27.

「インテユニ人ってのは、俺ら人間と比べても遥かに知能の高い種族でな」梅塚は、ポケットからLEDライトを出してトンネル壁の上の方を照らした。「〈インテグルム教〉って宗教を信じていたんだ」

「へええ。物知りだね」僕は、壁を見上げる梅塚の横顔を見て言った。

「ずいぶん長いあいだ、俺は、異世界から異世界へ、そしてまた別の世界へ、と、あちこち渡り歩いてきた」梅塚が壁の異世界人たちを見上げたまま返した。「嫌でも、いろんな噂や情報が耳に入って来るさ。実際に〈インテユニ人〉のを見たのは、これが初めてだがね……話によると、連中が信奉していた〈インテグルム教〉の教義、というか、最終目標ってのは『完全な社会の実現』だったらしい」

「どういう意味だよ、それ」

「文字どおりの意味だよ……争いの無い社会、憎み合うことのない社会、盗んだり、傷つけあったり、殺しあったりしない社会。一つの価値観を全員で共有し、皆が平和で穏やかに暮らせる社会」

「なんか、漠然とした教義だな……そんなの、どんな宗教だって目指してるだろ? みんな仲良く平和に暮らしましょう、なんて、仏教だろうとキリスト教だろうと、どこの神様でも仏様でも言いそうな、お題目とさえ言えない、当たり前の道徳じゃないか。小学校の先生だって、それくらいは言うさ」

「そうだな。確かに、古今東西あらゆる宗教の説教に出てきそうなセリフだ。『なんじ、争うことなかれ、憎み合うことなかれ、殺し合うことなかれ、平和に生きろ、心穏やかに生きろ』ってね。しかし、宗教家たちが口を揃えてそんなことを言うのは、、って、思わんか? お釈迦様が生まれて何千年がった? キリスト様が俺たちの身代わりにはりつけになって何千年がった? 千年とうが二千年とうが、『誰も憎まず、傷つけず、争わず、殺さず』なんて社会は一向に到来する気配も無ぇだろうが」

「そりゃあ、まあ……でも、宗教の教義なんて所詮しょせんそんなものだろ? 実現不可能な理想を並べて、分厚い経典を作って、寺や教会で唱和して、ほんの一時いっときだけ人々の心に平安が訪れる、ってのが存在意義だと思うよ。当の宗教家や信者も含めて、それ以上は誰も望んでいないさ。理想は理想、現実は現実……」

「だが、こいつらは違った」相変わらず壁を見上げながら梅塚はボソリと言った。「その教義を……文字通り『完全な社会』を……高い知性でもって追求し、ついに実現しちまったんだ……その結果が、いま俺たちの目の前にあるだ」

「この化石が『完全な社会』だって? どういう意味だよ?」

「逆に考えてみるんだ……なぜ、その『完全な社会』とやらの実現が困難なのか? なぜ、俺たちは何時いつっても、その『完全な社会』とやらに到達できないのか? ってな」

「……」

 僕は一瞬、黙りこんでしまった。

 問いかけた梅塚が、僕をチラリと横目で見て、その問いに自分自身で答えた。

「俺たちが、互いにだからだ……どんなに知能が高かろうと、どんなに高度な文明を築こうと、しょせん俺たちゃ何十億・何百億人の『他人の集まり』でしかない。親子だろうと兄弟だろうと、夫婦だろうと恋人だろうと、しょせん他人だから、百パーセント完全に分かり合うことは無い……他人だから互いにちがう。他人だから互いに憎しみ合う。他人だから互いに傷つけ合い、奪い合い、殺し合う」

「そ、そんな……そりゃ、身もふたも無い言い方ってもんだよ」

「まあ、な。お釈迦様でもキリスト様でもない俺たち凡人に、ナマの現実ってやつは荷が勝ち過ぎる……だが、こいつらインテユニ人は違った……その『発想を逆転』ってやつを使って、身も蓋もあるようにしちまったんだ……他人どうしだから何時いつまでっても分かり合えない。分かり合えないから何時いつまでっても『理想の社会』に行き着けない……だったら、いっそ、、ってね」

