椿が枯れたら(5)

 正午になり、僕はおじいちゃんを呼びに隣の卯花神社に向かった。穏やかな木漏れ日が差し込む境内で、おじいちゃんは本殿で賽銭箱に入っているお金を数えていた。


「おじいちゃん、お昼にしようよ」

「お……もうそんな時間か」


 おじいちゃんは立ち上がると、袴についた埃を払った。


「そういえばさっき、前に社務所を調べとった学生さんが卯花山の登山道を歩いておったのう」

「え?」


 その学生は山の頂上に向かっていったらしい。しかも白い半袖に緑のジーンズで、かなり重そうなリュックを背負っていたという。


 おじいちゃんの “社務所を調べとった学生さん” という言葉に強く反応した。

 まさか――


「その人って、僕とスズミさんが神社に来た時におじいちゃんが言ってた人?」


 おじいちゃんは首を縦に振り、少し緑がかった髪の凛とした顔立ちの女の人だと話していた。

 間違いない――チカさんだ。

 卯花山の登山道は神社のすぐ隣にあり、僕の部屋からも見ることができる。とはいえ大人で山に入る人はあまりいない。いるとしたら登山愛好家か、近所の子供たちくらいだ。


「でも、なんでそんなところに……」

「登山だったのかの……」


 チカさんのことだからフィールドワークの可能性もあるけど……。

 考えても埒(らち)が明かない。僕とおじいちゃんはとりあえず家に戻ることにした。


***


 家に戻ると、玄関でスズミさんが不思議そうな様子で立っていた。


「あ……セイヤくん」

「ごめん、これからお昼だよ。――どうしたの?」

「いや……ここじゃ言いにくいんだけど……。ご飯食べたら話すね?」


 おじいちゃんには、スズミさんが事情があってしばらく家で過ごしたいことを話した。ある程度理解してくれたが、やはり両親にも話すべきことだと言っていた。

 一方で昼食の間もスズミさんの表情は硬く、箸を進める速さも遅かった。緊張してるわけではなそうだけど、 “話しにくいこと” に起因しているのだろうか。


「スズミちゃん、おいしくなかったかのう」


 おじいちゃんも心配そうな様子で見る。


「あ……大丈夫です。とっても美味しいです!」


 スズミさんは笑顔を作るため無理やり口角を引き延ばそうとするが、まるでゴムのようにすぐ縮こまってしまった。


「ならいいんじゃが……」


 おじいちゃんは顔に影を見せつつ、ゆっくりと少量のお浸しを口に入れた。

 重苦しい雰囲気の昼食を打開せねば……。


「その……おじいちゃん。うちの家系って長生きらしいけどビクニさまのおかげなんだよね?」


 取って作った話題でお茶を濁そうとする。だけど、知りたかったこともあった。


「そうじゃが、前から何度も話しておるじゃろ」

「でも……いつから長生きなの?」

「いつから?」


 おじいちゃんは顎に手を当て、口角を天井に向けた。


「そうじゃな。昔から長生きじゃったとは思うが、百歳ほど生きられるようになったのは江戸時代ごろからかのう」

「江戸時代から?」


 僕は思わず箸を止めた。スズミさんも僕の顔を見る。

 社会の資料集で見たけど、当時の寿命は三十歳ほどらしい。おじいちゃんによれば卯花家は当時から三倍以上の寿命を持っていたという。


「わしのひいおばあさんが言っておったんじゃが、ある娘さんが卯花家に嫁いできてから、これまで以上に長生きになったそうじゃ」


 その人は八百の漁村から来て、旦那さんとの間に子供を儲けたがその子供の代から百歳近くまで生きられるようになったそうだ。

 だが、その人は不思議な人で、旦那さんや子供は年老いていくのに、彼女は老けなかったらしい。それだけじゃなく、当時大流行していた病気にもかからず無病息災だった。

 しかしそのことで周囲から気味悪がられ、忌み嫌われた。根も葉もない噂を立てられ、徐々に孤立していったらしい。

