ラピスラズリ

白雪花房

第一章

第1話

「おりゃあああ」


 チャンバラのマネごとのような、雄叫びを上げる。


「なんだそりゃ」

「これでも精一杯やってるのよ」


 ほのかな闇が広がる空間で、クリスタルが光を放つ。

 中に入った青白い炎が、ゆらゆらと揺れているのだ。

 外の天気が荒々しい。

 後ろでゴロゴロと、雷の音が響いていた。


「と、とにかく、せ、先手必勝・先制攻撃よ」


 杖をがっしりつかみ直し、勢いのままに振り上げた。

 顔を上げる。視線の先には、純白のよろいを着た青年。ぼうっと突っ立ったまま、動きを止めている。


 余裕ね。


 冷や汗をかく私に対して、彼はポーカーフェイスだ。

 剣は背負ったままで、抜こうともしない。

 歯がきしむ音がして、自分がいら立っていると気づく。


 相手がのんびりと構えているのなら、後悔させるまでよ。

 苦い思いを飲み込んで、勝負に出る。


 床を蹴って、飛び上がった。

 空中で一瞬だけ動きを止める。しっかりと相手を両目でとらえた。彼も上を向く。憎らしいほどに澄んだ、深い青色の瞳だ。

 狙うは脳天よ。私は武器を思いっきり振り下ろす。


 渾身の一撃。


 対する青年は、宙をにらんだままだ。

 そして、あっさりと杖つかむ。涼しい顔で、汗一つかかずにあっさりと。軽く、虫をはらうように。


 途端に顔が引きつる。

 手のひらに汗をかきながらも、しっかりと心を静めた。

 彼に飛びつく。すぐに、武器を取り返した。


 一瞬の空白のあと、青年はわずかに首を傾ける。


「なによ、その反応」


 無性にナイフがほしくなった。

 やみくもに殴りかかりたくなるけれど、ぐっとこらえる。いったん、落ち着いて分析するわ。


「で、どうするつもりだ?」

「そうね、今戦ったところで、実力の差が大きい。カウンターを食らって、地面に転がるでしょう。攻撃力パワーで負けているのなら、防御ディフェンスに徹するべきかしら」


 眼球を血走らせながら、後ろへ下がって、三メートルくらい離れる。

 片方の手で杖をかかげてから、空いた腕を前に突き出した。


「覚悟なさい。たとえ倒せなくても、こっちが無傷だったら勝ちなの。それを証明してやるんだから」


 指を広げる。

 まぶたを閉じた。

 真っ黒に染まった頭の中で、透き通った青い壁を思い浮かべる。


 カッと見開くと、想像した通りの見た目をしたバリアが視界に飛び込んだ。


「さあ、壊せるかしら、私の絶対防御を」


 私はすでに勝った気になっていた。

 堂々と胸を張って、腰に両手を当てる。


 一方で、青年はそっとバリアに近づいた。

 きしんだ音を立てる床を踏みながら、背に右手を回す。

 彼は瑠璃色の柄をつかむと、勢いよく剣を抜いた。

 柄の先から切っ先までふくめると、一五〇はある。


 ようやく、やる気になったのね。


 腕を組んでぼんやりと構えようとした矢先、彼は剣を振り回し――

 澄んだ青色の壁をたたきわった。

 遅れて、ガラスが割れる音が響く。


 な――


 ぽかんと口を開く。

 まさかバリアを壊すなんて……。

 言葉を失う。

 心まで粉々にされたような気持ちになって、しゅんとする。


 しかし、戦意を失った人間は、隙だらけだ。

 キリッと眉をつり上げて、引き締まった顔を作る。

 体の内側ではしきりにサイレンが鳴っているが、気にしない。

 ジリジリとしたあせりが心を急かす中、武器を構えて、挑みかかる。


 もっとも、私はケンカはおろか、言い争いすら一度もしたことがない。そもそも、相手がいないのよ。

 くわえて、冷静さを欠いた攻撃が通じるわけもなく――


 青年は杖を素手でつかんだ。

 足をピタリと床にくっつけたまま、飛んできた小物をキャッチするように、軽々と。


 やはり、私では手も足も出ないのね。

 すさまじい勢いで、体から熱が引いていく。

 天気も落ち着いたようだ。しっとりとした雨音が耳にしみこむ。

 近くの本棚から、湿気しけった匂いがただよってきた。


 体から力が抜ける。

 手を開いた。

 杖から指を話す。

 するすると床にひざをつくと、なかなか立ち上がる気が出なくなった。


