40.

 それから僕とサトミ、そして〈溜池ためいけクレーター湖キャンプ場〉の先客たちは、管理棟の売店で軽く挨拶と自己紹介を交わした。

 トレーラー式キャンピング・カーの住人オーナー轟天院ごうてんいん影信かげのぶ・サチ子夫妻。二人とも、ファッションモデルが恥ずかしくなる程の美しい顔と均整の取れた体の持ち主だ。

 しかも、夫の影信かげのぶの体は、単にスタイルが良いというだけではなく、明らかに何らかのスポーツ(あるいは格闘術かもしれない)のトレーニングによって鍛えられていると分かる外形をしていた。身のこなしも俊敏で無駄が無い。

 トレーラーを牽引する自動車くるまが見当たらなかったのは、何かの用事のために、夫の方がそれを運転してクレーターの外へ出かけていたからだ。

 牽引車に使ってるのはトヨタ・ランドクルーザー(通称ランクル)70シリーズのヴァンタイプだった。

 深緑色のスバル・レガシィ・アウトバックの老人は、樺島かばしま権三郎ごんざぶろうといった。

 彼は、独りでオートキャンプをしているらしい。いわゆるソロ・キャンパーってやつか。

 樺島かばしま老人がどういう経歴の持ち主かは分からないけど、轟天院ごうてんいん夫妻は彼を『カバ島教授』と呼んでいたので、僕らもそれにならって彼を教授と呼ぶことにした。

 僕らは簡単な挨拶と自己紹介を終えて、売店での買い物に戻り、それぞれが必要な物を買って管理棟を出た。

「クリームシチューの素と、冷凍の骨なし鶏もも肉が一枚、っていうのは良いとして……ジャガイモ一個に、ニンジン一個に、玉ねぎ二個って、なんか野菜が少なくない?」

 管理棟の横に停めたジムニーへ歩きながら、サトミが僕にいてきた。

「キャンプ場での料理のコツは」僕はサトミを見て言った。「まず第一に簡単に作れること。第二に栄養価が高いこと……そして三つ目は、一度に食べ切れる分量にする、ってことなんだ。翌日は起きてすぐにキャンプ撤収って場合もあるからね」

「ああ、そうか……食べ残しのシチューを自動車くるまに積んで移動は出来ないって事か」

 僕らがジムニーに乗車した直後、隣に停めてあったランドクルーザーのエンジンの掛かる音がした。助手席に乗っていたサチ子さんが窓ガラス越しに会釈えしゃくをしたので、僕らも会釈を返した。

 美形夫婦の乗ったランクルが発車して、ゆっくりと湖畔のキャンピング・トレーラーへ向かう。

「なんか、あそこまで完璧な美男美女カップルをこの目で見ちゃうと、引け目を感じちゃうね」サトミがキャンプ場サイトへ向かうランクルの後部を見ながら言った。

「そうかなぁ」首をかしげながら、僕はエンジン・スタート・ボタンを押した。「確かに、最初こそ『うわっ、すげぇ美人だ!』って思ったけど、落ち着いてみると、あそこまで飛び抜けて美形っていうのも、良し悪しだと思うよ」

「なんで?」

「うーん……なんか、あまりにも美形すぎて現実味が無いっていうか……絵の中の美女っていうか、コンピュータ・グラフィックスみたいっていうか、お人形さんみたい、っていうか」

 ギアを入れ、ジムニーを発進させ、僕らもモンベル・ムーンライト1を設営した場所へ戻った。


 * * *


 設営場所に戻ってから、僕は後部荷室とルーフキャリアから今夜のキャンプに必要な物を降ろし、折りたたみ式テーブル、椅子、焚き火台、ランタン・スタンドを、サトミに組み立て方を教えながら一つ一つ組み立てていった。

