人間消滅異世界ドライブ&キャンプ

青葉台旭

1.

 午後四時過ぎ、上司に呼ばれた。

 僕と課長しか居ないガランとしたオフィスに、課長の少し機械かった声が響いた。

猪狐狸いのこりくん、ちょっと」

「はい」と返事をして、課長のデスクまで行くと、課長は椅子に座ったまま、デスクの反対側に立つ僕を見上げて言った。

「今日限りで、我が社は全業務を停止する」

「あの……それは、廃業する、という意味でしょうか?」

「その通りだ。我が社に残った最後の社員……最後の社員である君が今日の業務を終了すると同時に、会社は全システムを停止させる」

「そう社長マザーが判断したということですか」

 課長は、デスクの向こう側でうなづいてみせた。

 僕は少し驚き、同時に『ああ、やっぱり来たか』とも思った。

 課長が言った通り、この会社に社員は僕一人しか残っていない。

 社員が一人だけになった会社が、なぜ存続しているのか?

 理由は、ただ一つ……だ。

 僕に上司をつけて、僕に仕事を与え、僕の口座に給料を振り込むためだ。

 業務があるから、僕を雇い続けている訳じゃない。

 僕を雇い続けるために、わざわざ架空の業務をデッチ上げているのだ。

 毎日毎日、僕は、会社が僕のためにデッチ上げた業務命令に従い、朝からキーボードを叩き、マウスを操作し、グラフを作り、意味の無いレポートを作り続けてきた。

『人間消滅現象』がいよいよ激しさを増し、社員の数がある閾値いきちを下回った段階で、〈最高経営判断マザー・コンピュータ〉通称社長マザーは、この会社の経営方針を大きく変更した。

 世界に対して価値を提供し、その見返りに利益を得るという、企業としてのとうな存続意義を放棄し、唯々ただただ、社員を生かし続ける事を自身の目標とした。

 徐々に〈消滅〉して数を減らしていく人間の社員らに、何の意味も無い仕事を与え続け、給料を与え続ける。それが社長マザーが見い出した新たな経営目標だった。

 存続のための存続。雇用のための雇用。本来ならそんなものを『経営』だの『目標』だとは呼べないだろう。

 しかし、社員にんげんたちは社長マザーの判断に従った。

 ……もちろん、僕も、だ。

 社長マザーはロボットの管理職たちに無意味な業務を命じ、管理職たちは僕ら人間の社員に無意味な業務を与え続けた。

 その間も、世界中で人間が〈消滅〉し続け、人類の個体数は減り続けた。

 このオフィスに出社して来る同僚の数も一人、また一人と減っていった。

 全盛期一万人を数えた社員は、半年前、ついに僕一人になった。

 僕が〈消滅〉するまで、社長マザーは、この会社を存続させるだろうか?

 それとも、どこかの時点で、会社存続をあきらめて僕を解雇するだろうか?

 どちらの可能性もあった。

 最後まで僕の面倒を見てくれるような気もしたし、時期が来たら、見切りをつけるような気もした。

 結局、社長マザーは後者を……僕がまだ〈存在〉している間に、この会社を『終わらせる』という判断をした。

 ひょっとしたら、彼女も疲れてしまったのか、と一瞬だけ思い……まさかコンピュータに『疲れる』などという感情があるはずもないと思い直した。

「退社時間は、君に任せる」課長が言った。「今すぐ退社しても良いし、定時まで居ても良いし、残業をしたければ、それでも良い」

「……どの道、やっても、やらなくても、最初から意味の無い仕事なんだから、ですか?」

 僕は、思わず課長に……今日限りで上司でも何でもなくなるロボットに向かって、皮肉を言ってしまった。

 課長の目が……カメラ・アイのレンズが、僕の顔を見つめた。

 オート・フォーカスの「ジジッ」というモーター音が聞こえた。

「すいません」僕は謝った。

「で、どうするかね?」と課長。

「出来るのなら、今すぐ帰りたいのですが……」

「良いよ。どうぞ」

 僕は、自分のデスクへ戻って必要最小限の私物をカバンに入れ、課長のところへ行って「お先に失礼します」と挨拶をした。

「長い間……ええと……短い間でしたが、お世話になりました」

「一階の出口まで見送るよ」言いながら課長が立ち上がり、オフィスの出口へ向かった。

 関節から小さなモーター音を鳴らして歩く、高さ百九十センチのアルミ合金製人型ボディの後ろにいて、僕もオフィスを出た。

 廊下に出て、エレベーター・ホールへ向かう。

 ホールに着くと、『下り』ボタンが自動的に点灯した。おそらく、課長が館内無線通信を使って本社ビルの管理コンピュータへアクセスしたのだろう。

「退職金は、既に君の口座に振り込まれている」エレベーターを待つ間、課長が僕に言った。

「ありがとうございます」

「私も『お役御免』だな」

「あの……これから、どうなるんですか?」

「私のことか? 会社のシステムが停止シーケンスに入ると、無線でシャットダウン・コマンドが送られて来て、私の内部電源が落ちる……君たち人間のように〈消滅〉する訳じゃないが……『永遠の眠り』につくって感じかな」

 エレベーターのドアが開いた。

 僕と課長が乗り込み、ドアが閉まる。

「老婆心だが……預金は、なるべく早く全額引き出したほうが良いぞ。銀行のシステムだって、いずれ『完全停止』する」

「分かりました」

「これから毎日、一日におろせる限度額いっぱい、おろし続けるんだ」

「はい」

 エレベーターが一階に着いた。

 僕らは、エレベーターホールから誰も居ない吹き抜けの玄関ホールへ歩いた。

 ガラスの自動ドアが開き、五月初旬の空気が館内に流れ込んだ。初夏の夕暮れの匂いがした。

 課長が自動ドアの手前で立ち止まった。

「ここで本当にお別れだ」

 課長のひたい中央には、活動状態を示すインジケーター・ランプがあった。

 インジケーターの緑色の光が、かすかに揺れたような気がした。

 出された彼の右マニピュレーターを握った。

 握手をしながら、僕はあらためて「お世話になりました」と言った。

「達者でな」と課長が言った。

 本社ビルから午後四時過ぎの街へ一歩出た直後、背中で自動ドアの閉まる音がした。

 通常なら、もう少し離れないと閉まらない仕様のはずだ。

 どこかから、ロックの掛かる「カチンッ」という音が聞こえた。

 思わず本社ビルを振り返って見た。

 ガラス扉の向こうに課長が立っていた。

 玄関ホールの照明が消えた。

 薄暗いホールの中に、課長のアルミ・ボディが立っていた。

 ひたいのインジケーターが緑色に光っていた。

 その緑色の光が、二度、三度、パッパッと点滅して、消えた。

 課長はそこに立ったまま、二度と動かなかった。

 僕は二十二歳で大学を出てから七年間通い続けた本社ビルを離れ、駅へ向かった。

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