39.

 キャンプ場サイトはとても広かったけど、それでも巨大なクレーターのごく一部に過ぎなかった。

 キャンプ場の左右には木々の生い茂る森のようなエリアが広がっていた。

 チェックインの時にもらった簡単な地図には、左右それぞれの森とキャンプ場の境目から少し入った所にトイレがあり、トイレから少し離れた場所に炊事場があると記されていた。

 キャンプ場から見ると、トイレは木々に隠れるようにして建てられていて、逆に炊事場は木々の手前の良く見える場所に建てられていた。

 つまり、広いキャンプ場サイトを囲むように、管理棟と左右の森の合計三ヶ所にトイレがあり、利用者は自分のテントから見て一番近いトイレを使えば良いという事だ。

 僕は地図を見ながら一番近い森のトイレに向かって歩いた。

 一番近いと言っても、ジムニーの駐車位置からトイレまでの距離はたっぷり百メートルくらいあった。

 森に近づいてみると、一定の間隔で獣道けものみちのようなものが森の奥へと続いていた。

(そういえばロボットの管理人さんが、管理棟で薪を買うことも出来るし、森の中に落ちてる枝も自由に焚き火に使って良い、って言ってたな)

 あらためて薪を拾いに来なくちゃ、なんて事を思いながらトイレに入った。

 トイレの中は良く管理されていて清潔感があり、設備の破損も無かった。

 用を足して手を洗い、ジムニーの所まで戻った。


 * * *


 帰ってみると、サトミはチェックのネルシャツとジーンズ姿に着替えていた。

 例えるなら、昔の西部劇に出てくるアメリカの田舎娘、っと言った感じだ。

「え? どこで着替えたの?」僕がたずねると、サトミは「テント使わせてもらった。良いでしょ?」と答えた。

「そりゃ、もちろん」

「やっぱ、キャンプの時は、こういう動きやすい格好の方が良いかと思って」

「うん。そりゃあ、それに越したことは無いよ」

「これから、どうするの?」

「まずは、森へ行ってひろい。そのついでに、炊事場で水袋ウォーター・バッグに水をんで来て、それから焚き木の選別と、あとは管理棟への食材の買い出し。戻ってきて、焚き火台とかテーブルとかの設営。そして火起こしに料理だな」

「うわ、結構やることあるね。じゃあ急がなきゃ」

「うん」

 ふとレガシィ・アウトバックの方を見ると、自動車くるまの横に張ってあったテントから、初老の男が一人出てくるのが見えた。

 ハンチング帽に、ツイードのジャケットに、ニッカーボッカーという、まるで鴨猟にでも出かけるイギリス貴族のようなダンディな格好だった。

 丸顔にひげをたくわているのも『いかにも』って感じだ。

「あれがアウトバックの持ち主オーナーか……なんかキャンプ場よりもゴルフ場の方が似合いそうな老人だな……」

 僕のつぶやきに、サトミもうなづいた。


 * * *


 それから僕らは、ジムニーに乗ってキャンプ場と森の境界線まで行き、そこでジムニーから降りて、細い道を歩いて森の奥へ入った。

「案外、深い森だな」僕は森の中を歩きながらサトミに言った。

「うん……下手したら迷いそうな感じ」とサトミが返した。

「まあ、そうは言っても所詮しょせんはクレーターの中の限られた空間だからね。湖の岸か、逆にクレーターのへりまで行って、それに沿って歩けば、ぐるりと回って何時いつかはキャンプ場に戻れる」

 別に森の探検が目的じゃなかったから、僕らは適当な場所でき木に使えそうな枝をたくさん拾って薪運び用のバッグに入れ、一旦いったんジムニーに戻って、今度は水袋ウォーター・バッグを持って炊事場まで行って水を汲み、再度ジムニーに乗ってテントの所まで帰った。

 焚き木と水袋を下ろし、食料品買い出しのために、もう一度ジムニーに乗って、僕らは管理棟へ向かった。


 * * *


 管理棟の売店に行くと、先客が居た。

 まさに絶世の美女とはこのひとの事か……というくらい、完全、完璧を体現したような美しい女性だった。

 年齢としは二十代前半から半ばくらいに見える。

 その見知らぬ美女に思わず見惚みとれていると、サトミが僕に「ちょっと何、赤の他人様をジロジロ見てるのよ、失礼でしょ」と小声で言った。

「ああ、そ、そうだな……」僕はあわててその美女から目をらした。

 その時、売店の自動ドアが開き、新たな客が入ってきた。

 レガシィ・アウトバックの所に居た、イギリス紳士気取りの初老の男だ。(もちろん、服装がイギリス風というだけで彼自身はコテコテの日本人だ)

