鹿。未練なんてない方が楽なのに。生に執着されたら困るのに。
そう思うのに、私の口は止まらなかった。
「ご両親は、あなたが死んだら楽にはなるかもしれません。でも……でも、絶対に悲しみます!」
私が生前に気づかなかったこと。
仕事で忙しくて、顔を合わせることも少なかった両親。
私より仕事が大事なんだとずっと思ってた。
だが、両親が共働きだったのは、私を想ってのことだった。
私の進路が経済的な理由で狭められないようにと、両親は働いてくれていた。顔を合わせなくても、ずっと私を想ってくれていた。
私の死体を前にして泣き崩れた母。静かに、自分を責めるように泣いていた父。
あのときの両親の顔は忘れない。
私は愛されていた。そのことに、気づかなかった。忘れていた。死んでから気づいたって遅いのに、死ぬまで気づかなかった。
この子には――死ぬ前に気づいて欲しい。
「……悲しんで、くれるかな?」
寂しさの潜んだ声が私を窺う。
本当は、少年の両親がどう思っているかなんて知らない。だけど、私はしっかりと頷いた。
「ええ。絶対に」
「そっか」
少年は寂しさが消えたかのように、にぱっと笑った。
「ありがとう。やっぱり死神さん、いい人だね」
「……一週間後には、魂を刈りに来ますが」
いい人と呼ばれるような立場ではない。両親が悲しむと断言したのも、自分の罪滅ぼしのようなものだ。
しかし少年は、そんなことを気にしていないかのように笑う。
「うん、でもいい人だよ。迎えに来てくれたのが君で良かったな」
「……それはどうも」
反応に困ってそう返すと、少年は楽しそうに笑った。
◇―◇―◆―◇―◇
一週間後――
「ごめんね。昨日までのイベントが、今日からのと繋がってるみたいでさ」
もう一週間後――
「あとちょっとで最高レベルにいきそうなんだ」
さらに一週間後――
「最高レベルになったら新しい章が解放されて……」
「…………“やりたいこと”、あるじゃないですか」
私の呟きに少年は首を傾げた。
「ないよ? これ、ただのゲームだもん。しかもネトゲだからね。運営している会社がやめたら全部パァ」
「でも、やりたいんでしょう?」
断ったら「仕方ないね」と言う程度のものかもしれない。でも、「もう少し生きさせて欲しい」と頼むくらいには、やりたいのだ。
私の言葉に、少年は「うーん」と考え始めた。
「やりたいはやりたいね。でも、生きる理由ってほどのものではないと思う」
「今、あなたが生きているのは、そのゲームをやっているからですが……」
延長した理由はすべてそのゲーム絡みだ。逆に言えば、ゲームをしていなかったら、この少年はとっくに死んでいる。
「あ、そっか。でも、これが生きる理由って、情けなくない?」
「いいえ。それも立派な“生きる理由”です」
“死なない理由”と言った方が正しいのかもしれない。だが、死ななければ、人は生きていられるのだ。
私には――その“理由”がなかった。気づけなかった。気づくだけの余裕がなかった。世の中には楽しいことが沢山あるのに、なにもないと思ってしまっていた。
「歴史に名を残すような生き方ができたら素敵だとは思います。でも、そんなことができるのはほんの一握りで、多くの人は、足跡を残すだけで精一杯です。生前、なにをしたかを答えられない人だっていっぱいいます。
でも、それでいいんです。
自分がなにかを残さなくても、楽しいことがあるというだけで、生きる理由は充分なんです」
本当に、そう思う。“生きる理由”なんて、高尚なものである必要はない。せっかく生きているのだから、なにかを成し遂げたいと思う気持ちは素晴らしいが、そう思わなくてはいけないわけではない。
ただ、楽しいことがあるから生きている――それで、いいと思う。
私の言葉を黙って聞いていた少年が、ぽつりと呟いた。
「生きていて、いいのかな……?」
「…………いえ、あなたの場合は本当はいけないのですが……」
「どっちだよ」
職務を思い出した私に、少年が笑いながら突っ込んだ。
「いえ、あなたの場合は、本当はもう死んでいただきたいのですが……“生きる理由”として、ゲームが楽しいから、というのはありという話で……」
「だからぁ、どっちだよ。僕は生きてていいの? いけないの?」
「……もう一週間、延ばします」
我ながら情けない返答をし、しまったなぁと内心でぼやく。
生前の自分を思い出して、ついついむきになってしまった。ゲームなんか、と切り捨てれば、また上司に頭を下げに行く必要がなくなったのに。
「そう。――ありがとう」
私の心情など知る由もない少年は、また嬉しそうに笑っていた。
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