 まずは焚き火台の位置を決める。

 ジムニーからもテントからも少しだけ離れた場所で、湖面が良く見える場所が良い。

 それから、焚き火越しに湖を正面に望む形で椅子を置く。

 あいにく椅子は一脚しか持っていないから、それをサトミ用にして、僕は耐荷重の荷物コンテナに座ることにした。

 機材のセッティングが出来たら、次は食事の準備だ。

 僕はチタン製のクッカーを愛用していたけれど、あいにく二人分の料理を作るには容量不足だ。

 その他に鋳鉄製の鍋もジムニーに乗せてあった。それならシチュー二人分くらいなら作れそうだった。

 ナイフでニンジン・ジャガイモ・タマネギの皮をむいて適当な大きさに切って、鋳鉄鍋に放り込んでいく。ここまでは大して時間は掛からなかった。

 問題は、一枚物の冷凍骨なし鶏もも肉だ。

 カチンカチンに凍っている。

(しばらく日なたに放置しておくか)

 その間に、森で拾った木の枝を太さによって太・中・細枝にり分け、長い枝はノコギリで切って長さを揃えた。

 細い枝は燃えやすく、太い枝は火が付きにくい代りに一度火が付くと長時間燃え続ける。

 焚き火を起こす時に重要なのは、空気が充分に木の間に回るように、かつ、着火点から細い枝、中くらいの枝、太い枝へと順々に火が燃え移るように組み上げておくことだ。

 焚き木の選別を終えて、真空パックごしに鶏もも肉に触って固さを確かめた。

 表面が少しだけ柔らかくなっていたけど、中の方はまだ固く凍ったままだ。

(もう少し待つしかないか)

 何とかナイフの刃が通るくらいに鶏肉が解凍されて柔らかくなるまで、する事が無い。時間がいてしまった。

 僕は空を見上げた。

 雲ひとつ無い。

(そりゃ、そうか……一歩クレーターの外に出れば、一面見渡す限り砂漠なんだもんな)

 陽の光が傾きつつあった。

 空を良く見ると、青色の中にわずかながら赤みが差しているように感じられた。

 夕暮れが徐々に近づいているのか。

 僕は、サトミに「今のうちにシャワーを浴びて来ようか」と提案した。

「え? まだちょっと早いんじゃない? だってまだ昼間だよ」

「昼間っていうほど真っ昼間でもないさ。太陽が大分だいぶ傾いている。そのうち日が暮れるよ。とりあえず一通り夜に向けてのセッティングも終わったし、鶏肉の解凍にはまだ少し時間が掛かりそうだし、手持ち無沙汰の今のうちに汗を流してサッパリしておくのも悪くないと思うんだ」

「そうか……でも、キャンプ用品は、どうするの? このまま出しっ放し?」

「風も吹いていないし、もちろん砂漠の真ん中だから雨なんて降らないし……カバ島教授も、轟天院ごうてんいん夫妻も、悪いことをするような人には見えなかったし……このままでも大丈夫だと思う」

「うん。わかった」

 僕らは、もう一度ジムニーに乗って管理棟へ向かった。

 さっき駐車した同じ場所に自動車くるまめ、女子シャワー室の前でサトミに「じゃあ、談話室で待ち合わせな」と言って別れ、僕は男子シャワー室に入って汗を流した。


 * * *


 シャワー室から出て、受付ロビーから談話室をのぞいてみた。

 案の定、まだサトミは来ていなかった。

 窓の外をながめる。

 日は大分だいぶ傾いていた。

 夕暮れの太陽が、正面の湖と、キャンプ場と、その左右に広がる森と、そして遠くに見えるクレーターの外輪山を赤く照らしていた。

 キャンプ場では、カバ島教授がレガシィの横で……そして轟天院ごうてんいん夫妻がランクルとキャンピング・カーの横で、それぞれ夕餉ゆうげ支度したくをしていた。

(きれいだな……それに、平和で、静かだ)

 ドアが開いて、サトミが談話室に入って来た。

「なに見てるの?」とサトミが僕にたずねる。

「外の景色。良い眺めだ」

 サトミが僕の隣に来て同じように窓の外を見た。

「ああ、ほんとだ」

 僕は「なんか喉が渇いたな……飲み物を買うけど、サトミにも何か飲む?」

「え? 良いの?」

「もちろん。スポーツドリンクとかで良い?」

「あ、うん。ありがとう」

 僕は談話室にある自販機の前まで行って、ああ、そうか、この世界では日本の貨幣が使えなかったんだ、と気づいた。

 仕方なく売店に行ってセルフレジ(こっちはクレカ対応だ)でポカリスエットの500CCペットボトルを二本買って談話室に戻った。

 一本をサトミに渡して、自分のポカリの蓋を開け、一口飲んだ。

「きれいだね」そう言って、サトミがペットボトルに口を付けた。サトミの唇は、ふるふるとして柔らかそうだった。

「あ、教授が火起こししてる」

 サトミが指さした方を見ると、夕日に染まるキャンプ場の遠い位置、レガシィ・アウトバックの前で、カバ島教授が焚き火台の前に蹲踞しゃがんでいた。焚き火台から白い煙が立ち上っている。