 夫婦仲は決して悪くなかったが、周囲の目を気にして旦那さんは奥さんを遠ざけるようになった。家の中でも奥さんは孤立していき、いつしか皆の前から姿を消したという。


「それ以来行方不明じゃ。もうとっくに死んでおるかもしれんが……」

「……」


 思わず聞き入ってしまった。今の話が僕の脳内でこだまし、今朝聞いた話と共鳴し合っていた。もしもそうなら――


「セイヤ、おまえさんも食べんのか?」

「あ……ごめん」


 おじいちゃんに現実に引き戻されると、僕はすぐにご飯を食べ始めた。


***


 午後もまた宿題を進める。しかしながら、僕もスズミさんも始める気になれなかった。

 僕は窓の外を見ていた。大きな卯花山と、そこに続く獣道のような登山道。夏の強い日差しが卯花山の緑の輝きをさらに引き立たせる。

 僕の脳内は霧が立ち込めつつも、夏の日差しのおかげか何かが見えてこようとしていた。


「セイヤくん……怖い顔してるよ?」


 スズミさんに肩を叩かれはっとした。


「ごめん。さっきのおじいちゃんの話が気になってて」

「私も気になった。その奥さん、人魚食べてるよね」


 僕は一つ頷く。


「それもそうだけど……その人」


 僕は今考えていることをスズミさんに話した。彼女も考えは同じだったようで、


「――かもしれないね……。すぐには信じられないけど」


 徐々に霧が晴れようとしていた。

 だけど、ほかに解決すべき問題があった。


「それはそうと、キミがおじいちゃんを呼びに行っていた途中の話なんだけど」

「あ、そうだった。ご飯食べたら話すって言ってたね」

「えと……」


 スズミさんはちょっと話しづらそうに口をもごもごしていた。


「ごめん! キミの机、開けちゃった!」


 いきなりスズミさんは頭を下げ、声を上げて謝罪した。


「え、ど、どうしたの? いきなり」

「あの……実は気になって……」


 スズミさんは僕の部屋が物珍しかったのか、机を漁っていたらしい。

 でも大した物は入れてない。いや、あるけど引き出しに鍵がかかっている。


「人魚の箱、入れてたんだね……。箱は開けてないけど」


 僕はぎょっとし、内側から眼球が飛び出(で)そうになった。


「……机の鍵、開けちゃったの」

「ごめん……! 偶然、ほかの引き出しに入ってたから……つい」


 後頭部を掻きながらスズミさんは謝罪していた。


「はあ……」


 ため息をついた。

 偶然箱を開けてしまった事件以降、僕はこの箱をチカさんの許可が下りるまで、鍵をかけて保管していた。誰にも開けられるはずがない、と考えていたのだが……。


「また鍵かけて戻したから……!」

「まあ、いいよ」


 多分、今後も僕の部屋に入る人はほとんどいないだろう。お母さんも机までは物色しない。

 漁ったのがスズミさんで、ある意味よかったよ。


「でも、話はこれだけじゃなさそうだけど」

「うん。箱を片付けた時に誰かにじっと見られてるような視線を感じてね」

「視線?」


 振り向いて窓を見たらチカさんが山に向かって登山道を歩いて行ったという。

 僕は瞬間的に心臓が止まりかけた。


「それ、ほんと?」

「うん……この目で見たから間違いないと思う」


 理由はわからない。だけど、僕はなぜか身震いしていた。


 その後勉強時間になったが、これまで知った情報が頭の中で絡み合い、離れ、絡み合い、離れを繰り返して集中できなかった。


 夕食になり、両親が帰ってきた後スズミさんの事情を話した。よく相談したうえで、両親は受け入れてくれた。スズミさんもひと安堵したようだ。


 しかし僕はすっきりしなかった。聞くまでわからないことだとはいえ、なぜあんな行動をとるのか。そしてあの人……。


 だが三日後に起きる事件で事態は大きく動こうとしていた。


 今はそんなこと、知る由もなかった。

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