「どういう意味さ」

「言った通りの意味さ。何十億だか何百億だかのインテユニ人全員の体を。それが、いま目の前にある気色悪い異世界人らのかたまりってわけだ」

 梅塚の説明を聞きながら、僕は、あらためて壁を構成する無数の異世界人を凝視した。

「じゃあ、この壁全体が」僕は、梅塚に重ねて問うた。「……というか、このトンネルを含む巨大な岩山自体が、肉体と精神を一つに統合した何百億もの異世界人だってのか?」

「そうだ」梅塚がうなづく。「かつて彼らの人口がどれほどだったかは知らないが……今は一つに統合された、たった一つの意識体だ」

 その時、トンネルの天井から冷たいものが僕のうなじに落ちた。

 思わず「ひっ」と声を上げ、僕は天井を見上げた。

 天井から次々にしずくが落ちて来た。

「気温が上がっているのか」と梅塚が言った。

 そう言われてみれば、確かに、肌寒い感覚がなくなっている。

 逆に足元を見下ろした。

 さっきまでトンネル内の路面を覆っていた薄い氷のまくが溶けて、水になっていた。

 上から落ちてくる雫も、天井に張っていた氷が溶けたものだろう。

 視界のはしで、何かが動いた。

 梅塚も、その『動くもの』に気づいて手に持った小型の懐中電灯をサッとそちらへ向けた。

 は、懐中電灯の光を反射して一瞬キラリと光り、次の瞬間、灯りの外の暗闇に逃げて見えなくなった。

「おい、見たか? 今の……」と梅塚。

「ああ」僕はが消えた場所を凝視したままうなづいた。

「なんかヤバそうな奴だったな」

「ああ」

「早くここから立ち去った方が良さそうだとは思わんか?」

「ああ。そう思うよ」

 僕らは、氷が溶けてすべらなくなったトンネル内を小走りして、ジムニーと240Zを停車させている場所まで戻った。

 ジムニーに乗り込もうとする僕に、梅塚が「ちょっと待て」と声を掛けた。

 振り返ると、彼は、240Zの車内から小さな黒い箱のようなものを二つ取り出した所だった。

 その黒い箱を両手にブラ下げてこっちへ来た。

「小型の通信機……いわゆるトランシーバーのたぐいだ」二つある箱のうち一つを僕の方へ突き出しながら梅塚が言った。「受け取れよ」

 一瞬、僕は躊躇ためらった。

「安心しろ。怪しい物じゃねぇって」

 恐る恐る、黒い箱を受け取った。

 梅塚が操作方法を教えてくれた。

「二つあるスライド・スイッチのうち、下の方にあるのがメイン・スイッチだ。上のスライド・スイッチで送・受信の切り替え。右にスライドさせて受信のみ、左にスライドさせて送信のみ、真ん中で双方向通信だ」

 僕は、メイン・スイッチを『入』にして、切り替えスイッチを双方向通信モードにしてみた。

 梅塚が、自分の手元に残した通信機を口の所に持っていって「あー、あー、聞こえますか?」と言った。

 同時に、僕が受け取った通信機から「あー、あー、聞こえますか」と彼の声が聞こえた。

「旅は道連れって言うからな。俺の240Zとお前のジムニー、仲良く二台で旅を続けようぜ……それを貸してやる。通信機を使って御喋おしゃべりしながら行けば、長いドライブも退屈しないだろうさ」

 そう一方的に言った後、梅塚は自分の自動車くるまに戻って運転席に収まり、240Zのエンジンに火を入れた。

 僕も自分の自動車くるまに乗り込んだ。

「ありがとう」と言って、助手席のサトミに光線銃を返す。

「どうだった?」サトミが漠然と問いかけてきた。

「うーん……悪い奴じゃなさそうだけど……良い奴でもなさそうだ」僕も曖昧に答える。「刑事さん、だってさ」

「ええ? 刑事? それで拳銃持ってたんだ?」

「自称だよ、自称……僕らの世界と良く似ている別の世界から来たって話だ……まだ完全に信用するのは危険だと思うけど、持ってる情報は、僕らより多そうだ」

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