 轟天院ごうてんいんのキャンピング・カーを見ると、こちらの焚き火台からも白い煙が登っていた。

 再びアウトバックの方へ目を向けると、焚き火の炎が安定したのか、教授が台の前に椅子を持ってきて座り、マグカップらしきものに何やら瓶から液体を注いで飲み始めた。

(ウィスキーか……)

「そろそろ僕らも行こうか」飲み終えたペットボトルを自販機横の屑かごに入れて、僕はサトミにうながした。

 サトミがうなづいて、僕らは談話室を出た。

「ついでに売店でアルコール買っていかないか?」サトミに言ってみた。

「お酒かぁ」とサトミ。

「あんまり強くないのかい?」

「うん。あんまり。でも、350CC缶一本くらいなら……あ、それから、ここは私が払うよ」

「ええ?」……いいよ、僕が払うよ……と、言おうとして思いとどまった。

 いま僕らが居るこの世界が、僕の生まれ育った地球の遥か未来のれのてなのか……それとも似て非なる『並行世界』とかいう代物シロモノなのかは知らないけど、とにかく今のところは僕のクレジット・カードも、サトミのクリスタル・カードも問題なく使えている。

 でも、それだって何時いつ使えなくなるか分かったもんじゃない。

 どちらか一方のカードが使えなくなって、もう一方が使える場合だって考えられる。

 その時に重要なのは、どちらのカードにも充分な残高を残しておく事だ。

 つまり、リスク分散てやつだ。

 サトミのカードは限度額無制限とか言っていた。とにかく僕の持ってるカードなんかより使える金額は遥かに高いらしい。

 リスクを分散させるという見地から言えば、サトミのカードの使用回数を増やすのが合理だと思った。

「そうかい? じゃあ、今回は遠慮なくご馳走になるよ。ありがとう」

 そう言って売店に入り、僕は冷蔵ケースを開けてビールの350CC缶を一本と、500CC缶を三本、カゴに放り込んだ。

「ちょ、ちょっと待った、ケンゴウくん500CC三本も飲むの?」

「うん」

「一晩で飲むつもり?」

「うん……だめ?」

「いやぁ……ちょっと多いんじゃないかなぁ……二本にしときなよ」

「そうかぁ……だめかぁ」

 僕は渋々しぶしぶ500CC缶のうち一本を冷蔵ケースに返した。

 その代わり、棚から安ウィスキーを取ってカゴに入れる。

「ちょ、ちょっと待ったぁ! 何やってんの?」サトミが驚いたように叫ぶ。

「いや、だから……栄養のバランスを考えて、ビール三本をめて、ビール二本とウィスキー一本にしたんだけど」

「何その理屈……全然バランス取れてないって」

「良いじゃん、良いじゃん……異世界に来て初めてのキャンプなんだしさぁ、ちょっとぐらい羽目はめを外してセレブレーションしようぜ」

「うーん……」

「わかった、じゃあ、ウィスキーだけ僕のカードから払うからさ」

「いや、お金がどうこうって問題じゃなくて」

「良いじゃん……なぁ……頼むよ」

「……」

 結局、ちょっと強引だったけどウィスキーを買うことをサトミにOKしてもらった。

 それから、冷凍ストッカーからロックアイスを取り、つまみとしてサキイカとチーズたらとアーモンドチョコを買って、会計を済ませ(何だかんだ言って、サトミが全部払ってくれた)僕らは管理棟を後にした。

 外に出ると、夕日で赤く染まっていた世界に、徐々に黒味が差し始めていた。

 夜が近い。

 ちょっとだけ急いで、僕らは設営地に戻った。

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