 すっかり白旗を上げたい気分になりながらも、うつむけていた顔を起こす。ちょうど、青い瞳とも目が合った。凶器を取り上げた彼はこちらを見下ろしている。


 と、次の瞬間、目の前で黄金の棒がポッキリと折れた。


「え?」


 間の抜けた声が、自然と漏れた。

 すぐには現実を受け入れられず、表情を消したまま、固まってしまう。

 されども、青年が握っているのは、確かに不良品と化した杖だ。外側をおおう薄い金のメッキと、内側の鉄の色が鮮やかに視界に入る。


「つ、つまり……」


 唇が青ざめる。

 表情が見事に消えた瞬間が、自分でも分かった。


「あ、ごめん。つい」

「ついじゃないわよ、バカ。なんてことしてくれるのよ」


 柄にもなく叫んで、頭を抱える。


 だけど、今は戦いの最中だ。

 反撃に出るのよ。

 手ぶらだけど。

 無防備でも。


 ダメだ。

 ピンチだわ。

 逃げなきゃ。


 正面を向いたまま、じりじりと後ろへ下がった。

 立ち上がろうとしたところ、ちょうど背中が堅いものにぶつかる。

 おそるおそる振り返った先には、木の棚があった。中にはぎっしりと、本が詰まっている。


 本棚。


 頭を抱えた。


 よりにもよって部屋の大部分を占める家具が背中にあるなんて、不運ね。そもそも、いつ、作ったんだっけ? 時間の感覚が曖昧あいまいすぎて、記憶すら不透明だわ。


――じゃなくて。


 万事休すだわ。

 渋々だけど、『見逃して』と頼むしかない。


 すかさず、面を上げる。


 部屋は静まり返っていた。

 自分の鼓動だけがやけにハッキリと聞こえる。

 つばを飲み込んで、唇を震わせたところで――。


「いや、そんな怖がる必要なんてねぇんだけどな……」


 気の抜けた声が鼓膜こまくを揺らす。


 ビクビクと泳ぐ視線の先で、純白の騎士は眉をハの字に曲げて頭をかいていた。





 そもそも、いったいなにがどうして、私たちは戦う羽目になったのか。


 事件は突然起きた。


 静けさのただよう真夜中、コンコンと扉をたたく音が響く。


「あの、すいません。道に迷ったんですけど」


 声が聞こえた。

 気になって近寄る。

 外をチェックしようとした矢先、目の前で扉が開いた。


 真っ先に目に飛び込んだのは純白の鎧だ。よく磨かれているようで、戦闘で使っていたにしては、不自然なほどに輝きすぎている。髪は星の光を集めたような金髪で、瞳は瑠璃色と呼べそうなほど深い青だ。騎士らしい精悍せいかんな顔立ちだけど、戦闘の臭いはしない。なによりも気になるのは相手の放つオーラだ。内側から光を放っているかのようで、やけに目立つ。私も一瞬で、彼に目を奪われてしまった。


 しかしながら、ふと冷静に考えると違和感がある。


 どうして、私以外の人間が島にいるのよ?


 と、いうのも、ここって無人島なのよね。


 一度、地図を見たことがある。


 比較的新しい紙に記されていたのは、ポツンと浮かぶ島だけだった。ほかは全て海で、驚くべきことは『これが世界の全てだ』ということだ。


 そんなはずはないと、とっさに心の中で叫んでいた。絶対に海の外にはもっと広い大地が浮かんでいるはずだ。だけど、実際のところ、私ではそちらにたどり着けずにいる。


 私が無人島にいる理由も不明なのよね。

 本当に、なにもかもが分からないの。言えることといったら、気がついたら無人島にいて、魔法の杖を持って生活を初めていたというところかしら。


 自分のことすら曖昧あいまいで、世界の仕組みすら不明のまま、時間だけが流れていく。


 いちおう、海の外へ出ようとは試みたものの、邪魔が入ってね。その邪魔というのがこれまた不思議なことに、この世界に出入りできる人物みたいなのよ。相手の正体も謎だけど、私自身も謎が多い。なんせ、レイラ・レナータという名の女という情報以外、なにもつかめていないのだから。


 それはそうと、相手だって見知らぬ人よね。


 嫌な予感がするわ。


 バシッと扉を閉めて、拒絶の意を示す。

 表のほうで控えめな音がしたけれど、ムシよムシ。


「しゃあねぇな、勝手に入るか」


 え? 嘘?


