僕らの居場所(2)

 残りの夏休みはあっという間に過ぎていった。

 スズミさんはバレー部に復帰してから特にトラブルはないようで、元気そうな毎日を送っていた。たまにスズミさんを迎えに行っていたが、スズミさんと女子バレー部員が一緒に楽しそうにいるところを見ると、彼女を取られたくないという思いのせいか嫉妬してしまう。

 でもそれは、スズミさんに対して僕が特別な感情を持っているからでもあった。


 僕にも変化が現れた。

 スズミさんが僕のイメージは悪くないことをアピールしてくれたおかげで、徐々に僕に向けられる好奇の目線は少なくなっていった。多少はいじめに加担した人に警戒感はあるけど、周りの空気が軽くなった気がした。

 そして、スズミさんからは明るい自分を演出するように強く言われた。いじめなんて、なかったように見せつければいいと――僕ができるかは不安なんだけど。


 僕とスズミさんは残された夏休みを存分に楽しんだ。平川(ひらかわ)の海に泳ぎに行ったり、山登りしたり、家族揃って奈田(なだ)にキャンプに行ったりーー

 そして、夏休みも残すこと二日になったある夜。僕とスズミさんは玄関に出て、花火で遊んでいた。勢いよく熱く火花を散らし、消えていく花火に僕らは見とれていた。

 今年は記録的な猛暑だったが、夏の終わりの夜は静かで涼しく、どこか秋の空気が漂っていた。


「明後日かあ……。八百(やお)を離れるの」


 スズミさんの花火に照らされる横顔はどこか寂しげだった。


「あ、そっか。もうそんな時期か……。完全に忘れてた」


 僕は額に手を当てる。


「そういえば、学校の人には転校の事話したの?」

「うん。部活のメンバーと担任の先生にはね。なかなか話せなかったけど」


 特に最近仲直りした式川さんと浜田さんとの前では言いにくかったという。いずれ言わなければならないことだが、二人を裏切ってしまいそうな気がしたらしい。

 当然、二人ともショックの色を隠せなかった。スズミさんは深く頭を下げていた。同時に、一時期はどうでもいいと思っていた自分を激しく責め立てた。


「まあ、隣の県だしその気になれば会えるから大丈夫って言ったんだけど……」

「そうなんだね……」


 スズミさんは何かを懐かしむように、花火を眺めていた。


「キミとも明日でお別れだね」

「……明日、午前中に迎えが来るんだよね」

「うん」

「……」


 なぜか急に寂しくなった。スズミさんは僕に初めてできた異性の友人。図書室での偶然の出会いから夏休みの今に至るまで、彼女と忘れられない思い出をいくつもいくつも作ってきた。ぼっちだった僕には考えられない、刺激的な経験だった。

 チカさんもそうだけど、僕にとってスズミさんは特別な人になりつつあった。


 ふとスズミさんを見る。彼女は燃え尽きた花火を水が入ったバケツに捨てていた。

 僕の視線に気づいたのか、


「どうしたの?」

「いや……ちょっと寂しいかなって」

「……会えるよね」

「え?」


 スズミさんが僕に顔を向ける。その瞳には何かが浮かんでいる。


「……絶対に、再会できるよね」

「……多分」

「多分じゃダメ! 絶対に会えるよね!?」


 スズミさんの声に感情がこもる。僕は刹那的に動揺した。


「……うん。きっと」

「きっと……」


 沈黙が流れた。張り詰めた空気ではなく、優しく涼しい空気が僕とスズミさんの肌をさすった。

 スズミさんは深く息を吐き出し、静寂を断ち切った。


「きっと、じゃだめ。絶対にもう一度会おうよ」

「……できるかな」

「できるかなじゃなくて、出来るようにするの。約束して」

「え?」

「いいから、指切り」


 そう言ってスズミさんは右手の小指を立てた。僕もなんとなく、右手の小指を立てて、スズミさんの小指と絡め合わせた。


――指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます! 指切った!


