一章 えまーじぇんしー
えまーじぇんしー【一】
「早く早く! もう大変なんだよ!」
僕は自分のマントを踏んで躓かないようにしながら、ルルコットの手を引いて走る。ルルコットは繋いでいるのと逆の手でバスタオルの胸元を抑えながら、早歩きで付いてくる。
「どうしたの? もう」
後方少し上から、おっとりした声が掛けられる。部屋を出てからしばらく走っているのに、息が切れている様子はない。
「仕入れがまだ間に合ってなくて、それでついさっき在庫も切れて」歩幅の違いか、僕の方は息が上がって、切れ切れに言葉を繋ぐ。「頼みの廻廊もどっかでエナジーショートしてるんだよ。多分だけど」
とにかく、着いてから詳しく話すから――
引っ張っている僕の右手に力が入る。
ああ。もう。
メンテ不足も仕入れ漏れも全部メアのせいだ。
最後の通路の行き止まりで立ち止まって、取っての無い両開きの扉に手をかざす。その扉は緑と青の光を一瞬だけ放って、僕たちを迎え入れるように開いた。
「おかえりー」
「……メア」
部屋の中央の回転椅子にだらーっと垂れているのは僕の妹だ。
ミルメア・クレイジーハート。いろいろ任せたのは僕の責任だけど、何もやらなかったのはメアの責任だと思う。
「そんな家にいるみたいに……」
上は白地の長袖のシャツ。赤茶色のまっすぐな髪が肩と胸元にふんわりとかかっている。下は、ここからだと何かを履いているようには見えない。
「家じゃん」
「家だけど! 今は仕事中で、ここは仕事場だし、そもそも誰のせいでこうなったと思ってるんだよもう」
「お兄ちゃんがあれもこれもやらせるからじゃん。そんなにいっぺんにできないもん」
言いながら、さらに椅子の上でずるずると体勢を崩していく。全身が確認できたけど、やっぱり外に出れるような格好じゃなかった。
「メアがやるって最初に言ったんでしょ!? 初めてだからセリナとやってもらおうとしたのを断ったのもメアだし――」
「だからごめんって謝ったじゃん。それに誰もこうなるって分からなかったんだからみんなも悪いんだよ」
「さんざん言ったよ!?」
あれだけ注意したのに。
「もう、ほら、済んだことは置いといて、これからのことを考えようよ」
「ああ、なんかだんだん怒る気が失せてきた……」
十分怒ってるじゃん、と呟いたメアを無視してだらんと腕を下ろし、そしてまだ握っていることに気付いてルルコットの手を離す。
「あれ、どうしたのルルコット。そんなカッコで」
メアが聞く。肘掛けから背もたれから、しっかり設えられた椅子の機能という機能をその小さな体ですべて使い果たしたカッコで。
「私もわからないの」
バスタオル一枚のルルコットが僕を見る。僕のすぐ横にいるせいで、ちょうど見下ろされる形になる。
青くウェーブがかった長い髪は少し湿っていて、この部屋の白色の照明をかすかに反射している。長身のルルコットのお尻をかろうじて覆うくらいの長さしかないバスタオルは、水を吸ったせいでルルコットの肌に張り付いて体のラインを浮き上がらせている。
ルルコットの部屋にいきなり飛び込んで、脱衣所で見つけたままの姿で引っ張ってきたのは僕だ。状況は実際に見ながらじゃないとうまく話せないからと、ここに連れて来るまでには簡単にしか説明してなかったことを思い出す。僕は部屋の壁一面にぎっしり埋め込まれて並んでいるモニターの一番端を指さしながら説明を始めた。
「この――」
「そうそう、見て見てルルコット! 五十組超えたの!」
「ちょっともう! 今僕がしゃべろうとして――」
「あら、本当ね。すごいじゃない」
ルルコットまで僕を無視した。
「まだ今日は夕方だから、もう少し伸びるんじゃないかな? 今年入って一番の
メアがのんきに返事をする。
「だから、今日は特に伸びるって僕が
部屋の左側、四十八番モニターには目立つ赤い字で『53組』と表示され、文字通り数字が踊っている。そのすぐ下は夕焼けの明るい空が映っていて、その隣の大きなモニターは甲冑やら鎧やら魔法具やらで身を固めた勇者様御一行が、まさに洞穴に足を踏み入れる瞬間を映し出していた。外からの映像で彼らの姿が見えなくなると、勇者の組を表す数字が54に増えた。
「おー、また増えた。いらっしゃーい」
「聞いてよ!」