 一瞬、「そんなことが可能なの?」と思ったけど、よく考えると扉に鍵はついていなかったわ。


 過去最大級の凡ミスをかましたところで、扉が開く。


 ちょっと、待って。ねえってば。

 あと一秒でもいいから。


 抵抗もむなしく、堂々と純白の騎士が中に入ってくる。


 青年はあらためて私の顔を視界にとらえたようだ。

 最初になぜか二度見をされて、次に思いっきり目を丸くされる。

 はっと息を呑む音がした。


 リアクションの意味をつかめず、こちらのほうが混乱する。


 外も珍しく風が吹き荒れているし、なにがなんだか……という印象よ。


「な、なによ?」


 尋ねても、相手は左下へ視線をそらすだけだ。

 かと思うと唐突に口を開いて、尋ねてくる。


「神にでもなったのか?」

「はあ!? いきなりなんなの?」

「じゃあ、創造神か?」

「なに言ってるのよ」


 やり取りの中で、彼は何度か瞬きを繰り返した。


「じゃあ名前、教えてくれよ」


 ポリポリと頭をかきながら話の流れを変えられた。

 印象が悪いわ。

 いったいぜんたい、なにを聞きたいわけ?

 尋ねる前に、自分から情報を開示するべきでしょうが。


「見ず知らずの人に話す理由があるの?」


 腕を組んで、顔をそむける。

 知らず知らずの内に眉間にシワが寄っているような気がした。


 なんだか、イラッとくる男よね。


 見た目だけはいいし、物語に出てくる王子さまにも似ている。性格もまともだと信じて、普通の人間は胸をときめかすでしょう。だけど、私はだまされないわ。


「なんか怪しいんだよな」

「それはこちらのセリフよ」

「例えば本棚に置いてある杖とかさ」

「私の話、聞いてる? って、杖?」


 青年が指さすほうを向くと、黄金の光り輝く杖が放置されていた。廊下を挟んだ先にある、リビングの隅に転がっている。玄関からは距離があるのだけど、よく見えたわね。


 内心で感心しつつ、額に冷や汗をかいている。


 しまった。

 隠しでおくんだった。

 内心で唇を噛む。


 もっとも、いまさら後悔したところで遅いし、なにより島に人間が現れる可能性なんて想定していなかった。


 ど、どうしよう。

 ごまかさなきゃ。

 焦れば焦るほど頭は真っ白になって、目の前は暗くなる。

 手のひらは汗ばむし、視線は泳ぐ。

 気まずくて、しきりに服のそでをいじってしまう。


 外ではいつの間にか雨が降り出したようだ。大粒の雫が地面をたたく音が耳の奥にしみこむ。


 軒下にいる青年は非常に落ち着いていた。なにも起こっていないとでもいいたげな態度で、こちらを向いている。


「違うわ。普通の人間よ。なにもかもが偶然なの」

「なら、どうしてここにいるんだよ?」


 いったん冷静になってていねいに意見を伝えたのだけど、相手は不信感を抱いたままのようだ。

 青年は首をかしげつつ、怪訝(けげん)そうに眉をひそめる。


「正直な話、私はバカだし、なにも覚えてないの。気がついたら島にいたというところかしら。知識だって、物語で得た情報だけよ」


 ため息混じりに伝えても、相手の反応は同じだ。

 先ほどから探りを入れるような目つきで、ジロジロと見てくる。


 もしかして、嘘がバレたのかしら。


 先ほどの発言は正確には、半分が本当で半分が嘘だ。


 無学ではあるものの、必要最低限の知識だけは頭に入っている。だから、図鑑に目を通さずとも視界に入る物体の色と色の名前が一致しているのよ。家具だって自分の脳内にただよっている記憶を元に再現したの。


 今の私の状態は記憶喪失の人間は全ての思い出を失っても、常識だけは覚えているというものに似ている。


「そろそろ中に入れてほしんだけど」

「え、嫌よ」


 身を固くして、冷めた目で彼を見る。


 念のために言っておくけど、気持ちは分かるのよ。

 今、天気は荒れている。

 雨宿りをしたいんでしょう。

 かなり困っているのでしょうけど、残念だったわね。

 騎士さまは一晩、雨に濡れながら過ごすのよ。

 不本意でしょうけど、我慢して。

 薄情者になにかを頼むほうが悪いのよ。


「な、頼むよ。ほら」


 両手を合わされて懇願すれば、私が素直になると思ったの?