「これで約束成立だね」

「??」


 勝手に話が進められていて追いつけない。


「十年後、絶対ここに来よう。それで約束達成ね」

「うん……」

「何浮かない顔してるの?」


 スズミさんが顔を地面に向けている僕の顔を下からのぞき込む。


「い、いや、確かにまた一緒に遊びたいけど……」

「もう一度言うけど、出来るように努力するの。わかった?」

「……」


 スズミさんは僕から顔を離すと僕に背中を向けた。


「私ね……、キミをただの友達じゃないって想ってるから」

「え? 想ってるって?」

「そのままの意味。キミはどう思うの?」


 そう言ってスズミさんは少しだけ振り返る。だが、その頬は赤くなっているのがわかる。なぜか僕の身体も熱くなる。

 多分だけど、スズミさんが考えることと僕の気持ちはほぼ同じだろう。でも、それを口に出せるだけの勇気はない。


 僕とスズミさんの間になぜか気まずい空気が流れた。僕も、スズミさんも顔が赤くなっている。


「そ、その……僕も……同じこと考えてると……思う……」

「そう……」


 スズミさんはまた背中を向けた。

 僕はビクッとする。まさか……嫌われた……!?


「まあ……それで、いいんじゃない? 私もそうなんだし」


 スズミさんはもう一度横顔を僕に向けた。


ね」

「う……うん」


 スズミさんが言った “今” に意味はある程度理解できた――僕もそんな気持ちだから。

 また夏の夜風が僕らの間を流れていった。


「とりあえず、花火終わりにしようよ……」

「うん」


 スズミさんが口を開ける。僕は何も言わずに、首を縦に振った。こうして、二人で過ごす夏休み最後の夜は更けていった。


***


 翌日。スズミさんの親戚が迎えに来る前に、僕はスズミさんと一緒に卯花山に来ていた。「十年後に再開する」約束をあの人とも果たすためだった。僕は今朝方、スズミさんに提案していた。

 卯花山の洞窟には一週間前と変わらず美しい白椿が供えられていた。誰の気配もない洞窟の前に立つ。


――十年後二人で戻ってきます。またここで会ってください、チカさん


強く目を閉じ、深く祈る。この祈りが、届きますように――


 しばらくして、僕は目を開けた。


「元気にしてると、いいね」


 スズミさんの軽やかな声が響く。


「うん」


 しばらく洞窟の前に立って僕らは物思いにふけった。そして迎えが来る時間が近づいたので、僕らは山を下りて行った。

 でも洞窟から離れるとき一瞬だけ誰かの気配を感じた。それは、僕らがよく知ってる人だったと思う。


***


 卯花神社前。すでにスズミさんの親戚の車が止まっていた。僕は家族と一緒にスズミさんを見送った。家族と思い出を語り合い、そして僕とも語り合った。


「卯花(うのはな)さん。とってもお世話になりました」

「何時でも遊びに来てもいいぞ。スズミちゃんなら大歓迎じゃ」


 おじいちゃんが手を振っている。お父さんも、お母さんも。


「はい! いつでも喜んで!」


 そして、スズミさんは僕に向き直った。


「セイヤくん、忘れないでよ? 昨日やったこと」

「うん。多分、気持ち変わんないと思う」

「どうかな? 私たちまだ多感な思春期だから……」

「う……浮気なんかしないって!」


 その言葉に反応したのは家族だ。後ろからがやがや文句が飛んでくる。


「セイヤったらスズミちゃん泣かしたの?」

「それはあかんぞ!」

「ちょっと、告白したのか!? セイヤ!」


 スズミさんは笑っていたけど、僕は恥ずかしくなる。


「じゃあ、私はこの辺で」


 そう言ってスズミさんは車に乗り込むと車の窓を開けて、


「またいつか遊びに来ます! それまでお元気で! さようならーっ!!」


 車が動き出す。家族も手を振っている。

 僕は顔を上げ、そして走り出した。


「スズミさーん! また、こっちからも遊びに行くからね!」

「セイヤくん……! うん! 絶対に来てね!」

「十年後、またあの洞窟に行こう!」

「わかったーっ!!」


 車は一気に加速する。窓から顔を出し、スズミさんはいつまでも手を振っていた。僕は立ち止まるが、その姿を地平線の向こうに消えるまでずっと眺めていた。


 こうして僕たちの人魚伝説に端を発する壮大な夏物語は、ひとまず終わりを迎えたのだ。

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