「なんか、めっちゃ怒られるんだろうなーって考えてたら、逆に何か楽しくなってきちゃって」
「よし、分かった。まず今日のディナーは抜き」
「あ、やっぱり。そう思ってさっきドレメルに早めに作ってもらって食べちゃった」
「――じゃあ罰は痛いやつ」
「え!? ダメだよ前あれ使った日ママにめちゃくちゃ怒られたの覚えてないの?」
「このまま収拾つかなかったらお母さんだけじゃなくてお父さんに怒られるんだぞ!? いやもう怒られるとか言う前にそもそも僕たちが――」
びーっ、びーっ、と警告音が鳴る。
「わ、何?」
メアが驚いて声を上げる。椅子に残っている体の半分が落ちて、つまり体の半分の半分だけが椅子に残っている状態になった。
「あらあら、メインの動力炉が落ちちゃってるのかしら。予備機は動いていないみたいだけど……」
ルルコットが巨大なコントロールパネルの前でいくつかのボタンとスイッチを忙しく触っていた。
そうだ、そもそもルルコットには機械設備の状態を見てもらいたくて連れてきたんだった。まだ何も説明できていないけど、それでもルルコットは僕の気になっていたところを片っ端から確認してくれていた。
「――ラジエーター、は、動いていて、エアとか水とか、循環系は大丈夫そうね」
「うん」
「ねえ、私も触ってみていい?」
「ダメ」
どうしていいと言ってもらえると思ったのか分からない。
メアが今は立ち上がって、どこから取り出したか棒アイスをかじりながらルルコットの作業を横で眺めている。操作の邪魔にはならなさそうな位置なので一旦そっとしておく。
それからもういくつかルルコットが制御パネルを操作し、また何回かアラートが鳴って、顔を上げた。
「ちょっと見てきていいかしら。魔力が動力炉の近くで溜まってるみたいだから」
「魔力が、流れてない?」
地下の一番奥深くで生み出された魔力は、この僕のダンジョンを循環しながら様々な役割を果たしていた。それが滞ると、ほとんどすべての機能に支障をきたしてしまう。
「うーん、動力炉からはちゃんと魔力が吐き出されてるの」
「どういうこと?」
「経路異常――どこかで制御系がおかしくなっちゃって、魔力がループしてるのかも。珍しい状態だから監視系もちゃんと捕まえられてないみたい」
「わかんない」
メアがルルコットを見上げる。
「つまり、そうね、メアちゃんがちゃんとお手紙を送ったのに、お兄ちゃんが届いてないって言ってる状態かしら」
「それはお兄ちゃんが失くしたんだよ」
「違うよ!」
郵便屋がちゃんと届けられていない、とルルコットは言ってるんだ。
「だから、送ってる側は、別におかしいとは思ってないの。実際は届いてないんだけどね」
ルルコットが僕に向き直る。
「予備機が立ち上がってないのはそういうわけだと思うの」
「正常に機能しているように見えるから」
「でも実際には届いていないわけだからから、このままだと動力炉から遠いところのプラントから順番にダメになっていっちゃう」
少し間があって、ルルコットの言葉が耳に入ってくる。
メアが先に「え、やばいじゃん」と声を上げた。
「プラントも――それはホントにダメだ」
勇者の一行が意図しないところに立ち入らないように、このダンジョンの至る所にプラントと呼ばれる魔界の植物が仕掛けられてある。それは、地下にある魔導動力炉から、このダンジョンに張り巡らされた『血脈』を通して魔力を栄養として吸い上げていて、人間はプラントがあるところより先には絶対に進めない。そのプラントが機能しなくなるということは、例えば僕の部屋なんかはどうでもいいけど、もっと奥にある宝物庫なんかに侵入することができてしまう。
そうなったらもう、赤字どころの騒ぎじゃない。
「ルルコット、急いでお願い」
とぷん、とルルコットの姿が沈んで消えた。あとにはバスタオルと、少しの水たまりが残った。
早業だった。
「バスタオル、置いてっちゃった」
「今僕も思ったとこ」
「裸で作業するのかな?」
「わっ、こら、それは思っても探しちゃダメだから! ホントに着てなかったらどうするんだよ」
メアが正面モニターに地下の動力炉近辺をでかでかと映し始めたので慌てて止める。
「ちょっ、冗談だってば」
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