5.

 目覚めた。

 まだ働かない頭で時計を見ると、深夜二時三十分だった。

 とりあえず寝袋から這い出して、運転席に座った。

 ミネラル・ウォーターの二リットル・ペットボトルからステンレス・マグカップに水を注いで飲んだ。

「さて、これから、どうしようかな」

 自分しか居ない車内で独りごち、ヘッドライトを点けてみる。

「おいおい、霧かよ」

 空間が薄っすらと白く濁っている。

 オレンジ色の街灯が自らの足元に流れる霧を照らして、光の円錐形を作っていた。

 助手席側の『寝床』に戻って二度寝するか?

「それも、なんだか面白みが無いなぁ」

 これも独り言。

 とりあえず、ここから移動しようと思った。

 このまま朝まで起きていようか……それとも、どこかで別の場所で寝ようか……寝るとしたら何処どこで寝ようか……そんなこと全部ひっくるめて、走りながら考えれば良い。

 助手席側から車内後部へ移動して、窓に貼った黒幕と前席直後に張った仕切り幕を外して畳み、運転席に戻ってエンジンをかけた。

「よし、ジムニー行くぞ」

 パーキングブレーキを解除して、ギアを入れようとしたとき、後方から何かが近づいて来る気配がした……というか小さな音が聞こえた。

 ドアミラーを見つめていると、霧の中から光が現れ、それが自動車クルマの形になって僕のジムニーの横を通過した。

「マツダ3か……」

 マツダ独特のぬらぬらした車体が霧の中を泳いで前方へ消えた。色はメタリック・レッド。

 この世界に人間はほとんど居なくなってしまった。

 しかし、まだ絶滅した訳じゃ無い……少なくとも、今の所は。

 少数でも自動車クルマが走っているということは、それを運転している人が居るという事だ。

 こんな霧の真夜中に動いている自動車を見て、僕は何だかホッとしたような、世界を独占できなくて悔しいような、奇妙な気分になった。

「ま、運転してたのが実はロボット……ってこともあり得るけどね」

 そんなことを言いながら、ウィンカーを出し、クラッチを繋いでソロソロと青いジムニーを発進させた。


 * * *


 霧の道をゆっくりと進む。

 安全第一。目的地も時間制限も無い旅だ。

 やがて霧の中に薄ぼんやりとした灯りが現れた。

 コンビニエンス・ストアか。

 特に用事も思いつかなかったけど、僕は無意識的・反射的にハンドル切って、ジムニーの鼻先をコンビニの駐車場入り口へ向けた。

 駐車場に、さっき追い越されたメタリック・レッドのマツダ3が停まっていた。

 そのマツダ3から駐車スペース二台分を空けて、ジムニーを停めた。

 ガラスのスイングドアを開けて店内に入ると、銀色のボディに店員のユニフォームを着たロボットが人工合成された音声で「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。

(ここの店員はロボットか……深夜だし、まあ、そりゃそうか)

 とりあえずトイレを借りた。

 用を足して、手を洗うついでに顔も洗った。

 小さなハンカチで顔と手の水気をぬぐい取り、洗面所から店内へ戻る。

 今ここでどうしても買わなきゃいけない物も別に無いけど、トイレを借りた以上は何でも良いから何か買おうと思い、商品棚を眺めながら店内を歩いて回った。

 店内には、僕とロボット店員の他に、細長い顔をした背の高い痩せた初老の男が一人。

(あの赤いマツダのオーナーか)

 色白……というより、血の気の無いような顔色の男だった。

 彼は、文具売り場からノートとボールペンか何かを持ってレジへ向かい、会計を済ませて出て行った。

 マツダ3のヘッドライトが点灯して駐車場の出口へ向かうのが、コンビニの前面ガラス越しに見えた。

 おにぎり売り場へ行ってみた。焼シャケが一つだけポツンと残っていた。

(このおにぎりもフルオートメーションで作られてるんだろうな)

 などと思いながら、その一つだけ残ったおにぎりを手に取り、五百CCの緑茶と一緒にカウンターへ持って行った。

 ロボットの店員が、それをスキャンして小さなレジ袋に入れながら言った。

「幽霊……でしたね」

「え?」僕は、いきなりロボットに話しかけられた事に驚き、さらにその内容にも驚かされた。「幽霊?」

「はい。私は開発されたばかりの幽霊センサーを搭載してるんですよ。ここに、ね」言いながら、店員は、自分の頭部カメラ・アイにめ込まれた赤みを帯びたレンズを指差した。「可視光センサーでは判別できない『人間』と『それ以外の存在』を見分けられるんです」

「へ、へええ……そうなんだ」我ながら間抜けな相槌あいづちだと自覚してたけど、他に適当な言葉が出てこなかった。

 幽霊センサーだって?

 そもそも、この世に幽霊なんて本当に居るのか?

「お客さん、いま『幽霊なんて本当に居るのか?』って思ったでしょう? 。ただ、普通の人には見分けがつかないだけです」

 言いながら、ロボットの店員が僕の目をジッと見つめる。

 大きなレンズ玉の奥で、モーターが小さな音を立てた。

 何だか急にたまれなくなって、急いで代金を支払い、商品の入ったレジ袋とお釣りを受け取って、早足でコンビニの外に出た。

 霧が、さっきより濃くなっていることに気づいた。

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