 冗談じゃないわ。誰が彼の思い通りにするものですか。


 場の空気は滞って、両者のにらみ合いは続く。互いに無言だから、雨音だけがやけに耳の奥にしみこむ。


 ずっと立っていると、疲れてくる。面倒にもなってきたのでさっさと相手を通すことにした。


 青年も言われた通りに玄関から廊下に上がって、リビングに足を踏み入れる。もっとも、リビングとは名ばかりで、家具を作り忘れている。壁もなくて、柱のみ。実際のところ家は外観だけ取りつくろって、中身は空っぽであるため、ひどいありさまだわ。


 早々に床に座り込んだ私に対して、青年はまだ立っていた。


「それで、続きは?」


 こちらの正体を探りたいわけね。


 素直に口を閉じてもいいかしら。


 とはいえ、沈黙を守っても、結末がよい方向へ転がるかは怪しい。


 はぁ……。

 あきらめましょう。


「強いていえば、杖の効果について話せるんだけど」

「言ってくれ」

「言われなくても話すけど……。杖はね、なんでも生み出せる能力を持ってるのよ」

「へー」


 騎士さまの目が好奇心に満ちていたので、気が乗らないながらも、黄金の杖を持つ。


 まずはなにから見せるべきなのかしら。


 少し悩んで、杖を掲げる。


 思い浮かべるのは、荒れ果てた大地だ。枯れ木がたくさん生えていて、全体的にさみしげな雰囲気がただよっている。ちょうど墓地が立ちそうで立っていないという、謎の空間だ。


「ほら、できたわ」


 完成したのは、島を縮小した状態で再現した模型だ。なぜか、本来は家の建っていた場所に骸骨が置かれているのが不穏だけど、ほとんど完璧でしょう。


「趣味悪ぃな」

「うるさいわね。人の作ったものに文句は厳禁よ」


 彼の反応に不満を抱く。

 なんのよ、少しは「おおー」と目を見張ってくれてもよかったでしょうが。

 自信を持って作品を見せた私が、惨めじゃない。

 しかめっ面でにらんだけれど、騎士は相変わらずのポーカーフェイスで次の話題に移る。


「ところで、これで確定したんだけど。お前って完全に黒じゃねぇか?」

「なにゆえに、そうなるの!?」


 予想外の展開に飛び上がってしまう。


「だって、お前は模型を創造したんだぜ」

「それがどうかしたの?」

「気づかねぇのか? 神ってのは物を創るんだ。だから創造神って言うんだぜ」


 彼の得意げな笑みが、こちらの怒りをあおる。


「知ってるわよ。でも、物を生み出すくらい、杖を使えば簡単よ。騎士さまだってできるはず」

「遠慮しとくよ」

「いいから、ほら」


 黄金の杖を押し付けて、相手の反応を待つ。


 彼もためらってはいるようだったけれど、私がやったのと同じように、適当に杖を振るってみた。


「うわ。すげぇな、これ」


 星の形をした欠片が金平糖のように降ってくる。


 あらあら、幻想的ね。無駄に禍々しい模型を作ってしまった私とは雲泥の差があるわ。


「これって食えるの?」

「知らないわよ」


 パステルカラーでお菓子のような見た目の創造物だけど、実際はどうかしら。

 青年も星の欠片を手に取ってぼんやりと眺めていたものの、やがてなにかをあきらめたのか、ゴミのように床へ投げた。


「片付けは後でしておいてよね」


 冷たく言い放ったけれど、素直に言うことを聞いてくれるだろうか。

 純白の騎士がいるほうを向く。


「とにかく、どう? 疑いは晴れたでしょ?」

「まだだ。お前が黄金の杖を持っていること自体が怪しい」

「言うわね。いいかげん、灰色の目で見るのをやめて」

「変だな。俺の目は深く澄んでいるはずなのに」


 よく言うわ。


「そこまで言うのなら、勝負だ」

「え? 理由は?」

「そうすりゃ、全ての疑問が解決……しねぇけどさ」

「しないのね?」


 なら、戦い以外にも方法はあるでしょう。


「でも、ハッキリすることはあるんだ。神ならきっと、聖剣を抜いた俺であろうと敵わねぇからな」

「つまり、負けたらバカにされるってこと?」

「いや、別にそういうつもりじゃ……」


 騎士さまは明らかに戸惑いを見せたけれど、構うものか。

 憎き相手を叩きのめすいい機会よ。どうせなら打ち負かして、神と認定されるのもいいでしょう。なにより、相手が神には負けるというのなら、疑われたところで痛くもかゆくもないのだから。


「やってやろうじゃない。覚悟しなさいよ」


 すっと立ち上がって、黄金の杖を彼から奪い取ると、すぐさま距離を取る。


 青年もやれやれといいたげな態度で、肩をすくめた。。


 いよいよ、戦いが始まろうとしている。

 不思議とテンションが上がっていた。

 疑いを晴らせるか否かなんて、もはやどうでもいい。

 私がやることはただ、相手を潰したい一身で杖を構えるだけよ。


 そして冒頭の戦いへ至ったわけだ。

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