13.

 ようやく怒りのあまり白目をいた状態から我に返って、僕はレトロなガラス扉を開けて、温泉カフェ〈富士桜亭ふじざくらてい〉の館内に入った。

 明治時代にありそうな擬洋風の意匠デザインだが、意外にも造りは鉄筋コンクリートのようだった。

(レトロ風ではあるけど、築年数は割と若い建物なのか……)

 入ってすぐの場所は、案外と広いロビーになっていて、胸くらいの高さの衝立ついたての向こう側にソファとテーブルがいくつか置いてあった。

 右側の壁際かべぎわに受付カウンター。奥の壁に、浴場への入り口らしい『男湯』『女湯』の暖簾のれんが掛かった入り口が二つ。

 サトミは、今まさに『女湯』の暖簾をくぐって向こう側へ入るところだった。

 彼女は一旦いったん暖簾を潜った後、こちら側に顔だけを出して「待ち合わせはロビーでね」と言った。

 おいバカ女、勝手に決めんな。誰がお前なんかと待ち合わせするか。

 もう二度と僕のジムニーには乗せない。

 に、ど、と、の、せ、な、い……分かったか、ばーか。

 本当は首根っこつかんでガクガク言わせたかったが、女湯に入ってしまったんじゃ仕方がない。

 僕は、何とか心を落ち着けて、受付カウンターへ向かった。

 カウンターには銀色のボディのロボットが立っていた。

「いらっしゃいませ」

「ええと、入浴したいんですが……大人ひとり」

 カウンターの上に『大人五百円、小人二百五十円』というカードが立っていた。

 僕がポケットから小銭を取り出そうとすると、受付係のロボットから「入浴料は、先ほどの女性のお客さまから既に頂いております」と言われた。

 な、何だよ……気ぃかせて払っておいてくれたのか……案外、良いやつじゃねぇか……

 ロボットから脱衣所のロッカーの鍵を受け取り、男湯へ向かった。

 暖簾を潜ると、その先に昇り階段があった。

「浴場は二階なのか……意外だな」

 階段を上がり脱衣所に入った。

 和風と洋風が入り混じったレトロなデザインで統一されているところは、脱衣所も建物の他の部分と同じだった。

 服を脱いでロッカーに入れ、鍵に付いているゴムバンドを手首に通して、さて、いよいよ浴場だ。

「うおお……すげぇな」

 タイル張りの広い空間が目の前に広がっていた。まさに大浴場の名に相応ふさわしい。

 ちょっとしたスイミング・プール並みの浴槽の真ん中に大理石の台座があり、その上に『伏せ』の姿勢のライオン像があった。

 もちろん、ライオンの口からは途切れなくお湯が流れ出ている。

「まるで古代ローマの大浴場だな」

 ……いや、古代ローマ行ったことないけど……なんとなく日本人がイメージしがちなヒストリカルでエキゾチックなローマ式公衆浴場そのものって感じだった。

 浴槽の向こうは壁一面ガラス張りで、その広い二階のガラス窓の向こうに……銭湯のペンキ絵じゃなくて……本物の富士山が鎮座していた。

「古代ローマ風の大浴場に、口からお湯を吐くライオン像に……極め付けは、壁一面のリアル富士山かよ……」

 キッチュの権化のような眺めだが、正直、ワクワクしてる自分は否定できない。

「しかも、誰も居ない……僕ひとりでこの大浴場をひとめか」

 今すぐにでも湯船に浸かって富士山を眺めながらゆっくりリラックスしたいところだが、公衆浴場に入るもののエチケットとして、まずは全身を洗って体を清めないとな。

 壁沿いにずらりと並んだ鏡の前には、ポンプ式の容器に入ったシャンプーとボディーシャンプー、リンスが並んでいた。

 自前の石鹸は必要なかったな、と思いながら、僕は鏡の前に座り、石鹸で髪と体を洗い、シャワーで流した。

「さて……いよいよ贅沢の極み、本物の富士山を眺めながらの朝湯だ」

 足を入れてみると、ちょっと熱めだった。

「まあ、温泉は少し熱いぐらいでちょうど良い」

 少しずつ熱さに慣らしながら、湯の中へ体を沈めていく。

「ふぃぃぃ……極楽、極楽」

 ベタなつぶやきだが、こういう時の反応は、ベタで素直な方が状況を楽しめるってもんだ。

 富士山の眺めも最高だ。

 ライオンの口から溢れる湯が水面に当たって立てるコポコポという音も心地良い。

「ああ……もう、このまんま永遠に浸かっていたい……」

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