「おお、これはサチ子さん……こんにちは」

 初老の男の声に、絶世の美女が振り向く。

「あら、教授。こんにちは」

 その振り向く動作の滑らかさといい、鈴の鳴るような声といい、完璧な美女にピッタリの完璧な振る舞い、完璧な声質だった。

「ランドクルーザーが無かったようだが、旦那さんは……」教授と呼ばれた老人が、美女にたずねた。「轟天院ごうてんいんくんは、また例の〈ヒルズ〉地区へお出かけかい?」

「はい」と美女がうなづく。

 チッ、既婚者……人妻かよ。

「ヘッヘッヘ」サトミがニヤニヤしながら小声で僕に言った。「残念でした。いくら美人でも、他人の奥さんじゃ、仕方ないね」

「うるさいな。別に最初から何とも思ってねぇし」

 それより、教授と呼ばれた老人の「轟天院ごうてんいんくんは、また例の〈ヒルズ〉地区へお出かけかい?」という言葉が引っかかった。

「もう七日連続だろう?」と教授。「それに、あそこはスラグなめくじ人間の巣窟だって話じゃないか」

「たぶん、〈断片〉が見つかるまで探し続けると思います……あるいは逆に、目当てのものが無いと確信できるまで……」

「そうか……君らも大変だな」

 盗み聞きは悪いと思いつつ、僕は二人の会話に神経を集中してしまった。

(……つまり、この美しき人妻の夫は、毎日〈ヒルズ〉地区へ出かけて行って、何かを探しているって訳か)

 おそらく、このサチ子という女性がトレーラー型キャンピング・カーの住人オーナーだ。

 そして彼女の夫(轟天院ごうてんいんというのが彼の苗字だろう)は、牽引車であるトヨタ・ランドクルーザーとトレーラーの接続を解除し、ランクルに乗って〈ヒルズ〉地区に何かを探しに出かけている……と。

 教授が僕らに気づき「ジムニーのお二人だね? こんにちは」と挨拶してきた。

 僕らも「こんにちは。よろしくお願いします」と返す。

 その時、再び自動ドアが開いた。

「うわっ! すっごいイケメンっ!」入ってきた客を見たサトミが、小さく悲鳴のような声を上げる。

「あのなぁ……サトミ、お前、顔が赤くなってるぞ」僕は呆れたように言った。

「だって仕方ないじゃん。超絶最強美形イケメン見ちゃったんだもん……女の条件反射よ、条件反射……」

「あんまりジロジロ見るなよ。失礼だろ」

 確かに、サチ子が絶世の美女なら、この新たに売店に入って来た男は『絶世の美男』とでも言いたくなる容姿をしていた。

 身長は百九十センチもあるだろうか。

 狼を思わせる鋭い眼光の黒い瞳。

 ガッシリとした肩幅と長い手足を、黒い長袖シャツとブラック・ジーンズで包んでいる。

 僕は、何か引っかかるものを感じた。

(狼のような鋭い瞳に、全身黒ずくめの服? 何だ? 最近どこかで……)

 教授が入り口の方を振り返って「おっ、噂をすれば何とやらだ……その様子だと、今日も収穫はゼロだな? 轟天院ごうてんいんくん」と言った。

「ええ。まあ」轟天院ごうてんいんと呼ばれた超絶最強美形イケメンが頭をいた。「おまけに、変な爺さんが猟銃を持って追いかけてくるし、散々でしたよ。明日から行動パターンを変えないと……時間帯をらすか、経路を変えるか」

「まさか、その猟師の爺さんとやらを殺しちゃいないだろうな?」

「そんな事しませんよ……爺さんの照準くらい簡単に外せますし、万がいち当たったところで、30サンマル06マルロクライフル弾くらい、痛くも痒くもありません」

「そうか……それなら良いが……やれやれ。相変わらず危ない橋を渡っとるのう」

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